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3.雪崩

■「マナ」

 人間をはじめとする一部の生命体の心筋から発せられている純粋エネルギー。本来無色透明にして、質量を持たず、大気のように遍在する穏やかなもの。知的生命と呼べるものの根源であると考えられている。人間の意思と存在に呼応して励起し、それぞれの性質を付与されて発現する。

 個人のマナには「重さ」と「温度」の概念があり、その組み合わせを以て個人のマナ性質にどのような偏重があるかを数値化できる。また、マナが体の中を通り抜ける「マナ回路」にも性質が割り振られ、その性質も数値化して表示できる。これらの数値をまとめ、性質を簡潔に表すように整備したものを「ステータス」と呼ぶ。

3.雪崩

 集落に戻ったあと、三人はグウィディオンの元へ向かった。森、しかも集落からそれほど離れていない位置に出現したモンスター、ヘキサトルについて報告すると、長老はいったん席を外した。ダイランに何かを耳打ちしていたようだったが、離れた位置からは聞き取れなかった。


「よく無事に帰ってきましたね。本当によかった」

「二人がいなかったら本当に危ないところでした……」

 スィルとウィカはひとしきり頭を撫でられて、満足げに帰っていった。卿太朗は彼女たちの力について思い出しながら、胸元に淡く光るペンダントを見つめる。グウィディオンもそれを覗き込むと、うんうん、と頷いて話し始めた。

「そろそろ、これも結果が出てくれたようですね」

 彼がペンダントを外す手が、やはり少し温かい。森の中で感じるような空気の温かさともまた違う。まだ、それを名付けられるほど解像度は高くない。

 外されたペンダントは、おおよそ明るい緑色に輝いているようだった。


 ペンダントが奥の部屋に持っていかれた後、改めて部屋の中を見つめる。おそらく客間と思われるこの部屋に飾られているものは、あまり生活に利用できるようなものではないように見える。オブジェか、もっと手の込んだ神像のようなものもある。それぞれ木を削りだしていたり、石を組み合わせていたりと多種多様だ。

 飾られている棚には、それぞれの作者と思われる名前が刻まれている。

 フル(Hurl)、ニィラ(Nëera)、プウィンドル(Pwhyndr)、キッカ(Cikka)。

 スィルとウィカの名前もあった。彼女たちが作ったのは、おそらく木片を組み合わせて作ったオブジェ。人型のようにも見える。

 これらを見ているだけでも、彼が村の民をどれだけ大切に思っているのかが窺い知れる。ほっこりした気持ちになっていると、ペンダントを持った彼が再び現れた。

「結果が出たようです。ただ――」

 緊張した面持ちで、卿太朗は差し出された紙を手に取った。



 手渡された紙のフォーマットは、おおよそ双子の戦いで見たものと同じ。しかし、ところどころに注意書きが添えてあるようだった。

 NAME:Sasu Kyotaroh

 ・L(連動性): 400

 ・T(伝達能力):880

 ・CC(循環能力):200

 ・FS(固着性):550

 ・D(耐久性):90

 ・FE(濾過能力):100

 ・SKILL_1:[!]NAME_UNDEFINED


「これは……」

 目を引くのは、やはり最下段の文字。名称未定義、その前に置かれた大括弧の中身は、意味ありげなエクスクラメーションマーク。

「それぞれ400を超えれば優秀、600もあれば天才と呼ばれる値です。800を超える伝達能力は、もはや破格と言えるでしょう。あなたはマナを、素早く、正確に、用いるべき部位に送り込んで、力を発現することができるはずです」

「……逆に、耐久性はかなり低い」

「はい、残念ながら、あなたのマナ回路は極めて脆く、外的な補助なしにマナを行使することは危険を伴います。もし、このスキルが負荷の大きいものだった場合は――」

「……」

「――最悪の場合、マナ回路が焼き切れて絶命するかもしれません」


 言葉を失った。持てる力を行使しただけで死に至るかもしれない、という事実は、彼を震撼させるに十分だった。どんなに優れた力を持っていても、いや、優れた力を持っているということ自体が、すなわち自分の死を誘発する要因となってしまうのだ。こんなにも恐ろしいことはない。

「しかも、あなたのスキルは『未定義』の状態。これまで、『この地』には一人も同じスキルを持って生まれた者はいない、ということです。あなたが最初の一人。ゆえに名前もつかず、そして……それがどんな力を秘めるのか、あなたにしかわからない」

 グウィディオンも、心なしか声を震わせているようだった。スキルを使えば死ぬかもしれない。スキルがどんなものなのかわからない。その発動条件すらも。卿太朗にしかわからないと言われても、本人すら心当たりがない。

 その日はひとまずそれだけで、卿太朗は家に戻った。ステータスの走り書きを見つめて、ベッド上で仰向けになっているだけ。外が暗くなったころ、いつの間にか彼は気を失っていた。




 魘される彼を揺すり起こしてくれたのは、いつもの双子だった。

「あぁっ、起きた」

「大丈夫……?」

「――ぁ、うん……大丈夫……起こしてくれたんだね、ありがとう」

「苦しそうだった……どこか痛む?」

「ううん、なんだろう……覚えてないけど、魘されてたのかな」

 不思議そうな顔をする彼女らの見ている前で、ふと流れ出した一筋を拭う。


「――もしかして、元の世界が恋しいのかな」

 食卓でスィルが口にした仮説に、妙な納得感を覚える。昨日までは仕事や新しい出来事が押し寄せて、元の世界のことを考えている暇はほとんどなかったが、昨日の夜は違った。卿太朗の前には自分自身を見つめ直すための材料が突き付けられていたのだ。その影響で、故郷の温かい夢など見ていたのだろうか。あまり、いい記憶は思い当たらなくとも。


 パンを食べながら、昨日出たステータスの話題に入った。彼女たちも、伝達能力と固着性の高さを褒める一方で、やはり耐久性の低さを懸念しているようだった。スキルを知らなければ、常日頃の生活にすら死が潜むかもしれない。そういう不安感を、気づけば二人にも吐露していた。

「……スキルって、どうやって使うの?」

「うーん、あんまり気にして使ってない気がするな。私は階段を一段飛ばして上るときみたいな、ぴょーんって感じ」

「……私も、あんまり意識してない。弓を引いたらいつも使うから……」

 自転車の乗り方を聞いているような気分だ。

「――とりあえずさ!いったんこのことは置いとこ!きっといつかわかるよ。どうにもならないこと考えてて動けなくなっても、いいことないでしょ?」

「……それもそうか」

 下手をすると命にもかかわる内容だが、いまここで絶望していても仕方がないことも事実だ。いまはこれを受け入れて、ゆっくり考えていくしかない。そうやって卿太朗は納得したが、そこにはまた、別の感情があることも認識していた。


 何かにつけて悪い方に注目するのが悪い癖であることは、重々理解しているはずだ。




 村に出ていくと、今日もそこかしこで人々が働いている。数日前、一緒に水を撒いた農夫と語り部が、今日も同様に何かを言い合いながら水を撒いている。そんな彼らもこちらの存在に気づけば、笑顔で手を振ってくれる。穏やかだ。元の世界には――少なくとも自分が生まれ育った都市には――こんな付き合いはない。「獣の民」の愛くるしい雰囲気も相まってか、この村にはそういう身に覚えのない郷愁が満ちている。

 それなのに、もしも自分が、故郷を夢見て涙したのだとしたら、それはどうしてなのだろうか?自分は、何を悲しんでいたのだろうか?元の世界に戻る理由も、もうどこにもないというのに。


 結局、この日は何の仕事をしているのかわからない女性の手伝いをして、各家庭の庭先に謎の葉っぱを植えて歩いた。先々で感謝されたが、それが何なのか、説明を受けてもよくわからない。匂いはちょっとキツく、スパイスのようなものかもしれない、と納得しながら配り歩いているうちに、昼に差し掛かった。

「ただいま~」

 スィルとウィカはこの日も森に出ていた。木の実をいくらか採集してきたらしく、自慢げに籠の中身を見せてくれた。子供たちも集まってきて、わいわいと賑やかにしている。少し遠巻きに彼女たちを見ていると、そこへ一人の住民が近づいてきた。


「プウィンドルが森から戻ってこないから、探しに行きたい」


 フルと名乗る狩人は、不安げな表情をしていた。




 昨日はモンスターが出た森だ。襲われて怪我をしているなら、早めに連れ帰って治療したいし、もしも少し遠くに行ってしまっただけなら一緒に帰るだけでいい。ということで、スィルとウィカはついて行くようだった。もしも怪我をしていたら運ぶ役が必要だ、と言って、卿太朗もスィルに引かれて森に出た。

 昨日も考えていたことだが、この世界の森にはあまりジメジメした雰囲気がない。もとの世界でもあまり山林に足を踏み入れたことはなかったが、卿太朗にとって山林、ひいては自然界というものは、その見た目やイメージに反して居心地の悪いものだ、と定義づけられていた。この場所は本当に爽やかで、歩みを進める先には嫌な雰囲気がない。原生生物や、それとは区別された存在、モンスターの脅威があるだけだ。それも、彼女たちの戦いぶりを見れば少しは落ち着く。いずれは、自分も立ち向かえるようにならなくてはいけない。彼は自分のスキルについて、まだ頭の片隅に引っかかったままの不安を、できるだけ見ないようにしていた。


 森に出てしばらく歩いた。プウィンドルはまだ見つからない。今日はいくらか動物を獲って帰ってくるはずだったらしく、ここまで遠くに行く理由はない。にわかに表情が曇りだす彼らと共に森を行くと、少し開けた場所についた。

「なんだか涼しいね」

 スィルが指摘する通り、この場所はなぜか気温が低い。草むらにはいくらか岩があるだけで、川や特殊な植物があるわけでもないように見える。

「……そこ、岩陰に何かある」

 ウィカの指さすところへ、フルが駆けていく。岩の裏に回り込み、そこにあるものを確認するとともに、彼は数秒の硬直ののち、その場にへたり込んだ。その表情から、卿太朗たちは最悪の事態を想像した。


「――大丈夫か!?」

 自然と動き出した身体に引かれるように、卿太朗は双子よりも早くフルに駆け寄った。唇を震わせ、見開いた目で岩陰を見つめる彼の指すところにあったのは、一塊の氷だった。

「……これは」

「プウィンドルだ」

 隣に辿り着いたスィルには、すぐにわかったようだ。しかし、どう見てもその塊は小さい。獣の民はあまり大きくないとはいえ、それを差し引いても小さい。空から降る光に照らされて、氷塊はより詳細な姿を見せつけてきた。

 分厚い氷の層の下に、淡くヒトの顔が見える。頭、首、肩、左上腕、そして、生々しく迸るままに封じ込められた赤い飛沫。彼に残されたのは、それだけだ。思わず口を押さえて後ずさる卿太朗の足元で、何かがぴしり、と音を立てた。恐る恐る足元を見る。

「地面が凍ってる」

 草原の根元、この場所の土は、薄い氷の層に覆われていた。陽光を浴びてもなお溶け出す気配のない氷から足を離すとき、わずかに感じた足の重さに、卿太朗は底知れない危機感を覚えた。

「ここを離れよう。足元から凍り始めてる」

「……そうみたい。いまここに留まるのは危険」

 その場を離れる卿太朗の方を、氷の中から見つめている死体。既に事切れた彼の目からは、何か凄まじい恐怖が見て取れる。まるでこちらに助けを求めるかのように、きっと、死に至る直前には誰もいない場所へ手を伸ばそうとしたかのように、切断された腕の残りが、伸ばされていた。


 これはモンスターの仕業なのだろうか?

 胴を切り、腕を切り、それを氷漬けにして、罠にする。ここで仲間を助けようとした自分たちをも凍らせて、捕らえるつもりだったのだろうか。そうだとしたら恐ろしいことだ。失われた部位は食べられてしまったのかもしれない。嚙み切るだけ噛み切って、あとは野ざらしの罠に活用してさらなる獲物を得る、と考えれば、相手はなかなかの知能だ。この白昼、『世界樹』の光に熱がないわけではない。その中で氷を維持し、そして自分たちまで捕らえるほどの冷却能力を持っているとなれば、そんな怪物に対応できるだろうか?

 草原を去り、森へ入る。ともかくこのことは報告しなければならない、として、一直線に村へと帰った。


「氷のモンスター……この森では見たことない」

「……山の民の領域なら、時々現れるって聞いた……」

 スィルとウィカも心当たりがない。フルも同じく、落胆と恐怖を帯びた面持ちで首を横に振った。不安からか、皆しきりに背後や側面を確認している。木陰に何かが潜んでいるかもしれない。後ろからあの悲惨な死を引き起こしたものが追ってきているかもしれない。彼らの脳裏には、既にそのイメージがこびりついていた。

 村が近い。あと少し歩けば境界に辿り着く。




 卿太朗の聴覚が、不明な鋭い物音を捉えた。

 ヒュン、という音が、高速で空中を通り抜ける物体の音であることを理解したのは、気づいてから数秒経った頃のことだ。それに続けて、どさり、と背後で音がした。

「フル!」

 振り返った時にはもう遅い。少し後ろを歩いていたフルはうつ伏せになって、ガクガクと身体を震わせていた。肩甲骨の間あたりに、大きな氷柱が突き刺さっているのが見える。とっさに身をかがめる双子に引っ張られて、卿太朗もその場に伏せる。

 フルの背中から溢れ出す血が地に流れ、広がる。早く助けなければ命に関わることは明白だが、スィルの手がそれを許さなかった。不用意に身をさらせば、次に転がるのは自分だ。

「――慣れないことはするもんじゃないなァ」

 人の声が聞こえる。独り言だが、明らかにこちらに向けて投げかけるように話している。木の隙間から様子を伺うと、こちらに向けて人型の存在が歩み寄ってきていることがわかった。

「もうすぐお家だろ?さっきの結界が最後だったはずだ」

 ドスの利いた、ガラガラとした声だ。足音が止まる。

「出てこい」


 双子が顔を見合わせ、卿太朗にも目くばせしてくる。彼らの隠れた木にも、少しずつ氷が這ってきているのがわかる。

「隙を見て切りかかるから、長老さんに助けを求めて」

「お姉ちゃん……!」

「大丈夫、お姉ちゃん強いから」

 ウィカの頭を撫でて、彼女はにっこりと笑って見せる。卿太朗にもそれを向けてきたが、彼には頷くことなどできなかった。ただ息が詰まり、返答もできないうちに、彼女は立ち上がって道に出ていった。

「出てきたか。一人じゃないよな」

「……」

「答える義理もない。正しい。正しいやつは大嫌いだ」

 軽薄に笑う声が聞こえる。再び歩き出す音が聞こえる。

 風の吹く音の中に、氷を踏みしめるような音が、聞こえてくる。


「あんたは違うな。そこに隠れてる方が恐らく本命だが……」

「どうして殺すの」

「それが俺の生き方そのものだったからだ」

「……食べもしない命を奪うのは、モンスターと同じだよ」

「モンスター、そうだな」

 再び、男の足取りが止まった。

「俺はモンスターも殺す。ヒトも殺す。食いはしない。殺すことが目的だ」

「……っ!」

「もちろん、あんたもだよ。お嬢ちゃん」

 スィルが絶叫し、短刀を振り上げた。男は身体を反らして刃を避け、数歩後ずさる。

性能開示ステータスオープン!!!」

 スィルに力が宿ったことを確認し、ウィカが一目散に村へと駆け出した。一緒に駆け出した卿太朗の背後で、激しい剣戟の音が聞こえる。一瞬、スィルの方に目をやると、襲撃者の姿を見ることができた。


 黒いジャケットとジーンズ、長いブーツ。腰と背中には細い鞘があり、その手には細長く白い直剣がある。まだ、腰の片方しか抜いていない。造作もない様子で短刀を受け流す傍ら、彼は明らかにこちらを見て、にやりと笑った。

「逃げて!!」

 振り返らずに走るウィカとは対照的に、卿太朗は必死に敵をとどめようとする彼女の姿に、思わず足が止まりそうになっていた。自分がこの場に残ってもできることはないとわかっていても、気持ちが理解に追いつかない。

 躊躇が足を固まらせていく。延長される一秒の間で、あらゆる無駄な物事を考えていると自覚していた。スキル、ステータスといったことが一つずつ、頭の中に浮かんでは、それに耐えられない自分の身体に由来する恐怖がすべてを打ち消してしまう。

 短刀が弾き飛ばされている。

 反射的に止まった足で、スィルの方へ駆け出してしまった。何もできない。自分はいま数秒の内に死にに行くのだと自覚しながら、最悪の選択を取ってしまった。思考は既に混雑しきっていて、正常な判断が下せていないとわかっていながら、それを明確に自覚していながら、何一つ止めることのできない自分自身についてすら、もう何も考えられなかった。


 心臓が熱い。彼女たちと同じ言葉を口にすれば、自分も力を発揮できるかもしれない。もはや賭けだ。そこに意思を持っていこうとすればするほど、息が、気道が、肺の奥底や臓物の一つ一つが熱を持って、エンジンのようにグルグルと駆動し始めるかのようだ。既に身体が悲鳴を上げているのかもしれない。それでも、卿太朗には、自分自身を止めるすべがない。


性能ステータス――」


 そこまで口にしたとき、思わず息が止まった。

 体内に蠢いていた熱の駆動が、一斉に何か別のものへと変わっていく。

 それが気を失いそうになるほどの痛みであると気づいたのは、一瞬の戸惑いの後だった。


 気づけば、喉から血を吐くような絶叫があった。自分の身体は土に倒れ伏し、際限なく溢れ出る刺激反応の涙と唾液が、うめき声と共に流出していく。皮膚感覚が完全に死んでいる。周囲のあらゆる音が雑音のように増幅し、景色が赤くチカチカと反射する。身体がこの力に耐えられていないことは確かだ。

 卿太朗の意識がどこにあって、どこに向かっているのか。自分自身にもわからない。それでも、視線の先で泣き叫ぶ彼女を守ろうと、あらゆる手段を講じようとしたことだけは確かだった。




 彼が首を持ち上げたとき、目の前に誰かが立っていることを理解した。

 同時に、耳に乱反射する雑音を切り裂いて、銃声がすべてを拭い去った。

 敵が肩を抑えて、恨めしそうにこちらを見ている。


「まだ使うな。下がってろ」

 それだけ吐き捨てると、ダイランは襲撃者の喉元目掛けてもう一発、引き金を引いた。


 隙を見て短刀を回収したスィルも、態勢を立て直して状況を見つめる。先ほどの攻撃は完全に悪手だった。卿太朗が注意を引いたことで結果的に危機は免れたが、次はない。刃の一部が欠けていることを確認して、再び立ち上がる。

 男は再び、満足げに笑い出した。


「おいおいおい!ずいぶん情報が多いなァ」

「……想定より早い。上で何があった」

「何も?ただ俺が、偶然、ここに通りかかって、偶然お前の仲間が罠にかかった」

 彼は手のひらを打ちながら、不敵な笑みを浮かべている。

「それにしても、お会いできて光栄だな。センパイ」

「……」

 次の銃弾を込めて、ダイランは微動だにせず敵を睨み付ける。敵は態度を変えることなく、その辺りを何気なくうろついている。

「裏切者の“13号”。いまは何て名前だ?」

「関係ない。お前はここで殺す」

「そうカッカすんな!せめてこっちの仕事はやらせてもらわなきゃ困る」

 敵の目線は、まだ息の整わない卿太朗に向けられた。

「しっかし、見上げた精神だ。無謀だ。無謀なやつは、まぁ好きだ」

「……こいつには手を出すな」

「センパイにとっちゃ重要人物らしいな。ステータスの解放もできず、何か武器を持っているわけでもない。つまり見てるのはポテンシャルか?いいね、同意するよ」

 彼の言葉は矢継ぎ早に出てきている。相手に返答する隙を与えないようにしているようだ。同時に、卿太朗に向けられた剣の先端が、少し震えていることも見て取れる。

「さっきお前、途轍もないエネルギーを使おうとしたな?ステータスの由来じゃない。センパイでもいいから答えてくれ。何者だ」

「転生者だ。お前とも、俺とも変わらない」

「ってことは『眼』の意思か!?おいおいおい……なんて残酷なことを」

 芝居がかった様子で顔を片手で覆う彼に、背後からスィルが駆け寄る。短刀を背中に突き立てんと空中を駆けあがる彼女の存在に、敵はすぐに気づいた。振り返りざま、剣を横一文字に振りぬくと、閃光を発する軌跡には巨大な氷塊が残された。彼女も間一髪で回避し、不安定な態勢で地面に落下する。

「油断も隙もねェな!ちょっとビビっちまったぜ」

 依然、敵の剣先が小刻みに震えている。

 出し抜けに、ダイランも引き金を引いた。最初の一発は回避され、次の一発は木の表皮を削る。敵はそのまま森の草木で視線を切るように機動する。

「スィル!こいつを連れて村に戻れ!」

 もはや怒号のような声で指示を出した彼と、それに応じて卿太朗に駆け寄る少女。彼女の肩を借りて、なんとか小走りでその場を離れた。


 ダイランの照準には、概ね敵の素早い動きが捉えられている。

 残弾は四発。リロードの素早さには自信があるが、今回は通常の戦闘とは訳が違う。

 敵の動きが止まる。

「なぁ、センパイ」

「……」

「どうして裏切った?」

「……」

「上の奴らも寂しがってる。俺もあんたに会いたくて仕方なかったんだ」

 発砲。

「……チッ、これじゃ何も聞き出せやしないな」

 発砲、金属のはじける音。

「俺は21号。あんたより八つも先の実例だが、言っておくよ。守るべきものを思い出せ。着くべき側を見失うな」

「黙れ」

「あんたは間違ってる。間違えた理由を教えてくれ。それが聞けたら、とりあえずこの場はそれだけでいい」

 21号の手が、背中の剣を掴む。

「頼むよ。教えてくれ。13号」


 13号、ダイランの照準がわずかに震えた隙を、敵は見逃さなかった。一気に剣を引き抜き、二刀で胴体に切りかかる。すんでのところで回避できたが、薄く傷ついた腕から血が滲む。13号はバツ印に剣を交差させ、深く息を吐いた。

「わからない。わからないのは嫌いだ」

 彼の周囲に、細かな氷を含んだ風が回る。左手に握った剣を天に掲げると、21号の背中から無数の筋が伸び始める。樹の枝か、樹の根か、その硬質な木材質の表皮が身体を覆う。

性能ステータス――開示オープン

 ダイランは残弾を補充し、固く歯を食いしばった。




 先に村へと戻っていたウィカが状況をグウィディオンに説明すると、彼は直ちに村の住民を集め始めた。少し遅れてやってきたスィル、そして彼女に支えられて戻ってきた卿太朗を受け止め、グウィディオンの家へ搬送する。

 卿太朗の身体はおおよそ回復していたが、意識は先ほどにも増して朦朧としていた。周りが何を言っているのか、聞こえていても理解できない。一度目を閉じるたびに、別の風景に連れられている。それを繰り返しているうち、グウィディオンの温かい手が自分の額に触れたところで、意識が失われた。




 次に目が覚めた時、彼は長老宅のベッドにいた。あまり時間は経っていないように見える。

「よかった、痛みはない?」

 左隣の椅子に、ウィカが座っていた。

「……うん」

「……この村から、みんなで逃げることになった。キョータローも一緒に」

 彼女の向こうに、もう一つベッドが見える。起き上がっているが、まだ肩を上下させて深い呼吸をしている。振り返った彼女――頬に小さな傷を負ったスィルが、いつもより力なく微笑む。

「だいじょうぶ?」

「……ごめん」

「いいの、戻ってくれなかったら、きっとここには戻れなかった。お兄さんのおかげだよ」

 そんなものは結果論だ。スィルが助かったのは偶然と、ダイランの到着があったからだ。自分には何もできなかった。そう思うと、情けなさで涙が出てくる。ステータス――この身体に流れる「マナ」を用いる方法も、その初歩に立つことなく失敗した。手ひどい失敗だった。

 抑えられない嗚咽と涙を溢す卿太朗の左手を、ウィカの冷えた手がしっかりと握る。何も言わず、まっすぐに彼の目を見つめていた。

 右の手を差し出そうとしたところで、ようやく違和感に気が付いた。ベッドに置いた腕が重い。ふとそちらに目をやると、卿太朗の右腕には何かが装着されていた。真っ先に浮かび上がるイメージは、中世ファンタジーの重装備騎士が身に着けるような金属の籠手。黒鈍色のそれは、前腕の半分以上を覆うほどの長さを持ち、腕の外側には三つ、箱状のパーツが溶着されている。

「これは……?」

「さっき、長老さんが着けた……キョータローが目を覚ますために必要、って」


 さらに装備のことを聞こうとしたところで、グウィディオンが扉を押し開けてきた。

「行きましょう。回復しきっていないと思いますが、もう出発しなければ危険です」

 ウィカはスィルを、グウィディオンは卿太朗を支えて、家の外に出た。不安げな表情を浮かべた村人たちは、既に森の方へ歩き始めていた。


 銃声が聞こえない。

 それほど遠い場所とは思っていなかったが、ダイランはいまどうしているのだろうか。

「長老さん、ダイランは」

「……彼のことは、いまは信じるしかありません」

「……」

 三人は息を呑んだ。長老は、何かその後に続く言葉を抑えるかのように固く口を結び、目を閉じて歩き出す。今日の朝までは元気に子供たちが走っていた道。語り部がもたれかかっていた畑の柵。いまは煙を吹かない煙突。卿太朗はつとめてそれらを目に焼き付けて、先を急いだ。




村民の一団が注意深く森に入ろうとしたとき、先頭の集団がにわかに足を止めた。後方にいたグウィディオンたちも、つられて足を止める。

前方の村民たちがバラバラに逃げ出した。同時に、およそ通常では考えられないほどの勢いで、森の木々が凍り付いた。前方の村民たちはひとり、また一人と氷に足を掴まれ、その場で凍り付いた。村の方へと戻り始めた彼らの頭上から、何か冷たいものが降着する。

「これは、雪?」

「奴だ……!!」


 白い煙の中から、人影が歩み寄る。

 足早に、こちらへ向かって真っすぐに近づいてくる敵の姿。

 樹皮のような質感の表面に、群青色のラインが乱雑にかけられている。ラインは数秒置きに輝き、静かに脈打っているようにも見える。

 外装甲に覆われていない頭部。敵の顔を見たとき、三人は先刻助けられたままに置き去った彼の顛末を悟った。

「遅くなって悪いな。ちょっと道に迷っちまった」

 状態を見るに、無傷ではない。それでも真っすぐにこちらへ歩み寄るさまは、健在と認めるほかない。ダイランの姿もなく、ただ最悪の想像をしながら後退を余儀なくされた。

「そして、いま俺は迷ってる」

 二振りの剣をこちらに向けて、あと数歩の距離で斬りかかられるほどの緊張感で、彼は卿太朗とグウィディオンを交互に見た。一歩、威圧するように足を踏み出す。

「俺は運がいい。目標が二人も見つかった。本当に幸運だ。幸運なんて初めてかもなァ」

 さらに足を踏み出す、目前の敵。

「だが、舞い上がってちょいとしくじったな」

 襲撃者と、長老と、双子と、そして力なき転生者。彼らは村中央の分岐路にいる。それを取り囲むように、あちこちの物陰から村民たちが飛び出してきた。農具、資材の棒、その辺りで拾った石。あらゆるものを武器に見立てて、一つの敵を取り囲む。

「長老さんに手を出すな!!」

「村は渡さんぞ!!」

「プウィンドルのかたき!」

 口々に威勢よく声を上げる村民たちをぐるりと見まわし、彼はやれやれといった風で剣を下ろす。かなり消耗しているスィルも、彼らの熱気に中てられてウィカの手を離れた。短刀に手を伸ばし、まだ少しふらつく足で構える。

 卿太朗はふと、グウィディオンの顔を見上げた。


 彼の表情からは、途轍もない緊張を感じ取った。

何かを警戒している。あるいは危惧か、諦観か。


 分岐路の中央に、敵の剣が突き立てられる。

 彼は両腕を大きく広げると、本来の目標二人を一瞥した。


「こんな方法は退屈だ。退屈なことは、何より嫌いだ!」


 その瞬間、卿太朗の腕が強く引かれた。視界の端でウィカが姿勢を返し、スィルも引かれているのが見えた。足が地を離れ、グウィディオンの手に抱えられて、彼はどんどんその場から離されていく。声も出ず、言葉もまとまらないまま、彼は風のようにその場を去った。


 わずかに背後の視界を確保した。

 あの男を中心とした白く眩い光は、襲い掛かる村民たちを吹き飛ばし、凍り付かせていく。それだけではない。この村一帯を覆う木々が、瞬きするごとに樹氷のような姿に変わっていく。村のすべてが、氷漬けにされる。降り注ぐ雪は激しさを増し、荒れる吹雪の様相を呈している。離れ行く村の景色の真ん中で、あの双子がこちらへ手を伸ばすのが見えた。


「        !!!」


 爆風のよう氷雪の波にすべてが飲み込まれ、視界はただ暗く、黒く、沈んだ。


●スィル(Suyr)

連動:410

伝達:680

循環:290

固着:300

耐久:330

濾過:180

◆スキル1:「フェザリング・ステップ」Feathering Step

・指し示す存在性質:「森を駆け、どこまでも自由に、そして軽やかに生きる」

・Cランクスキル 自己対象・意識発動型。

・空中ジャンプ能力。マナを用いて足元に板状の踏み台を定義し、跳躍する。


 卿太朗が流れ着いた先の集落に住んでいた「獣の民」の少女。双子の姉。明朗活発で表情がよく表出する。コミュニティ――集落の人間すべてと同等の立場で接し、仲間と認識した者の面倒を見たがり、日中は森を駆け、そして仲間を含めたすべての生物の生死に頓着しない、という典型的な「獣の民」の性質を持つ。そのため生来仲間意識というものが身内に限定されていて、外部者にはどこか距離を置いたような振舞をし、仮にその気質から距離を詰めるような行為をしたとしても、心中では初対面から扱いがほとんど変わっていないことも多い。

 狩人として生活しており、得物は二本の短刀。マナの伝達能力に優れ、この性質に乗せて自分自身の瞬発力を向上させるほか、スキル発動の際は意識からほとんどラグを生まずに足場を展開できる。一方、固着能力や循環能力の低さが災いして持久力はあまり高くなく、狩りは一撃必殺のスタイルを強いられる。

 グウィディオンの美貌と人格に惚れ込み、いつか彼の恋人として並び立てるような立派な大人になることを夢見ている。彼の魅力を語りだすと止まらないが、たいてい同じことをずっと話している。

 楽しいこと、気持ちのいいことを優先する気質。「獣の民」の多くがそうであるように、あまり広い時間範囲で世界を認識せず、種全体でそれとなく共有される経験則以上の法規を持たない。特に民の中でも極端に悲哀、恐怖といった感情が薄く、よく無茶をしかける。そのような点で民の中では異質に思慮深い妹のウィカと補い合って生きてきたことから、どこか彼女を「自分」という範囲の内側に捉えている節がある。



●ウィカ(Wicäa)

連動:340

伝達:500

循環:420

固着:440

耐久:700

濾過:260

◆スキル1:「シャープシューティング・リーク」Sharpshooting Leak

・指し示す存在性質:「思慮深く立ち止まり、目的の一点を射貫く」

・Cランクスキル 自己対象・意識発動型。

・対象の弱点を見抜き、その一点を必ず射貫く強力な一撃を放つ。

 射出には「可視」「直線無障害」「残矢あり」などの通常射撃要件を満たす必要があり、

 長い時間を要するチャージ中はその場から動けない。

 なお、その間弱点の特定は実行中となるため、口頭で仲間に情報を伝達することは可能。


 卿太朗が流れ着いた先の集落に住んでいた「獣の民」の少女。双子の妹。物静かで大人しく、人との距離を置きがち。姉であるスィル以外にはあまり人間関係を広げようとはせず、常に一緒に行動しているが、同時に突っ走りがちな彼女のストッパーでもある。「獣の民」の中では珍しいほどに思慮深い性格であり、あらゆる面で姉やほかの同種族個体とは対照的な世界観と思想を持つことから、そもそもあまりコミュニケーションを好まない傾向にもある。

 姉と同じく狩人として生活し、弓を得物とする。姉ほど活発に動けるようなマナではないが、循環・固着・耐久能力に優れることとスキルがよく噛み合い、これを用いて獲物を分析する。たいていはウィカの指示に従ってスィルが相手を仕留めるような狩りをしているが、もしも対象が手ごわく援護が必要な場合はそのまま射撃に切り替えることができる。

 グウィディオンとは視点や話が合いやすく、心地よく感じているが、姉ほどの感情は抱いていない。逆に卿太朗の「■■■」によって存在が惹きつけられ、彼に食事を持っていくことを提案するなど非常によく気にかけている。それ自体を恋情といった形で名付けることは、未だできていない。


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