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2.「この地」

■「転生者」

ほかの世界からやってきた人物のこと。「この地」においてはその経緯や方法を問わず、このように呼ばれている。この概念が持ち込まれた時期は不明だが、少なくとも太古の昔から存在するものではない。彼らの知識や力が、近年の社会発展にはところどころで寄与している。

事例はそれほど多くないが、各転生者は不明な原因により高い能力を持っているため、場面によっては畏れられ、また別の場面では広く人々の信を得て頼られている。


 この水準の文明に、シャワーがあることに驚いた。

 壁から伸びた木の棒を引くと、天井の細かな穴から水が出る。固定式なうえ、冷水にしか対応していないことが難点だが、体を洗うのにはちょうどいい。体を拭いて服を着直し、窓を開けてみる。風が温く、おおよそ朝のような明るさだが、外の森は霧に覆われていた。

 椅子に腰かけ、部屋の中をぼーっと眺めていると、外の音が聞こえてくる。葉の摩擦する音、甲高い鳥の声、風が誰かの家に当たって、看板だろうか、何かが揺れて壁と打ち鳴らされる音であったり、早くから外に出ている人々の掛け声であったり。この森の暮らしが、どこか寂し気な室内に漏れて入ってくる。

 戸を三回、叩く音。椅子を離れて見に行くと、フードを被った二人。

「おはよー!ごはん持ってきたよ!」

「おはよう、転生者さん……」

 スィルとウィカが持つ編み籠の中には、青色の瓶とパン、それぞれ三本ずつが入っていた。


 テーブル上に置かれた編み籠と、それを囲って椅子を並べる。青い瓶の中身は、果実を水に浸して保存する間に滲み出したものらしく、リンゴのような甘みとともに、ミントのような清涼感がある。喉を通るときに少しだけしびれるような、酸味とも違う感覚を覚える。

「……パンは家で作ってる……おいしい?」

 自分もパンを食みながら、ウィカはうつむき気味に卿太朗を見ている。

「うん、おいしい」

 もう少し言葉を付け加えたかったが、それ以上は出てこなかった。それでも、彼女は嬉しそうに口角を上げた。森の中で会ったときに比べて、ふたりとも耳が垂れている。表情を見るに、それがリラックスしている状態を示しているのかもしれない。あの時、ぴょこぴょことせわしなく動いていたのは、きっと周囲の状況を確認していたからだ。

「お兄さんはどんなところから来たのー?」

 既にスィルからの呼び方が変わっている。距離の詰め方に若干たじろぎつつ、パンのかけらを飲み込んで答えた。

「うーん、あんまり特徴はない、かも。建物がたくさんあって、森は少なくて、それに――」

 脳裏をよぎる、故郷の光景。学校には夕刻が染みついて、家庭は無人。産業道路の騒音、通学路の植木鉢。そして、唯一あの日より前に更新が止まった、掲示板前の交差点。

「……うん、それくらいかな」

「ふむふむ、昔ここにいた人もおんなじようなこと言ってたよ~。ね、もうどれくらい前かな?」

「……たぶん、二人くらい、前」

 ウィカの答えは、沈んだ声と共に発される。卿太朗はその表情に違和感を覚え、念のため、スィルに問いかける。

「昔ここにいた、っていうのは、もう出て行っちゃったのかな」


「ううん、少ししたら死んじゃった」


 スィルの足が、テーブルの下でぶらつく。パンをかじり、大きな目で卿太朗を見つめる。

「――死ん、って」

「お姉ちゃん」

「あぁっ、ごめん……そうだね、気を付けないと」

 ばつの悪そうな顔をして、彼女はうつむいた。ウィカがこちらの顔色を窺っているのがわかる。息が詰まっているのを悟られないように、卿太朗は言葉を切り出した。

「……そ、それって、えっと」

「ごめんお兄さん、私たちそういうとこ、あんまり気にできなくって……」

 自分の目の前にいる存在が、少しだけ外見の異なる同類だと思い込んでいたことに、今更ながら気づかされた。ここは元の世界とは違う。姿だけではなく、常識も、環境も、ここは平和な故郷とは異なる。「この地」は、そんな風に軽く言及できるほど、死が近くにある場所なのだ。

「……大丈夫、ちょっと、この先が怖くなっただけで」

「あ、だ、大丈夫だよ!?この村にいればさ、とりあえずモンスターも入ってこないし、長老さんが“おまじない”かけてくれてるからね!」

「“おまじない”?」

「……外の悪いもの、村の中に入れないようにしてる……」

「へぇ、すごいね」

「長老さんすっごいんだから!キレイで、頭良くて、優しくて~」

 耳をぴん、と立てて、目を輝かせる彼女の隣で、妹は少々面倒臭そうに目をそらしている。卿太朗の手には、まだ三分の一ほどのパンが残っていた。




 彼女たちは、その後しばらくしてから帰っていった。本当はこちらの故郷についてもう少し聞きたかったようだが、それは明日に持ち越す、とのことだった。これから食べ物を集めに、森に入っていくようだ。

 村を見渡していると、そこかしこに人々の生活が垣間見える。水甕を持って歩く子供、その後ろをついて回る、もっと小さな子供。白い布を干している人。薪を割っている人。ある家の屋根には風車がガタガタと回っていて、それが庭につながっている。穀物、あるいは豆を挽いているようだが、あまりうまくいっているようには見えない。甲高い音が聞こえ始めた。近くの家屋で、金物を打っているらしい。

 どの家で働いている人も、皆頭の上に耳がある。ここにいるのは、いわゆる獣人とでも呼ぶべき種族だけなのかもしれない。しかし、思い返す限りでは、長老であるグウィディオンの頭には耳がなく、むしろ自分と同じように、顔の側面についていたと思う。

 そんな風に、卿太朗が与えられた家の窓辺で物思いにふけっていると、なんとなく、居心地が悪くなってきた。周りは皆ああやって働いているというのに、自分だけ何もしていないのはいかがなものか。

 卿太朗の頭に過ぎっていたのは、中学校の頃の苦い記憶。まごついていてはいけない、と、歩き出す。


 そうはいっても、誰に話しかけて何をしたらよいものか。右も左もわからない土地だ。

 とりあえず、見当たった畑に近づいてみると、一人の農夫が声をかけてきた。

「転生者さんかい?どうかしたか」

「あっ、いえ、なんだか何もしていないのが……抵抗があって……」

「そうかい!ちょっと水撒いて紛らわしとくか?」

 きょうの仕事は、存外すんなりと決まった。


 何かを溶かした水で満ちた甕を、木組みの台車に載せて、少し毛羽立ったロープで引く。およそ等間隔で生えている葉っぱに向けて、柄杓で水をかける。見た目通りの甕の重さにうめきながら、農夫と隣合って作業していく。時々車輪が何かに引っかかると、すかさず農夫が手を貸して、障害を脱した。彼はしきりに、卿太朗を「働き者」とほめたたえた。

 水が葉に砕ける音。仕事をしている、という感覚もかなり薄い。ゆっくりと進む作業の間、彼もまた、卿太朗の故郷について知りたがっていた。

「つまり、キョータローくんはいろんなことを知る仕事をしてたわけだな」

「あー、まぁそういうことになりますね」

「立派なことだよ、やっぱ働きもんじゃないか」

「いやぁ……」

「世界を知るのは本当に大事だよ。うちも長老が来る前は、そこらをうろつく動物と何ら変わらない暮らしをしてたもんだ」

「――そんなに、ですか」

「あぁ、俺たち『獣の民』は、そもそもそういう種族なんだよ」


 「獣の民」。森に棲む者たちのうち、獣の特質を得た種族。同じものを得られなかった者たちは、「森の民」として別の地域に住んでいて、昔からあまり仲は良くないらしい。一時期は「獣の民」も国を持っていたが、それもいつのまにかなくなっていたという。


「カウイー・レガリアの話か?」

 畑の柵に、枝を咥えた男がもたれかかっていた。卿太朗が何か返答するより早く、男は語り始めた。

「大昔、まだここが『森の民』の支配下にあったころの話だ。おれ達『獣の民』は、支配者であったあいつらとソリが合わなくって、しょっちゅういろんなことで争ってたんだ」

 咥えていた枝を指で弄びながら、彼は続ける。

「それで、争いながらも『獣の民』だけでなんとか辺境に逃げ出して、『カウイー・レガリア』って国を作ったんだな。でもまあうまくいかない。何せおれ達は野生児だ。もとより国なんかなくたってうまくやれる。そういう気分の奴らばっかりだったんだと」

「えぇー、それはどうだかなぁ……」

「そういうことにしとくのさ。続けるぞ」

 あまりの即答に、少しだけ頬が緩む。

「なんとかこの土地をよ、町でいっぱいの栄えた場所にしたかったんだと。でもおれ達は自分と仲間以外のために働きたくねぇし、うまくいかないのよこれが。それで民全体がゴタゴタしてたとき、事件があった」

「事件?」

「あぁ。王族がみんな一晩で殺されちまったんだよ」

「一晩で……?」

「怖いよな。『森の民』がやったのかもしれねぇし、勝手に死んだのかもしれねぇ。何にしろこれで国はおしまい、おれ達は住みやすい森の暮らしに逆戻りできたってわけさ」

 台車が畑の端についた。語り部も手を貸して、次の列に移し替える。

「さっき、『森の民』とは仲が良くないと言っていましたが、国がなくなっても大丈夫だったんでしょうか」

「あぁ、なんでも、反対側に住んでる『平原の民』ってのが、あっちを脅かしてくれたらしいな。『獣の民』に手を出したら、おれ達が黙ってないぞーってな具合に」

「いまはもう『平原の民』じゃない。『街の民』だよ爺さん」

 水を撒く農夫が口を挟むと、“爺さん”は少しムッとした顔をしつつ、枝を咥え直す。彼の後ろから子供たちが寄ってくると、二人ともにっこりと笑って手を振った。彼らも、転生者の身の上話をせびるのだった。

 “仕事”は、もとの世界でイメージされるものよりもずっと穏やかに進んでいった。


 水を撒き終えると、農夫と一緒に台車を家まで引いていき、それだけで仕事は終わった。

「すみません、結構時間かかっちゃって」

「いやいや、これで十分さ。きょうやると決めたのはこれだけだったからな」

「……あとは、どうするんですか?」

「あとは『世界樹』が寝るまで、パンを食べたり、外を眺めたりしてるんだ」

「『世界樹』?」

「あれのことさ」

 彼は空を指さした。きょうも太陽は見えていないが、昨日と同じように網状の模様が見えている。よく見れば、それはびっしりと空を覆う枝のように見えなくもない。

「『この地』は隅から隅まで、あれで蓋をされてるんだ。あれが光を落としてる間は、こっちも起きていられる。でも、光を吸い込み始めることもある。そうなったら、こっちは起きていられない。光を使って呼吸をしてるんだ。そして、光を吸ってる間、俺やみんなが一日何をしていたのか、『世界樹』はそれを読み取っていくんだな」

 昨夜のことが思い出される。いつのまにか朝が来ていたと思ったが、それは情報量の多い日中がもたらした気絶ではなく、この世界における自然の摂理だったようだ。まさしく、朝日と共に目覚め、夕暮れと共に眠る生活をしているようだ。


 疲れたから寝る、と言って家に帰っていった農夫を見送る卿太朗。この村が、あるいは「獣の民」がそうなのか、彼らの労働時間は短い。なんとなくそのように察していても、自由にしている時間もまた落ち着かない。何か他の場所に、と思って振り返ると、こちらに歩いてくるグウィディオンの姿が目に入った。


 石で舗装された道を歩きながら、ゆっくりと歩く。

「もう、彼らとお話されていたのですね」

「はい。なんというか、何もしていないのはなんだかむず痒くて」

 他愛ない会話の間も、彼の頭の上が気になって仕方ない。彼の方が長身のため直接は確認できないが、彼らと同じ位置には耳がないように思える。

「あの……長老さんは」

 すんなりと声に出てしまった疑問を、いったん引っ込めようとする。

「種族が違うのではないか、ということですか?」

「え、は、はい」

「ええ、私は『獣の民』ではありません」

 あっさりと、グウィディオンは明かしてくれた。

「私は彼らにとっての外部者なのです。ただ、この地域で何人かの仲間と共に暮らしていたところ、いつの間にか彼らも加わっていた、という経緯です」

「へぇ……」


 聡明で穏やかな村長がいる集落、ともなれば、自然と周囲から住民が集まってくる。そういうものなのだと解釈しつつ、自分も不思議と、その存在に安心感を覚えていたことも自覚する。彼と並び立っていると、自然と視線が彼に向く。道行く人々も、すれ違うたびにひとこと、ふたこと、彼に話しかける。カリスマというものなのだろうか。


「よろしければ、少しだけ。『この地』についてお話しましょうか?」

 卿太朗は彼の提案を受けた。


 昨日と同じ、紅茶のような飲み物。今日のものは少し酸味が強めで爽やかな味わいだ。

 グウィディオンはソファの隣に置かれたラックから、一冊の本を取り出し、開いて見せる。かなり装飾された、古い地図が掲載されているようだった。

「あなたが落ちてきたこの世界には、名前がありません。私たちは、慣例的に『この地』と呼んでいます。この地図に描かれた大陸以外には土地がなく、すべての民がここに暮らしています」

 奇妙な地形だ、というのが、最初に得た感想だった。大陸の外周には低い土地があり、山や丘、森、川といったものが描かれているが、中央にはただ鬱蒼と森だけが描かれた地域がある。この地域は崖と滝によって外縁部と区切られており、その中心には、特別大きく描かれた樹木が存在している。

「『この地』は、一般に民が暮らす外側の低地ローランド、そして中央を占める高原ハイランドから成っていて、すべての中心に『世界樹』があります」

「さっき、あの枝が“呼吸している”と聞きました」

「はい、その通りです。『世界樹』はすべての基本となる生命なので、生きとし生けるものはすべて、あの樹と同じサイクルで生活しています」

 ページをめくると、そこには「世界樹」の絵が一面に描かれている。樹の根元から空を見上げた図のようだ。ごつごつとした樹皮に、ところどころ直線の光が露出している。それは樹というより断崖のような険しさで、人が登るためなのか、簡易的な足場が付けられている。その先には、まさしく空を覆う枝の群。地上から見えるものよりも誇張して描かれているのか、その枝の一本一本がはっきりと、無数に分岐して層をなしていることが見て取れる。

「それぞれの枝は、『この地』に住む生命のひとつひとつに対応しています。地上で生きた者たちの記憶や、認識、性質――あらゆる情報を、あの樹は食べているのです」

「……なんだか、怖いですね」

「樹は、意思を持ちません。この世界を運営するシステムなのです。情報を食べ、現実を蓄積して、それを元にして未来を生成する。『この地』はそのようにして、現在よりも先の存在を確保しているのです」


 情報統制、監視社会、システム化されたディストピア、などといった失礼な認識が卿太朗の脳裏に湧いて出る。どうしてもそういったところには警戒心を抱かずにはいられないが、ここに居座る以上は、自分も否応なくそういった構造の中に取り込まれているのだろう。昨晩見聞きしたことも、既に自分の情報として、「世界樹」にアップロードされているに違いない。

「『世界樹』は、私たちの要請に応じて力を貸してくれることもあります。その方法についても追々説明したいところなのですが……とりあえず、いま着けている宝石に結果を教えてもらわない限りは、話を進めるわけにはいきません」

 胸にかかったペンダントを手に載せる。昨日より、少し色が鮮やかになってきているような気がする。


「『この地』には、現在五つの種族が暮らしています」


 南部の平原に暮らし、農耕を中心とした社会を形成する「街の民」。

 南西部の森に暮らし、獣の特性を取り入れることに成功した「獣の民」。

 西部の森に暮らし、屈強な体と強いリーダーを持つ「森の民」。

 北部の山地に暮らし、学術と発明を尊ぶ「山の民」。

 そして、東部に暮らす謎の種族、言葉なき「黄昏の民」。


 それぞれが一つの領域にまとまって暮らし、概ね国を運営している。それぞれ仲が良いとは言い難い状況だが、現在は大きな戦争もなく、国際秩序は保たれているようだ。


「……『黄昏の民』だけ、なんだか特別ですね」

「彼らは、厳密には他の種族と異なる生命体ですが、それでも知性体の一員として、『この地』では扱われています」

「……」

 聞きたい。グウィディオンが「獣の民」でないならば、一体どの種族なのか。そんな疑問を腹に抱えながらも、進む解説に押し流され、その日はついに切り出すタイミングを失った。


 その後は興味の赴くまま、「この地」について聞き漁っていくうちに、窓の外が少し暗くなってきた。このままここで気絶するわけにもいかなかったので、卿太朗は大人しく家に戻る。その日できたことは、それまでだった。




 卿太朗が「この地」に落ちてきてから、3日目の朝。

 冷水のシャワーを浴びると、だいたいその少し後になって、スィルとウィカがやってくる。スィルは「これからも毎朝来る」と言っていた。体格も小さいからか、また彼女たちからの呼び名が影響してか、近所の子供たちを見ているようだった。

 この日は、彼女たちが森の様子を教えてくれるらしかった。昨日、昼間暇そうにしていたのを聞きつけて、スィルが思いついたそうだ。




 森に足を踏み入れ、村から少しずつ離れていくと、なんとなく、初日のことを思い出して身震いがする。あの狼のような生物の姿や、息遣い。それがすぐ横の茂みなんかから飛び出てくるのではないかと、恐ろしい。

「お兄さんは、この世界のことどれくらい知ってるの?」

「うーん、まだほとんど知らないかな。種族とか、『世界樹』のこととか、それくらい」

「……あのペンダントつけてる。まだ中身もわかってないはず」

「あ!ほんとだ」

 二人が卿太朗の前に立ち、見上げるように胸元のペンダントを見つめている。なんだか気恥ずかしいような気持ちになりつつ、様子をうかがっていると、どこかから慌ただしい物音が聞こえてきた。


 木々の隙間から、小さな鳥たちが一斉に羽ばたくのが見える。ペンダントを注視していた二人も、即座に武器に手をかける。

「大丈夫!このあたりならまだ、私たちでなんとかなるから!」

「……私より後ろにいて」

「わ、わかった!」




 ――少しずつ後退する三人を追うように、森の奥に現れた「それ」は走る。まっすぐに、この森林のあらゆる匂いよりも強い気配を辿って、三人分のマナを追ってくるのだ。小さな種、小さな種、それと、この地では珍しい混沌の種。彼らのマナがかすかに回るのを感じ取り、「それ」はついに、姿を現した。


 巨大な甲羅。卿太朗たちの目前に出現したのは、鈍色につやめく甲羅だ。屈強な六つの脚が大地を掴み、潰し、土埃を散らして停止する。獣の子らが武器を構える後ろで、異世界人はただ恐れ戦くことしかできない。手足が震える。あの狼とは比較にならないほどの質量。それに対する根源的な恐怖を感じ取った卿太朗の隣で、ウィカは矢をつがえる。

 見れば、“カメ”は甲羅表面に張り巡らされた脈のようなものに赤い光を湛えて、木々を揺さぶるほどの咆哮を放つ。皮膚表面に降り注ぐ明らかな空気感の変化、例えるならば、炎の前に立たされたかのようなひりつく痛みだ。同時に、彼の目にも奇妙なものが映っていた。

 “カメ”の頭部に、何か文字のようなものが浮かんでみえる。同時に、視界の端に展開した平面図形の上に、いくつかの数値が展開されていく。コンピュータ画面上に出現するメッセージウィンドウのようなもの。それが何を表しているのかも理解が追い付かないまま、臨戦態勢の二人と共に対峙する。

「“ヘキサトル”!どうしてモンスターがここに!?」

「戦うしかない……!」


 スィルとウィカが武器を構え、声を揃えて声を上げる。

性能開示ステータス・オープン!」


 頭上を渡り、猛スピードで光の粒が降る。二人の身体に染み入るように降着すると、あの怪物――ヘキサトルと同じように、彼女たちからも火のような放射を感じた。同時に、さきほど網膜に投影されたものと似た、小さな半透明のウィンドウが、二人分出現する。


 NAME:Suyr

 ・L: 410

 ・T:680

 ・CC:290

 ・FS:300

 ・D:330

 ・FE:180

 ・SKILL_1:[C]Feathering Step

 

 NAME:Wicäa

 ・L: 340

 ・T:500

 ・CC:420

 ・FS:440

 ・D:700

 ・FE:260

 ・SKILL_1:[C]Sharpshooting Leak


 同じものだ。彼女たちにも何らかの数値が割り当てられていて、特定の条件を満たすとこのように情報が表示される。それが何かを確認する間もなく、両者は開戦した。




 スィルが地を蹴ったと同時に、ウィカは弦を引いてヘキサトルを見つめる。数秒の静止ののち、ちょうど姉の足がヘキサトルの甲羅を捉える頃に、彼女は最初の矢を放つ。

 スィルが敵の視界から消えた直後、矢は甲羅と脚の間際に突き刺さる。淡く青い光を湛えた矢じりはしっかりと関節部の肉を裂き、前左足の自由を奪う。

「弱点は脚の付け根、まずは抑止を狙って!」

「りょーかいウィカちゃん!!」

 歩行のバランスを欠いた巨体は、長い尾を現して背面の少女を狙うが、彼女は軽やかに中空へ逃れる。枝を掴み、ふわりと上下を反転した彼女の身は、文字通り“空を蹴って”地表へ殺到した。彼女の足元で、青い光が幾何学模様を成している。

 瞬く間に巨体の下へ潜り込み、右側三本の足を切り裂いた短刀は、ついでとばかりに尾の付け根を切り裂く。迸る血に激昂する怪物の呻きを待たず、もう一本の矢が喉元を貫いた。

 驚くほどに圧倒的な、示し合わせたかのように鮮やかな攻撃。それは怪物と人間の戦闘とは到底呼べない、もはや狩人と獲物の日常関係でしかない。二人の猛攻によって地に伏したヘキサトルは、わずかに開いた口元から赤い光を洩らしている。

「キョータロー、こっち!」

 ウィカに腕を引かれ、木陰に倒れる。直後、爆発のような轟音が耳を劈いた。しばらく彼女と共に地面で耐え、再び起き上がって態勢を整える。

「大丈夫?」

「あぁ……うん……平気」

「……ブレス攻撃が強力。離れても危ない」

 樹の向こうを見ると、敵は赤熱した体の線からうっすらと湯気を立ち昇らせている。放熱しているようだ。様子を見る限りでは、連発はできそうにない。その向こうでは、振り回される尾と空中で格闘するスィルの姿が見える。やはり見間違いではなく、彼女は空中を蹴って跳躍しているようだ。

 ウィカも次の矢を番える。矢筒の中身は、あと三本。

 番えた矢を、最初の一矢よりも強い青色に光らせて。

丁寧に。形をなぞるように。

 息が、止まる。


 スィルが尾の追撃を避け、敵の背後に回り込むと、ヘキサトルも動く二本の脚で体を回転させる。赤熱の光が甲羅から溢れ出す最中、青い矢は一直線に、不安定に動く敵の側頭部を穿つ。


 数秒の硬直ののち、暴発するように口からブレスを吐いたヘキサトルは、それきり動かなくなった。着地したスィルがすたすたと近寄り、首元を切りつける。流れ出る血を見つめた後で、にっこりと笑って駆け戻る。

「仕留めた!あせった~!」

「……でも、どうしてここに……?」

 二人の姿からは、もう先ほどのようなひりひりとした空気は感じられない。

「あ、お兄さん!途中こっちに攻撃向いちゃってごめんね、大丈夫だった?」

「うん、ウィカちゃんが守ってくれて……」

「おぉ~さっすがウィカちゃんやる~!」

 脇腹をぐしぐしと突かれる彼女は、どこか恥ずかしそうな表情をしていた。




 帰路。

「思わぬ収獲だったね~」

「ヘキサトルの甲羅片は貴重……すんなり倒せたのは疑問だけど、よかった」

 上機嫌に歩く姉と、どこか引っかかったような様子で歩く妹。まだあの戦いについて何も理解できていない卿太朗は、頭の中で言葉を揃えつつ、質問を切り出す。

「さっき、みんなに見えてたやつ……えっと、なんだっけ」

「……たぶん、ステータスのこと。まだ教わってない」

 戦闘開始前に彼女らが口にした言葉。まるでコンピュータかゲームの世界だ、と思っていたが、それが実際に戦闘にあたって何らかの強化作用をもたらしていたことは事実だろう。


 二人が語るには、この世界に生きる「ヒト」と、そのほか限られた種の生物には、遍く実装されているものであるらしい。体内を回る生命の源にしてエネルギーである“マナ”が、どのような姿をしているかを象っているという。そして、そのようなステータスの値に押し入れることのできないマナの特異な性質が、「スキル」として発現する。

「私は空中ジャンプができる『フェザリング・ステップ』。ウィカちゃんは狙った相手の弱点がわかって、それを絶対に射貫ける『シャープシューティング・リーク』。いまお兄さんがつけてるクリスタルは、たしかそういうのを見るためのものだったと思うな」

「なるほど……」

「お兄さんのスキル、たのしみだね!どんなのが出るかな~」

 スキルは個々人の性質から発現する、といっても、いまのところ卿太朗に心当たりはない。何か才能や思想といったところが関係するのだろうか。スィルはいつも飛び回っているような子だから、空中ジャンプ――というより、空中を蹴って機動する能力――というのは納得がいく。ウィカは大人しく、どちらかといえばじっくりとものを考える子に見えるから、慎重に敵の弱点を見抜いて一撃を浴びせる、というのは理解できる。

 もとの世界のことを思い出しているうちに、彼らは集落に戻っていた。






宵が近づく森に、ヘキサトルの死体。

 首元についた死亡確認の傷を見つめ、指でなぞる人影。

 “冷やした”モンスターを放つ方法は、人探しにはあまり向かない暇つぶしだと思ったが、意外にも成果を上げてくれたようだ。彼は周囲を見渡す。この近くには、まだ発見していない集落がある。

 しかも先ほど感じ取ったこの土地の不審点。小賢しい結界など用意して、きっと何者かから身を隠そうとしているに違いない。それが何から逃れているものであろうと構わない。仕事の合間だが、自由は保障されている。


「張るか……」


 数日ぶりの獲物になるかもしれない。



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