第1話
無機質な廊下をポニーテールの女が歩いている。
その眼鏡をかけた女は豊満な肉体をタイトなスーツで包み、自身が立案、作成した計画書を胸に抱いていた。
向かう先は女が愛して止まない男がいる研究室だ。
己の価値を見出せなかった自身を生まれ変わらせ、強大な力を与えた創造主を片時も忘れたことはなかった。
だが男の方は違った。
近頃の彼は魔導使いの少女に執心しており、女の好意を受け取ることなく研究に勤しんでいた。
奥歯が軋むほどの憎悪を少女に募らせ、女は研究室の前に立った。
深呼吸をして感情を鎮める。
憎しみで歪んだ表情なんてあの御方に見せるわけにはいかない。
それにこの計画が承認されれば魔導使いを自らの手で葬ることができる。
成功の暁には愛する御方が自分に振り向いてくれるはずだ。
再び高まる感情と共に、女は呼び出しボタンを押した。
「マンドレイクか、入りたまえ」
声変わりを迎えてないような少年の声が応じてロックが解除され、ドアがスライドする。
「お忙しい所失礼いたします。
博士、魔導使いの能力を調査するための計画を立案しましたのでご確認ください」
博士と呼ばれた白衣を着た男・・・少年は上機嫌で女の要望に答えた。
「あぁ、いいとも。
お前の考えた作戦を是非聞かせてくれ」
彼は愛しの魔導少女を思い浮かべながら女の説明に耳を傾ける。
その口元には邪悪な笑みが浮かんでいた。
西暦2051年 7月15日 12時20分 帝都女学院
来週から始まる夏休みを前に生徒たちの心はざわついていた。
ここ食堂でも親しい友人同士で予定を話し合う様子が見て取れる。
例の噂が沈静化し、食堂に戻ってきた京子と麗華は静かに過ごしていたが、
麗華が口を開くとなぜか周りも静かになった。
「京子さん、夏休みは何かご予定はありますか?」
「夏休みですか?
そうですね・・・・久しく会っていない叔母の元を訪ねるつもりです。
後は・・・」
そこまで言うと京子は身をかがめて麗華にだけ聞こえるように小声で話し始めた。
「日米合同の対怪人・怪獣の軍事演習に参加します」
思わぬ機密情報に麗華も小声で尋ねる。
「それは京子さんと同じような方が来日されるということですか?」
「いいえ、私たちは国家間の移動を禁じられているので、来日するのは前述の対応に特化した兵士のみになりますね」
そこまで話すと京子はこの話は終わりだと言わんばかりに元の姿勢に戻った。
「ですが、全て予定が埋まっているわけではありません。
叔母の家には8月の初めに、例の行事は中旬にあるので7月なら大丈夫です」
それを聞いて沈んでいた麗華の表情が一気に明るくなった。
「京子さん、今、世界中の珍しい鉱石を集めた展示会が大熊美術館で開かれていることをご存じですか?
実は大熊美術館は私たちのクラスメイトの大熊 双葉さんの関係者が館長なのです。
私と双葉さんは昔から一族の交流があり、幼い頃からの知り合いなので今回特別に休館日にご招待いただいているのですが、良ければ京子さんもご一緒しませんか?
通常時は混雑していますので、ゆっくり見られるまたとない機会だと思うのですが」
この好機を逃すわけにはいかないと、麗華は畳みかけるように提案する。
そして京子の反応を恐る恐る伺った。
「本当ですか?
とても気になっていた展示なので是非ご一緒したいです」
どうやら京子の琴線に触れたようだ。
平静を装っているが、彼女からは喜びの感情が溢れていた。
麗華も休日に京子と過ごせることに歓喜し、誘ってくれた双葉に心の底から感謝した。
同日 15時10分 帝都女学院
午後の授業も佳境に差し掛かった頃、京子の腕のスマートウォッチが僅かに振動した。
立花からの呼び出しだ。
周囲に気付かれないように体内通信に切り替える。
(授業中すみません。
少尉、出撃命令が下りました。
韋駄天を向かわせたので校内の駐車場に向かってください)
(了解しました)
京子は挙手して教師に体調不調を訴え、保健室に向かうと伝える。
教師は即承認し、京子は教室を後にしようとするが、麗華も同時に立ち上がった。
「先生、心配なので私も付き添って構いませんか?」
京子が迷う教師に目線で合図を送ると、麗華の要望は許可された。
教室から出た二人は足早に目的地に向かう。
「あの、つい勢いで同行を願い出ましたが、本当に体調が優れないわけではないですよね?」
「はい、司令部からの出撃命令です。
おそらく怪人か怪獣が現れたのでしょう」
軍人のスイッチが入っている京子の表情は普段と違って硬く、口数も最低限だ。
それを聞いた麗華はサラマンダーとの闘いを思い出し、顔から血の気が引いた。
互いに無言の時間が過ぎ、気づけば地下駐車場まで来ていた。
軍の命令により人払いが済まされている為、京子と麗華以外の人影は無い。
(ゲート、開きます)
立花の遠隔操作により、駐車場の地面の一部がスライドすると更なる地下に続く斜路が現れた。
その奥底から単車の排気音が近づいて来る。
「下がってください」
京子が麗華の手を掴んでゲートから離れると、漆黒のバイクが高速で飛び出し、ブレーキターンを鮮やかに決めて彼女の前で停車した。
(少尉、現地で魔装を纏う時間はありません。
この場で接続して乗車してください。
ブリーフィングは移動中に行います)
(了解)
京子が腕を水平に振ると、袖から無骨なチョーカーが滑り出た。
「麗華さん、私から離れてください」
京子が何をするつもりか理解した麗華はすぐに彼女から離れた。
少女がチョーカーを首に当てるとそれは自動で装着され、体内の魔力の活性化を検知して淡く発光する。
そして彼女は自らの首を絞めるかのように両手を添えた。
まるで自傷行為にも見える仕草だった。
「 ―魔装接続― 」
チョーカーから眩い光が放たれ、京子を中心に砂嵐が巻き起こる。
それらは鉄色から白銀、そして金色に輝き、衣服を魔導使いの戦闘着『魔装』に変えてゆく。
頭部にはバイザー、白色と金色から成る装甲が脚部や腕部、胸部に装着され、腰に淡く光る衣が形成される。
接続からおよそ10秒もかからずに装着が完了し、京子は深く息を吐いた。
韋駄天に跨る。
「京子さん!」
機密事項の塊を前に沈黙を守っていた麗華だったが、気持ちを抑えきれずに声をかける。
京子は振り返り、バイザー越しに麗華を見つめる。
「その・・・・必ず生きて帰ってきてください。
私、待っていますから!」
両手を組んで懇願する姿は祈りを捧げているように見えた。
京子は場違いにも彼女が美しいと感じてしまった。
そして微笑んで一言返した。
「いってきます」
車体が急加速し、京子の姿は瞬く間に消えていった。
ゲートが閉鎖して静寂が戻り、令嬢は踵を返して校舎に向かう。
その心は使命感に燃えていた。
傷ついた京子を万全の医療体制で迎えなければならない。
それが己の役割なのだ。