日常
「明日、第二エメラルダ修道院に行く」
そう言ってジアは、お酒のグラスを置いた。
えらく生真面目なトーンである。
お祭りから二日後。
失敗した儀式は後日改めてということが伝えられ、人々は一見、落ち着きを取り戻したようであった。
「随分懐かしい場所ですね。院長と皆に、宜しくお伝えください」
お皿を拭く手に視線を落としたまま、私は顔を上げずに答えた。
第二エメラルダ修道院は、私がバルマに連れてこられる前に、暮らしていたところである。
このタイミングで、兵士が再訪することの理由を、私はなんとなく知っている。
ジアが、うんともすんとも言わないので、他のテーブルのお皿を回収に向かった。
途中で声をかけられ、お客さんと談笑をする。
二エルさんに追加オーダーを伝えて、洗い場に戻ってきてもなお、ジアは黙ったまま。
会話をする必要も特に無いのだが、なんとなく気まずくて
「いつまで気の進まない兵隊ごっこを続けるつもりですか?戦争は終わりましたけど」
と話しかけた。
ジアは、私の顔を見て「修道院に行く話はもう終わり」だと察したのだろう。
「兵士を続けたいやつもいる」
と素直に返してきた。
「あ、そうなんですか。国の兵士の方が安定してるから?」
「そう。傭兵なんかやってた奴でも、嫁さんと子どもくらいは守りたいんだよ。兵士やってりゃ、自分になにかあっても家族の生活は守られるからな」
「なるほど!じゃあジアも?」
君も、奥さん(私)いますからね。
「俺は、傭兵でいい」
「あぁ…そうですか」
なんとなく、ジアがつまんでいるナッツを二つ、三つ拝借した。粉っぽい食感を、水で流し込む。
ジアは、奪われたナッツを目で追っていた。
「じゃあ、もうそれぞれでいいじゃないですか。続けたい人は続ける、やめたい人はやめる」
「そんなんじゃ、あいつらは兵士を続けられない」
ジアが、酒に口をつける。
「どうして?」
「戦争前には第三兵団なんか無かったんだから、戦争が終わって、メンバーも減るなら当然、解散だ。その後、血統もなければ学もないような奴らは、第一、第二兵団に入れない」
それは、どこか腹落ちのしない話だった。
そもそもなぜ彼が、他の傭兵たちのことを考えてやる必要があるのか。自分のことだけを考えていればいいというのは、その血統も学も無い者たちの特権である。ジアも、自分のことだけを考えて、傭兵に戻ってしまえば良いのではないか。
しかしまぁ、私とジアはまだ、腹を割って話すような仲ではないだろう。
「もう少し、お酒飲みます?」
ジアの「あぁ」という返事を待たずして、私はお酒の瓶に手を伸ばした。
氷を入れたグラスに、リキュールとソーダを注ぐ。
私の差し出したお酒を飲んで、ジアは苦々しい顔を見せた。
甘いお酒が口に合わなかったのか、あるいは「優しいお考えで」という私の気持ちが透けたのだろう。
二エルさんの店に閉店時刻は無い。それでも、長居をする者はいない。
今晩も、ジアが帰ったあたりで、他の客はさっと出ていった。
頃合いを見て、二エルさんが入口のライトを落とす。これで店じまいである。
店が閉まったら、カウンターの内側と厨房の掃除をする。
自分の中で決まっている掃除の手順をこなした後、オーブンの上の埃も拭き取った。
最後に、タオル類を洗って、椅子の背などに干せば、今日の仕事は終わりだ。
好きに持って帰れと言われている、残りもののパンを二つ、自分のカバン中に収める。
そして
「お疲れ様でしたー」
と、お金を数える二エルさんの背中に向かって声をかけた。
二エルさんはこちらを振り返ること無く、「おう」と言った。
店を出て、暗い夜道を歩く。
周囲の家はすっかり明かりを落とし、道を照らすのは点在する街頭だけ。それでも、危険な目に合ったことは無い。
アパートまで、急ではないものの、ずっと坂道だ。
疲れた体で、凉しい夜の風を浴びた。
なんの生産性も無いが、私はこの生活を気に入っているのだと思う。
お客さんの話に、お腹を抱えて笑うこともあるし、お金だって少しずつ貯まってきた。店の外に知り合いも出来たし、お気に入りのカフェも見つけた。
思い出は、十分な気もするし、全然足りない気もする。
そんなことを考えながら、アパートまで続く、いつもの道を歩いた。
その翌日。
アルバイトを終えて、家についてすぐのタイミングで、アパートの呼び鈴が鳴った。
ジアが突然帰ってきたときには驚いたものであったが、今回、アパートの扉の前に五人ほどの兵士が並んでいるのを見ても、驚きはしなかった。
「お前がエリチェラーダか?」
血統も学もありそうな兵士から、じっと目を向けられる。
この国でエリチェラーダと呼ばれたのは、これが初めてだ。
「そうですけど」
「なにか?」と続ける間も無く、兵士が私の腕を掴む。
そして
「ついてこい」
と乱暴に言った。
なされるがままに家から引っ張り出されると、私の周囲を兵士が囲んだ。
その物々しい状態のまま、アパートの前に用意された簡素な馬車に乗せられたのであった。




