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コース:お試しで癒されに来ませんか?2


 結芽が癒し処【リリートリア】を後にしてから、純寧はお店に残っていた。


 それはもちろん後片付けといった清掃もあるが、勤務時間内だから仕方のないこと。


「お疲れ様、あやちゃん」


「て、店長さん!」


 スタッフルームのある扉を開くと、一人の女性が純寧の姿を目にして手を振った。


 (さえ)()(れい)。腰まで伸びる亜麻色の髪を頭の後ろで結び、スカートよりもスーツ姿が映える女性。スッと細い目じりに隠れていた臙脂色の瞳を覗かせ、長い脚を組み替えた。


 純寧の勤める癒し処【リリートリア】の店長でありながら、こことは違う場所にある姉妹店も兼任するという、日替わりで行ったり来たりをする多忙な存在。


 こうしてお店にいること事態が珍しく、純寧は驚きを隠せなかった。


「何かいいことがあったって顔に書いてるけど、お仕事は順調そう?」


 表のお客さん用と違って、従業員しか使わないというのもあって簡素な空間。真っ白な壁や天井をLEDライトが照らし、二人掛けのソファとテーブル。奥には更衣室へと繋がる扉があり、必要最低限の物しかなく整っている。


「は、はい。きょ、今日初めて、お客さんによ、喜んでもらえたと、お、思います」


 馴れ馴れしく隣に座るのを躊躇い、純寧はテーブルを挟んで向かい側に立った。


「もぉ、あやちゃん。何度も言うけど、少しは自信を持っていいのよ。確かにいつもは他スタッフの手が離せない時とか、裏方ばかりを任せることが多いわ。それもあやちゃんが人と話すことが苦手だからっていうからだけど、評判はいいのよ」


「そ、そんなことは、ないとお、思います」


 両手を前でモジモジとさせる純寧に、澪は露骨に溜息を吐く。


「そんなことあるの。中には常連さんからも『すごく真面目な子だ』とか『話を聞いてもらえるだけで勇気づけられる』って、スタッフ経由で聞かされるのよ」


「それはな、何度も聞かされました。……ほ、本当なので、でしょうか」


 ただ仕事というのもあるが、純寧的にはどうすればいいのかと常に模索しながら施術している。特に人とのコミュニケーションが苦手というのもあって、自然と力を入れるのは施術方法だった。


 勤め始めて時に先輩からの手解きや、参考書籍なんかも読んで勉強していた。


 それは今も変わらないが、やっぱりもう少しハキハキと話せた方がいいと痛感している。


 誰もオドオドと話す娘を前にして、一番に感じるのは不安感かもしれない。


 それで何度も変な話し方だと揶揄われた時は、さらに純寧の状況を悪化させた。


(ゆ、結芽さんも無理して私に合わせて……)


 改めて、ついさっきまで結芽といた時のことを振り返ってしまう。


 けどそれも一瞬で、パチンという音に顔をあげる。


「はい、自信持ってあやちゃん」


「うぅう」


 まるで純寧の心を見透かしたような、少し厳しめな口調で叱咤する澪。雰囲気もどこか一周回った呆れの色が混じるも、決して純寧を嫌っての事ではない。


 むしろ、どうにかしてでも自信を持ってもらうための好意。


「さっき自分で言ったでしょ。喜んでもらえたって、どうしてだと思う?」


「ど、どうしてとき、訊かれましても……わ、わかりません」


「ええ、普通はね」


 澪の、どこか確信を持って問いかけてくる姿勢。


 それが余計に純寧を困惑させ、無言の時間を作ってしまった。


 それでも澪は急かさず、ただ静かに純寧の言葉を待つ。


(結芽さん、終始眠そうだったな。お、お仕事の疲れもあ、あるだろうし、私の会話、退屈だったのかな。……けど、そんな風には……)


 結局のところ、結芽自身に直接訊くしかわからないこと。


「はいはい、戻っておいで」


 再度手を叩く音に純寧のネガティブ思考を遮られるも、項垂れるような態度からでも心情は見え透けていた。


「あやちゃんがお客さんを連れてきたことには正直驚いたけど、さっきのお客さんはなんて言ってくれた?」


 一時間という短くも長い、過ごし方によってはあっという間に過ぎ去っていく。もしその時間を道端で声をかけてきた、客引きで初対面の相手と過ごす。いくらパーテンションやカーテンで仕切ったとしても密室に等しく、狭くて閉ざされた空間。


 人見知りにとっては、会話の逃げどころがない状況だ。


 純寧がもし同じ環境に放り込まれれば、沈黙の間が続いて気まずくなるだろう。


 そうならない為にも、純寧は必死になって結芽との会話を絶えないように努めた。


 だから純寧自身、ほぼ許容量いっぱいの限界状態。


「私も全部を聞き耳立ててたわけじゃないけど、たまたまいるから声かけようとブースに近づいた時『また、来てもいいですか?』って尋ねられたわよ」


 見かねた澪は、口もとに弧を描かせて肩を落とす。


「そ、そうでした!」


 たったその一言に、純寧の気持ちは高ぶった。


 それにどこか結芽の表情、纏っていた雰囲気が和らいだのを感じ取っている。


 それだけでも勇気を振り絞り、声をかけに一歩を踏みだした甲斐もあるもの。


「もし今後もあれば、あやちゃんについてもらうからね。その時はしっかりと癒してあげるのよ」


「が、頑張ります!」


 澪からの励ましに、両拳を握りしめる純寧。


 その姿に満足したのか立ちあがる澪は、壁のハンガーにかけていた茶色のロングコートに袖を通した。


「も、もうお帰りですか」


「まあそんなところ」


 含みのある物言いから、純寧は入り口まで澪を見送りについていく。


「それじゃ、戸締りとか忘れずにね」


「はい。お、お疲れ様でした」


 癒し処【リリートリア】の出入り口兼従業員用であるエレベーターが来るまでの短い間、澪との会話はこれといってなかった。


 ただそこには気まずいからというものではなく、多少なりの付き合いからのもの。


 エレベーターの到着を知らせる音に続き、扉がゆっくりと開く。


「ああそうだ、あやちゃん。ああいったコスプレは控えるようにしてね」


「……コスプレですか?」


 あくまで就業中は制服、季節にもよるが白を基調としたタイトなスカート姿だ。今は年の瀬で一番忙しい十二月もあって寒さが厳しく、いくら店内の空調を効かせてたところで上げ過ぎると暑すぎてしまう。


 それはお客さん目線からも快適な環境ともいえず、制服の下にヒートテックなどで対策をしている。特に外での客引きは、厚手で丈の長いコートは欠かせない。


 そう教わったというよりも、他の従業員もそうしている。


 だからそういうものだと、純寧は認識していた。


「あれ、心当たりない感じ?」


「は、はい」


「あ~そうなの」


 どこか噛み合わない空気感に、純寧は内心で慌てる。澪も逡巡の色を滲ませつつも、立場的には癒し処【リリートリア】を任せられている身。


 閉じかけたエレベーターのボタンを押し、澪は純寧を見据えた。


「ハロウィン時期の参考にはなったけど、翼と尻尾はその……別な意味で癒す感じを持たれるから。特にあやちゃんの場合は……」


「翼と尻尾……?」


 最後の方は扉が閉まったのもあって、純寧にはよく聞き取れなかった。


 しばらくの間、純寧はその場から動けずに立ち尽くす。


(……もしかして私の正体、バレちゃった!?)


 あまりの衝撃に、純寧は外から帰ってきた他の従業員に驚かれつつも声をかけられて我に返った。

その後は体調の心配をされつつも閉店準備を済ませ、帰路に就いた。


「ど、どうしよう。もしかして他のお客さんにも見られ……ううん、一度もそんなこと言われたことない。……言われなかっただけ?」


 グルグルと頭の中で自問自答を繰り返す純寧だが、言葉として発していると気づかない。


 それくらい自身が置かれている状況が危うく、世間からどういった認識を持たれるかを知っている。


 それもあって、一時期は嫌な気持ちになった。


 今となってはそれすらを受け入れ、普通に過ごしている。そのためにも施術方法の勉強以上に努力し、ひた隠しにし続けてきた。


「確認しようにも、どうしよう……」


 寒さに身を抱くように、純寧は帰路への歩みを止めた。


 周囲に聳える建物や頭上に灯る人工的な明かりよりも、スマホの画面が純寧の顔を照らし、気分を暗くさせていく。


 もしもの場合は両親、姉や兄達に対処法を求めることだってできる。ただそれは純寧にとって今の生活を捨てることに等しい。


 それは嫌悪感にも近しいが、生まれ落ちながらもDNAに植えつけられた種の生存本能。多少の興味や関心は純寧の中にもありつつ、家族達のようにはなれない。なりたくない。


 純寧の吐いた息は白く、吹き抜けた夜風にかき消されていく。


「わ、私がど、どうにかしないと」


 純寧のトークアプリの一番上には、ついさっき連絡先を交換した結芽のアカウント名があった。

あくまで業務上、忙しくて電話する時間もない人のため、いつでもどこでも来店予約をしやすくしたもの。何より、普段から誰もが使っているために手軽。


 それに、働くスタッフも同じ人間だ。


 都合が合わずに連絡の一つや二つ、口頭で告げられても忘れてしまう。忙しくて手早く書いたメモが自身ですら解読不可能だって時もある。


 急な来店で混み合っていなければ、スムーズに対応が出来る方法でもあった。


 純寧も一つ、お店用でアカウントを作っていたがほぼ私用と変わらない。何よりも結芽が初めて連絡先を交換したお客様。


「これ、急に連絡したら、ま、まずいのかな……」


 お店側から来店の催促をするのもおかしなこと。


 使い方としては理解しつつも、どこまでという線引きが不明瞭な問題に純寧は眉根を寄せた。


 それでも一つ、確かなことはある。


「次も、来てくれるかな。……だといいな」


 終始眠そうにしていた結芽だったが、帰り際はどことなく生気が宿っていた。今も同じ寒空の下、電車に揺られでもしながら帰宅していることだろう。


 少しだけ人との関りに一歩を踏みだせた純寧は、弾むような足取りで帰路に就いた。

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