決闘?
ダンジョンに行った日から、十日程度が経った、ある日の午後。
私とニエルさんが開店準備をしている中、勢いよく店の扉が開いた。
驚き振り返った入り口には、紅色のロングヘアの女性が立っている。貴族のご令嬢、もしくはお金持ちのお嬢さんといった出で立ちで、その顔は息を呑むほど美しい。
外には従者も控えているようで、つまるところ、この店の客には到底見えない。
「あの、まだオープン前なんですけど…」
カウンター越しでおずおずと、その女性に声をかけた。
「あなた、私がこの店の客に見えるの」
見えていない。言ってみただけだ。
どうやらご機嫌麗しくないようである。
「ですよね、失礼しました。どちら様でしょうか」
「無礼ね。あなたから名乗りなさい」
私の顔に笑顔が貼り付く。
当たり屋のような振る舞いだが、こちらに張り合う由もないため
「失礼しました。リーシェと申しますが、どちら様でしょうか」
と素直に聞き直す。
その女性は、私の名前を聞いてピクリと眉根を動かすと、「あなたがリーシェね」と言いながら、つかつかとこちらにやって来た。
彼女が、カウンターに身を乗り出し、驚く私に顔を近づける。
彼女の忌々しげな視線が、私の頭の上からつま先までを滑った。
思わず後退りした私を静止するかのごとく、彼女はカウンター台をバンッと叩き
「私の名前は、イーリヤクーペ・ユーゼンガーデ。あなたに決闘を申し込みます」
と宣言したのだった。
「全然、笑いごとじゃないんですよ」
ダンジョンに行った日以降、ジアは店にちょくちょくと顔を見せるようになった。
今日も遅くにふらっとやって来たので早速、イーリヤが押しかけてきたんですけどと文句を言うと、ジアは声を出して笑った。
そんなジアを、ジトッと睨む。
「あなたの婚約者でしょ」
ユーゼンガーデという大層な名前に聞き覚えがあったのだが、そう、後になって思い出した。
彼女は、ユーゼンガーデ公爵令嬢、ジアの婚約者である。
「元な。しかも婚約まではいってない」
正式な婚約には至っていなかったとしても、今日の様子を見る限り、イーリヤがジアに好意を抱いていたであろうことは間違いない。あんな美人をよく裏切れたものだ。
「とりあえず私は決闘なんてしませんから、お二人で解決してくださいね」
「無理だ」
「無理だじゃなくて、大人なんですからちゃんと話し合って」
「そうじゃない。上の身分から申し込まれた決闘を、下の身分は断ることができない」
「は?」
思わず、私の洗い物の手が止まる。
「あと、これは身分によらず、自分の申し込んだ決闘は撤回することができない。だから、上から下に決闘を申し込むと、必ず決闘が行われる」
「え?もし私が決闘を断ったら?」
「投獄される」
なんて国だ。
「そ、そんなの、貴族のやりたい放題じゃないですか」
ジアは「んー」と言いながら、一度視線を外し、そして
「そうでもない」
と、再び私に目を合わせた。
ジアが言葉を続ける。
「決闘の勝者は敗者に一つだけ、何でも要求できる」
「それで?」
「それで敗者はその要求に、自らの力で実現しうる限り、応えなければならない」
「それが…?」
「平民は出来ませんでしたで終わりでも、貴族はそうはいかないんだよ。自分の力で実現できないことがあるとしたら、それは貴族にとっての恥になる。敗北にリスクがあるのは、平民の方じゃなくて、貴族の方だ」
一方的に喧嘩を吹っ掛けられた身としては、全く納得のできない話である。
「まぁなんでもいいですけど、じゃあ決闘して、適当に負けて」
「決闘で手を抜くのも投獄だ」
「は?」
なんて国だ(2)。
そんなファジーなことで投獄していて牢屋が足りるのか。
い、いやしかし、大丈夫である。手を抜く必要は無い。
私は、コホンと小さく咳払いをし、笑顔で言い直す。
「…決闘して、頑張ったのに負けて、イーリヤに別れろと言われて、全力で離婚したらいいわけですね」
「そんときは、俺が責任を持って、修道院まで送ってやるよ」
ジアに笑顔で言い返される。
私が修道院に帰りたくないということを察しているのが憎らしい。
「まぁもしリーシェが勝ったら、俺も一つ言うことを聞いてやるから」と言いながら、ジアが手元の酒を飲み干した。
「決闘って、具体的に何するんですか」
ささやかな復讐として、後ろの棚からアルコール度数の高い酒を取って、グラスに注ぐ。
そして何気なく、ジアの空いたグラスと交換した。
「女同士なら、どっちかの腕に布を巻いて、それが取れたら負けってやつだろ」
ジアが早速、新しいグラスに口をつけた。
この調子なら、醤油でも飲ませられそうである。
「イーリヤは強いんですか?」
「んーどうだっけ」
「なにかこう、必勝法的なのないんですか」
必勝法のイメージを、私がシャドーボクシングで体現する。
ジアは、私の猫パンチを見ながら「必勝法ねぇ…」と首を傾げ、そして
「あ、じゃあ。先生を紹介してやるよ」
と言った。
「先生?なんのですか?」
「魔術」
「えっ」
それは嬉しい。
正直、魔術もろくに使えないと評され、落ち込んでいたところである。
私の顔に、じわりと喜びが滲む。
しかしその様子を、ジアが無表情に見ているものだから
「あ…、冗談でした?」
と口を尖らせた。
ほんの少しの間をおいて、ジアの表情が緩む。
「明日の昼、王城の裏門まで来い」
「はいっ!」
私は嬉々として、こめかみに、右手の先をピタリとつけた。
ちなみにジアは、度数の高い酒をさらに二杯飲み干し、平気な顔をして帰っていった。
今度は逆に、酒だと言ってジュースでも出してやろうと思う。