幕間
西暦2051年 3月29日 0時30分 東京都千代田区
京子が国軍中央病院に搬送されて治療を受けている頃、首相官邸から複数の高級車が市ヶ谷に向かって出発した。
車中で疲労感を滲ませているのは国防大臣「大熊 利光」(おおくま としみつ)、齢は今年で58を迎える。
先ほどまで東扇島の人型兵器出現による対応で首相官邸に詰めており、総理及び官房長官の記者会見を見届けてから国防省に戻るところだ。
これから幕僚、官僚交えての会議と早朝の記者会見が待っていると思うと大熊はため息をついた。
「幸せが逃げていきますよ」
笑顔で話しかけてきたのは大臣秘書「立花 綾太」(たちばな りょうた)、オペレーター立花 綾子の3歳違いの弟である。
「そんなものは昨日の夜に雲散しとるよ」
不機嫌に答える大臣に秘書は苦笑いし、慰めの言葉をかける。
「しかし貴方の要求通りに事が運んで良かったではないですか。
物流倉庫の破壊は限定的であり、軍の総攻撃も阻止できました。
これで経団連から小言を言われずに済みますよ」
立花の言う通り理想的な結果に終わったのだが、大熊の表情はそれでも浮かない。
絞りだすように秘書に胸の内を明かした。
「私は彼女が失敗するようあえて無茶な命令を出した。
そうなれば軍の魔導使いに対する依存や神格化を削げると思ったのだ」
糸目の秘書は一瞬目を見開いたが、軍に懐疑的な大熊ならあり得ると思い、他にも理由があるのかと尋ねた。
「君、国の命運を一人の少女に委ねることは正しいと思うか?
それは我々大人が負うべき責任であって、子供に背負わせるものじゃない。
だが軍は私の感情的な意見には耳を貸さないだろう。
だから手痛い失敗をさせてでも過剰な期待を止めさせたかった」
大熊の表情は子を思う親の顔になっており、どちらが本音なのかは明らかだったが、立花は姉には黙っておこうと思った。
たとえ遠回しの気遣いであっても、結果的に魔導使いは重傷を負ったのだ。
大熊とは違い、打算なく少女を案じている綾子が聞けば激怒することは間違いない。
秘書はこれ以上大臣が余計な発言をしないように話題を変えることにした。
「そういえば、御息女が高等学校に入学されるようですね。
あの名門学校とは流石です」
帝都女学院は古くからの名門高校であるが、軍の影響力が強く警護体制も厳重である。
よって高い地位や資産を持つ親の多くは、安全と人脈を求めて娘をこの学校に入れようとする。
大熊は満更でもない表情をしたが、何かを思い出し即座に真顔となった。
「同じクラスに件の魔導使いがいるのは私に対する嫌がらせかね?」
どうやら今年は軍の意向が強く反映されているようだが、立花は客観的な意見で返答する。
「逆ですよ、軍の誇る最高戦力を身近に配置したのです。
彼らからすれば恩を着せたと考えているでしょう。
それに魔導使いの正体は国家機密です。
本人から正体を明かすことはありませんよ」
立花の姉曰く、少女は怜悧で命令に忠実であると弟 綾太は大臣に伝えるが、大熊の懸念はそれだけはないようだ。
「坂東の孫も同じクラスなのだ」
大熊の言う坂東とは国内一、世界上位の医療機器メーカー『バンドウ・メディカルケア』の会長、「坂東 平八郎」(ばんどう へいはちろう)を指し、政財界に太いパイプを持つ。
さらにバンドウは魔導使いに対する特殊な治療において秘密裏に関わっている。
「あの爺さんは魔導使いの正体を知っているし、既に孫にも教えているかもしれん。
もし私の娘にそれが伝われば、終わりだよ・・・・親子仲が」
最後の言葉で秘書は上司に聞こえないように親馬鹿とつぶやいてしまった。
国内で魔導使いを信奉するのは軍だけではなく、メディアで活躍は限定的だが報じられており、市民の中にも熱烈な支持者が多数いる。
大熊の娘もその1人であり、魔導使いを酷使していると報じられる父に反発している。
「この国にはサブカルチャーが浸透しているので、一部では魔法少女ならぬ魔導少女と呼んでいるとか。
なるほど、御息女もファンの1人でしたか。
クラスメイトが憧れの魔導使いでかつ、父が黙っていたと分かれば・・・週刊誌のいいネタですね」
額に手を当てながら同意する大臣に秘書も運転手も苦笑いを浮かべた。
車両は国防省のゲートを抜けて中央庁舎に向かっていく。
勝土騎京子の知らない所で今日も1人の父親が苦悩していた。