お祭り
イーリヤとの決闘からしばらくして、戦勝記念のお祭りの日がやってきた。
私は朝からいそいそと、出かける準備を始める。
「遊びに行くのか?」
ジアが寝室から出てきた。
顔も声も、まだ眠そうである。
私がここに住みだしてからというもの、彼がこの家にやって来たのは、昨晩が初めてのことであった。なんでも、この戦勝記念のお祭りのパレードに参加するのが嫌で、逃げてきたとのこと。
いつもソファで寝ていますと伝えると、「あぁそう」と言って寝室に引きこもり、そこから今まで出てこなかった。
「遊びじゃなくて、アルバイトです」
身だしなみは整えた。
カバンの中も大丈夫。
「よし」と小さく言って、私は立ち上がった。
「アルバイト?こんな朝早くから?」
「あ、ニエルさんのところじゃないですよ!今日は、クエストカウンターの出店のお手伝いです」
ジアは、「ふーん」と無関心な相槌を打ちつつ、コーヒーをカップに注ぐ。
それを横目で見ながら
「いってきまーす」
と小さく言って、私は家を出た。
からりと晴れた空、寒すぎず暑すぎない季節の変わり目。
まさに「お祭り日より」というやつであった!
「来てくれて助かったわ〜」
「とんでもないです、お誘いありがとうございます」
クエストカウンターまでやってくると、受付のお姉さん、ウルダが出迎えてくれた。
エキゾチックな褐色の肌に、色素の薄いショートヘアが映える、落ち着いた印象の女性だ。
彼女とは、カガヤクイシ納品以来、度々立ち話をする仲である。
そんなウルダから、出店の手伝いを打診されたのは、ほんの二日前のことであった。
クエストカウンターの職員で、お祭りの屋台を出そうと決まったは良いものの、本業の方でちょっとしたトラブルがあり、人手が足りなくなってしまったそうだ。
「私は飲み物を売ればいいんですよね」
「そう!そこの出店で…」
なるほど、クエストカウンターで3つほど出店を出すらしい。
ウルダは、3つ並んだ屋台の1つを指さした。
「卓上の小さい冷蔵庫に入るだけ入れてもらって、あとの分は裏の冷蔵庫に入ってるから、足りなくなったら補充してもらえるかしら」
「わかりました」
飲み物と聞いていたが、すでにボトルに入れられたものを売るようだ。
注いだりなんだりという手間が無いので、思ったよりもやることが無さそうである。
「種類は三種類で、炭酸入りネクスタアクラブルージュースと」
「ねくすたあく?ん?」
「さっぱり味のバシンジャオレキオジュース」
「えっ?」
「そして甘め濃厚のヤーミンマーミープラスポジュースね」
「…はい」
ウルダの笑顔に、私も引きつった笑顔を返す。
私は知っている。仕事でわからないことがあればすぐに質問をするのが定石だが、あまりにも意味不明のときは、少し間を置くのが良いのだ。
「2時間くらい店番したら休憩っていうシフトで考えてるから、そのつもりでね。営業開始まであと一時間だから、出店の中をざっと確認してもらえるかしら」
「はい。私もジュース買っていいですか?」
正直、喉が渇いていても手を出したくない不審な飲物ばかりだが、飲んでみないことには売れない。
これも仕事である。
「まさか!全部一本ずつあげるわよ。勝手に飲んでいいからね」
「ありがとうございます、それではいただきます…!」
そう言って私は、意を決し、得体のしれないジュース達がひしめく屋台へと向かったのであった。
「ジュース、ください!」
五、六歳くらいの女の子が店先にやって来た。
手に硬貨を握りしめ、意気込む姿が愛らしい。
「いらっしゃいませ!サイダーと、オレンジジュースと、苺ミルクがあるけど、どれがいいかな?」
そう言いながら、私は屋台越しに、少し身を乗り出した。
自分で飲んでみてわかったが、なんてことはない。
ここにある飲物は、サイダーとオレンジジュースと苺ミルクだ。
「オレンジジュース、ください!」
「は〜い」
バシンジャオラキオジュースだの、ヤーミンマーミンプラスポジュースだのと言っていれば今頃、この少女の「一人でお買い物できるもん」といった自信は、粉々に打ち砕かれていたことだろう。
私の売り方は間違っていない。
卓上の冷蔵庫から、冷えたオレンジジュースの瓶を一つ、取り出す。
お金と交換で、女の子に瓶を手渡した、ちょうどその時。
ドォンと、大きな爆発音が聞こえた。
けっこう近い。
音のした方には、薄っすらと煙が見えた。
周囲が俄にざわつき始める。
ジュースを買った女の子は、近くで見ていたであろう親に手を引かれて、この場を離れていった。
もちろん私は、「大きな音がしたんで」ということで店を離れるわけにもいかず。
ただ不安げな顔で立っていたのだが、
「あの爆発なら大丈夫ですよ。もうすぐ放送が入りますから」
と、隣の屋台から声をかけられた。
「放送って」
なんの放送ですかと言う私の声を遮って、街角のスピーカーから、ポーンと、チャイムの音が響いた。
《ただ今の中央エリア付近での爆発はモンスターによるものですが、すでに駆除されておりますのでご安心ください。なお、現時点で他に確認されているモンスターはおりません。》
本当にすぐ放送があったことに感心していると、隣のお兄さんが
「ね、言った通り」
と微笑んだ。
褐色の肌に銀髪のその男性は、笑った顔もウルダにそっくりであった。
「教えていただいて、ありがとうございます。ウルダさんの…?」
「あ、そう。ウルダの弟で、オルドです」
「よろしく」と言ってオルドは、隣の屋台からヒラヒラと手を振った。
「ウルダの知り合い?」
「そうです、リーシェと言います。オルドさんもクエストカウンターで働いておられるんですか?」
「ううん。人手が足りないからって言われて、手伝ってるだけ」
隣の屋台で、シュワフワポリームという商品名の綿菓子が売られているなとは思っていた。
しかしなるほど、オルドも私と同様、ウルダの独特なネーミングセンスの被害者なのだろう。
「人、全然足りてないんですね。さっきのモンスターのせいですかね…」
ウルダの働くクエストカウンターは、国営の施設だそうだ。
クエストの受発注の他、ダンジョンの環境整備や、ダンジョンへの立ち入り管理なども行っているらしい。それならばダンジョンから出てきたモンスターへの対応も、無関係ではないだろう。
「いや、あれも仕事の内だと思うけど、なんか違うことでバタついてるって聞いたな。最近じゃ、モンスターが出てくること珍しくないし」
「そっか、それもそうですね。モンスターが出るのは平常運転…」
ザルツァの国宝は、増えすぎたモンスターを抑えるためにある。
ダンジョン内のモンスターは、二十年周期で緩やかに増加する。そして一定数を超えると、そのあふれたモンスター達がダンジョンの外へと押し出される。
そうなったとき、ザルツァの国宝を使って、モンスターを「適正な」数まで減らすのだ。
バルマは、二年ほど前から、モンスターの数が急増したと聞く。
私がバルマに来てからでさえ、もう四、五回はモンスターの騒ぎが起きている。
傭兵の多い都市部だとそれほどの被害は出ていないものの、地方の村には壊滅したところもあるそうだ。
「調子、どう?」
唐突にウルダの声が聞こえて、オルドと共に後ろを向く。
「あ、それ、私の弟のオルド」
「それ、さっき言った」
「あら、そう」
弟を雑に扱うウルダがなんだか面白い。
「けっこう売れてますよ。さっきの爆発で、ちょっと人が引いちゃいましたけど」
「さっきの近かったものね。でもまぁ、すぐに戻ってくるでしょ」
確かに、こうやって話している間にも、人通りが増えてきた。ウルダは続けて、
「リーシェちゃん、今のうちに休憩行ってきて。私が店番代わるから」
と言った。
「もう二時間経ってます?」
「うん。丁度二時間かな?事務所に色々差入れが置いてあるから、好きに食べてね。ちょっと短いけど三十分くらいで戻ってきてもらえると助かる。後で長めの休憩も取るから!」
「わかりました。ありがとうございます」
私が屋台から離れ、休憩に向かう背後で、
「ウルダ、俺の休憩は?」
「リーシェちゃんが帰ってきたら、そっちも代わるから」
という姉弟のやり取りが聞こえた。
姉なり弟なりがいるっていいよなぁと思いながら、私は大きく、伸びをした。




