コース:お店には内緒ですよ?
(私が、いったい何をしたというのだろうか……)
通い慣れた会社までの道のりを、結芽はどこか遠くを眺めるような瞳で眺めていた。
時刻は夕方、仕事を定時に終えている。
だがその表情に一切の歓喜はなく、むしろ疲弊しきっていた。足取りもどこか重そうに、今にも歩みを止めてもおかしくなさそうだ。
その原因は一つしかなく、現在進行形で収拾がついていなかった。
借りていたアパートの出火原因は、経年劣化による電気系統の配線がショート。その火花が住人不在の一室で燃え続け、異臭に気づいた近隣住人が通報した。その時点で火の元は広がり、消防車が到着するも屋内に住人が取り残されていないかの有無。周辺への避難勧告や通行規制をしている間に、木造という建物はよく燃えた。
帰宅途中の結芽が現場に到着した時、まさに消火活動が始まったばかりだったのだ。
結局建物は全焼、近隣住人も含めた負傷者はなく済んでいる。
ただ結芽は、住むところを失った。
火災当時は母親、境乃凛子に相談も兼ねた助けを求めたが無情にも諦められ、仕方なく会社近くのホテルに泊まる事に。その翌日、結芽の上司である久寿玉奈々(くすだまなな)に事情を説明した。
かといって、上司の奈々が次の住居を用意してくれるわけでもない。
「それは不運だったな。……ただ、境乃が無事で何よりだ」
「ひとまずは近くのホテルに泊まったんですが、いつまでもというのは……」
「それはそうだな」
言い淀む結芽に、奈々もただ同意するしかない。
「ちなみに友人などには?」
「母にも言われました。ただ……」
途中で口を紡いだ結芽に、奈々は静かに頷いた。
「そうなると次を探すしかないか」
「……はい」
それほど広くない、結芽の大学で知り合った交友関係。記憶を頼りにサークルでお世話になった先輩を当たり、同級生にも。最終的には関りがかなり薄い後輩にも連絡を取った次第だが、芳しい返答は得られず。
その要因として大半が実家暮らしと、結芽の方が気を遣って断っている。
同じく地方出身で一人暮らしをしていた何人かはいたが、昔とは違って同居人がいるという。中には結婚までして、子供までいるというおめでた報告まで。
数年連絡を取り合わなくなったというのもあって、気づけば周囲は変わっている。
そんな事実を目の当たりにさせられながら、結芽は出社していた。
「ただこの時期というのが難しいね」
「明日にでも回ろうとは思ってるんですけど、そうですよね」
「何を悠長な。わざわざこうして事情を報告しに来てくれただけでも助かる。今からでも探しに行くんだ」
季節は春先。進級や就職を兼ねた、不動産会社の繁忙期である。入居や退去と多くの手続きが、早い所では二か月前から良い物件は埋まってしまう。
こんな中途半端で、既にどこも埋まってしまっている可能性を秘めている今。運よくすぐ入居できる物件が見つかるかどうか……。
「……いいんですか」
もちろん、奈々に言われる前に何件かピックアップしている。
「そこまで私も鬼じゃないよ。……いい報告を待ってる」
「ありがとうございます」
願ってもない上司からの配慮に頭を下げながら、結芽はとりあえず荷物をまとめる。
(……鬼っていう自覚があるんだ)
付き合いが長い分、あえて口が裂けても言えない本音。
気が変わらないうちにと、結芽は足早に職場を後にしようとした。
「ねぇ、大丈夫なの?」
「……吹縫さん」
「ノアでいい」
周囲を見渡すノアに、結芽も首を縦に振った。
「話、聞いてたんだ」
「まぁ……さすがにね……」
広くないオフィス内、部署は違えど同じフロア。さすがに隣り合う同期の耳には入っていたようだ。出社した時は席に着いていたが、奈々と話を終えて振り返ったらいなかった。
(なんだかんだ、同期っていいな)
だからでもないが、何となく声をかけてくる予感はあった。
同じ部署内でもお互いの関りが薄く、必要最低限の業務報告ばかり。
だから奈々と話している間も黙々とキーボードの上で指を動かしていた。声をかけるどころか、視線すらもPC画面から離さない。
どこか触れにくい内容というのもあって、ありがたい気遣いかもしれなかった。
だが逆に、そういった人ばかりの集まりであると物語っている。
「とりあえず今から不動産をあたってみるよ」
「……そう」
対してノアは、こうして話しかけてきた。
半ば現実を受け入れ、既に割り切った表情を浮かべている結芽。
そんな結芽に、ノアは目元を細めた。
「わざわざ心配しなくてもいいって感じ?」
「そんなことはないけど……」
言葉強めに問いかけてくるノアに、結芽は苦笑いを浮かべるしかない。
(一人暮らしだってのは知ってるけど、さすがにな……)
いつだったか、そんな話をした記憶がある。
「あっそ」
毎朝苦労しそうな程に整えられた髪を、ノアは乱雑にかく。
「もしもの時は頼るね」
露骨な怒りを隠すことなく立ち去るノアの後ろ姿に、結芽は感謝の念も込めて投げかける。
それにノアは後ろ手を軽く振るだけで、戻ってくることはなかった。
「さてと、私もいきますか」
軽い伸びでもするように会社を後に、結芽は新たな新居探しにでた。
「……仕事中なんだけど」
その数時間後、ノアのスマホが鬼のように鳴り続けた。
『あ、境乃です。吹縫さんのお電話でしょうか』
苛立つノアの声に、結芽は下手にでるしかなかった。
「ん~いまいちって感じ?」
「……家賃が」
そして気づけば、新居探しは難航を期していた。
貴重な休みを結芽の新居探しに付き添うノアと一緒に、数件目となる不動産を後にする。手元には先程もらった賃貸の資料があった。
火災の一件から、結芽の所に詳しい事情が説明された。それとほぼ同時期に家財保険が振り込まれ、ある程度は生活を含めた新居の前金に使えるようになっている。
だからといって、いつまでもノアの家には居座れない。
「とりあえず帰る?」
内心で居座り続けることに焦りながらも、どこかノアの好意に甘えている。
「ごめん、もう一件」
「オッケー」
両手を合わせる結芽に、ノアは嫌な顔一つせずにスマホを取りだす。
どちらかに不動産の知り合いがいるわけでもなく、ほぼ手当たり次第にスマホの検索に引っかかった場所を訪れている。
だが大体は提携している系列での紹介ばかりで、行く先々で見慣れた物件ばかり。
どれも時期が少しずれたとはいえ、会社からの近場だと相場が高い。かといって安さを求めると郊外へと、通勤が辛くなってしまう。
(なんだかんだいって、あの家が住みやすかったな……)
大学からを振り返れば、社会人となって数年と経っている。なんだかんだと駅からは近く、僅かにだが活気のある商店街の光景もお気に入りだった。
どこか郷愁の想いに浸りながら、結芽は先を歩くノアの後ろに続く。
このままノアとの同居生活を送ってもいいかと思い始めていた頃、呆気なくも終止符が打たれた。
「ごめん、親が来るらしい」
「……へ?」
両手を合わせて頭を下げるノアに、結芽は目を丸くさせた。
(あ、謝れるんだ……)
朝食のトーストが焼き上がる。
「ねぇ、今失礼なこと考えなかった」
「そ、そんなことないよ」
一緒に住み始めるようになり、結芽が一方的に感じていたノアとの壁が無くなりつつあった。
その逆も然りなのか、ノアも結芽の事を理解しつつある。
しかも職場のデスクも隣ともなると、朝から晩まで顔を合わせる生活。
誤魔化すようにトーストをノアの分もテーブルに運び、膝を向き合わせる。
「えっと、ご両親が来るの?」
「そう」
「へぇ~仲いんだね」
「そ、そう?」
休日というのもあって、少しのんびりな朝食タイム。今日の当番は結芽というのもあって簡単に、元よりあまり料理をしない。
手を変え、品を変えと試行錯誤をしてはいるが、未だに進歩の兆しはなかった。
そんな結芽は気にするどころか、カリカリに焼き上がったトーストの耳に齧りつく。
「てなわけで、しばらくどっかに避難して」
「……え、何か問題あるの?」
「ま、まぁ……」
この生活を始めてから、何度目ともなるノアの申し訳なさげな表情。結芽と視線を合わせずトーストにマーガリンを塗り広げ、受け皿を片手に咀嚼していく。
サクサクと一枚をあっという間に食べ終え、結芽は立ち上がる。
「どのくらいになりそう?」
「えっと~わかんない」
自分用に一枚をトースター入れ、タイマーをセットする。
「何それ、ここに住むの?」
「住むっていうか、素行調査?」
何一つ理由としての情報が伝わってこないが、詮索してほしくない空気がビシバシと伝わってくる。
「……うん、わかった」
「ごめん」
「いいよ。こっちこそ長い間お世話になったし」
実際にひと月以上と、ノアの家にお世話になってきた。最初は一人暮らしとの違和感を抱きながらも家事を分担し、今日まで生活を過ごせている。
「その、親が帰ったら戻って来ていいから」
「いや、その前に見つけるよ」
本当に申し訳なさそうにするノアを横目に、焼き上がったトーストを取りだした。
そして、ノアの家をでている。
(まぁまぁ、今日も不動産を巡りますか)
なんだか一種の趣味になりつつある休日のルーティン。夕方には親が来るとのことで、荷物を大き目なキャリーバッグに押し込んだ。
それを引きずるように、駅前をうろつくことに。
だがその日に目ぼしい物件は見つからず、仕方なく格安のビジネスホテルに宿をとった。
と、ほぼ結芽の何とかなる精神と選り好みが、現状を苦しめることになっている。
いくら安いとはいえ連日連泊の生活は出費がかさみ、多少の余裕があった通帳残高は減っていく。
(……いい加減決めないと)
それとなく隣のデスクにいるノアから、その後を気にする様子が見受けられる。
だからといって現状、決まっていない。半ば追いだされる形というのもあって、ようやく結芽自身も重い腰を上げる決意がついてきた。
僅かな時間を見つけては不動産のサイトをチェックして、問い合わせの連絡をかけていく。
だがどこも既に契約済が多く、サイトの更新が追いついてないという旨。
そうなってくると必然的に足を運ぶしかないのだが、会社全体の規模縮小が波のように押し寄せてくる。
「えっ、この仕事……」
結芽は顧客の情報管理、配送の追加やお届け日時の変更を行っていた。
そんな頻繁に変更がないというのもあって、任されている顧客のリストをざっと流し見していたのだ。
「あの、久寿玉さん」
ちょうど立ちあがった奈々の姿に、結芽は声をかけて呼び止めた。
「なんだ、今から会議なんだ」
「あ、じゃあ手短に」
デスクの画面を覗き込む奈々に、結芽は違和感を指摘した。
「これってウチの別商品でしたよね。確か部署も違うのにリストが」
「……境乃。お前ってヤツは……」
急な頭痛を訴えるように、奈々は額に手を当てる。
「今月から規模縮小に加えて人事異動、業務の引継ぎがあったと思うんだが」
「……今月から」
デスク脇のカレンダーは、ちょうど一日になったばかり。
(あ~そんな事あったような)
記憶を遡るように、結芽は短く呻いた。
「その様子だと、まともに引継いでないな……」
口調強めに問い詰められ、結芽は誤魔化しようもないと項垂れる。
「すみません、元担当部署の人にあたってみます」
「……それなんだが、もう退職している」
「はい?」
耳を疑う事実に、奈々を見据える。
「だから、既にウチの社員じゃない。どうにも噂を聞いて転職活動をしていたらしい」
「え、じゃあ……」
デスクの画面と奈々を、視線で往復する。
「私もあたってみるが、覚えている限り頑張ってくれ」
「……が、頑張ります」
それだけ言って、奈々はその場を後に立ち去っていく。
(これは……やったな……)
一見したところ、業務内容はほぼ似ていた。だから顧客が更新する情報を整理、発送担当部署との確認を済ませる。
「ん? 発送部署は……」
受話器を取って登録していた番号にかけても、うんともすんとも言わない。むしろ機械的なアナウンスが流れるだけ。
繋がらないことに気づき、周囲を見渡すも異常はなさそう。
首を傾げてもう一度かけるも、やはり繋がらない。
「ねぇ、ノア」
「……聞こえてた」
ギロリと、鋭い視線が向けられる。
(あ、前に戻ったみたい……)
同居生活を始めてからは薄れていった壁だったが、改めて実感させられる。
その色をさらに濃く、ノアは忙しそうに受話器をとっていた。
(これは、あれだな……)
ようやく、結芽は周囲の違和感に気づいた。
だからノアの仕事を邪魔したことに片手で謝り、残してあるだろう引継ぎ資料、今月からの変更業務がリスト化されたファイルを探しだす。
そして気づけばお昼休みはデスクに齧りつき、作業する手を止めない。
この辺は身についた社畜根性なのか、退社の定時を過ぎても立ちあがることはなかった。
「おい、境乃。残業はダメだぞ」
「……久寿玉さん?」
肩を叩かれ、結芽はようやく顔をあげた。
(ああ、もうそんな時間なんだ)
そこには帰宅準備を済ませた奈々がいた。
「今朝はすみません、どうにか片づけられそうです」
「……それはいいが、退社しろ」
「……え?」
結芽は耳を疑ってしまう。
今までだったら帰る事を促すどころか、限られた時間内であれば残業が許されていた。
だけど今日、新人以来久しく奈々が帰宅を強要してくるではないか。
「これも、アレですか」
奈々は短く息を吐き、周囲を見渡した。
「お前、本当に大丈夫か? 不安になるぞ」
「ごめんなさい。大人しく帰ります……」
何となく奈々が言いたいことを察し、結芽はデスクの電源を落とした。
そして鞄を肩にかけ、フロアからでるところまで奈々がついてくる。
「明日から頼むぞ」
「はい」
絶対に残業をさせないという姿勢を感じつつ、結芽はそのままホテルへと帰宅する。
その翌日、これでもかという激務が結芽を待ち構えていることを知らずに。
朝から鳴り続ける電話の嵐。統合された部署を含めた社員が口々に謝罪、忙しなくキーボードを叩いている。
「境乃……」
「本当にすみません!」
吐きだす溜息と、険のある表情で項垂れている奈々。
結芽はそんな上司である奈々に頭を下げていた。
「いつまでも新人気分でいられると困る。……事態の収拾にあたれ」
「はい」
デスクに向かう途中、周囲からの視線が刺々しかった。
(何やってんだ……)
自身を叱咤するようにデスクで項垂れるも、電話の嵐は鳴り止まない。何よりも他の社員が、自分のミスで対応に追われている。
それが申し訳なく、結芽は受話器を取った。
事の発端は、結芽が担当していた商品と引継いだ商品とを一緒にしてしまった。だから定期購入している商品にくわえて別の商品が抱き合わせる形で届けてしまっている。
届いた顧客としては不思議でしかなく、問い合わせの電話。
何よりも、支払いをクレジット決済している顧客にとっては困惑だろう。
だから会社側としては手続きのミス、不要であれば商品の返品も受け付ける。その際の送料負担も会社側が受け持ち、支払金額も変わらずという手段を取った。
受け取った顧客としては戸惑うだろうが、無料で別の商品を貰えてしまう。
会社としてはそれで別の商品にも興味を持ってもらえれば上々、逆を返すと大盤振る舞いの赤字覚悟でしかなかった。
既に発送してしまったモノは仕方ないと諦め、これ以上の混乱を生まないようにメールでの通達。それと並行で顧客リストと商品の再度見比べ、誤りがないかと確認作業に追われる。
気づけば一日はあっという間に終わり、結芽は今後の対応を任されることになった。
今日の対応に協力してくれた各部署の社員に頭を下げると、口ではフォローしてくれるも視線が刺さる。
針の筵に座らされて疲弊しきった結芽は、しばらく空を見あげていた。
「ここで辞めれば責任逃れ……」
ふと、転職という言葉が脳裏を過ってしまう。
だが奈々は、結芽が責任を持って今後の対応をするという形で上にかけ合ってくれた。
しばらくは周囲からいい顔をされないだろうが、奈々には感謝しかない。
逃げるか、このまま残るか。
気が重い足取りの中、結芽はホテルへと向かった。