第2話
時は京子が出撃した1時間前に遡る。
西暦2051年 7月15日 14時20分 神奈川県 横浜市 中区
この町は中華街や赤レンガ倉庫など横浜を代表する観光地を有し、連日多くの観光客が訪れる場所である。
だが、この日は警察車両が神奈川県庁舎を取り囲み、一般人の排除を徹底していた。
なぜなら武装集団が県庁に侵入し、知事含め3名を人質に取ったからだ。
県警本部から目と鼻の先の距離で起こったこのテロ事件は、彼らの威信を失墜させるには充分なインパクトであり、更なる事態の悪化を阻止せんと躍起になっていた。
また、テロリストの目的は多額の現金と収監されている仲間の解放、さらに逃亡に使用する航空機の手配であった。
当然そんな条件を呑めるわけもなく、総理に早期収束を厳命された警察庁長官はテロリストの拘束または殲滅を指示した。
そして現在、知事室がおかれる3階に特殊強襲部隊SATが突入して人質を解放、武装集団の殲滅を進めていた。
「話が違うぞ!
奴らは交渉に乗ってくるとあんたは言ったじゃないか!?」
ライフルで応戦しながら武装集団のリーダーは背後に立つ女に向かって喚く。
その女はステルス機能を搭載したコートを纏っており、声だけが室内に響いた。
「彼らの面子を潰したのだから交渉に応じるわけがないでしょう?
それにしても思ったより早く突入してきたわね。
もうちょっと時間が稼げると思ったのだけど・・・この辺が限界かしら?」
悪気もなく答える女に男は絶句し、自分たちが捨て駒にされたことに気付いた。
「お・・・お前は!
なら何のために俺たちを支援したんだ!?」
女が口を開く前にバリケードが破壊され、SATの催涙弾が投げ込まれる。
男たちは咳き込みながら応戦するが、特殊部隊の的確な射撃に次々と倒れ、リーダーと女だけが残った。
「さて、残るはあなた1人だけど選ぶ道は2つあるわ。
投降して一生塀の中で過ごすか、このまま突撃して華々しく散るか、どちらがいい?」
常人ならむせ返る煙に晒されても女は呼吸1つ乱れず、男に問いかける。
男はしばらく黙り込むと絞り出すように声を出した。
「ぐっ、投降だ・・・何も成せないまま犬死には御免だ」
弱々しい背中を見せる男に女は失望の眼差しで見つめたが、即座に興味を失った。
そしていきなり片手で男の首を掴むと軽々と宙に持ち上げる。
指が食い込むほど締め上げられ、男は悶え苦しむが女は意に返さない。
「それは困るわね。
あなた、投降したら私のこと話すでしょう?
突撃するなら気持ちよく送りだしてあげたのに・・・残念だわ。
だから何も成せないまま犬死にしろ」
女はボールのように男を振りかぶると、SATに目掛けて勢いよく投げつけた。
男は恐るべき速度で隊員たちの間をすり抜け、柱に激突する。
首や腕があり得ない方向にねじ曲がり、壁に真っ赤な花が咲いた。
「さてと、ゴミも片づけたことだし、御暇しましょうか」
女が立ち去ろうとすると、足元に銃弾が撃ち込まれる。
SATには特殊ゴーグルを通じて、女の姿が見えていたのだ。
「両手を頭の上に乗せて跪け!
二度目の勧告はないぞ!」
女は特殊部隊にゆっくりと向き直り、コートを勢いよく投げ捨てる。
胸元には「02」の入れ墨、上半身は黒ビキニの上にライダースジャケットを、下半身はライディングパンツと軍用ブーツを身に着けていた。
その過激な格好に隊員たちが驚いた隙に女は掌を彼らに向け、弾丸のような何かを高速で連続射出した。
それは植物の種であった。
種は被弾した隊員の肉体に食い込み、根を伸ばして瞬く間に精気を吸い取る。
屈強な隊員が老人のように枯れ果て、その亡骸の上には紫色の花が1つ咲いた。
その異様な能力に部隊長は女が人間でないと即座に判断し、県警本部に通信を入れる。
「本部、敵は怪人だ!
我々の手には余る存在だ! 至急、軍の出動要請を!」
「了解、特殊部隊『防人』の出動を軍に要請する。
到着まで持ちこたえられそうか?」
「遅滞戦闘に徹すれば数分は稼げるがそれ以上は責任持てん!
既にこちらも1人やられている!」
「了解、怪人を外に出すのは市民に危険が及ぶので許されない。
機動隊を増援に向かわせるのでなんとか凌いでくれ」
「了解、隊員に告ぐ!
我々の目的は軍が到着するまでの時間稼ぎだ!
敵を足止めする為に全力を尽くせ!」
女は・・・怪人はSATの作戦が制圧から時間稼ぎに変わったことに気付き、苛立ちから舌打ちをする。
「この私を前に時間稼ぎとは甘く見られたものね。
なら・・・後悔させてあげる」
女は腰に取り付けていた円状の物体を外すと、それは金属性の鞭に展開した。
鞭はフレキシブルホースに似た形状をしており、表面にはバラの茎のようにトゲが無数についている。
見た目からしてかなりの重量感があるが、怪人は慣れた手つきで軽々と扱っている。
「己の弱さに絶望しろ」
床が爆ぜると同時に女の姿が消え、防弾盾を構えた隊員の前に突如現れた。
隊員が対応する前に鞭が振るわれ、盾ごと肉体に強く巻きつく。
そして女は鞭を一気に引き抜いた。
肉体に食い込んだトゲが摩擦で盾や服、皮膚、肉、骨すべてを引き裂き、隊員の姿は上下に分離した。
眼前に転がる自らの下半身を目にして驚愕、絶望しながら息絶えた隊員を恍惚とした表情で眺める怪人。
その悍ましさからSATは激しい銃弾を敵に浴びせるが、恐るべき速度で振るわれる鞭に全て阻まれた。
打撃武器としても優れたそれはヘルメットごと頭部を叩き割り、ボディアーマーごと胸部を抉り取る。
圧倒的な暴力が次々と隊員の命を奪い、残り3人になった時、女のスマートウォッチが鳴り響いた。
「時間ね、今度こそさようなら」
「待て!」
外に出させまいと追いかける部隊長に対して女の回し蹴りが襲い掛かる。
盾を構えて受け流そうとしたが鉄塊を打ち込まれたかのような一撃で吹き飛ばされた。
ジュラルミンの盾はひしゃげ、保持していた左手首も衝撃に耐えられず折れてしまったが、執念の銃撃が女の頬に一筋の血を流させるに至った。
怪人は頬を撫でると手についた血を舐めて嗤う。
「虫けらにしては頑張ったわね。
じゃあ、なんとか生き残って」
部隊長が聞き返す前に立っていられないほどの衝撃が県庁を襲った。
建物中央部にそびえたつ塔屋が爆発し、崩壊し始めたからだ。
「キングの塔」と親しまれた横浜を代表する歴史的建造物は怪人の仕掛けた爆弾によって終焉を迎えた。
再びステルスコートを纏った女はこの混乱に乗じて窓ガラスを突き破り、裏手に着地した。
怪人が指笛を吹くと、大型バイクの駆動音が近づいてくるがその姿は見えない。
目の前で停車した姿なきバイクに女は跨るとその場を後にし、警察が包囲している一角に近づく。
「邪魔ね。
なら一発派手にいきましょうか、骸の薔薇?」
骸の薔薇と呼ばれた車体にはヘッドライトの代わりに髑髏が取り付けられ、それは唸りをあげて怪しく光る。
同日 15時25分 緊急走路空間
「――――――――以上が現在に至る経緯です。
防人もVTOL(垂直離着陸機)で現場に移動中ですが、到着は少尉の方が早いです。
警察、報道の目があるので熱光学擬態システムを起動してください」
「了解。 韋駄天、熱光学擬態システムを起動して」
京子が韋駄天に指示すると、黒鉄の車体が周囲の風景と同化し、姿が見えなくなった。
さらにシステムは魔装と連動し、車体に触れている限り京子も同様の効果を発揮することができるのだ。
車体が斜路に進入し、出口ゲートが開くにつれて光がトンネルに差し込む。
韋駄天は加速しながら登りきり、出口から飛び出した。
白い世界と同化した車体は着地して火花を散らせる。
前方には塔の代わりに黒煙をあげる県庁があり、周囲は騒然としていた。
そして、ここで更に混乱が広がる。
耳をつんざくほどの金切り声が聞こえたかと思うと、県庁裏手を包囲する機動隊や警察車両が吹き飛んだのだ。
バイザーを下した京子にはその破られた包囲網から1台の大型バイクがステルス状態で悠々と出てくるのが見えた。
京子の視線に気づいたかのように相手もこちらを見た。
間違いない、奴は見えている。
その思考が伝わったかのように、敵はステルスコートを脱ぎ捨て姿を現した。
重厚なクルーザータイプの車体に過激な格好の女が乗っている。
バイクは白を基調として随所に紫の薔薇と蔓が巻き付いており、正面には「01」の刻印がある髑髏が赤い目を光らせていた。
女は京子を見て笑う。
それは毒花のように禍々しく、美しかった。