その1
O氏は幸福だった。新しい職場に移って二週間、すべてが順調だった。同じ会社でも課によってこんなに雰囲気が違うものか。課長を始め、課員の皆が0氏に好意的なのだ。少なくとも敵意ある対応を示す者はいなかった。
前の職場はそうではなかった。O氏は孤独だった。特に直接の上司ー係長や同僚が彼に冷たいのだ。経験のないO氏は、仕事の上で彼等に聞きたいことがたくさんあったのだが、尋ねても彼等は、それはあなたの考えで、という感じで慇懃に相談を拒否する。係長も必要最小限の指示しか与えず、あとは知らんふりだった。
O氏は大学では日本一と言われるT大を卒業していた。しかし就職せず、郷里にUターンして、家業の酒屋を手伝いながら、小説などを書いていた。それがO氏が当初考えていたように簡単には金にならず、かといって商売が不得手なO氏は、しかたなくサラリーマンになる決意をして、就職試験を受けたのだった。
T大出の三十を過ぎた新人社員は、迎える側の人間にとっては敬遠さるべき存在だったわけだ。O氏はその課に二年居た。二年もよく我慢したものだ、とそこを出た今、O氏は思う。この春の人事異動でO氏は課を移ったのだ。前の課は新製品の企画、開発を担当する課で、いわば会社の花形的な部署だった。そして会社の中枢部への上昇階段に固くセットされていた。同僚達がO氏に冷たかったのは、それぞれ出世をめざす彼等が、 大出のO氏を強力なライバルと見たためかも知れなかった。仕事はプロジェクトチーム毎に分担して行なわれたが、少数精鋭ということで個人の責任も重く、時間と神経を費すものだった。課員同上は、言ってみれば受験校のクラスメートという感じで、表面は穏やかな雰囲気だったが、裏にまわれば誰がヒット作を発案するかと、お互いの動きに神経をとがらせていた。受験地獄をくぐりぬけてきた0氏にはうんざりする雰囲気だった。それに個人責任が追求されるので、落度なくやろうとすると仕事が長びき、退社した後も調べものなどで拘束されがちだった。こんなことじゃ、小説を書くひまもない と0氏は思った。0氏はまだ小説に未練があったのである。自らこの課への転出を願い出た。それがほぼ一年たって実現したわけだ。0氏の行為は社内ではエリートコースからの脱落と見られたはずだ。0氏が希望した課は、会社の激しい経済活動のいわば残務処理を担当するところだったから。伝票整理、領収証や請求書の発行、帳簿作成などがその仕事だった。課員のほとんどは高卒であり、女性が多かった。
その日は、係長が音頭を取った0氏の歓迎会が行われる日だった。この話を聞いた時、0氏は恐縮した。なんでそんなことまで、という感じもあった。しかしこの課では、係長も交えて同療同士で酒を飲むことなど日常茶飯事という感じであり、気の合ったグループが飲む会にたまたま自分の歓迎会という名称をかぶせただけ、と軽く考えることもできるのだった。いずれにしても、こういう会が持たれるのも自分の学歴が影響してのことだろうと0氏は思った。職場に入った第一日目に、係長が0氏の席まできて、「私は学歴に弱くてね。どうも T大卒なんて言われると、それだけで頭が上がらない感じになるんだな」と話しかけてきたものだ。0氏が恐縮して、「いや、僕は学歴を生かすような道は歩いていませんから」と答えると、冗談なのか本気なのか「そうかね。それなら安心だ」と笑って言った。他の課員達もそんな目で0氏を見ているはすだ。
この課を希望して入ってきた T大出ということで、確かに0氏は課員達から興味を持たれ、好意のようなものを寄せられていた。それは気持ちの上で負担になる事もあったが、それはそれとして、0氏は幸福だった。競争がないというのはこれだけ人間同士の間を和やかにするのか、というのがこの課に来ての0氏の感慨だった。工リートコースから脱落したとしても、その雰囲気に浸っていられることで、さしあたって0氏は満足だった。長い間一人で生きてきたような気持ちが0氏にはあった。酒屋を手伝っていた時も、就職してからも、個我を張って生きてきたように思う。いまようやくこの職場で、同じ仕事をする者同志の連帯というものを体験できるのかも知れないという期待さえ抱くのだった。