第48話 大いなる海の伝説
私たちが入ると、家の中はかなり薄暗かった。
やっぱり、南側の木が日差しを邪魔してしまっているからのようだ。
その薄暗い中に、白髪の老人が佇んでいる。
かなり小柄で、何だか仙人みたいな風貌だなぁ……。
「爺ちゃん、お客さんだよ」
「……客ぅ? わしにか?」
「そうだよ。前に話してた災いについて聞きたいって」
「災い?」
……耳が遠いのかな?
老人はおやっと首を傾げると、よくわからないといった顔をした。
そして――。
「夕飯のことじゃったか?」
「違うよ! 災いについてだよ!」
「災い……ああ。ごみ捨てなら行っといたぞ」
「何でそうなるんだよ! この間言ってただろ、モンスターが減るのは海が怒る前兆だって」
「海が怒る……。ああ、あの話か!」
そう言うと、老人はポンッと手を叩いた。
そして、先ほどまでのとぼけた表情から一転して急に険しい顔をし始める。
「豊漁が続くと、やがて海が怒って黒く染まる。そしてその時、大いなる災いが訪れるのじゃ」
「大いなる災い……いったい、何が起きるんですか?」
緊張した面持ちで尋ねるイルーシャ。
すると老人は大きく咳払いをして、私たちを鋭い眼光で見据える。
「それはそれは恐ろしいことじゃあ……」
「だから、それは何なのですか?」
「それはな…………。わしも知らん」
「知らないんかい!」
たまらず、大きな声でツッコミを入れてしまった。
まったく、もったいぶった割にはひどいオチだよ!
こうして私がぷりぷりと怒った様子を見せると、老人はたまらず焦った顔で言い訳する。
「いやぁ……。わしも爺さんから知らんと言われたからの」
「爺さんの爺さんの代から、何もわからねーのに言い伝えられてきたのかよ」
「……まあでも、言い伝えってそんなとこあるよね」
エルフの里にも、その辺がさっぱりわからない言い伝えとか多いしね。
壊すと大変なことになると言われているけど、実際には何が起こるか分からない祠なんてのもあった気がする。
そこについては、まあこのお爺ちゃんを責めても仕方ないだろう。
すべてはちゃんと記録を残しておかなかったご先祖様が悪い。
「何が起こるかは、自分で調べるしかないか。ありがとね、お爺ちゃん」
「うむ。ところであんたがたは、いったい誰じゃ? リュートの友達か?」
……今さらそれを尋ねるのかい。
私はやれやれと肩をすくめて言う。
「私たちは冒険者だよ。リュートとは漁の手伝いで知り合ったの」
「ほぉ、漁で出会ったのか。リュートも運がええのぉ、そんなところでこんな別嬪さんを捕まえるとは」
「そういうのじゃないから」
「しかし、ちと若すぎないかの? まだ十歳ぐらいじゃろ」
「だーかーらー!!」
このお爺ちゃんにも、なかなか困ったものである。
まったく、なんで私がリュートと付き合わなきゃいけないのだか。
すかさず、イルーシャが少し怒った様子で言う。
「ララート様はそういうのじゃないですよ!」
「ほほう、こっちが本命か。なかなかええ娘さんじゃのぅ」
そう言うと、老人はイルーシャの方をじーっと値踏みするような目で見た。
するとたちまち、リュートが慌てた様子で言う。
「爺ちゃんやめてくれよ! 恥ずかしい!」
「別に恥ずかしいことではなかろう。跡取りの嫁は大事じゃ」
「嫁って!」
そういうリュートの顔は、真っ赤に染まっていた。
私の時とは違って、何だか照れているような感じである。
おやおや……これはひょっとして、イルーシャのことをちょっと意識してるのかな?
エルフの美少女なわけだし、まあ無理もないけど。
イルーシャみたいな可愛くてよく出来た嫁は私も欲しい。
既に嫁というか、お母さんみたいなポジションになってるけどね。
これがもう、ほんと世話焼きでうるさいんだから。
「ダメだよー、イルーシャは私のものなんだから。ずーっと面倒見てもらうんだもん」
「ちょっと、ララートさんまで話をややこしくするなって! もう話は済んだんだろ、なら早く帰ってくれよ」
めんどくさいと思ったのか、私たちを追い出しにかかるリュート。
やれやれ、仕方ないな……。
私はグーッと伸びをすると、その場から立ち上がる。
「じゃあ行こうかイルーシャ、フェル」
「はい」
「わん!」
「ちょいと待つのじゃ。土産があるぞ」
私たちが去ろうとしたところで、老人はゆっくりと立ち上がった。
そして床下収納のような場所から、どっこいしょと壺を取り出す。
「わん、わんわん!!」
瓶が取り出された瞬間、フェルが興奮して吠えた。
そして老人の足元へと移動すると、尻尾をブンブンと振る。
「この匂いがわかるのか。ほほほ、ほれ」
そう言って老人が壺の蓋を開くと、中には輪切りにされた果物の実がぎっしりと詰まっていた。
砂糖漬けか何かにしてあるようで、ほのかに甘く爽やかな香りが漂ってくる。
これはもしかして、ダスチの実かな?
船の上でリュートが渡してくれた実によく似ていた。
「ダスチの砂糖漬けじゃ。うまいぞぉ」
「おぉ! 食べたい!」
「待っておれ、瓶に取り分けてやるからの」
「……爺ちゃんの育てるダスチは旨いけど、おかげで家の日当たりが悪いんだよなぁ」
愚痴っぽくつぶやくリュート。
なるほど、この家を侵食しているあの木がダスチなのか。
美味しい果物が取れるのはいいけど、日当たりが悪くなっちゃうのは困ったところだね。
「ほれ、出来たぞ」
「ありがと!」
「じゃあの。身体を冷やさんようにな、大事な嫁が風邪を引いては困る」
「だから嫁じゃねえって!」
リュートのツッコミを聞きながら、私たちは彼の家を後にした。
さて、これからどうしたものかなぁ……。
あまりいい情報は手に入らなかったし、思案のしどころだ。
「海が黒く染まって災いが起きる……。まず、海が黒く染まるって何でしょうね?」
「流石の私もちょっとよくわからないなぁ」
「そうですよね」
私がそう答えると、イルーシャは腕組みをして考え込み始めた。
その間に、私はダスチの砂糖漬けを食べる。
輪切りにしたダスチが、甘酸っぱくって口の中がさっぱりした。
あー、こりゃ冷やして夏とかに食べたら最高だね。
炭酸水とかにもよく合いそうだ。
ダスチサワーとか作ったらすごくおいしそう、蒸留酒が手に入ったらやってみたいとこだな。
「イルーシャも食べる? 甘いものを食べれば、頭も冴えるかもよ」
「そうなんですか?」
「糖分は重要だからね」
私がそう言って壺を差し出すと、イルーシャはさっそく砂糖漬けを口に入れた。
するとたちまち、いい笑顔を浮かべる。
「おいしい! 思ったより酸味が抑えられていて、食べやすいですね!」
「でしょ。ほら、フェルも食べる?」
「わう!」
砂糖漬けを差し出すと、フェルはさながらフリスビーにでも噛みつくようにパクっと食いついた。
そしてそのまま、皮ごと飲み込んでしまう。
「わうぅ!!」
「お、気に入ったんだね。よしよし、ならもう一枚あげちゃおう」
「わう、わう!」
二枚目の砂糖漬けに大喜びのフェル。
するとここで、イルーシャがたしなめるように言う。
「ララート様、ほどほどにしてくださいよ。最近、フェルは少し食べ過ぎなんですから」
「そうなの?」
「はい。お腹周りがちょっとぷよっとしてます」
どれどれ、ちょっと確かめてみよう。
私はその場でしゃがみ込むと、フェルのお腹に手を回した。
――ぷにゅぷにゅ。
言われてみれば、確かにちょっと柔らかいな……。
このままいくと、お腹の立派なデブ犬になる未来が見える。
「むむ、ちょっと食事量は抑えた方がいいかも」
「ですよね」
「わう! わうわう!」
聞き分けの無い子どものように、フェルは全力で頭を横に振った。
もう、そんなことじゃ太っても知らないからね。
「ダメだよ、ちゃんと食事は考えてしないと。食べたいだけ食べたら太るんだから」
「……ララート様がそれを言いますか?」
「大丈夫、私はぷくぷくーって太ってもきっと可愛いから」
「そういう問題じゃありません!」
「そうかな?」
私はそう言うと、ほっぺたを膨らませてみせた。
これはこれで、けっこうありなんじゃないの?
ぷにっとしても可愛いのは幼女の特権だ。
するとそれを見たイルーシャは、不意にハッとしたような顔をする。
「……そうだ、タコですよ! タコ!」
「んん? どういうこと?」
あまりに会話が飛んだので、私はたまらず聞き返した。
するとイルーシャは、ふふんっと胸を張って言う。
「大いなる災いの正体ですよ。きっと、タコの群れが街を襲うんです!」
「……なにそれ?」
タコの群れが街に押し寄せる姿を想像して、私は吹き出しそうになった。
何ともまぁ、シュールな感じの絵面だ。
いやまあ、大軍が押し寄せてきたら間違いなく大変だろうけどさぁ。
半ば呆れてしまう私に対して、イルーシャはいたって真面目な顔をして言う。
「私、前に本で読んだことがあるんです! タコって墨を吹くんですって!」
「うんうん、それで?」
「海が黒く染まるとは、きっとタコの墨のことなんです!」
ものすごい事実を発見したかのように、イルーシャは大きく胸を張っていった。
タコの墨で海が黒く……いくら何でもないんじゃないのかなぁ。
イルーシャって、基本的に賢いけどたまに天然なこと言うよね。
やっぱり、田舎育ちだからかな?
「それはいくらなんでも。というか、その手の海の伝説ってタコよりイカの気がするよ」
「イカですか?」
「そうそう、クラーケンとかさ」
森の中に住んでいたので、海のことにはあまり詳しくないのだけれど……。
この世界の海になら、クラーケンみたいな化け物とか住んでいそうではある。
いやちょっと待ってよ、そう言えばこの街の名物って……。
「……イルーシャ、フェルを宿に預けてギルドへ行くよ!」
「え、また仕事をするんですか?」
「わうぅ?」
「……そうじゃないよ。調べものをするために、ギルドの資料室へ行くの」
「なるほど。トゥールズの街のギルドにもありましたね」
基本的に、冒険者ギルドには過去の依頼や地域に生息しているモンスターの情報などが蓄積されている。
何かが起きた際、それらの過去の資料をもとにして色々と対処できるというわけだ。
資料は一般にも公開されていて、ギルドカードがあれば誰でも見られるようになっていた。
「そうと決まれば、急ぐよ」
「あ、坂道を走ったら危ないですって!」
港へと延びる坂道を、タタタッと駆け下りていく私。
うひゃー、風が気持ちいい!
一度こういうのをやってみたかったんだよね!
こうして私たちはそのまま、ウェブルの街のギルドへと向かうのだった――。
読んでくださってありがとうございます!
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