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制服に初めて袖を通した日に・廃線跡で・メッキのはがれた仮面を・ばらばらにしてパズルにしました。

 火花が飛び散るのを見るのが好きだった。流行の曲が流れるラジオを上塗りして、固い金属が削られる時の大音量なのに変わっていく音。何かを生産的に規則的に叩く音。MRIを撮ったときの音などうるさくはない程の大音量に囲まれて、金属を加工する工場に顔を出すのが好きだった。ホワイトカラーの両親は幼い子供が工場に近付くのをあまり良い顔をしなかったが、ブルーカラーの祖父や職人に囲まれるのは子供である私は好きで好きで、学校から帰るといつも日課のようにその手さばきを眺めていたものだ。おまえは跡を継ぐかもなあ、と汚れた軍手で撫でられると、彼の娘である私の母親は飛んできて頭を払う。何故彼女がそこまで祖父を毛嫌いするのか、幼い私には分からなかったが、作業服を汗だくにして溶接を行う祖父を見るのが私は好きだった。跡なんて継がなくていい、と苦々しげに母が言ったのを今でもその顔や声音をしっかりと思い出す。

 「金属加工なんて儲からないんだから」

 ホワイトカラーの夫を迎えた母は、この工場を毛嫌いしているようだった。初めは愛する母と自分の思いが違うことに胸を痛め、時には泣いたものだが、今では母は母で私は私だと思うようになっている。工場は、それなりの広さもあるので経済力はあると思う。そう思ったのは、母は四年制大学を出たからだ。だが大人になってから聞いてみると、母は奨学金をもらって苦学生よろしくアルバイトに明け暮れながら学んでいたという。女はそんな学なんて付けなくていい、そんな旨のことを祖父が言っていたらしい。母と祖父の確執はそんなところから始まっていたのだと思ったが、母の愚痴が彼女の半生から遡って止まらなくなったのを聞くに、どうやら母の子供時代から確執はあったようだ。あなたはおじいちゃん好きだから、今まで言わなかったけれどと前置きをした上でも愚痴は止まらなくなったので、どうやら子供には聞かせまいと相当ため込んでいたらしい。親子とはいえ相性がある。私が祖父とウマがあったように、母は祖父と合わなかったし、私と母もそこまで良好な関係ではなく淡泊であった。

 「工業高校に行きたい」

 「跡を継ぐのね?」

 その時の母の侮蔑したような目を、私は直視できなかった。祖父がもう一人現れたような顔だった。母はその時専業主婦だったから、父が宥めてくれてようやく首を縦に振ったのだが、その顔は渋々といったもので、その後数年間は気まずい沈黙が流れた。そこで私が反抗的であったのなら良かったのかもしれない。だが私は職人気質で声が大きな祖父と違い、物静かで本でも読んでいそうだと常々言われていたから、周囲の友人や先生も工業高校に行くとは思っていなかったし、その進路に驚かれた。そんな私だが妙に頑固である。その点だけは祖父にそっくり、と母が漏らしたことがあったので間違いない。父母が一度だけ大喧嘩をしたのは、その気まずい沈黙を父がやめるように母に取りなそうとして拗れてしまったようだ。その時私は中学生、間に入ろうとしたがもう母は私の身長を追い抜かれていたのに、触らないでと喚いてとりつく島もない。なんとかその後は話し合いになったようだが、そこに私は参加させてもらえなかった。まだ子供だから、というのが理由だ。

 私はその後順調に学びたいことを学び、高校卒業後に祖父の工場に入りたいと相談していた。母はもう反対はしなかったが、祝福もしなかった。そんな様子の母を父は苦々しく思って心が離れていったようだが、幸いにも私にその怒りを向けるような稚拙さを持ち合わせていなかったのが幸運だ。祖父は私が二十歳を迎えてしばらくしてから、突然倒れた。脳にまつわる病気で、昔気質の祖父は酒を浴びるように呑むし、短い生でいいとの口癖の祖父である。だがお孫さんが二十歳になるまでがんばったんだろう、と職人たちは口々に言った。その後、祖父は眠るように亡くなる。その葬儀の場で一番泣いていたのは、母だった。

 彼女は子供みたいに泣きわめいていた。そのうち、何もいわずにわんわんと泣き続けた。母は祖父をどう思っていたのか、もう表面上に出てくる言葉だけでは描けないほどに絡みついた感情があるのだろう。私は何故か母に涙の元を吸われてしまったようで、泣けないまま葬儀を終えるのだった。

 「跡は継いでもらうと、先代から言付かっております」

 葬儀の後に工場に行くと、社員が待ちかまえていて、一番の古株の社員からそう言われ、私は当たり前のことだが何度も深くうなずいてしまった。そして葬儀の場で出てこなかった涙がどっと溢れてきて、私はそのまま泣き崩れてしまう。社員たちは当然のことだと慰めてくれた。母の涙は子供じみた涙だが、私の涙は敬愛の涙だ。だが色は変わらないために、どちらの涙に優劣を付けられるものではない。私は泣きやむと、社員たちに深く深くお辞儀をした。社員たちもお辞儀を返した。私の後継はこうして決まったらしい。


 「このマスク格好いい」

 「それはな、溶接のマスクだ」

 おじいちゃんがそう言って、笑う。汗が滲み、ごくごくとおばあちゃんが用意した麦茶を飲んでいる。夏でも冬でも汗をかくから、おばあちゃんは夏になると冬の分まで麦茶を買い占めなきゃいけないんだって言っていた。おじいちゃんはコーヒーも飲まないし、お酒以外は麦茶しか飲まないんだって。おじいちゃんの麦茶は、ぼくも取ってはいけないから、おばあちゃんはいつもぼくの為に水筒を持たせてくれる。おばあちゃんの麦茶は、夏以外に飲めるからぼくはいつも楽しみにしていた。お母さんは、あまりおじいちゃんの話をしたがらないから、ぼくはいつも何も言わないでおじいちゃんの所に行く。この重いマスクがなんだか格好良くて、ヒーローの変身みたいでいつも見ていて飽きない。僕はそんな思い出の為に、この工場の制服に袖を通したときに柄にもなくわくわくと胸が高鳴り、祖父が何かの記念にと廃線になった電車の模型がいつも工場の机の上に乗っているのを見て子供みたいだと苦笑した。今なら祖父の感覚が何となく分かる。大人になると、目の前から失われゆくものを見ても、自分には引き留める力がないことを痛感する。だからかろうじて手に入る物をなんとか掴んで引き寄せるのだ。それが何の利益をもたらさなくても、とにかく得られる物を探すのだ。今の私にはその気持ちが痛いほどに分かる。母への気持ちが分からなかったけれど、母の葬式で私が得られたのはあの時の祖父の葬儀の時の母の気持ちだった。若くして事故で亡くなったので、今は祖母と父と私が暮らしている。今は、失った物が多いはずで周囲からは同情されているけれど、ばらばらだったパズルが型にはまったような気持ちで日々穏やかに暮らしていて、私は不幸ではなかった。

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