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こだわる  作者: 坂本梧朗
2/5

その2

  歓迎会は、まずビヤガーデンに行くことになった。同僚の車に0氏は女子社員二人と同乗した。一人は中年、一人は若かった。若いと言っても二十四、五にはなっているだろう。彼女は職場ではお茶をくんだり、書類をコピーしたり、係の間の連絡をとったりしていた。服装はいつも派手で、その日も赤いスーツにピンクのブラウスを着ていた。長い髪に、濃いめの化粧。0氏の心は少し弾んだ。今夜この女性と親しくなるのも面白いな、と思った。中年の女性の方とは何度も話を交わしていた。0氏は主任という肩書きでこの課に入ってきたのだが、その女性も主任だった。彼女は社内経費の経理 を担当していて、備品の購入や 種々の維持費、社員が社用で使う金などについて出納を管理していた。0氏は営業から回ってくる伝票の整理が主な仕事だった。担当は違っていたが、0氏は彼女からいろいろ仕事のやり方を教わった。若い女は主任の女性と仲がよいようで、休み時間などよく彼女の側に行って話しこんでいる姿を見かけた。車は動きだした。もたついていた後の連中はタクシーでくることになった

「杉山さんはもう何年くらいになるの」

  0氏は助手席から後部座席の若い女に声をかけた。

「この課に来てからですか」

「うん」

「三年です」

「三年、長いんだね。俺が人社してからより長いや」

「長いだけですから」

「結婚は、まだなの」

  0氏は一歩踏みこんで聞いてみた。

「誰かいい男性がいたら紹介してください」

  このコも言うな、と0氏は思った。こういうコの方が話をしても面白い。

「紹介してやってもいいけど、かわりに僕に可愛い女のコを紹介してくれるかい」

「あらら、私でよかったら、なーんちゃって」


  0氏は楽しかった。この職場は、まわりの人間が気さくで誰にでも冗談が言える。しかも、そんなくだけた雰囲気のなかで、そこはかとない自分への敬意が感じられる。快い。久しぶりに、女性を相手にしてくだけた会話を楽しもうという気持に0氏はなった。

「お酒は強いの」

「私ですか」

  杉山が尋ねた。

「うん」

「そん なに強くないです」

「そんなに強くないけど、飲むのは好きよね」

  主任の女性が横からロをはさんだ。

「まあそうね。主任さんと同じですね」

  杉山も負けていない。

「それはいいな、今度おつきあい願おうかな」

  0氏が言うと、 「いいですよ、喜んで」と杉山は答えた。「0さん、私も一緒にいいかしら」主任の女性が、わざと申しわけなさそうな声で尋ねる。「もちろんですよ」と0氏は答えて、ははは、と笑った。愉快だった。何かここできわどい冗談を言って、女二人をからかいたい気がした。にやにやしながら言葉を探していた0氏の頭にふとある疑問が生まれた。


 それは杉山の経歴に関することである。彼女はこの職場に来て三年だと言った。とすれば二十一、二で入社したことになる。高校を出る年が大体十八だから、三年ほどのブランクがある。その間何をしていたのだろう。この課に入る前に別の課に居たのだろうか、自分と同じように。いや、それはないだろう。他の会社に居たということも考えられる。―どうでもいいことではないか、と0氏は疑念を捨て去ろうとした。しかし既に0氏の心には恐れが生じていた。一つの思念にこだわって、自由を失う自分への恐れが。これまでに何度もこの種の心的恐慌に0氏は襲われていた。とくに前の課に居た二年の間に、その回数は増えたように思える。                                    


  ここで少し0氏の精神史をふり返っておこう。

  0氏は他人の言動に敏感だった。特に自分への評価に関するそれに。自尊心が強く、また小説などを書くためか自分の内面にこだわることが著しかった。た。T大を出たという経歴もその傾向への拍車になった。T大出という学歴意識と境遇とのギャップが、0氏の自尊心をさらに過敏にしたからだ。酒屋をしていた時がそうだった。「T大出がもったいない」という言葉を何度も聞いた。また店の中では、その仕事に向いてもいず、うまくもない者が受ける屈辱のようなものを常に意識させられた。兄夫婦が経営を握り、0氏は付属物のような形になっていたことがその背景にあった。0氏は自尊心を傷つけられると、なかなかそこから離れられなかった。何度も思い返してはいつまでも怒っていた。最後には自分が苦しくなって、やめようともがくほどだった。0氏の思念の反芻癖とでもいうものは、こうしたことの反復のなかで内部に刷りこまれていったのかもしれない。当然、酒屋における種々の人間関係は円滑ではなかった。    


 会社に入0てからも中味は違うが人間関係の緊張は続いた。0氏は孤独で、しかも常に何かを考えていなければならなかった。内面での自問自答が増えた。生活の大半が、他人というより、自分の内面を相手に過ぎていた。その内面で処理できないことが起きるとO氏は不安になった。それが解決されるまでO氏は 身動きができないような窒息感を味わうのだった。


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