拘束
「どうして逃げなかった?」
格子越しで見るジアは、なんとも表情の読み取れない顔をしていた。
アパートから連れ出された私はどうやら、王城地下の牢屋に入れられたようだ。
薄汚れた地面を避け、固いベッドの上で膝を抱えた。
二エルさんはバイトに来ない私を心配しているだろう。一言言っておけば良かった。
申し訳ない気持ちで、胸が詰まる。
光の射し込まない空間で、一日とも二日とも思える時間を過ごしていると、そこにジアがふらっとやって来た。
「どうして逃げないも何もないですよ」
乾いた喉に声が引っかかる。
唾液を飲み込み、
「私、悪いことしてないですもん」
と続けた。
「ザルツァの国宝の儀式を成功させるには、お前の命を捧げる必要があるそうだ」
つまりは死ねということだろう。
小さい頃から、覚悟はできていた。
それなのにいざ身に迫ると、驚くほど怖い。
「…初耳ですけど。偽物なんじゃないですか?その魔法使い」
私の言葉に混じった動揺を、失笑で誤魔化す。
そもそも、儀式が失敗したなどとは聞いたことがない。バルマはどこかのペテン師に騙されているのではないか。
「…その儀式、私にやらせてもらえないんですかね。私も魔法使えるんですけど」
「知ってる。ザルツァ滅亡を目論んだ、逆世界の魔女の弟子なんだろ?」
「弟子じゃないです、娘です」
それは、小さい頃から何度も言われ、そして受け入れてきた自身のレッテルであった。
それでも、ジアから言われると、なぜかこたえる。
「一回くらい、私に触らせてくれないですかね。無理かなぁ」
「…国宝の一部が、随分と傷んでる。あと一回の儀式にも耐えられるかどうかといった状態らしい。試しにっていうのは難しいだろうな」
「傷んでる?」
「あぁ、槍と輪っかみたいやつが」
槍と輪ということは、「方位の針」と「調律の円」のことだろう。
しかし、傷んでいるなどという話は聞いたことがない。教会に安置されているものが、戦争の被害にあうのだろうか。
私の中でまた一つ、違和感が積み上がる。
そのむず痒さに耐えかね、私は小さく口を開いた。
「あの」
冷たい牢屋に震えた声が響く。
「マイトブルムに、行きたいです」
「マイトブルム?」
「私の故郷です。ザルツァの東の果て」
「…何をしに?里帰りか?」
首をふる。
「私は、母から魔法を学びました。でも、一つだけ、教えていないことがあると。それをマイトブルムの家に隠したと聞いていて、死ぬ前に、知りたいです」
バルマに来てからというもの、儀式の周期も、魔法使いの数も、国宝の状態も、全てが合わない。
それが、私の教わっていない何かのせいなのだとしたら、それを知って、せめて自分の中での辻褄を合わせてから死にたいと思う。
それと、
「ずっと気になってたんです。あの人が、なんでそんなに面倒くさいことしたのか。修道院から出られなかった私が、マイトブルムに戻れる訳もないですし、バカなんじゃないかなと思うんですけど」
あとはただの興味であった。
あの人が私に一体、何を残してくれたのか。
叶わぬ願いを口にした恥ずかしさについ饒舌になるが、ジアが喋らないのだから仕方がない。
「でもまぁ、この状況じゃ無理ですよね」と独り言のように呟いたとき、
「あ」
ふと思い出した。
「私がイーリヤに勝ったら、なんでも一つ、言うこと聞いてくれるんじゃなかったでしたっけ」
たしか、そんなことを言われた気がする。
ジアは酒を飲んでいた気もするが、まぁいいだろう。
私は、この場所に似つかわぬ明るい声で
「そのお願いっていうことで、私をマイトブルムに連れて行ってくれませんか?」
と続けた。
無表情のジアに怯んだので、「新婚旅行ですね、アハハ…」と慌てて付け足し、笑顔を作る。
さすがの独語も気まずくなり、やや視線を外して、ジアの適当な相槌を待っていると
「わかった」
思いがけない言葉が聞こえた。
え?
こちらがまだキョトンとしている内に、ジアはさっさと牢屋を後にする。
「あっ、待って」と言いながら、慌てて窓に駆け寄った。
しかし、格子越しの限られた視界では、もうジアの姿を追うことは出来ない。
「行っちゃった…」
思わず、溜息がこぼれる。
わかったとか言ってくれなくていいから、その代わりにもう少しだけ、話をしていたかった。これでは、私に死ぬぞと言いに来ただけである。
「なんだよ、も〜…」
再び訪れた一人きりの時間。
固いベッドに私は、こてんと倒れ込んだ。
そのまま寝てしまったのだろう。
だれかが壁を叩く音で目を覚ます。
ぼんやりとした視界が、見知った姿を捉えた。
「わたし、さっき、もうちょっとお話ししたかったです」
寝ぼけていたのか、こんな状況で取り繕うのが馬鹿らしくなったのか。いずれにせよ、ジアの顔を見た私の口から、驚くほど素直な言葉が飛び出した。
ジアが面食らったような顔をしたので、やっと恥ずかしくなる。
「あ、いや…」と言いながら、誤魔化す言葉を探そうとしたとき、ふと気付いた。
「な、なんで牢屋の中に入ってきてるんですか?」
「ノックはした」
「違う、違います。そういうプライバシー的な話をしてるんじゃないです」
「行きたいんだろ、マイトブルム。連れてってやるよ」
「え?」
思わぬ提案に、目が丸くなる。
「ただし、バルマには絶対帰ってくる。逃げんなよ」
そう言ってジアは、私に手を差し出した。
何のためにそんなことをしてくれるのか。それを聞いてしまうと、この夢が覚めてしまう気がした。
私は「どうして」という言葉を飲み込んで、ジアの表情をちらりと伺う。
私と目が合ったジアは、柔和に目を細めた。
不覚にもドキリとする。
「それ、弱った女の子に見せていい顔じゃないですよ…」
この人、自分の顔がどれだけ格好いいかわかってやってるんだろうか。
私はふいっと目を逸らして、そしてジアの手を取った。




