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コース:いつでも癒されにいらしてください。2


 癒し処【リリートリア】の新春セールは無事、大好評で終えていた。


(……結芽さん、あれから帰れたのかな)


 それからしばらく経ち、静かなスタッフルームで純寧は一人座っていた。


 誰かからの連絡を持つようにスマホを握り締め、画面をずっと見つめている。


「ねぇ、純寧ちゃん大丈夫?」


「そうですか?」


 その様子を、店長の代理を務める叶環(かのえわ)()。それと今日の常駐スタッフは様子を見守っていた。


 来店の報せに素っ気なくなってしまった常駐スタッフだったが、決して純寧の事を嫌っているわけではない。


 それは環華も知っていて、誰もが触れられずにいた。


 純寧の異変は、新春セールが始まった翌日から。


 誰もが違和感に気づきながらも、今もその状況が続いていた。


「はぁ……」


 短い溜息を吐く純寧に、環華は眉間にシワを寄せてしまう。


「……まさか、ね」


 女の勘というべきか、環華の直感がそう告げてくる。


「けど……」


 顎に手を当てて考え込む環華をよそに、再び来店を報せるエレベーターの音が鳴った。


「ッ!?」


 今日で何度目か、たったそれだけで純寧は過剰反応を示す。


 休憩中にもかかわらず、苦手としていた接客対応にでようと立ちあがる。


 だが入り口前で様子を見守っていた環華と、目が合う。


「あれ、環華さん」


「休憩中でしょ? わたしが行くわ」


「あ、はい」


 たったそれだけでしょぼんと肩をすぼめ、再びスマホの画面と睨めっこを始めた。


「これは、重症かしらね……」


 環華の独り言は、誰かに届くことはなかった。



 そんな周囲が異変を感じている中、純寧自身は特別なことをしていない。



 朝、いつものように出勤をする。それから店内清掃をはじめ、当日の予約確認を済ませておく。元から店内が狭いのもあって、のんびり掃除をしても一時間とかからない。予約の確認も、お客様の来店がない空いた時間にでも済ませられる。


 それは長く勤めていれば気づくことで、あくまで基本マニュアルとなっている。


 その基本を守り、純寧は今でも続けている。


 まあ、その辺は個人の自由だろう。


 そこから開店して、常勤や予約時間に合わせたスタッフが出勤してくる。


 結芽以外のお客様を持たない純寧は、ほぼ裏方の雑務に勤しむ。むしろ対人コミュニケーションを苦手として、そういった仕事を率先とこなしている。


 とはいえ、毎日のように雑務があるわけじゃない。


 だから外への呼び込みにもいくのだが……。


「外行ってきます」


「え?」


「ん?」


 お店が空いていることに、スタッフルームでスタッフ同士が話しに花を咲かせていた。


 普段の純寧も相槌程度で混じったりもするが、自ら率先と呼び込みへ。


 あの純寧が自ら言いだしたことに、驚きを隠せない。


 もし店内が混み合った場合を考慮して、近辺での呼び込みのみ。何かあれば受付前に置かれたボタンを押し、外にいるスタッフのスマホに知らせを届けるシステム。


 ただそういった事が稀というのもあり、呼び込みをすることが多い。


 薄手のカーディガンを羽織る純寧の後ろ姿を見送り、いち早くスタッフルームにいたスタッフが全員に異常事態を知らせている。


 当の純寧は、ある程度決められた場所をウロウロと、自ら声をかけることはしない。


 そして休憩を挟んで、その日は夕方には退勤をする。


 

 一日を切り取ってみれば普通の事なのだが、スタッフ間での密なやり取りが行われるようになっていた。



「おはようございます」


 そんな別の日、純寧はお昼過ぎに出勤をした。


 朝番からの予約スケジュールが送られているため、ある程度の流れを把握できる。


(今日はお客様が少ないな……)


 更衣室で私服から着替え、スタッフルームのソファに腰かけた。


 元からリラクゼーションを与える店内の空気が、二割増しでゆったりとした雰囲気が漂っていた。


 予約時間の関係で何度か受付に座りつつ、純寧は粛々と雑務に勤しんでいく。


(消耗品は余裕があるし、ちょっとこの辺の模様替えなんかも……)


 シュポポポポとリアルタイムで送られてくるスタッフの予約を、ちょっとしたパズル感覚でスケジュール帳へと打ち込んでいく。


「お疲れ様」


「……あ、お疲れ様です。店長さん」


 エレベーターの音に振り返ると、癒し処【リリートリア】と姉妹店の店長を務める(さえ)()(れい)が姿を見せた。


(……あれ、どうしたんだろう)


 純寧の反応が少し遅れたのは、澪からのお店に連絡がなかったから。


 店長という立ち位置ではあるが、あまりお店に顔を見せる事はない。営業の外回りでお店の宣伝や、使用する消耗品の質を変えずに価格を抑える商品探しなど。


 話に聞く程度で、詳しくは純寧も知らない。


 だから今日、お店に顔を見せたことに驚きを隠せない。


 目を丸くする純寧に対して、澪は片手をあげた。


「少しお話しできる?」


「私にですか?」


「そうよ」


 それが余計、純寧を困惑させてしまう。


 遅れてスタッフルームから姿を見せたスタッフにも澪は目配せで挨拶を交わし、純寧を手招きする。


 何事かと不安を抱きながらも、軽い引継ぎをしてスタッフルームに足を踏み入れた。


「座って」


「……はい」


 スタッフルームには、二人掛けのソファとテーブルくらいしかない。


 だから引っ張りだす形で折り畳みの椅子を置き、テーブルを挟んで澪と向かい合う。


「……あの、店長さん……何かしましたか?」


「ん?」


 スラっとした見た目、腰まで伸びる亜麻色の髪。長い脚を組むようにして、臙脂色の瞳で純寧を見据えてくる。


 対して純寧は身を縮こまらせ、紫紺色の瞳を彷徨わせていた。


(え、えッ、私、何かしたッ!?)


 動揺を面に滲ませながら、澪と対面する。


 だが、澪から話が振られてこない。


「て、店長、さん?」


「あ~ごめんごめん。何か変った事とかないかなって」


「か、変わったことですか?」


 細めていた目元を見開き、澪は柔和な笑みを浮かべる。


 あまりにも抽象的で、わざわざお店に顔をだすほどでもないと思えた。似たような個人面談や相談事は、スタッフとの日程調整が行われる。


 改めて尋ねられ、純寧は小首を傾げてしまう。


「お仕事は変わらず、やりがいがあって楽しいですけど、やっぱり、人と話すのは苦手です。……だけど、ご新規さまの施術を受け持った時、帰り際に満足そうな表情を見ると頑張ったかいがあります、……かね」


 いつだったかも、似たような会話を澪としている。


「あやちゃんの仕事ぶりは聞いてるよ。いつも真面目だし、少しでもお客様にリラックスしてもらうための空間作りとか、よく細かいところに気づくって」


「お、お仕事ですから……」


 ほぼ手放しで褒められ、純寧はさらに困惑していく。


(これは……絶対に私、何かした……)


 スッと血の気が引いていく。


 背筋をピンと正して、身を強張らせる。


 僅かな沈黙の間を置き、澪は大きく伸びをした。


「うん、あやちゃんが元気そうでよかった」


「あ、はい……元気です」


 満足げに頷いた澪に、純寧は鳩が豆鉄砲を食ったよう表情を浮かべてしまう。


(……ん、んんッ?)


 一切気持ちがスッキリしない中、澪はソファから立ちあがろうとする。


「とりあえず、これからもお店をよろしくね」


「……はい」


 それ以降の会話はなく、澪はスタッフルームを後にしていく。


 扉越しに別スタッフとの会話が微かに聞こえるが、純寧は動けずにいた。


(え、えッ~~~!?)


 それからしばらく動けず、施術から戻ってきたスタッフに心配された。



「……絶対に何かある」


 癒し処【リリートリア】に店長である澪が顔をだし、まさかの個人的に呼ばれた上での、ただの雑談をしに去っていった。


 時間にして十分となく、いったいなんだんだろうかと疑問が拭えない。


 それから、少しだけ他のスタッフを気にするようになっていた。


(店長さんの事だから、またイベント的な何かを考えてる? もしくはドッキリとか……)


 朝。純寧は店内の掃除をするフリをして、至る所をくまなく捜索していた。


 カーペットに見立てて、肌触りも似ている床に掃除機をかけていく。


 お客様の目につくところは当たり前だが、意外と見落としがちな受付の足元。施術室にあるリクライニング付きの椅子をわざわざ動かし、死角になりやすい四隅をノズルモードにしてかけていく。


「……見当たりませんね」


 純寧は一通り掃除機をかけ終わり、難しい表情を浮かべた。


 ただ実際には、年末を締めくくる大掃除規模で念入りにかけただけ。


 少し汗ばむ額を手の甲で拭い、純寧は何かを隠すには適しそうな場所を探した。


「ん、ホコリが溜まってる」


 そして次に目が留まったのは、各施術室の脇に置かれた加湿器。


 円柱状のシルエットをしていて、秋から冬にかけては大活躍している。朝に水を補充すれば、しばらくは注ぎ足す必要もなく長時間稼働する使用。近年では花粉症のお客様のためにも早々に導入されたモノだ。


(この中とか?)


 何度となく水の補充をしている純寧の記憶には、円柱状のシルエットと似たタンクが収まっているだけ。


 もしどこか、知らない部分が開閉できる可能性を疑ったことがなかった。


 だが今は、些細な違和感の正体を探らずにはいられない。


「よし」


 意気込むように加湿器の前にしゃがみ込み、外面にあるフィルターを外していく。さすがに年が明けて数か月とはいえ、使用していればホコリは僅かに溜まる。それにちょっとした溝にも積もっていて、綿棒で擦っていく。


(ん~このネジを外しても意味がなさそうですね)


 いくつもある小さなネジだが、構造からして内部にファンがあるだけ。


 何より、勝手に分解をして直せる自信もない。


 だから諦めるしかなく、ひっそりと息を吐く。


「……純寧ちゃん?」


 すると、不意に声をかけられて肩を飛びあがらせる。


「わ、ワカさん!?」


「お、おはよう……」


 エレベーターの音が聞こえないくらい、加湿器の掃除に集中してしまっていた。


 不思議そうな表情を浮かべる環華に、乾いた笑みで立ちあがる。


「お掃除に精をだすのはいいけど、そろそろ開店時間よ?」


「あ、もうそんな時間ですか」


 言われて、腕時計を見ると後数分しかない。


「仕事に熱心なのはわかるけど、今日はどうしたの?」


「いえ、ちょっと、気になる事がありまして」


「気になる事?」


 環華が限られた情報から読み取れることは、加湿器の異常くらい。それに気づいた純寧が修理をしようとしている。


 ただ、昨日まで変わらず作動していた加湿器。


 それに数か月と経ってはいるが、年末に大掃除をしたばかり。


 僅かな沈黙の間を置き、環華は苦笑いを浮かべた。


「純寧ちゃん、何か相談事とかある?」


「ッ!?」


 手持無沙汰に綿棒を弄ぶ、純寧はどこか気まずそうに視線を彷徨わせる。


 そんな素振りに、環華は独り頷く。


「とりあえず着替えてくるね」


「あ、はい」


 どこか意味深な表情を見逃さなかった純寧は、胸の奥に抱いていた不安が色濃くなっていく。


(……これは、お店にいられるか……存続の危機!)


 癒し処【リリートリア】店長の澪との急な個人面談に加えて、副店長でもある環華からもどことなく漂う不穏な雰囲気。


 妙な違和感がさらに強まっていき、早まる鼓動に手を当てる。


「純寧ちゃ――」


「わ、私……何かどんでもなこどぉ……」


「純寧ちゃん!?」


 気づけば頬を涙が伝っており、制服に着替えた環華は目を丸くさせた。



 開店してからしばらくはお客様の来店がなく、急に泣きだした純寧を宥める環華。二人はスタッフルームのソファに隣り合いながら座っていた。


「ごめんなさい、不安にさせちゃったね」


「い、いえ……私の方こそ……」


 泣き腫らした目元を濡らしたハンカチを当てる純寧。時折鼻を啜りながらも、環華にここ最近の違和感を伝え、事情を知った。


「働きぶりはいつも通り。むしろそれ以上に誠意を感じられるくらいで、正直頑張りすぎてないかなって不安なくらいね」


「……それは」


 純寧自身、そんな事はないと口にしたい。


「そう? だって、苦手だった客引きに自ら率先していくようになったじゃない」


 だが環華は、純寧にとって明らかな変化を指摘してくる。


 その事実を改めて告げられ、純寧は黙り込んでしまう。


「だからね、もしかしてお客様と何かトラブルがあったのかなって従業員同士で情報の交換を密にして、しばらく純寧ちゃんの様子を見守る話になったの」


「そ、そこまで……」


 驚きと、申し訳なさに肩をすぼめてしまう。


(み、皆さん。私一人のために……)


 最近になって、予約が入った時くらいにしか出勤しない従業員が常勤と入れ替わる事が増えていた。


 だからといって業務に支障どころか、あまり関りの薄い純寧にも気軽に接し、何気ない雑談を交わしている。むしろ定期的なお店の状況を知らせてくれることに感謝と、お客様とのコミュニケーションのコツなんかも教えてくれた。


(だから店長さんも……)


 環華からの事情説明に、澪との個人面談を思い返してしまう。


 忙しい中、わざわざ時間を割いて純寧の様子を見に来てくれた。姉妹店を含めた一従業員でしかない純寧を、店長が自ら動く。


 もしかしたら、見守ろうと判断したのは澪なのかもしれない。


「まあ、お陰でお客様とのトラブルじゃないってわかったから一安心だけど……」


 どこか安心させるように微笑む環華は、膝の上に置かれた純寧の手を握る。


「お節介かもしれないけど、仕事でもプライベートでも悩んでるなら相談してね。皆、純寧ちゃんの事が心配なんだから」


 真っすぐと環華の、在籍する従業員を代表する言葉を向けられる。


「は、はい……」


 だからそれが力強くもあり、懐疑的な気持ちになっていた事を後悔してしまう。


 しっかりと握られた環華の手を見つめ、純寧は短く息を吐いた。


「その、お仕事とは関係ないんですが……聞いてもらえますか……」


 今は就労中、お客様がいないからとちょっとした雑談とは違う。


 純寧個人、結芽と一緒に食事を日の事だ。


(一人のお客様とご飯を食べに行くのは、ダメなことだよね……)


 ただあの時、純寧の方から声をかけている。


 結果、泥酔した結芽に置き去りにされる形で別れてしまった。


 その後無事に帰れたのか、今でも頑張り過ぎずに仕事をしているのか心配事が尽きない。


 喉元を過ぎそうになる不安を一度飲み込むが、無言で握られたままの手から温もりを感じる。


 何よりも、ほぼ出かかってしまっている。


 ここで誤魔化してしまったら、さらに環華を、他の従業員たちを不安にさせてしまう。


「ついこの間の事なんです」


「……うん」


 そこから純寧は、結芽と食事に行った時の事を環華に話した。



「……と、そういった事がありまして」


 話を終えた頃には常勤の従業員が施術を行っており、シフト上では休みの従業員が受付に座っていた。


 環華と話し込んでいた場所もスタッフルームというのもあって出入りする姿を何度もみかけたが、その度に環華が押し留め、話しを最後まで聞いてくれる姿勢。


 それもあって話の腰を折らず、胸の奥に留めていた不安を吐きだすことができた。


 そのことでお店側から、副店長である環華から怒られる事も覚悟の上。


「それで私、お店のルールを破ってしまい」


「……お店のルール?」


 叱られる子供のように口ごもる純寧に、環華は不思議そうに小首を傾げた。


「それって、友達とご飯を食べに行っただけよね」


「けど、お客様の一人ですし……」


「……?」


 環華が聞く限り、ただ食事に言っただけの事。その際に泥酔した相手を送り届けるどころか、半ば置き去りにされた。だからしっかり帰れたのかが不安で、連絡の一つでもしたいが仕事用のアカウント。私的な利用もだが、どういった切り口から会話をしていいのかと思考し、相手からの連絡待ちをする形になっていた。


 頑として自分がお店のルールを破った事実を認めない純寧。


 だから環華も困惑気味に言葉を選ぶ。


「とりあえず、連絡してみたら?」


「え、お仕事用のアカウントですよ」


「……特に問題はないけど」


 まさかの副店長から直々の許可どころか、何故していないのかと不思議がられ、無言で背中押すように急かされる。


(い、いいのかな……)


 拭えない不安を抱えながら、恐る恐るとスマホを取りだす。そこから手慣れた動作でスマホのロックを解除し、トークアプリを起動させる。


「あ、あの……」


「こ、今度はどうしたの」


 スマホを握った純寧の手が震え、それが喉まで伝わっているのかと思えるほどの緊張と動揺。


 それがあまりにも目に見え、背中を押した環華でさえも同じ気持ちになってしまう。


 耳を傾ける環華に、純寧は瞼をこれでもかと見開いた。


「失礼がないように拝啓から始めるべきですかね!」


「……い、いいんじゃない?」


 だが純寧の緊張は肩透かしに終わり、環華は安堵したように肩を落とした。


「そっかそっか、純寧ちゃんからすれば初めてのお客様だし、営業以外の連絡はそうだよね」


「は、はい……」


 何となく、純寧の雰囲気に納得した様子の環華。


「一応だけど、お店の外でお客様と会うのはアリよ」


「えっ……」


 フリップで文字を打ち込んでいく純寧は、未完成の文面を危うく送信しそうになった。


「そうよね、普通は驚くわよね。……私もこんな日がくるなんて思ってなかったから」


 まるで過去の自分に言い聞かせるように、環華はしみじみとした表情で首を縦に振った。


「あの、初耳です」


 当の純寧は、現実を受け入れられずにいた。


 もし環華の言葉が本当であれば、置き去りにされた明け方にでも連絡をすればいいだけの事。いくら文面に悩もうとも、夕方くらいには送信できたはずだ。


 だが、それをしていいのかわからずにいた。


「純寧ちゃん、改めてになるけど説明しておくね」


「お願いします」


 勤め始めて数年と経つが、まるで新人のように背筋を正す純寧。


 そんな純寧に、環華はどこかいたたまれない表情を浮かべた。


「えっと、まずは癒し処【リリートリア】はリラクゼーションに重きを置いたお店です」


「はい」


「その中からアロマによるセラピーを施術しますが」


「しますが」


 純寧の眉間にシワが濃くなっていく。


「一部、出張型を取り入れています」


「……出張型?」


 初めて聞いた単語に、純寧は小首を傾げた。


 その反応に、環華は額に手を当てる。


「そうよね、あの純寧ちゃんが出張。……想像しただけで私どころか、冴姫さんも卒倒するでしょうね」


 今日までの純寧に対する周囲への気配りを考えると、どれだけ大事にされてきたか。


 店長である澪ことだから、純寧には必要のない情報だと伏せていた可能性が高い。


 こうして改められると、知らずにはいられなかった。


「もしかして、出勤表の『外』って」


「そう、出張の事よ」


「そ、そうだったんですね。知りませんでした」


 今まで何となく、朝番として当日の予約スケジュールを確認して、それを共有するためにグループに流している。


 時々だが、お店への来店と同じ時間に予約が入っていることが多々あった。


「だからお店に顔を見せないスタッフさんが……」


「そういうこと」


 それを純寧は、外での客引とばかり思い込んでいた。


 納得したような表情で純寧は顎に手を当て、環華も安堵したように微笑んだ。


「けどけど、危なくないですか」


「……純寧ちゃんの反応としてはそうよね」


 環華自身も思うところがあるのか、どこか雰囲気が暗くなっていく。


(だってだって、知らない人と会う……)


 純寧が想像したところで、第一にかなりの人見知り。コミュニケーションどころか、出張先に辿り着けるかも不安なところだ。


「純寧ちゃんの不安もそうだけど、何もいかがわしい事をしてるわけじゃないわ。むしろそういったお客様はお店側に素性が知られてるし、もしもの場合は警察沙汰よ」


 そんな純寧の心中を察したように、環華は説明を続ける。


「た、確かにそうですね」


「あとね、これだけは勘違いしないでほしいの」


「勘違い?」


 ついさっきまで、出勤表の『外』を勘違いしていた純寧だ。


 まだ他にあるのかと怪訝に思うが、それは違った。


「あくまでリラクゼーション。方法は多岐にあれ、人の話を聞いてあげるというだけでもいいの」


「……はぁ」


 つい生返事をしてしまう程に、純寧は不思議そうに目を丸くさせる。


 対して環華は副店長という立場、これまでの説明不足も兼ねて純寧に教えていく。


「お仕事が忙しくて都合がつかない、近場まで来てくれると助ける。事情があって外にでたくない、でられないなんて言うのも聞くわね」


 環華の口ぶりから、事実として出張しているのだろう。


 経験のない純寧からすれば、一部の例えとして耳を傾けるしかない。


「それにほら、ただ話をするためだけに来店するお客様もいるのよ」


 どこか話半分で理解していない様子の純寧に、環華はスタッフルームの向こう側を指差した。


 そこからは何となく話し声は聞こえてくるが、内容まではわからない。


「……ずっと、喋ってますね」


「施術もなんだけど、今の方は常連さん。話だけでも聞いてほしくて月一くらいで来てるかしら」


「そうなんですね」


 曜日や時間は違えど、よく目にする名前。指名するスタッフがいつも同じで、それとなく覚えてしまっていた。


 振り返ればそういったお客様が多く、純寧の表情が晴れていく。


「私、この仕事を必要とするお客様をよく知らなかったんですね」


「……そうかもね」


 気づけばテーブルに置かれていた二つのグラス。環華に勧められるように、純寧は一息ついた。


(……美味し)


 ホッと一息、緑茶の味が口の中に広がっていく。


「とはいえ、純寧ちゃんには出張をさせるつもりはないけどね」


 同じようにグラスを片手に、環華は真剣みを帯びた声音で告げる。


 それは決して意地悪というわけでもなく、純寧の性格をよく知っているから。


「それ、店長さんの総意ですよね」


「冴姫さんの指示は絶対だからね、どうしてもっていうお客様がいたら別のスタッフに変わってもらう交渉をするわ」


「そこまで」


 ちょっとした優遇ではあるが、純寧としても嬉しい配慮。


 だからでもないが余計、お店側の方で頑張ろうと意気込む。


「それにね、純寧ちゃんの話だとお客様ではなく友達とご飯にいったんでしょ? だったらむしろ気を遣うモノじゃない」


 これで話は終わりといった空気の中、環華はソファから立ち上がろうとする。


「じゃ、私は戻るから。純寧ちゃんは――」


「それで、ワカさん! 文面はどうすればッ!」


 半ば縋る形で、純寧は環華の手を引いた。


「え……どうって……」


 いつだったかも純寧に頼られたことを想い返す。


 それはあくまで仕事上で、立場的にも無下にはできなかった。


 だが今回はプライベートだから無関係だと判断して去ろうとしたのだ。


 そう考えた矢先の純寧は、変わらず慌てふためいている。


 環華が急遽、純寧の話を聞く旨をグループに告げると、その間を埋めるために駆けつけてくれた従業員がいる。せっかくの休みを削ってしまったから帰らせたい気持ちもあったが、代休として手を打ってもらおうと環華はソファに座り直す。


「とりあえず純寧ちゃんが思うように打って。それを私が見直すから」


「ワカさんッ!!」


「もぉ、大げさ」


 紫紺色の瞳をキラッキラと輝かせ、感謝の意を全面に押しだしていく。


 その様子に当てられてか、環華も気恥ずかしさを隠せなかった。


「よぉ~し、頑張るぞぉ~」


「う、うん……頑張って」


 意気込む純寧を隣に、環華は飲みかけのグラスに手を伸ばす。


 それからしばらく環華の指導が行われ、ある程度砕けた文面が出来上がった頃には陽が暮れていた。


 さらにそこから、ただ送信するだけに葛藤したというのは言うまでもないだろう……。

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