第3話
西暦2051年 7月15日 15時30分 神奈川県庁前
悪趣味なバイクに乗った女は速度を上げながらこちらに突進してくる。
京子も速度を緩めず直進する。
敵の表情が見えるほど近付いた時、女が片手をかざしてきた。
飛び道具が来る!
数多の闘いで研ぎ澄まされた勘が彼女に警告する。
左右に躱す?
否、怪人の反応速度なら偏差射撃で容易く撃ち抜かれるだろう。
上に飛ぶ?
否、韋駄天と離れて擬態が解除され、魔導使いの姿を晒してしまうだろう。
ならばどうする?
京子は車体をわざと横倒しにして盾にした。
韋駄天は一定の傾斜を感知すると自動的にエンジンガードが展開するよう設定されている。
女が掌から高速で種子を射出する。
アスファルトと接したガードが火花を散らしながらバイクはスライディングした。
弾丸のような種子は車体に弾かれ京子に寄生できず散っていく。
そのまま両者は高速ですれ違い、2人の視線が交錯する。
女の見下したような眼と、京子の冷徹な眼が互いの網膜に映る。
そして怪人は山下公園の方向に走り去った。
「韋駄天、奴を追って!」
「了解しました。
追跡を開始します」
車体を持ち上げた韋駄天が唸りを上げて敵を追う。
大通りを走る異形のバイクの前に赤信号で止まっている車列が道を塞ぐ。
無法者なら取る手段は2つだ。
1つ、通行人を巻き込みながら歩道を走る。
2つ、車両を力尽くで押しのけて直進する。
怪人が取った行動は後者だった。
女は鼻から息を吸い込んで肺に空気を充填し、耳を塞ぎたくなる金切り声を発する。
骸の薔薇がその声を増幅し、強力な不可視の砲弾が発射された。
金切り声は通行人の鼓膜を破り、窓ガラスを根こそぎ破壊する。
そして砲弾が直撃した前方の車両は横転し、蹲った通行人を巻き込んで押し潰した。
「マンドレイク」、別名マンドラゴラは引き抜く際に死を齎す叫びをあげる伝説を持つ植物だ。
まさに怪人マンドレイクはその名の通り死を周囲にまき散らしていた。
阿鼻叫喚の地獄を作った張本人は鼻歌を歌いながら通過しようとした時、背後に魔導使いの気配を感じて振り向いた。
京子は能力でコンクリートの側溝蓋を引き寄せ、怪人に向かって投げつける。
怪人は鼻で嗤うと、鞭を操って難なく叩き落し、フルスロットルで逃走を開始した。
しかし直線速度で韋駄天に勝るバイクはごくわずかだ。
馬力はあるが速度で劣るクルーザータイプの骸の薔薇は数秒で追いつかれるが怪人は余裕を崩さない。
「その姿を晒してあげるわ!」
マンドレイクは鞭を周囲の車両に巻き付け、京子に向かって次々と投げつけた。
巨大な鉄塊が京子に迫るが、高度な演算機能を持つ韋駄天はこれを全て回避してみせる。
そこに種子の弾丸も撃ち込まれるが魔導使いは砂の防壁を展開して被弾を防いだ。
だが気付けば怪人は背後に回り込んでおり、あの死の叫びを打ち出そうとしていた。
そこで京子は意図的に急ブレーキをかけ、フロントタイヤをロックさせて後輪を浮き上がらせる。
―「ジャックナイフ」と呼ばれるテクニックだ―
韋駄天の後輪は骸の薔薇の髑髏に直撃し、激しい衝撃を与えた。
髑髏がひび割れると車体が突如蛇行し、マンドレイクはハンドルに顔面を強打した。
「やってくれたわね!」
怒りの形相に変わった怪人は距離が取られる前に鞭を京子の腕に巻き付けた。
「潰せ! 骸の薔薇!!」
その巨体からありえない挙動で、骸の薔薇は前輪を持ち上げた。
―「ウィリー」と呼ばれるテクニックだ―
必然的に腕に巻き付いた鞭が引かれ、棘が食い込み血がにじむ。
さらに韋駄天も引き寄せられ、タイヤに押し潰されそうになる。
だが京子は両手で鞭を握り、全力で外側に引っ張ることで余計な荷重を与えた。
その結果、骸の薔薇の重心が崩れ、韋駄天の真横に前輪を叩きつけるだけで終わった。
苛立ったマンドレイクは再びウィリーで潰そうと企むが、突然頭上からの射撃が鞭を両断した。
見上げるとVTOL側面の窓からサイボーグ兵士が大口径ライフルで怪人を狙っていた。
「少尉、敵を地下(緊急走路空間)に追い込む。
誘導してくれ」
サイボーグ兵士の大薙から通信が入り、目標地点が京子のバイザーに投影される。
目標まで1kmを切っていた。
骸の薔薇の至近距離でアスファルトが次々と爆ぜ、破片が車体の装飾を抉り取っていく。
大薙は初撃こそ命中させたが、それ以降は敢えて直撃を避け、敵が目標コースに入るよう仕向けていた。
目標まで500mを切った。
緊急走路空間に続くトンネルが見える。
幅は3m、車1台通れる広さだが2台が並走する状況下では狭いと言わざるを得ない。
目標コースには最後の一押しが足りないと感じた京子は韋駄天で体当たりを敢行する。
2台の鉄騎が鎬を削り車体が軋むが、重量で勝る骸の薔薇は動じない。
「無駄よ!」
マンドレイクは嘲笑いながら半分になった鞭を振るい、京子でなく韋駄天に攻撃した。
車体の外装が大きく剥がれ、ステルス機能の低下を示す警告音が響く。
このままでは韋駄天が持たない。
しかし少女は焦らない。
なぜなら敵車両の弱点を既に見つけていたからだ。
「大尉、敵車体の髑髏を狙ってください!」
京子の意図を理解した大薙は、髑髏へ狙撃を開始する。
トンネルまで残り100mしかない。
「させるか!」
マンドレイクの叫びに呼応して髑髏の口から煙幕とチャフ(電波欺瞞紙)が展開された。
そのため大薙の射撃精度が低下し、狙撃は失敗する。
怪人は内心ほくそ笑むが自らの悪手に気付いていない。
何故ならマンドレイクがVTOLに気を取られているうちに京子が煙幕の中で急接近したからだ。
そして砂で硬質化した裏拳が煙を切り裂いて髑髏を襲った。
ひびを起点にして半壊した髑髏が絶叫をあげ、車体は左右に大きくブレる。
その隙に韋駄天は再び体当たりで敵車両を目標コースに乗せ、2台はトンネルに消えていった。
「上手くいったな、俺たちも後を追うぞ」
大薙は窓を閉め、VTOLが降下地点を探す為に上昇を始める。
トンネルが閉鎖するとバイクの駆動音が消え、静寂が戻る。
遠くから緊急車両のサイレンが響いていた。