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コース:いつでも癒されにいらしてください。


 お酒が飲める年齢になってから、一度や二度と失敗はないだろうか?


 記憶を飛ばしたあげく暴れ、一緒に飲んでいた相手方やお店に迷惑をかけてしまう。知らないどこかの路上で寝てしまい、朝を迎えてしまったり。果てには高額請求のぼったくり被害や、警察沙汰のご厄介になったりと。


 大小さまざまとあるだろうが、酒に飲んでも飲まれるな。


 そんな格言に、例にもれず結芽も飲まれていた。


(あの日の記憶がまったく無いッ!!)


 癒し処【リリートリア】に勤める従業員、(おう)()純寧(あやね)に誘われて食事に行った。


 格式の高いレストランというわけでもなく、二十四時間営業しているお財布にも優しい某チェーン店。その事実は財布の中にあったレシートが証明していて、入店してからの一時間程度までの記憶はある。


 ただ、どう帰ったのか記憶が無い。


 そんな事があってから数日が経ち、今でも不意に思いだしては後悔の念に激しく駆られている。


「……結芽? 聞いてる」


「あっ、ごめん。何だっけ……」


 今は結芽が務める職場、月額契約で食品をお届けする会社。そのデスクで朝の朝礼を終えたばかり。


 なぜ急に思いだしたかというと、来月に控えた新入社員歓迎会があるという旨。


 その通達が、結芽の後悔をフラッシュバックさせた。


 朝から頭を抱える結芽に、同期は知る由もない。


 吹縫(ふぬい)ノア。結芽とは卒業した都内の大学は別だが、社内では同期で同年代。デスクは隣り合うも、配属された部署が違った。


 結芽は顧客の情報管理を担い、配送の追加やお届け日時の日の変更など。


 対してノアは、お客様の電話対応をしている。


 基本、結芽から私的に声をかける事は少なく、ノアからも業務的な事ばかり。


 だが今日に限って、肩を叩かれた。


「イヤだから、今朝の事……」


「今朝?」


 何のことかと視線を彷徨わせ、眉間にシワを寄せる。


「新入社員歓迎会?」


 それは的外れで、ノアに露骨な溜息を吐かれてしまう。


 オフィス業務とはいえ、身の回りを小綺麗に、薄っすらとだが化粧も欠かさない。それは髪の毛一本までと主張するように艶があり、明るい茶色が動きに合わせて波を打つ。


 どこか力強さを感じる目元に見据えられ、結芽は作り笑顔を張りつける。


「はぁ、いい加減慣れてよ」


「……ごめん」


 ノア自身は仕事のクレームというわけではなく、ただ普通に声をかけたつもりでいる。


 そのことに結芽も気づいてはいるのだが、何故か身体が過剰反応を示してしまう。


(別に、悪い子ではないだけどな……)


 自分でもわからず、今も隣り合うデスクで働いている。


 そんな結芽を前に、ノアは短く息を吐くようにして切り替えた。


「規模縮小の事よ。この会社、そんなに経営不安なのかな」


「え、……規模縮小ッ!?」


「バカ、声がデカい……」


 ノアの言葉を理解するまでに僅かな間を置き、寝耳に水で声を張ってしまった。


 周囲は既に各々の業務を始め、結芽の叫ぶ声に視線が集まる。


 身を屈めるようにしていたノアは顔の前で人差し指を立てていて、頭を下げるしかない。


「何それ、初めて聞いたんだけど」


「初めてって……結芽、働き過ぎじゃない」


「……そんなことはないと思うけど」


 素で心配されたように怪訝とされ、結芽は目を丸くしてしまう。


「年明け前に社内メールで送られてきたでしょ。会社全体としては変わらないけど部署の統廃合だったり、人事の移動。それに新入社員だって来るでしょ」


「あ~うん、確かに着てるみたい」


 言われてデスクのメールボックスを遡ると、既読した状態だった。


(ん~そんなことあったような、なかったような……)


 記憶が曖昧な結芽は、ノアの話を耳に文面を黙読する。


「これって転職とか考えるべきなのかな? そのことで両親に相談したら『好きにしろ』っていうし……結芽はどう考えてる?」


「えっ、私?」


「そう、結芽は?」


 何故自分なのかという疑問が脳裏を過ったが、黙読し終えて口を紡ぐ。


(新人の時と比べれば仕事には慣れてきたし、職場環境としても悪くはないと思う)


 考え込むように小首を傾げ、鼻から長く息を吐く。


(強いてあげるなら給料の面だけど……転職? 他に何かやりたいっていうのもなぁ~)


 瞼を強く閉ざし、短く唸ってしまう。


「おい」


「あぅ」


「あ……」


 短く声をかけられたかと思いきや、結芽は頭頂部に微かな痛みを感じた。


 このご時世、たったそれだけでもハラスメント行為に抵触するのだが、この上司は気にしない。


 視線をあげると結芽の上司、久寿玉奈々(くすだまなな)が立っていた。


 さすがに違う部署のノアは申し訳なさそうに引っ込んでいくが、結芽は逃れようがない。


「境乃。頼むから業務メールは目を通してくれ」


「いや、目は通したはずなんですが……」


 言い訳できるわけもなく、メールは既読とされている。


 結芽が新入社員として勤め始め、教育係としてあてがわれている奈々。だから結芽の事を誰よりも知っていて、逆も然りだった。


 ピシッとパンツスーツを身に纏い、仕事のできるキャリアウーマン。シャープな銀のフレーム眼鏡がそれを強調させ、立ち居振る舞いにも隙を感じられない。長い黒髪を腰まで伸ばし、女性らしいメリハリが見て取れる。


「ちょうどいい、境乃。詳しく説明してやる」


「え、大丈夫です」


 目線で別室へと促されるも、結芽は躊躇なく断った。


 だが、言葉に反して立ちあがっている。


 奈々も周囲に視線を巡らせるようにして、別室へと歩きだしていく。


「いってら~」


「……うん」


 既に業務時間、仕事の電話を取ったノアに横目で手を振られ、結芽は短く息を吐いた。


(……まぁ、怒られるわけでもないか)


 仕事でのミスではなく、ちょっとした社内報告を見落としただけ。


 誰にでもありそうだが、わざわざ別室に呼びだすほどの事でもないと思えてしまう。


 そんな軽い気持ちと足取りでついていくと、見慣れた一室。


「あの、そんなに重要でした?」


「……いや、重要だぞ」


 頭をかく結芽に対して、奈々は真剣みを帯びた視線を向けてくる。


 手近な椅子に腰かけ、視線で座るように促された。


「さっき改めて目を通しましたけど、さほど気にすることでしたか?」


「境乃はそういうヤツだよな……」


 肩透かしを食らった表情で、奈々は結芽を見つめた。


 だから結芽は目を丸くしてしまう。


「確かに吹縫さんの考えは一理ある。部署を統廃合することで業務の増減はあるだろう。それを負担に思う従業員もいるだろうが、会社の業績はどうだ?」


「……特に問題なく、前年比を超えてると思いますよ」


 サラリとだが、そんな年末決算資料を見た覚えがあった。


 実際にメディア広告の露出が増え、登録者数も比例している。


「事実そうだが、世間のブームもある。少しでも働きづらいな、やりがいを感じなかったらすぐに転職。もしくは自身のスキルアップという考えもある」


「よく耳にしますね」


 椅子に腰かけながら、結芽は首を傾げてしまう。


「出来る事なら境乃には残ってもらいたいところだが、実際にどう考えてる」


「今から転職活動ですか……何が向いてると思います?」


 質問に質問で返され、奈々はさらに溜息を吐いてしまう。


 そこでふと、結芽は視線をあげた。


「というか、何でわざわざ私だけに?」


 あの場にはノアもいたどころか、話しを振ってきた。


 そして別室に呼びだしてまで結芽を引き留めようとしてくれる。


 だから疑問を抱いてしまう。


 そんな結芽に、奈々はバッサリと事実だけを告げる。


「いや、別の部署だし」


「冷たい」


 結芽からすれば、数少ない同期で隣のデスク。


 だが奈々からすれば、同じ会社の別の部署というだけのようだ。


 あまりの温度差に苦笑いしか浮かべられず、奈々は目じりを下げた。


「仕事の有無はどうであれ、少しでもいい生活をしたいと考えてしまうのは世の常なのかもしれないな」


「ホント、どうにかなりませんかね」


 開け透けない事実の本音を受けて、奈々は笑うしかなかった。


「もう少し意欲があると助かるんだが……」


「いやいや、頑張ってるじゃないですか」


「それは認めるが」


 目頭を抑える奈々に、結芽は不思議でしょうがなかった。


 話はこれで終わりといった空気に、断りを入れて別室を後にする。そのままデスクに戻ると、ノアから物言いたげな視線を向けられた。


 それをどうしたものかと考えたが、気にしないでと肩を竦める。


 それで興味を削がれたのか、ノアは業務に戻っていく。


(……転職ね)


 倣うように結芽もデスクにつき、仕事に取り組んでいく。



 その日の業務を定時に終えて、結芽は帰路に就いていた。


 一人ぼんやりとしていると、ついつい職場での出来事を思い返してしまう。


 実際に今すぐどう、といった考えどころか、転職というワードにピンとこない。


 どうにかこうにかこぎつけた就職先、気づけばあっという間に時が経っている。


 だから今さらという思考があり、結局のところは堂々巡り。


「……ん?」


 気づけば借りているアパートの最寄り駅に着いていて、何やら騒がしいことに周囲を見渡した。


 時刻は夕暮れ。通りには商店街と飲食店が入り混じり、賑やかな光景が広がっている。


 さすがに大学の頃から住み、ちょっとした地元感が否めない。


 とはいえ、結芽は周囲を気にした様子もなくアパートを目指す。


「……」


 だが、アパートの方に近づいていくと人が増えていく。


 それにどこか焦げ臭い。


「はぁ?」


 そして、現実を目の当たりにする


「ちょっと、お姉さん! 危ないですからッ!」


「え、私の……」


「危ないから下がって!」


 その声に続いて、数台の消防車から放水が開始された。


 いったい何事かと目を丸くさせながら、結芽はおもむろに鞄からスマホを取りだす。


 手慣れた動作で画面をタップして、数コールすると通話口から相手の声が聞こえてきた。


『……どうしたのよ』


「あ、お母さん」


 どこか怪訝みを帯びた結芽の母親、境乃(さかいの)凛子(りこ)が通話にでた。


「ねぇ、ウチが燃えてるんだけど」


『はぁ?』


 結芽の言葉を上手く聞き取れなかったといった様子ではなく、純粋に疑問だからという凛子の反応。


「イヤだから、アパートが燃えてるんだよ」


『……何言ってんのよ、あんた』


 正しく伝えたつもりだったが、さらに詳しく説明をした。


 それが余計に疑問を抱かせたのか、通話越しの凛子から凄みを増した声音が耳朶を打つ。


『あんた、働き過ぎじゃない?』


「それ、同期にも言われた」


 それだけを言い残して、結芽は呆然とした表情でスマホのカメラを向ける。


 そして写真ではなく動画モードで数秒間、撮影し終えたソレを送った。


 動画も短めでだったのもあって、すぐに折り返しの電話に片耳を塞ぐ。


『今すぐその場から離れなさいッ!!』


「はひッ!」


 近くで立ち入りを封鎖していた消防隊員も驚くほどの声量に、結芽はまともな返事を発せられなかった。


 それから場所を移動して、クドクドとお説教を受ける羽目に。


『アンタって娘は急に連絡してきたかと思えば、しょうもない冗談を……かと思えば、何を悠長に動画なんて撮ってんのよ! いったい何がしたいの』


「そ、そこまで怒らなくても……」


『怒りたくもなるわよ!』


「……はい」


 シュンと肩をすぼめてしまう。


「それで、今日はどうすれば……」


 現在消火活動中のようで、反響するようなサイレンが聞こえる。


 築数十年の、今どき貴重な木造二階建て。住み始めて数年と、ただ寝て起きての場所とかしていたが、愛着のようなモノを抱きつつあった。


 それを今なお、失っている。


 明日も仕事があるため、シャワーくらいは浴びたい。


 何よりも、寝ないと身体が持たずに、仕事に支障がでてしまう。


 ようやく思考が巡り始め、少しは冷静さを取り戻しつつあった。


 だから、通話越しにいる凛子に今後を訪ねている。


 非常時に頼りたくもあるが、無理を言って上京して働き続けてきた。


 年明けに実家へ帰ってはいるものの、本当に気まぐれ。あの時純寧と出逢い、受けた施術が重い腰を上げたのかもしれない。


 特に今回は、本当に非常時でもあった。


『とりあえずビジネスホテルにでも泊まれば?』


「えっ、高いじゃん!」


 だが無情にも、結芽を突き放すようなアドバイス。


 悲鳴染みた声を発する結芽に、凛子は露骨に溜息を吐く。


『なら家から通うの? 何時間どころか、移動費だけでも高くつくわよ』


「うっ……」


 容赦ない事実を突きつけられ、二の句も返せない。


『まぁ、もしくは大学の友達か、会社の同僚でも頼りなさい』


「あ、お母さんッ!」


 それだけを言い残して、凛子は通話を切ってしまった。


 まさかの放置。


 もう一度かけ直そうとしたが、不意に周囲の視線を感じた。


(そうだ、道端だった……)


 火災現場から離れているとはいえ、近隣には住民もいる。しかも帰宅途中の人ばかりで、火災という被害が広まらないかと不安の様子。


 だから道端で通話をしている結芽が、まさかの被害者という考えにどれだけの近隣住人が思いつくだろうか。


(……とりあえず、今日の宿探そう)


 現場の状況が一番気にはなるが、いつまでも凛子を困らせていられない。


「よしッ」


 結芽は両頬を叩き、スマホを操作していく。

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