新生活
バルマに来て二週間が経った。
ジアの姿はあれから一度も見ていない。
王城の敷地内に与えられた部屋で寝泊まりしているというのは本当のようだ。
好きに使っていいと言われたジアの家は、王都中心街のほど近くに建つ、立地のいいアパートの一室であった。簡単な台所のついたリビングと寝室があるだけだが、一人で暮らすには十分である。内装や家具もシンプルで、住み心地は悪くない。
昼過ぎ、ソファからやっと起き出した私は、のろのろと台所に向かった。
湯を沸かし、コーヒーを淹れる。
南向きの窓のそばに置かれた椅子に座って、眠気覚ましのコーヒーを飲むというのが、十日そこそこで身についた私の習慣であった。
今日もまた、すっかり温かくなった椅子に、淹れたてコーヒーを持ち込む。
そして、勤勉な者たちの行き交う昼の街並みを、小高い部屋からぼんやりと眺めた。
私は、ここで自由に暮らして良いそうだ。
あのジアという男は、しばらくの間だけ妻帯者になれるなら、あとは何も望まないと言っていた。
ご親切にも、祈りたきゃどうぞと勧められたが、昼に起きて嗜好品を嗜む私が、修道生活を守る訳も無し。
思いがけず得た自由だが、やりたいことは決まっていた。
コーヒーを飲み干し一息ついた私は、椅子から立ち上がり、アルバイトへ向かう準備に取り掛かった。
「いらっしゃいませ!」
人が入ってきたことを確認し、明るく声をかける。
王都の中心街にあるこの酒場は、傭兵向けの依頼の受発注を請け負っているせいもあって、厳つい客やガラの悪い客がとにかく多い。しかし、客層のイマイチさにさえ目を瞑ることができれば、料理は美味しく、店主は優しく、時給は高い。最高のバイト先である。
「二名さまですか?」
メニューを片手に、新しい客に近付く。
ご多分に漏れず、体格のいい男性の二人組であった。
「うぉ!マジで働いてる」
私を見て、男性の内の一人が声を上げる。
何がマジなのか知ったことではないが、ウザ絡みはごめんである。
男性の発言はとりあえず無視し、「こちらにどうぞ」と振り返ろうとしたところ、手首をパシリと掴まれた。
「俺!俺、覚えてない?」
男性が自ら指差すその顔に、残念ながら見覚えはない。
「初めましてかと…」と戸惑う私に、男性は畳み掛ける。
「ほら、二週間前!あんとき廊下ですれ違ったじゃん」
二週間前?
二週間といえば、私がバルマに来て直ぐのときである。
ということはあの兵士の中の誰かかしらと思考が進んだあたりで、
「あっ…」
気付けば男性の背後に立っていた店主のニエルさんが、男性の頭をバシリと叩き、「ナンパなら帰れ」と一喝した。
やはりこの二人は、ジアの部下であるらしい。
茶色い癖っ毛の男性はタジ、赤味がかった短髪の男性はエンヤというそうだ。
「そんでなんでこんなとこで働いてんの?」
追い出されずに済んだのだから大人しく酒を飲んでいればいいものを、二人はカウンターに座って、あれやこれやと話しかけてくる。私の定位置の前に陣取られているので、逃げ場がない。
「ちょっとお金が欲しくて」
「えっ団長金くれないの?」
「あ、いや、そういうわけじゃないんですけど…」
そういうわけでは無い。現にその団長とやらは、当面の生活費として、ある程度のお金を家に置いていった。
私が今、貯めているのは、かつて暮らしていたザルツァの家を訪ねるための資金である。
「それならさ、地下潜ればいいじゃん!俺らと一緒に行こうよ!」
タジのノリの軽さに思わずたじろぎながら、「えーっと…」と言葉を探した。
たしかにこの国で稼ぐなら、地下のダンジョンに潜るのが手っ取り早いと聞く。モンスターを狩れなくても、アイテムを拾ってくるだけでそれなりの金になるそうだ。しかし、そういった「穴」の無いザルツァで育った私には、なかなかに気後れのする働き口であった。
「私、あんまり強くないので…」
「いやいや、俺ら傭兵上がりだよ。低層は庭みたいなもんだから」
タジの言葉に、エンヤが頷く。
傭兵とは、ダンジョンで得た収入を生業にする者たちの総称である。
私を連れて行くことで彼らにどんなメリットがあるのかわからないが、ダンジョンのプロに連れて行ってもらえるならば、一度くらい潜ってみてもいいのかも。
「おい、辞めとけよ。素人が地下なんか行くもんじゃねぇ」
満更でもなさそうな表情の私を見かねてか、奥にいたニエルさんが、我々の会話に水を差した。
そういえばニエルさんも元傭兵だったとか。たしかにあの腕の太さは、フライパンを振るためだけのものではないだろう。
「過保護だねぇ〜。浅いとこなら、弱いモンスターしか出ませんし、大丈夫ですよ」
タジのヘラヘラとした言いぶりに、エンヤが「まぁ、モンスター自体は増えてるけどなぁ」と付け加える。
「バカか。どこにだって、悪いこと考えるやつはいるんだよ、知ってるだろ。」
なるほど、人か。
たしかに地下は治安が悪いのかもしれない。この酒場に集まる傭兵たちを見ていればお察しである。
だが、腕に自信があればモンスターでも人でも関係が無いのか、タジとエンヤにはいまいち響いていないようであった。
「ほら、注文とってこい」
ため息交じりのニエルさんに促され、私はその場を離れた。
グラスの空いた客のもとに向かいながら、ニエルさんくらいの歳の人は優しい人ばかりだなと小さく笑う。
しかし、私はそういう人達を裏切るのにも慣れているのだ。
その後しばらくしてからこっそりと、私はタジとエンヤに声をかけた。