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憧憬

夢幻

作者: 千東風子

「憧憬」の続きです。

あらすじをご確認くださいm(_ _)m。


誤字訂正しました。

誤字報告ありがとうございました。



 

 今日も目が覚めた。


 一人の朝、一人の食事、一人の部屋。


 寂しさが心を占める時には、もう、目が覚めないかもしれないと思いながら眠りにつく。


 屋根裏のこの部屋は天井が斜めで、広さもなく窓も小さい。水場は一階にしかないため不便もある。夏は熱気が()もり暑く、冬は隙間風が部屋を凍らせる。住環境が良いとは言えないが、それでも、長く暮らしていたら慣れもするし愛着も()いてくる。


 ここは私の、私だけの城。

 誰も私の邪魔をしない。

 そして誰も私を見ない。


 私は一人なんだと、思い知る朝。







 さてと、と独り呟きながら身支度をして窓を開けた。

 感傷に浸るのはここまでにして、部屋の掃除を始める。


 私、可哀想。

 そう、自分で自分を憐れむだけ憐れんで、スン……と我に帰るのは、もはや無くてはならない朝の儀式と化していた。憐れんで気が済んで、自分で自分を鼻で笑うのだ。


 まあ、自分でも真面まともじゃないなと思っているが、心の中のことなので放っておいて欲しい。


 それくらい、心の傷はまだまだ生傷で、きっと一生塞がらないのだから、自分でイイ子イイ子してあげて何が悪いのか。


 誰に向かって言い訳してるんだか、と独り言い訳をするまでが儀式である。


 うん、自分でも引くわ。


 狭い部屋なので掃除もすぐ終わる。

 部屋で火はおこせないので、食事の準備は一階のお勝手を借りる。お金を払えば食堂の利用も出来るけれど、自分で簡単に作った方が節約出来る。

 今は定期的に仕事があるけれど、依頼がない時は全くない。そうすると、貯蓄を切り崩して生活しなければならないのである。お金を使わないで済む所は自分でやっておく。


 この町に住み始めて二年。


 十五歳の成人とともに結婚し、十八歳の時に結婚の無効を元夫から言い渡され、一人さまよいたどり着いたのが、この町だった。


 すぐに身ぐるみはがされて野垂れ死ぬことも半ば覚悟していたというのに、奇跡とも言える幸運が重なって、私は今日も生きている。


 感謝感謝。


 朝の儀式も掃除も終わり、簡単な朝食とついでに昼食のパンも用意し、水差しを持って部屋に引き上げた。いつもは早朝から賑わう食堂もまばらにしか人がいなかった。

 今日はちょっとしたこの町のイベントがある。お祭りと言ってもいい。皆、そちらに取りかかって忙しいのである。


 そんな中、今日から一週間、わたくし、部屋に引きこもる所存。

 仕事も自主的に休みである。


 食材のストックもバッチリ。読みたかったシリーズ物の小説も図書館で全巻借りてある。二十巻、読み切るぜい。


 春先の良い気候である。

 夜に湯浴みをしても凍えないし、その時一緒に洗濯して部屋に干しておけば、次の日の夜には乾くだろう。


 部屋に一つしかない窓から、爽やかな朝の風が吹き込んできた。

 近寄って窓から外を見下ろすと、既にちらほらと通りに人が陣取っていた。

 皆のわくわくする気持ちが風に乗って伝わって来そうだった。


 この建物は大通り沿いの商会の事務所倉庫である。その屋根裏からは大通りが見下ろす形で見渡せた。

 少し遠くにはこの地の代官一族が住む代官邸が見える。そこから伸びるようにこの大通りはあった。


 あともう少ししたら、領主様がこの大通りを通り、代官邸へ入る。

 この地には一週間程滞在するのだという。

 広い領内を定期的に巡視している領主様が、自らこの地に足を踏み入れるのは約五年ぶりで、過去には年に一回、もしくは二年に一回は巡視に訪れていたことを考えると、町の皆の歓迎ぶりも納得である。


 若くしてこの辺境の地を継いだ領主様の人気は高い。

 王都から遠く、人外が蔓延はびこる谷の向こうは、好戦的な隣国が広がっている。


 この町の役割は、人外でも隣国でも、境界を越えてやって来た者にいち早く気付き、ありとあらゆる手段で領主様に知らせること。

 その後に待つのが蹂躙であっても、それがこの町の存在意義だった。


 故に、この町の住民は流れてきた者が多い。

 中央にいられなくなった者。

 すねに傷のある者。

 死を(いと)わない者。

 死を望む者。


 そんな町だが、治安はそれほど悪くはなく、経済は活発である。それはひとえに代官の手腕、領主の采配のたまものだった。


 皆、五年ぶりにやって来る領主様を歓迎している。


 私だって一領民として歓迎している。

 領主様が訪れることで、目が届かないと少しずつ緩む空気が引き締まるのだ。その緩みは治安の悪化や汚職を招くものだ。

 権力者がきちんと見ているぞ、と睨みを利かせることがどんなに効果的であるかは言わずもがなである。もちろん、問題が発見されれば領主陣営が解決に動く。


 五年ぶり、ということに思うことが無いわけではない。

 王命により私を保護していた三年間、領主様は長期間館を空けるのを嫌がった。

 どんなに遅くなっても帰れる時は帰ってきたし、どんなに遠い地の仕事でも、一週間以上館を空けなかった。

 保護対象から離れない。武人のかがみである。


 私から解放されて二年。

 領主様は通常の生活に戻り、領主館から往復一月はかかる最果ての町までやって来れるようになったのだ。


 今回、()()()は同行されていないとのこと。


 再婚……いや初婚か。

 結婚後初めて訪れる領主様をお祝いしようと、皆、至る所で祝福を掲げ、町はまるで祭りというか結婚式のような賑わいになっていた。


 ()()だったのなら、幸せそうね、おめでとうと祝福出来ただろうか。


 しかし、自分はなかったことにされた者だ。

 三年も、彼を縛り付けていた重りでしかない。

 顔を合わせるなんてとんでもないことだと思った。


 そもそも、平民と領主様が顔を合わせることなどない。大通りに出て領主様をお迎えするのも出来ないと思った。


 ようやっと自由になり、愛する人と結婚した彼を見るのは、まだ、辛かった。


 というわけで、せわしく多くの仕事を片付けて、この一週間はこの建物から一切出ないことにしたのである。


 他領に出られれば良かったのだろうけど、流れ着いたこの地で、運良く仕事も住む所も得られ、定住出来たのである。

 領主様の視界には一切入らないから、そこは勘弁していただきたい。


 朝食を食べ終え、行儀悪くもベッドに転がって本を開いた。

 ずっと読みたかった恋愛冒険小説である。

 主人公の女の子が冒険仲間である騎士からの愛に全く気が付かない鈍感さで、イライラするやらキュンキュンするやら……。いにしえに失われたとされる大陸を目指す冒険ものでもあり、随所でぶっ込まれる謎や陰謀もハラハラドキドキワクワクする。

 二十巻も出ている女性に根強い人気の本で、かいつまんでは読んだけど、はまりそうなのでしっかり読まずにいたのである。この機会に一巻からしっかり読み込むことにした。


 ワッと大通りが歓声に沸いた。


 本を閉じてそっと窓辺に立ち、けして外から自分の姿が見えないように、はすから外をうかがった。


 騎乗して進む一団を皆が歓声を上げて迎えていた。


 先頭はこの町を含む辺境伯、領主様である。


 なんというか、感情が溢れてきてしまった。

 久しぶりに会った遠い親戚の子が立派になったみたいな。

 立派になって凱旋した同郷の子を、自分が育てたようなもんだと言う近所の人のような。

 一方的に知っているだけの他人なのに、知己ちきくらいに思っている人のような。

 元彼が結婚して格好良くなった途端、彼はまだ私のことが忘れられないの、と言う人のような。


 私の大事な人なの。

 そう叫び回りたい衝動が身体を駆け巡った。


 よろよろとベッドに戻り、枕を被って歓声をやり過ごした。


 私の大事な人だけど、私は彼の大事な人ではない。


 そんなこと分かっている。理解している。

 でも、未だにそれを認めたくない自分がいるのが、本当に辛かった。


 離れれば自由になれると思っていた。

 距離じゃないんだ。

 私は彼に心が囚われたまま、ただ孤独になっただけだと思い知った。







 そのままふて寝をしてしまった。

 空の茜色が嫌に綺麗だ。


 水差しから一杯飲み、乾いてしまったパンを頬張る。もう夕食兼でいいや。

 一日三冊読もうと思っていたのに、まだ一巻の真ん中くらいである。

 かといって、夜通し読む気にはなれず、湯浴みをして洗濯して星でも見ようかと思った。


 階下で足音がいくつか聞こえた。


 商会自体は昼も夜もなく動いているものだが、この建物にある事務所は夕方には皆帰宅する。この建物に住んでいるのは私だけである。まだ人が出入りしておかしくない時間であるというのに、妙な胸騒ぎがした。


 私は自分の胸騒ぎを無視しない。

 勘とも言えるこの直感に従うことで、いくつもの危機をすんでの所でかわしてきたのである。


 外套がいとうを羽織り、荷物を持つ。

 追われ隠れる生活が長く身に染み付いている上、女の一人暮らしである。いつでも逃げられる用意はしてあった。

 窓から屋根に身を滑らせ、そっと窓を閉める。屋根伝いに隣棟へ移り、更にその隣棟に移った。この棟は屋上が物干しになっており、都合の良いことに地上までの外階段である。


 気配を消して階段を降りて地上に着いたら、何事もないような顔で夕方の人混みに紛れた。

 建物の陰からそっと自分の部屋を仰ぎ見ると、案の定、誰かが部屋に侵入し、窓を開けていた。


 悲鳴を上げなかった自分を褒めてあげたい。


 窓から顔を出して左右を確認していたのは若い男性だった。


 見間違うはずもない。

 元夫、領主様だった。







 なんでなんでなんでなんでなんで。

 顔なじみの酒場の二階の部屋を借り、頭を抱えた。


 なんで会いに来るの?

 私に会いに来たの?

 仕事の話だろうか? 確かに、代官邸からもよく仕事をもらっている。書類を書くことも多いから、書類についての何かの確認? 私だと知らずに来た?

 ……いや、仕事の話であれば、領主様が直接来ることはないだろう。屋根裏部屋に来たということは、間違いなく、私に会いに来たんだ。


 だからそれはなんで!?


 結婚の無効手続きに関して何か不備があったんだろうか。でもそれなら領主様は今も結婚していないはずである。この国では貴族であっても重婚は罪である。

 そもそも、全てを委任する旨を書き置いてきたのだから、問題などないだろう。離婚ではないから財産分与もない。口付けすらしたことないのに、子どもがいるはずもない。揉めるような問題は何もない。


 唸っても答えは出ない。

 部屋の中を歩き回っても出るわけがない。

 それでも落ち着かずに部屋の中をうろうろしていたら、部屋の外が慌ただしいのに気が付いた。


 しまった。

 行く所がなくて飛び込んでしまったけれど、この部屋では追い詰められたら逃げ場がない。


 逡巡している間に扉が乱暴に叩かれ、あろうことか、返事を待たずに蹴破られた。


「ラーラ!!」


 あ、私の名前……覚えてたんだ。

 場違いな感動をしていると、蹴破った領主様(本人)が部屋に駆け込んで来て、私を抱き締めた。


 固まるしかない。

 なんで私は領主様(元夫)に抱き締められているんだか?


「……相手はどこだ」


 地を這う人外のような声。

 この人のそんな声を聞いたことがなかった。


「アイテ」


「一緒にいた男はどうした?」


「オトコ」


「まさか、自分だけ逃げたのか!?」


「ニゲタ」


「卑怯な……っ!」


「ヒキョウ」


 領主様にぎゅうぎゅうに抱き締められ、思考回路が止まっている自覚はある。


 この人、何言ってんの?

 確かに、酒場で気が合った人同士が部屋に籠もることもあるだろうけど、ただの宿屋としても利用される部屋だよ?


「たとえ私が男の人とこの部屋にいたって、もう何にも関係ないでしょ」


「やはり男といたのか!? ラーラは、その男がす、好きなのか?」


「たとえと言いました」


「では、一人か?」


 そうだと頷くと、「ラーラ、ラーラ、ラーラ」と抱き締められたまま名前を連呼された。

 ……人の名前で歌わないで欲しい。


「あの、領主様?」


「領……、なんでそんな呼び方をする!? ちゃんと名前で呼んでくれ!」


 領主様はそう言って更に力を込めて抱き締めてきた。


 や、これはもう拘束だよね!? 腕、少しも動かせないよ!? 位置悪かったら窒息してるからね!?


「名前って……。一領民が恐れ多いです。とりあえず、離れてください」


「嫌だ、妻よ」


 ……妻?

 この人、本当に何言ってんだ。

 自分で言ったんだよ。

 私との結婚は無効だと。

 王命での保護が終わったと。

 もう、狙われることはないから、と。


 もう妻ではない、と。

 自分で言ったのに。


「……は?」


 自分でも驚く程、低い声が出た。

 領主様の声よりも更に低く、怒りを隠せてない声だった。


「君は、妻だ。私の妻だ!! なのに君は……」


 最後まで言わせなかった。


 ノーモーションで足に本気のローキックを入れると、「ぐお」と変な空気を吐いて領主様の腕が一瞬緩んだ。

 その隙に腕から抜けて走り出す。


「ラーラ!」


 振り向かずに走る。

 男性にしかない急所を狙わなかっただけありがたいと思って欲しい。

 階段下に見覚えのある騎士が数人いたが、私を止めるのを迷っているのか、中途半端に行く手を塞いできた。


 そんなもの。


「奥方様!?」


 飛び越えてやる!!


 階段上部から飛んで、着地の衝撃を逃すために受け身を取って転がる。その勢いのまますぐさま立ち上がり酒場を駆け抜けて出た。


 何が奥方様だ。

 騎士たちまでなんのつもりだ。

 前妻ですらない自分をどう呼べばいいのか分からないのなら、名前で呼べばいいものを。

 今の自分は身寄りのない平民だ。

 何が奥方様だ!

 騎士は領主様を守るために四六時中側にいる。

 私が、あの人の妻だったことなどないことを知っているくせに……!!


 人を縫い建物を縫い、足を止めず、振り向かずに逃げる。


「ラーラ!! 待ってくれ!! 話を聞いてくれ!!」


 少し後ろから聞こえる声には絶対に振り返らない。


 泣くな。

 泣いたら走れない。

 まだ、泣くな、私。


 路地に入り、建物と建物の窪みに身を隠した。

 さすがに心臓が破れそうだった。

 壁に背を預けて尻餅をついた。


 どうしよう。なんで追いかけてくるのかな。

 領主様の滞在は一週間。一週間隠れていれば、家に帰れるだろうか。

 ……無理だな。

 領主様は家に直接来た。

 もう、戻れない。

 持ち出した鞄も酒場の二階に置いたままだ。


 また、着の身着のまま、逃げるのか。

 やっと生活が落ち着いたのに。

 なんで放っておいてくれないのか。


 もう私は要らないと言ったじゃないか。


 整わない呼吸に嗚咽が混ざり、息が上手く出来ない。

 落ち着け。

 ここで倒れたら、逃げられない。

 泣くな。

 泣いても、私を助けてくれる人は、もういないんだ。

 自分の足で逃げるしかないんだ。

 ……なんで、なんで逃げなきゃならないんだよ。

 私が何をしたっていうんだよ。


 お父様とお母様が、何をしたっていうんだ。


 そう思ったら、涙と嗚咽がもう止まらなかった。

 それでも、気力を振り絞って、路地から歩き出した。


「ラーラ、待ってくれ。お願いだ。何もしない。話をしたいだけなんだ。もう逃げないでくれ。俺が悪かった……泣かないでくれ」


 領主様がそこにいた。

 足が動かなかった。

 視界が白くなり、ぐにゃりとひん曲がった。

 ああ、捕まる、とそう思った時。


「メル!! お逃げ!!」


 ザバァ! と声と共に水が降ってきて、領主様を直撃した。


「あんた、メルを要らないって捨てたロクデナシだね!? 今更メルに何の用さ! すっこんでな!!」


 見上げると八百屋の女将さんが窓から身を乗り出していた。

 あ、ここは八百屋の裏の道だ。


「待て! 俺は……」


 二杯目の水が容赦なく領主様に降り注いだ。


「次はバケツごと投げるよ! メル! 代官様のところへ逃げな!! 今ならご領主様もいらっしゃる! きっと良いようにしてくれるさ!」


 領主様、今目の前で、水浸し……。


「……はっ」


 一句詠んでる場合じゃなかった。

 よたよたと歩く私。その腕を領主様が掴もうとした時。


「メルに触るな!!」


 八百屋の隣の金物屋の二階から、チビどもが靴を投げた。

 いつもスカートをめくって逃げる小憎たらしい兄弟だ。

 靴は領主様には当たらなかったが、それをきっかけに、道沿いの窓という窓が一斉に開き、靴やら枕やらが領主様に向かって投げ落とされた。


 皆、なぜ二階にいる……? 店はどうした……?


「こら、やめろ……!!」


 わあわあ怒号が飛び交う中、誰かが誰かにトゥメイトを投げた。トゥメイトはこの地方が産地の実で、残念ながら非常に酸っぱくて人間は食べられないが、人外に投げつけると嫌がって逃げていくので、各家庭常備している実である。皮が薄く、当たるとブチュッと赤と緑の中身が飛び散る。ちょっとドロドロしているやつである。


「てめえ!! よくもやったな!!」


「ウチじゃねぇよ!!」


 トゥメイトが投げ返され、それを見た子どもたちもトゥメイトを投げ出した。


 一瞬でトゥメイト投げ祭りの始まりである。


 わああああああ!


 皆頭に血が上っている。そして楽しんじゃってる。これは、収拾がつかないヤツだ。

 ぐっちょんぐちょん……。


 少し整った息をついて、皆、ごめん、ありがとうと、私はまた走り出した。


「ラーラっぶふぁっ!」


 領主様の顔面にトゥメイトが当たったっぽい音がしたが、私は振り返らないったら振り返らない。


「くそ野郎! 下がりな! メル! ほら、逃げるんだよ!!」


「ありがとう!!」


 言葉だけで返して、トゥメイト地獄から小走りで抜け出した。私には一個も当たっていない。皆のコントロール、すごい。


 入れ違いで騎士たちが領主様を助けに路地に向かって行った。私に気が付いていないようで、何よりだ。


「気付かないわけないでしょう。メルルラーラ様」


 ガシッと後ろから両肩を掴まれ、まるでダンスのようにくるりと向きを変えられた。

 短い夢だった。


 私、自分の名前がメルヘン呪文のようでそんなに好きではなかったりする。

 お父様たちがつけてくれた大切な名前だけど、フルネームではまず名乗らない。

 メルと名乗る私をラーラと呼ぶのは……呼んだのは、大好きな旦那様だった人と領主館の人だけ。


「ご無沙汰しております。奥方様」


「間違いなく人違いです。副団長様」


 辺境伯領の騎士団副団長に私はきっぱりと言い切った。

 私は独身である。


「間違うわけないでしょう。三年もお側にいたのに。……よくぞご無事で」


 なんでこの人感動してるのかな?

 私は結婚が無効になって、自分から出て行っただけなのに。


「いや、傷を抉りますね。私はとっくに『奥方様』ではありませんし、それすらも無かったことになっているのに。……領主様の『奥方様』は今回同行されていらっしゃらないと聞いています。私をそう呼ぶのは身分詐称です。領主様のためになりませんよ」


「無効にしていない」


 副団長が何かを言うより早く、騎士たちに付き添われ、赤と緑でぐちょぐちょの何かが近寄って来て言った。いや、領主様だけど。


 それより、この赤緑マンは今なんて言った?


 婿雲丹師弟内むこうにしていない


「心まで逃避しないでくれ……。ラーラ、君は今でも私の妻だ。全部、話すから聞いて欲しい」


 領主様が真剣な顔で……たぶん、真剣なんだろう顔で……赤と緑のトゥメイトの実まみれで顔が見えないからたぶんだけど……たぶん……。


「愛している」


 トゥメイトが……。


「ラーラ、メルルラーラ、君に私を選んで欲しかった。王命での結婚ではなく、お互いを望んだ結婚をしたかったんだ」


 真剣に……。


「だから、一旦まっさらにしたかった。式もしなかった結婚ではなく、求婚して、受け入れてもらって、皆に祝福された夫婦になって子を望みたい」


 喋ってる……。


「……分かった。先に湯を浴びる。このままだと君は別の意味で私の言葉を聞かないな。どうか逃げないで私に時間をくれないか? もうほとんど話したけれど、理解してないだろ?」


 赤緑マンが何を言っても耳を滑って頭に入ってこない。

 どの道、もう逃げ切る目は私には残っていない。

 仕方が無い。私はこくりと頷いた。


 すると赤緑マンは躊躇ためらいなく私を持ち上げた。


「ぎゃあ! ぬちょっていった! ぬちょてっ!」


 少しは人様にトゥメイトを擦り付けることを躊躇(ためら)え!


「……」


 赤緑マンが無言で頭をぐりぐりしてくる。

 ああ、もうこれは私も赤緑まだらマン……。

 諦めた。


 領主様は私を縦抱っこしたまま、代官邸へ向かった。







「ドレスは嫌です。私に着させて何をしようというのですか? 代官様は」


「ものすごく人聞きの悪い言い方はおやめください……」


 私も湯浴みをさせてもらい、侍女さんからワンピースを貸してもらって着替えて出てきたら、代官様が用意したドレスに着替えるように言ってきた。しかも、敬語を使ってきた。


「一介の代筆屋に敬語などおやめください。私はメル。身寄りのない平民です」


 そもそもこの町の代官である目の前の人は、一癖も二癖も七十五癖くらいあるお人ではあるが、有能。国の最果てであり狭間でもあるこの町がこんなにも治安良く保たれているのは、この人のおかげである。

 色んな書類や手紙を翻訳しながら代筆して金を稼いでいる私のお得意様でもある。


「……外国語を何カ国も解する十代が、その辺の()()のワケありなわけがなかったんだよな。奥方様を『ラーラ』様としか認識していなかったのが敗因だな。とっとと気付いていたら伯に差し出せたものを」


 確かに、この町はその辺に『ワケあり』はたくさんゴロゴロいる。私はただの、国と国との陰謀に巻き込まれた憐れな外交官一家の生き残りで、十五で結婚して十八で結婚の無効を宣告されただけの娘ですよ。もう二十代になりましたが、差し出すって、何ですか?


「ドレスははなむけのつもりだったが、まあ、着てもどうせ一瞬のことか」


 意味が分からないながら、なんか不穏な感じは伝わってきた。


「好きな女の側で我慢し続けた男の性欲舐めんなよ? せいぜい生き残れるように頑張るんだな?」







 この町の代官様は、予言者でした。







 目を開けると、見覚えのない部屋が見えた。顔を右に向けると天井……寝台の天蓋だった。

 部屋の造り的には見覚えがあった。恐らく、代官邸のどこかの部屋だろう。

 仕事をする時には応接間か代官の執務室だから、寝台がある部屋には入ったことはない。


「目が覚めたか?」


 耳元で囁かれ、思わず飛び上がりそうになった。上がりそうにはなったが、がっしりと上半身も下半身も押さえられていて、実際には身じろぎをしたくらいにしか動けなかった。


 背中が温かい。肌と肌のヤツ。

 ついでに頭の下も温かい。腕の肉のヤツ。

 そして足に足が絡まっている。もうこれは絡まっているとしか言い様がないヤツ。


 認めたくない。

 怖くて振り返ることが出来ない。


「ラーラ、その、身体は大丈夫か?」


 いつ気を失ったかも覚えていない。

 何回気を失ったかも、覚えていない。

 いつ服を脱いだのかも、全く覚えていないけど、ナニをしたのか、されたのかは覚えている。最初の方だけだけど。


「だいじょびばぜん」


 ……声も碌に出ません。


「すまない。その、とてもよくて……」


 卑猥! やめて! 言い方が非常に卑猥!

 睨んだつもりなのに、「煽るな」と言って耳たぶかじるのやめて!


「六つも年下の君に、こんなことしたいと思っていると知れたら、嫌悪されると思ってずっと隠していた。それでなくても十五の君はご両親を失って一人で逃げ続ける生活をしていたのに。私の側では、まずは穏やかであって欲しかったんだ」


 真摯な言葉とお腹に回っている右手が連動していませんが?

 さわさわと触るのやめて。


「三年かかったが、ご両親の仇は取った。残党も叩き潰した。これで憂いなく、君を()でられると思ったら、……最初からやり直したくなったんだ。王命での保護から始まったのではなく、私が君を望んで、君に望まれ、選んで欲しかったんだ」


「それでげっごん(結婚)むごう(無効)を?」


「……ん、なんかホントごめん。喉、つらいね?」


 そう思うなら右手をしまってください。


「王命による保護は果たされた。この結婚は無効となる。……ここで君は倒れてしまって。そして一人で出て行ってしまった」


「だっで、ほが()ずぎ(好き)びど()がいるど……びごん(離婚)ざれるどがぐご(覚悟)しでだ」


 悲しみが膨らみ、心の傷から血が流れ出すように涙が溢れた。


「びごんなんてしないよ」


 言い方と右手!


 ごろんと向きを変えられ、向かい合う。

 コツンとおでこをくっつけてきて、囁かれた。


「愛している。メルルラーラ、君を愛している。命ある限り君の側にいる。命なくしても君を愛するよ。だから、どうか王命ではなく、ラーラの意思として私と結婚して欲しい」


 不思議に、今まで何の言葉も入ってこなかったのに、スッと心に入ってきた。


「あの日も、誓って館の皆は君を放っておいたのではない。私が急に頼んだことで忙しくしていたんだ。……夫婦の寝室を使うと言ったから。その一瞬の隙で君は行ってしまった。……館に帰ったら、皆に声をかけてやってくれ。皆、自分が悪いと思っているんだ。……一番悪いのは私だね」


 視線を合わせたまま、深く口付けされた。


 まって、まって、この人、本当にエロいんだけど! 右手は別の生き物なの!?


「ラーラ、君にきちんと愛していることを分からせなかった私が一番悪い。すまなかった。……君は跡をくらますのが上手すぎて、本職のこちらが後手後手に回り、追いつくのに二年もかかってしまった。こればかりは義父上(ちちうえ)義母上(ははうえ)を恨むよ」


 外交官として、時には正規でない訪問や、逆に逃げるように帰国しなければならない時もあったお父様とお母様から、私は色々なことを教わった。たとえ身一つになっても、生き延びることが出来るように、徹底的に叩き込まれている。


「ラーラ、私の妻として、ずっと側にいてくれるね?」


 頷きたい。

 頷きたいけど、じゃあ、あのドレスの恋人は? 自分の髪と瞳の色のドレスを贈る女性は?

 領主様は知らないんだ。館に呼ぶ女性にドレス贈ったことを『私が知っている』ということを、知らないんだ。


 ……恋人がいるのに、私を追いかける?

 晴れて独身になるのに、結婚を無効にしないままになんてする?

 私にはもう政治的な後見は何もないのに私に拘る?


 頷くのを躊躇ためらうのは、愛しているけれど、信じ切れていないんだ。

 私は、領主様を信じていないんだ。


 愛している人すら信じないのに、自分で自分を憐れんで孤独を悲しんで、私は何がしたいのだろう。







 私は。

 サヴェリオ様を信じる。







「私を、選んでくれたね。……信じてくれたね。嬉しい、愛している、もう少しも離れたくない。……君が思い悩んでいたこの髪と瞳の色を使ったドレスの件だけど、この色合いが領主館にはあと一人いるよ?」


「は? ドレズ……わたじが知っでいるの、知っでいるの!?」


 信じたのに一瞬で恋人暴露とか……え? もう一人いる?


「もちろん。ちゃんと執事が報告してくれているよ。領主館でもごく一部にしか知られていなかったからこの執事も知らなかったんだ。あのドレスは別館にいるお祖父様の恋人のドレスだよ」


 お祖父様……って、先々代の辺境伯様? 私は一度しか挨拶してなくて、領地の別の屋敷に住むお義父様とお義母様ですら三年で数回しか会ったことがない。え? お祖父様別館に住んでたの!? 三年間、全く知らなかったんだけど!?


 待って、それも驚きだけど、え、先々代って……。


「うん、もうすぐ七十かな。お元気だよねぇ」


 お元気、に含みを持たせて強調しないで欲しい。サヴェリオ様のお祖母様は二十年前に亡くなられているから、独身には違いないのだろうけど。

 けど。

 けど、恋人さんおいくつ!? あのドレス、胸元ぱっくりの超セクシードレスだったけど!?


「で、他に聞きたいことは?」


 ありましぇん……。という私の言葉は音にならなかった。







 求婚を受けた私に、生き残りをかけた更なる戦いが待っていたのは言うまでもない。

 数日後、生ぬるい視線で『奥方様』こと私を見る皆の目が辛かった。







 今日も目が覚めた。

 二人の朝、二人の食事、二人の部屋。


 目が覚めないかもしれないと思いながら眠りにつくことは、もうない。

 愛おしい人が私だけを見ている。


 私は一人じゃないと、思い知る朝。


 ねえ、サヴェリオ様。

 次の春を待たずに『三人』の朝になるのよ。


 私、憧れていることがあるの。

 一人っ子だったから、子どもはたくさん欲しいの。

 どうか子どもたち皆をたくさん可愛がってあげて。

 お父さんを見つけたら駆け寄って我先に抱っこをせがむような。

 そんな光景が見たいの。


 そして、なぜか恒例となってしまったあの町のトゥメイト投げ祭りに、皆で行きましょう。サヴェリオ様が参加したらきっと集中攻撃されるだろうけど(自信ある)、皆で赤緑マンになりに行きましょう。


 その町の屋根裏部屋で独り夢として見ていたことが、今、幻でないことを、どうか実感させてください。


 ずっと。




読んでくださり、ありがとうございました。


メルルラーラの過去の悲しみや傷は心から消えることはなくても、「憧れ」は、きっとただの日常になって、ふとした瞬間に叶っていることに気が付くでしょう。


今がどんな悲しみや辛さの中にいても、未来がずっと同じとは限らない。昔望んだ自分にいつの間にかなっていることに気付く瞬間。

それがきっと幸せ、なのかな。そう、メルルラーラはこどもたちに教えるのだと思います。


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