第3話
氷塊に叩きつけられ昏倒している間、京子の魂は闇の中で浮かんでいた。
ここがどこなのか、自分が何者かも思い出せない。
だが1つだけ分かることがあった。
(以前にも来たことがある・・・)
死の淵に立つ度に京子は同じ事象に遭遇するのだ。
彼女が認識した瞬間、空間が変化して数多の星々や銀河を映し出す。
まるで宇宙に漂っているかのようであり、同時に神羅万象の叡智が魂に流れ込むのだ。
(そうか・・・そういうことだったのか)
目覚めた時にその記憶は失われている。
だが魂には確かに刻まれていた。
現実世界では京子の意識が途切れた直後に体内のナノマシンが止血と痛覚遮断を同時に開始、大量の脳内物質を生成して彼女を数秒で目覚めさせた。
(――――尉! ――――少尉! しっかりしてください!!)
体内通信で立花が何度も呼びかけているのが聞こえる。
京子が呼びかけに答えた。
(すみません、少し意識を失っていたようです)
安堵の吐息をついた立花は冷静さを取り戻し、任務の続行が可能か尋ねた。
(問題ありません、作戦を第二フェーズに移行、上手く演じてあげますよ)
ソフィアはバイクに跨ろうとした瞬間、背後に気配を感じて振り向いた。
先ほどまで倒れ伏していた京子が音もなく立ち上がったのだ。
(瀕死の重傷を負ったはずなのに立ち上がっただと!?)
不気味さを感じていたソフィアだったが、京子の眼を見た瞬間、それは恐怖に変わった。
(うぅ・・・私が恐れているだと!?)
ガラスのような無機質な瞳から発せられる圧倒的な殺意。
シミュレーションや模擬戦では経験しない極限の感情が合衆国の少女を震えあがらせる。
そして京子が宣言した。
「もう逃がさない」
ソフィアが言葉の意味を考える前に砲撃音が響き、目の前のバイクを何かが貫いた。
慌てて後退して周囲を見回すと対岸が一瞬光り、遅れて砲撃音が轟く。
次の瞬間、徹甲弾がバイクに直撃し、車体は悲鳴のような電子音と火花を散らしながら爆発炎上した。
合衆国の魔導使いは超長距離射撃の標的になっていることを悟り、焦りを募らせる。
「開放」
京子が呟くと、見渡す限り全ての倉庫のシャッターが上昇する。
「何をするつもりだ!?」
敵に情報を渡さない為、戦闘中は沈黙を保てとソフィアは教えられた。
だが焦燥と恐怖がその教えを塗り潰し、安易な攻撃に走らせる。
「Hail Launcher!!」(放たれる雹弾)
左のガントレットから氷弾を後先考えずに連射した。
彼女の魔力量は魔導使いの中では上位に位置するが、氷弾の連射は少なくない魔力を消費するので多用を禁じられていた。
「ハァ・・・ハァ・・・」
急速に魔力を消費したことで疲労感を滲ませるソフィア。
だが冷気による白煙が晴れた先には2mを超える巨石が全てを防いでいた。
(こんなものをどこから・・・まさか!)
倉庫の一部から宙に浮かんだ巨石が次々と姿を現し、上空で旋回を始める。
「投射」
京子が振り下ろした腕に従って、1トンを超える質量が敵に目掛けて急降下する。
いくら魔導使いの生命力が並外れているとはいえ、直撃すれば致命傷になりかねない。
「クソッ!」
背後、左右に落下した巨石が地面を穿つ。
ソフィアは逃げながらも反撃の機会を伺った。
巨石の落下地点を予測し、京子に接近して渾身の氷刃を叩きこむ為に。
そうするしかないと誘導されているとも知らずに。
(・・・・見えた!)
希望の道筋を確信したソフィアは両足に力を込めて一気に接近する。
そして持てる大半の魔力をつぎ込んで巨大な刀身を生み出した。
「Glacier Blade!!」(氷河の刃)
横一閃に振り抜かれた氷刃は立ちはだかる巨石ごと京子を斬り裂いた。
石と肉体がずれて大地に転がる。
だがその肉体は砂に変化して崩れ去った。
ソフィアは京子が巨石の陰に隠れていたと思い込んでいたが、実際は寸分違わない身代わりを形成して、その場を離れていたのだ。
「馬鹿な!?」
多数の巨石を操作しながら、動く身代わりの形成という高度な魔力操作に米国の魔導使いは戦慄を覚えた。
ここに来て彼女は相手が格上の存在であると認識したが、もはや全てが手遅れだった。
背後からソフィアの肩に手が乗せられる。
条件反射で振り返ると同時に京子のあるはずのない左腕が顔面にめり込んでいた。
「ぶっ!ヘァ!?」
鼻血を吹き出しながらたたらを踏む合衆国の少女に京子は追撃の回し蹴りを放つ。
紙一重で躱したとソフィアは思った。
だがその瞬間、後頭部に衝撃が走る。
背後に現れた砂の分身にハイキックを打ち込まれていたのだ。
そして前かがみになったところで京子は黒色の左腕でソフィアの顎に強烈なアッパーカットを放つ。
3mの高さの放物線を描いて魔導使いが飛ぶ。
地面に叩きつけられる前に意識を取り戻したソフィアは体を捻って辛くも4つ足で着地した。
「ゲハァ!!」
口から砕けた歯の欠片が血と共に吐き出される。
その様を京子は冷徹な眼で眺めていた。
立花が彼女に声を掛ける。
(少尉、その腕は・・・砂鉄ですか?)
立花の疑問に京子は漆黒の左腕を粒子に分解、再構築して答えた。
「どうやら能力の幅が広がったようです」
京子は無防備にも敵に近づいていく。
それを狙ってソフィアは氷刃を形成して斬りかかったが、その刀身は短く、厚みも無かった。
大ぶりな攻撃を避けるのは容易いことだったが、京子は敢えて左腕で受ける。
甲高い音が響き、刀身が根元から折れた。
少女は右のガントレットを震えながら見つめる。
そして闘う手段を失ったと理解した。
「うわああああああ!!」
ソフィアの心は折れ、京子に背を向けて一目散に逃げだした。
(海だ! 海中なら奴も追ってこられない! その後にCIAに回収してもらおう!)
最後の望みをかけて全力で逃走する。
その時、足首を粘性のある液体が包んだ。
足を取られそうになるが、構わず海に向かって走る。
「硬化」
京子が呟くと、ソフィアの足が何かに引っ張られたかのように止まった。
微動だにしないのだ。
少女は恐る恐る下半身に目を向ける。
足首から下が硬化したコンクリートに埋まっていた。
倉庫に集められたトラックミキサ10台が立花の遠隔操作で稼働し、京子の力で一面を覆い尽くしたのだ。
「抜けろ抜けろ抜けろ抜けろ抜けろおおおおお!!」
魔力は枯渇、力任せに引き抜くこともできず、ソフィアは恐慌状態に陥った。
「砲撃」
京子の命令で轟音が響き、榴弾がソフィアの足元で炸裂した。
(い・・今だ!)
爆発でコンクリートが砕け、自由になった彼女は走りだろうとするが、
2歩目でバランスを崩し、転倒してしまった。
違和感の正体を確かめる為、再び下半身に目を向ける。
左足首から先が消失していた。
「あぐぁああああ!! あ、足がああああああ!!」
ショック、出血、痛みが同時にソフィアを襲い、彼女は断面を押さえて転げまわった。
ナノマシンによって止血と痛覚遮断が徐々に機能を始めるが、欠損の経験がない彼女にそんなことを考える余裕はない。
涙と鼻水にまみれて悶えていると、京子が目の前で彼女を見下ろしていた。
「ひっ!」
無感情の瞳に見つめられてソフィアの恐怖は頂点に達した。
股間を中心に水面が広がるが、もはや羞恥心の欠片も湧かない。
「わ、悪かった! 私の負けだ! だから助けてくれ!」
恥やプライド、全てをかなぐり捨てて命乞いをしようとするが、京子が手を向けて制した。
「お前から見れば単なる腕試しのつもりだったのかもしれない。
だが、我々にとってこれは戦争を仕掛けられたと同義だ。
だから敵は殲滅する」
紛れもない死刑宣告だった。
それでもソフィアは足掻き続ける。
「わ、私はアメリカ合衆国の魔導使いだぞ!
そ、その私を殺せばどうなるか分かっているのか!?」
「お前は国連に登録されていない魔導使いだ。
世界が認めていない奴がどう喚こうがそれは全て“自称”に過ぎない。
よって名無しのお前が死んだところで何の問題もない」
揺らがぬ殺意に“自称”合衆国の魔導使いは絶望した。
京子が手をかざすと倉庫から大量の砂が流れ出て、ソフィアの首から下を完全に埋めてしまった。
「圧壊」
京子が開いた手をゆっくり閉めると同時に、砂が中心のソフィアを押し潰そうと移動を始めた。
全身が圧迫され、体の軋む音が聞こえる。
「ま、待って! 許して! 助けて!」
「待たない。 許さない。 助けない。 無価値なお前は独りここで死ね」
存在の全否定と避けられない死は少女の心を崩壊に導くに十分だった。
「うわぁぁぁ・・・ぁあぁあぁああああああああああ!!」
発狂の叫びが静寂の空間に響き渡った。
「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」
頭を垂れて虚ろな目をしたソフィアは許しを請い続けるだけの存在となった。
「作戦完了、対象の無力化を確認しました」
ソフィアが脅威ではないと判断した京子は砂の拘束を解き、立花に宣言する。
「お疲れ様です少尉、素晴らしい演技でした」
労いの言葉に京子は困惑した表情を作る。
「はい、しかし作戦とはいえあまり気分が良いものではありませんね」
今回の作戦は敵に優勢であると錯覚させて魔力切れを誘発、反撃手段を封じた後に過大な精神的苦痛を与えて無力化するというものだった。
始めから互いが全力で闘えば完全な殺し合いになり、京子の生死も危ぶまれる。
対象が秘匿されていた故に実戦経験が乏しいという弱点を突いたのだ。
当然京子も無傷では済まないが、敵に本気を出させず、両者が確実に生存する為には必要な犠牲であった。
尤も、これには合衆国との交渉材料として“必ず生け捕りにせよ”という総理の意向も含まれていた。
官邸の方針を軍令部に伝えに来た大熊国防大臣はいつも通り軍人達に白い目で見られた。
(こいつ、また無茶な命令を持ってきやがった)
そんな雰囲気で場は包まれたが、実際無茶を指示したのは総理であり、大熊はただの被害者である。
だが、事情を知る幕僚長を除く軍人達は大熊が総理と共謀していると考えているので皆嫌っている。
強力な魔導使いの生け捕りがどれほど困難か力説する司令官に対し、大熊は予め考えていた妥協案を提示し、“必ず”を“可能ならば”に格下げして命令を呑ませた。
そして軍は埠頭を一夜限り接収し、京子が能力を十全に発揮できるよう倉庫に大量の資材を持ち込んだ。
以上の経緯があって京子や立花には『敵魔導使いを可能ならば生きたまま捕獲し、不可ならば排除しても構わない』という命令が下されたのだ。
余談だが、医療技術が飛躍的に向上した現代では精神的治療も例に漏れず、時間をかければ崩壊した精神を蘇らせることもできる。
沿岸特有の強風がソフィアの呟きをかき消し、京子は仰向けに倒れて夜空を見上げる。
「悪役を演じるのは新鮮ですが疲れますね・・・・」
疲労が限界に達したのか、立花の返答を待たずに少女は眠りにつく。
VTOLが着陸し、大薙たちが駆け寄って来る足音が聞こえた。
このお話が少しでもお気に召しましたら、本編の下の方にある
☆☆☆☆☆から評価を入れてくださると嬉しくてモチベーションが上がります。
ブックマークも是非よろしくお願いします。