コース:ご指名ありがとうございます!2
「ふぅ」
一仕事終えたように、桜舞純寧はスマホをテーブルに置いた。
癒し処【リリートリア】の事務所兼スタッフの休憩室。簡素にソファとテーブル、隅っこには観葉植物が置かれているというだけ。
スタッフの出勤も予約の入り方次第で、常勤している一人か二人程度。
特に日中ともなれば、ほとんどが働いている。
そのため閑散とした時間になりつつあり、人と接するのが苦手な純寧には適していた。
だからといって、何もしていないわけではない。
(それにしても店長さん、急にどうしたんだろう?)
つい明け方、癒し処【リリートリア】の店長である冴姫澪から全スタッフに通達があった。
その内容は、新春セールという割引き期間をやるという旨。
大半のスタッフは驚くどころか、異議を申し立てることなく肯定的だった。
むしろ、どこか慣れている雰囲気が文面から伝わるほどだ。
それは例にもれず、純寧もそうだった。
だけどいつもは事前スタッフへの告知があり、来店したお客様にも次回の来店に利用してもらうための声掛けをしている。
不定期であることは変わりないのだが、今回はあまりにも急すぎた。
それ故に、お客様への告知ができていない。
そういった文面を、手の空いていた純寧が行っていた。
全スタッフが利用する連絡アプリに文面を張りつけ、それらをコピーして各お客様に流してもらう。
(……結芽さん、来てくれるかな)
唯一でもある純寧が連絡先を交換した一人、境乃結芽に恐る恐るといった指先で送信ボタンを押した。
そして、妙な緊張感に耐え切れずスマホをテーブルに置いた次第だ。
「ッ!?」
するとすぐにスマホが震えた。
(まさか、結芽さんから……?)
あまりにも急だったことに驚く純寧は、恐る恐るスマホに手を伸ばした。
だがそんな期待は淡く、そっと豊満な胸を撫で下ろす。
ほぼノンタイムに等しい、店長の澪から業務を行ってくれたことへの感謝とスタンプ。それに続くように、他スタッフ達からの既読とお礼が綴られていく。
「そう、だよね……」
あくまで頼まれた業務を、手が空いていたから行っただけの事。
それだけなのに、店長の澪を始めとした他スタッフ達からの温かなお礼の言葉。シフトの関係で入れ違いや、お客様予約の時間しか出勤しないスタッフもいる。
大半は面識どころか、待機時間に関わりの深いスタッフばかり。
人見知りしがちの純寧だが、唯一心を開けている。
そんな今まで。
勇気を出して声をかけた、結芽と出逢うまでは。
ちょっとした憧れでもあった、純寧だけのお客様。
スタッフのスケジュールとお客様の予約が重なってしまった時、やむを得なく純寧が施術をすることがある。
その度、当たり前のように仕事はするのだが、指名の代わりとなってお客様に癒しを与えられているのかという不安を抱く。
だから一人反省会は欠かせない。
だけど、ようやくお客様ができたのだ。
(けど結芽さん、忙しそうにしてたよな……)
あの時声をかけたのだって、傍から見て疲れ切っていた。今にも倒れてしまわないかという心配と、純粋に癒してあげたい気持ちが湧き、身体が勝手に動いていたのだ。
そして翌日、冷静になって昨日の言動を振り返っている。
今まで積極的に誰かと関わるどころか、人目を避けるように行動してきた。
原因は一つ。
思春期辺りから胸が大きくなり始め、特に異性からの視線。それと耳にする根も葉もない噂には、何度も学校に行きたくない気持ちにさせられた。
誰がそんな噂を流したのかと気にもなり、仲の良い友達を疑ってしまう程。
半ば疑心暗鬼を拗らせて、人との関りを最小限に絞った。
そうして今に至り、高校どころか大学で知り合った友人との連絡は音信不通。
気づけば人との話し方を忘れ、上手く話せないでいる。
もしかしたら、昔からこんな話し方だったかもしれない。
ある程度の返信が止み、純寧は一息吐こうとした。
「……?」
そんな時、不意にスマホが震えた。
タイミングとしては特に不自然でもなかったが、気になってスマホに手を伸ばす。
「えっ、これって……」
そこには全スタッフが使用する連絡アプリではなく、純寧個人。
しかも、僅かに期待していた結芽からの一通だった。
『お久しぶりです。
ここ最近、変わらず仕事で忙しくしてました……
予約の仕方なんですが、○月○日○時から一時間コース。
こんな感じでいいですか?』
送られてきた文面を一読し、純寧は返信に困った。
(え、これって夢とかイタズラじゃないよね? 結芽さんの事だから仕事先との打ち合わせとかと間違えた? もしくは疲れ過ぎて、正常な判断ができないとか……)
最後は結芽に失礼ではあるが、それくらい思考が追いつかない状況に。
しかも――。
「って、今日ッ!?」
純寧は少し冷静になり、予約してくれた日に声を荒げてしまう。
気づけばスマホを両手に抱え、直立不動で立ちあがっていた。
「……純寧ちゃん? どうかしたの」
「あ、いえ、何でもないです……」
受付の方にいた、もう一人の常勤していたスタッフ――叶環華。
お姉さんぽい雰囲気を全面に、スラっとした見た目ながらもでるところにメリハリがある。実際にスタッフの中でも歴は長く、店長である澪が不在の代わりを務める。
「そうだ、さっきは全体にありがとうね」
「そ、そんな、当たり前のことをしたまでです」
「そう? ……けど、いつも助かってるから」
どこか怪訝そうな視線を向けられながらも、スタッフの連絡アプリに張り付けた文面を見てくれたのだろう。
気遣うような声をかけ、受付の方へと戻っていった。
表面上では冷静を繕いながらも、内心では慌てふためいたままの純寧。
(ど、ど、ど、どうしよう! えっと、お客様からのご予約を頂いたらスタッフ共有リストに打ち込み。それと、それと……)
いつかは使うことがあるだろう、と思っていただけのマニュアルは頭の中に入っている。
だけど、いざとなると慌ててしまう。
「ワカさん! ちょっといいですか!?」
結局、受付に戻っていった環華を呼んでいた。
それに対して、何事かと心配して戻ってきた環華。
しっかりと純寧の話を聞いて、丁寧に教えてくれた。
「良かったじゃない純寧ちゃん、頑張ってね」
「が、頑張ります」
小さな両手を握り締めて意気込む純寧の様子に、どこか不安ながらも温かい眼差しで見守る環華。
「そうだ! 改めて施術マニュアル読んどかないと!!」
「……本当に大丈夫かしら」
ここ癒し処『リリートリア』に勤める際、初めてご来店したお客様に、施術効果の内容を説明するのが通例だ。
そのため、一言一句間違えないように丸暗記した。
けど、人見知りの純寧にとっては使う機会のなかったマニュアル。最初にもらったのは擦り切れて、個人的にプリントアウトしたモノ。
それすらも何度も捲り、使った痕跡がありありと目に見える。
いつもファイルに挟んで鞄に忍ばせ、肌身離せないモノとなっていた。
「えっと、まずは荷物を預かって、お客様に椅子へと座ってもらう……」
「純寧ちゃん」
「それから、ひざ掛けを――」
「純寧ちゃん!」
「ッ!?」
ブツブツと念仏のようにマニュアルを読みあげていく純寧に、環華は少し強めに両手を叩いた。
口調もどこか厳しめで、純寧の前にしゃがむように視線を合わせる。
「純寧ちゃん、お店のマニュアルはもちろん大事よ。だけどね、他にもあるでしょ?」
「……他にも」
環華の言動に目を丸くさせる純寧。
そこに改めて問いかけられ、マニュアルに視線を落とす。
「お客様の不安や悩みを、少しでも和らげて癒すこと?」
勤め始めて、一番に気づいた事だ。
来店するお客様はそれぞれ悩みや不安を抱え、相談事などを施術するスタッフに話している。
内容は全てではないが、受付に座っていると耳にする機会が多い。
他スタッフの代打として施術をしている時も、大小とあれ雑談がてらの悩みを聞く。
それに対して上手い返答をできているか不安だが、純寧なりに真摯な対応をしている。
「それも大事だけどね、純寧ちゃんが普段からやってることだよ」
「……普段から?」
そう言われて、純寧は小首を傾げた。
だから、環華は微笑むように口角をあげる。
「何事にも真面目で、真摯な姿勢。どんな悩みや不安に寄り添って、一時とはいえお客様の貴重な時間を大切にしようとしている」
「……それは、当たり前の事では?」
実際に仕事で、しっかりと給料に福利厚生が備わっている。
それに加えてスタッフ同士も仲が良く、人見知りの純寧に対してもペースを合わせて話してくれる。
「そういうところが純寧ちゃんのスゴイ所で、大事にしてることじゃないのかな?」
「あ……」
環華に言語化されて、気づかされる。
誰かの癒される表情が好きで、どうすればいいだろうか。こうするべきだっただろうかなど、一人反省会を欠かさない。
その理由は、お客様を大事に思っているから。
それは仕事でもあるが、純寧なりの強いこだわり。
「だからさ、今回のお客様……結芽さん。純寧ちゃんなりの対応をするべきよ」
「……私なりの」
再び施術マニュアルに視線を戻しかけたが、短く息を吐く。
「わかりました、頑張ってみます」
「……ほ、ほどほどにね?」
一周回った感で意気込む純寧に、環華は苦笑いを浮かべる事しかできなかった。
「けど、一回だけマニュアルを……」
だが、純寧は自信なさげの声音で手にしていたマニュアルを捲り始めた。
(……そうだ。この前の事もあるし気をつけないと)
ふと、澪に指摘された事が脳裏を過った。
(もしも、もしも結芽さんに見られてたら……それとなく確認だけでも……)
「純寧ちゃん、大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です!」
マニュアルを凝視し続ける純寧の様子に、何度目ともなる環華の心配した故にかけた声。
それくらい前のめりの姿勢は、どことなく不安感を拭えない。
だが、いつまでも純寧にだけ構っていられなかった。
「ごめん、お客さん来たみたい」
スタッフルームの向こう側、扉越しに来店を知らせる音が鳴った。
「あ、受付変わります」
「お願い」
事前に来店予約があり、もう時間になっていたようだ。
既に開店してから時間が経つ、癒し処『リリートリア』。だからお客さんは当たり前のように来店してくるし、仕事をしなければいけない。
スタッフルームを後にする環華の追うように、純寧もソファから立ちあがった。
(お仕事もだけど、今日は特に頑張らないと)
それからは客足が途絶えることはなく、結芽が予約した時間まであっという間に迫っていた。