第2話
西暦2051年 3月28日 19時20分 東京都港区
「少尉殿、これより緊急走路空間に進入します。
加速リミッターを解除しますので、強風に備えてください」
AIの警告に従い、京子は意識を集中させ、魔力を全身に循環させる。
一瞬、虹色の衣が彼女を包み込み、薄い防御膜を形成した。
これにより、強風下の体温低下を防ぐことができるのだ。
韋駄天の進路上の地面がスライドし、地下に続く斜路が地面から出現する。
車体が下りきるとそこは巨大なトンネルであった。
「リミッター解除、最大速度で現場へ急行します」
韋駄天が雄叫びの如く排気音を轟かせた。
直後、体が後ろに引っ張られるほどの重力を感じ、車体は急加速した。
速度計は数秒で時速100キロを超え、等間隔で設置された照明は帯状に見えるほどだが、それでも加速は止まらない。
わずか30秒で500キロに到達し、速度計は安定した。
大戦終結後、有事の際に迅速な輸送を行う為、全国の地下に長大なトンネルが張り巡らされた。
これらは緊急走路空間と呼称され、通常は軍か警察の許可がないと使用できないが、韋駄天は独自の権限を持つので、即座に走行が可能となるのだ。
強行偵察用特殊車両として生まれたこの車体は、AIの高度な演算機能により安定した超高速自動走行を可能にしており、その性能は他の追随を許さない。
ヘルメットのシールドに立体映像が表示され、立花がブリーフィングを開始する。
「対象は19時10分、川崎の東扇島東公園に海中から上陸、物流倉庫地帯を破壊しながら西に移動中です」
ドローンにより撮影された映像が表示されたが、京子は困惑した表情で立花に尋ねる。
「これは・・・怪人ですか? 怪獣ですか?」
その問いに立花は珍しく歯切れが悪い返答を返した。
画面には全身鎧の巨人が両刃の大剣を振り回している様子が映されている。
「・・・不明です。
我々の知る怪人は大きくて3メートル程ですが、対象は15メートル。
怪獣ならあり得る大きさですが、無秩序な破壊を行うそれとは違い、建造物を狙って攻撃しています」
次に映された映像は逃げ惑う人々には目もくれずに倉庫を切り裂く巨人の姿だった。
「確かに敵は人的被害よりも経済的打撃を優先しているように見えます。
しかし鎧の中身が生物もしくは機械であろうとも、艦砲射撃や巡行ミサイルですぐに対処できるのでは?」
瞬間的な火力なら現代兵器の方が京子の能力よりも上である。
ある程度の経済的損失を覚悟するなら艦隊や戦闘機による集中砲火で事足りるはずだ。
にもかかわらず、彼女に要請が来たのはそれ以上の理由があるからだ。
立花は東扇島全体の地図を表示し、その作戦が現実的でないことを示した。
「物流倉庫を抜けた先は石油コンビナート、火力発電所、LNG基地と火器使用禁止区域が広がっています。
もし1発でも誤爆すれば連鎖的な誘爆が始まり、壊滅的な被害となるでしょう」
中継映像では数機の戦闘ヘリが機銃のみで攻撃を行っているが、巨人は意に介さず大剣を振るっていた。
「了解しました。
私の任務は敵が禁止区域に到達するまでに排除することですか?」
立花の苦しい表情を察するに、京子の認識は間違っているようだ。
「国防大臣からは“物流倉庫の破壊を最小限に抑えつつ、対象を排除せよ“という指示を受けました」
この非常識な命令に京子は乾いた笑みを浮かべた。
火力支援がない状況で未知の敵と単独で対峙し、倉庫を守りながら倒せと言われているのだ。
「無理難題を吹っ掛けられているのか、絶大な信頼を寄せられているのか、どっちだと思います?」
にべもなく前者だと答えた立花の顔には、命じた男に対する嫌悪感があらわになったが、すぐに事務的な口調に戻った。
「しかしながら、司令部は“施設の破壊は考慮せず、対象を足止めせよ”と命令を下しました。
既に陸海空の統合作戦が立案され、部隊を展開中です。
彼らは倉庫よりも貴女の損失を恐れたようですね」
軍が京子を重視する理由は、彼女が国防計画の一端に組み込まれているからだ。
魔導使いの戦争利用は国際条例で禁じられているが、法の抜け道など探せばいくらでも見つかるものだ。
例えば“たまたま”ミサイルの着弾地点に魔導使いがいて、人命保護の為に能力を行使した場合、これを違法だと断じることは基本的人権の軽視だと捉えかねられない。
よって侵略の『矛』ではなく、国土防衛であれば魔導使いは強力な『盾』として運用できるのだ。
「軍の攻撃態勢が整うまでどれくらいかかりますか?」
約30分だと立花が答えると、京子の口角がわずかに上がった。
「まさかとは思いますが、時間内に倒そうと思っていませんか?」
京子の変化を察知した彼女が釘を刺そうとするが、本人は涼やかな声で返した。
「終わってみれば分かることですよ。
そんなことよりお願いがあるのですが・・・」
これより大事なことが他にあるのかと思いながら、立花は続きを促した。
「埠頭に置いてきた私のバイク、駐禁取られないようにしてくれますか?」
数秒間の沈黙の後、自立走行許可を一時的に与えるから家に帰らせろと返答が来た。
韋駄天には劣るものの、自動走行機能が新車には搭載されており、軍か警察の許可があれば無人走行も可能であった。
後顧の憂いを断った京子に恐れるものは何もない。
車体が傾斜を登り始め、出口が近いことを示す。
『土』の魔導使い「勝土騎 京子」の闘いが始まろうとしていた。