コース:ご指名ありがとうございます!
「はぁ……」
多忙だった年の瀬の、ちょっとした出逢いが結芽を変えた。
それもあってか久しぶりに実家へと帰省をしてみたが、口を開けば親という立場からの心配事ばかりのお小言。
「なによ! 急に帰ってきて」
「……いや」
玄関を潜れば、母親の境乃凛子が大袈裟なくらいに叫び出迎えてくれた。
昔は細かったと自慢、証拠だと写真をみせられたが、今はその面影はない。
だからといって少し全体がふっくらとしているだけで、若々しいエネルギッシュさを常に放っている。
年齢の割に行動的な凛子に、結芽は圧倒されてしまう。
ウェーブのかかった茶色の明るいセミロングの髪を揺らすようにして、凛子は二階の方へと向かって行く。
(お母さん、相変わらずだな)
二階からでも叫ぶ声が聞こえてくるのに、結芽は苦笑してしまう。
「お帰り、結芽」
「あ、うん」
そしてリビングを除けば、父親の境乃優悟が読んでいた新聞を畳んで声をかけてきた。
凛子とは違って穏やかというか、落ち着いた声音。頭髪に白髪が目立つが、それを染め直すようなことはせずに自然体。
かけていた眼鏡を外して、結芽に座るよう促してくる。
「母さん、元気だろ?」
「帰ってくるかって訊いたのお母さんなのにね」
「それくらい心配してるんだよ」
実際、一度は帰省することを断っている。
だけど、とある出逢いをキッカケに気分を変えようと前日に連絡を入れたのだ。
(やっぱり帰ってこない方が良かったかも)
どこか落ち着いて年末年始を休めない気配を感じつつ、結芽は久しぶりに実家で過ごすことにしていた。
「それとこれ」
「……いいよ」
どこからともなく、優悟が取りだした封筒。
それを前に結芽は渋い表情を浮かべると、優悟は困ったように肩を竦めた。
「結芽もいろいろと大変だろう。あんまり気にするな」
「それはそうだけど、別にムリしては……」
と、結芽は強がってみるものの、事実とはかけ離れている。
帰省するにも半日かかり、年末年始という時期は交通機関が混雑を避けられない。そのため事前に座席を予約しておこうものの、通常よりも料金がプラスされる。
それを懸念して始発に近い時間を狙って、座席も自由席を選んだ。
だが、同じ考えを持つ人が多かった。
ホームには人の列ができていて、どうにか座ることはできたが、あまりの密室度に息苦しさを感じさせられる。それに加えて小さな子供達の元気な声はどこか合唱のようであり、瞼を閉じても一切寝られることはなかった。
朝も早くて、普段の寝不足も相まって今に至る。
「ほら、母さんにバレる前にしまいなさい」
「……ありがとう」
優悟からの気遣いを、結芽は申し訳なさげに封筒を鞄に押し込んだ。
(これで帰りくらいはゆっくりできるかな)
そっと息つく結芽の様子に、優悟は微かに頬を緩めた。
「ちょっと結芽! こっち来て手伝いなさい」
「え~」
さっそく結芽の予感は当たり、二階からの凛子に大声で呼ばれてしまった。
「賑やかな年末年始になりそうだな」
「暢気なこと言ってないでよ~」
「ハハハ」
対して優悟は、テーブルに置いていた新聞に手を伸ばして読み始める。
その気ままさに、結芽は渋々ながらも立ちあがった。
それから元自分の部屋を片づけさせられ、どうにかこうにか横に慣れる場所を確保。それが終わったら買い出しの荷物持ち兼運転手として、近場のスーパーまで。そして帰宅して落ち着けるかと思えば、物心つく前からお世話になっていた近所の人達が訪問していて捉まってしまった。これといった話題もなければ、ほぼ聞き役に徹するというだけ。
だがそれも、何時間ともなれば苦行でしかない。
あげく夕飯後の晩酌に付き合わされ、気づけば日付けを跨ぐ時間に。
「……疲れた」
ゆっくりと湯船に浸かる気力はなく、いつものようにシャワーだけで済ませてしまう。辛うじてスキンケアだけは忘れずに、髪は濡れたまま敷布団の上で横になっていた。
「寝よ」
気づけば手にしていたスマホの画面を見て、結芽は身についてしまった癖に嘆息してしまう。
だけどせっかくの休日。凛子にこき使われ、近所の人達と久しぶりの交流があったとはいえ、仕事を一度は忘れて過ごしたい。
スマホの画面を伏せるようにして、結芽は枕に顔を埋めた。
「はよ~」
次に結芽が目を覚ましたのは、お昼を過ぎていた。
「ちょっと、休みだからってダラダラしてないでよ!」
のそのそと重い身体を引きずる結芽。リビングに顔をだすと、寝起きの耳を劈くほどの凛子の叫ぶ声にしかめっ面を浮かべてしまう。
(……うるさい)
ソファでは優悟が報道番組を眺めていて、軽く視線だけをよこしてきた。
「凛子さん、少しくらいいいじゃないか」
結芽を庇うように優悟が凛子を諭そうとするも、それが火に油を注ぐのか。
「ダメよ、優悟さん。結芽もいい大人なんだから甘やかしちゃ」
「そうは言うけど、せっかく帰ってきたんだからさ」
「そうかもしれないけど……」
どこか剣幕染みていた凛子が、優悟の言葉に表情を強張らせていく。
「……とりあえず、顔を洗ってらっしゃい」
「う、うん……」
すると、凛子からのどこか投げやりな言葉をかけてきた。
その態度にどこか戸惑いながらも、改めて再認識させられる。
(お母さんって、なんだかんだお父さんの意見に賛同的だよな)
だからといって優悟が娘に対して甘いわけでもなく、時に厳しかった記憶がある。
どちらかの肩を持つことはせず、あくまで中立でいる振る舞い。
洗面所に向かいながら、結芽は境乃家の構図を考えさせられた。
(さてと、何しようかな)
それから遅めのブウランチを食べ、何となくリビングでぼぉっと過ごしていた。
これといったスマホのアプリをやり込む性格でも、時間もないから手持無沙汰。かといってこれを機にともならない。
「結芽、ちょっといい」
「あ、うん」
不意に凛子から声をかけられ、結芽は目を丸くさせた。
つい数時間前の出来事に加えて、優悟がいないことに身構えてしまう。
それを感じ取ったように、凛子は嘆息気に肩を竦めた。
「何か飲む?」
「あ~カフェオレがいい」
「はいはい」
急だったのもあって一瞬悩んだが、凛子は気に留めた様子もなくキッチンの方へと向かっていった。
(な、何だろう……)
だがそれが、結芽の警戒心を強めていく。
しばらくして戻ってきた凛子からカフェオレの入ったマグカップを受け取り、一息吐いた。
凛子からすぐに話題を切りだしてくる様子もなく、点けっぱなしだったテレビを眺める。
「それで、何かあったの?」
「……え?」
脈絡のない凛子から問いに、結芽は小首を傾げた。
その様子に、凛子は表情を険しくさせていく。
「急に帰ってくるから何かあったのかって心配だったのよ。上京してから大学の課題やバイトで忙しいって言って、帰ってくるどころか連絡もあまりないし、社会人になってからはもっと疎遠気味だったじゃない」
「……それは」
学生の頃、何度か帰省する機会はあった。
ただ、移動だけで半日の時間とお金をかけてしまう。年間を通して学費や生活費の仕送りを貰っていたとはいえ、あまり無駄遣いをしまいとバイトも始めたのだ。
それ故に、毎回帰省するたびに交通費を出してもらうことに後ろめたさがあった。
今となってはそれが良かったのかわからないが、こうして心配してくれる両親がいる。
「ごめん、特に理由はないんだ」
「……本当に?」
だから自然と謝っていたが、何に対してかわからない。
追い打ちをかけてくる凛子の目が見れず、結芽はそっぽを向いてしまう。
それがどうにもいたたまれず、マグカップの縁に口をつける。
「ならいいわ。あんまり優悟さんにも心配かけないのよ」
「……お父さんも?」
いつもは凛子からの一方的な連絡ばかり。そこに優悟が便乗どころか、ただ反応を返すだけ。
今回の急な帰省に限っても、グットスタンプだけなのだ。
不思議がる結芽に、凛子は露骨な溜息を盛大に吐いた。
「あのねぇ、誰よりも結芽の事を心配してるのは優悟さんなのよ。上京するっていいだした時なんて反抗期かって毎日訊いてくるし、帰省してこないのも何か大変なことに巻き込まれていないのかって心配するくらいだったんだから」
「そんなことが……」
結芽の知る由も無かった、優悟と凛子のやり取り。
もしかしたら、凛子以上に心配をかけてしまっていたのかもしれない。
「今回だって駅まで迎えに行くべきかな言いだすくらいだし」
思いだしたかのように、凛子は肩を上下させる。
「確かに駅から距離はあるけど、大袈裟すぎない」
つられるように、結芽も苦笑いを浮かべてしまう。
「まあ、そんな感じだからあんまり心配かけないのよ」
「努力はしてみる」
これで話は終わりと立ち上がる凛子に、結芽は捻くれた返事をしてしまう。
「そんなんだと、いつか東京のアパートに乗り込みに行くかもよ」
「え、それは困る!」
それがあまりにも冗談に聞こえず、結芽は声を張ってしまった。
(せめて近況報告くらいはしようかな)
そう、思わされるひと時。
それからは少しばかり心配をかけまいと、大学や会社での出来事を話題にこれまでをかいつまんで話し。まったりとした年末年始を結芽は過ごした。
何よりも驚かされたのは、中高と仲の良かった友人達が次々と結婚しているということだ。それに便乗するように凛子から良い相手がいないのかと催促され、お茶を濁すことしかできなかった。
「ん、お昼か」
そんな感じで気疲れさせられながらも、再びいつもの日常へと戻ってきた。
ぐっと背筋を伸ばすように時計を眺め、デスクのパソコンをスリープさせる。
これといって外に食べに行くわけでもなく、結芽は一人デスクでご飯を食べることに。
年末年始の休み明け、人それぞれ募る話はあるだろう。
ただ、仕事以外での関りが希薄な環境化。何気ない会話の、当たり障りのない話題として口にするか。上司とのちょっとした沈黙での、切り口としてくらいしか使わない。
誰一人として興味どころか、ほとんど聞き流している。
だからわざわざお昼に場所を変えて話す必要性も、これといった重要性を感じない。
何よりも、休み明けにも関わらず積まれている仕事の山。
それを前に、誰かと話す気力すら湧いてこない。
(とりあえず今日も残業かな……)
結芽は肩を揉むようにして首を回し、残りのお昼休みをぼんやりと過ごした。
それからしばらく仕事詰めで、借りているアパートと職場の往復ばかり。休みともなれば思いだしたように部屋の掃除や洗濯、クリーニング店にだしているスーツを受け取りに行くくらい。
そんな変わり映えしない日々を過ごし、年の瀬にあった出来事はすっかり忘れていた。
「……ん?」
そんなある日、仕事中だった結芽は通知音に作業の手を止めた。
(またお母さんからかな)
業務中、特にスマホを操作してはいけないルールはない。
ただ、度が過ぎる場合は注意されるが、多少の事では見逃されている。
年末年始に帰省してから、時々ではあるが近況報告を家族のグループに流すようにしていた。特に目立った反応はないが、でないと凛子が匂わせた一件が起こってしまうかもしれない。それだけはと、不定期に取り留めのない内容ばかりを送っている。
直近で送ったのもあり、何かしらの反応があったのかと画面のロックを解除した。
(……これって)
だが、見慣れないアイコンからの通知。
内容も――。
『新春割! 日々のお仕事や学業の疲れを癒しませんか?』
そんな一文に、結芽はトークアプリを改めて起動させた。
『お久しぶりです。季節の変わり目をいかがお過ごしでしょうか? まだ朝晩は寒かったりと体調も崩しやすく、忙しい日々に心は疲れていませんか?
そんなアナタに、少し早い春のお届けです!
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期間限定ではありますので、ご都合がよろしい時にでもご来店ください。
詳細はお店へのお電話、もしくはこのアプリでのご質問を承っています。
癒し処【リリートリア】より』
(ああ、確かにそんなとこ行ったな)
正確には客引きもとい、疲れている様子から声をかけられた。
実家に帰省したキッカケも、施術をしてくれた娘のお陰だ。
(……帰りにでも行ってみようかな)
ふとそう思った結芽だが、デスクの上を積まれた書類に眉根を寄せてしまう。
「よしッ」
軽く意気込むように気合を入れ、結芽は手早く予約の連絡を送った。