ウィルスからゾンビまで
とある家屋の一室。
HとZの会話。
Zは三人掛けのソファーに横たわり大分リラックスした様子。
そんなZの事を不満そうに眺めるHは、Zに向直るようにして椅子に腰掛け
直すと、話を始めた。
H:あのウィルスが蔓延しだしてから、ずいぶん世の中も変わってしまったな。
Z:ん?ああ、そうだな。
H:まったく、君は気楽なもんだな。
Z:そうかい?しかしこうなってしまった以上、焦ったところでどうにもならな
いだろ?
H:まあ、それもそうか。あのウィルス……Cウィルスとか呼んでいたっけ。
最初の頃は外国って事もあって他人事のように考えていたんだよなぁ。
Z:そうそう。マスク代わりにペットボトル被っているおばさん見た時は、正直
笑ってしまったよ。
H:あはははは。あったな、そんな事。それがあっという間に世界に広がって、
我が国でも蔓延していった……
Z:広がり出してからは早かったよな。どんどん変異を繰り返して型番が
ギリシャ文字じゃ間に合わなくなって。
H:次が星座でそれも足りなくなって結局アルファベットか。そのアルファベ
ットも一周回って今や二桁目。今思えばギリシャ文字には短い周期で収束
して欲しいという願いが、込められていたのかもしれないなぁ。
Z:ここまでくるのに随分時間が掛かってしまった……
H:何が?
Z:いや、何でもない。
Hは多少訝しげに感じながらも、それは何時もの事なので気にしない事に
した。
Hは椅子から立ち上がり、窓際まで足を運ぶ。
窓は補強板によりびっしりと補強されているが、多少の隙間があり、そこ
から外を覗く事が出来た。
Hの視線の先には足取りの覚束ない人影が見える。
Z:あまり窓には近付かない方が良い。奴等に気付かれたら大変だ。
H:ああ、すまない。しかし見れば見る程ゾンビだな。アレは。
Z:そうだね。今頃A国民は大喜びしてるしているんだろうな。
H:ははは、違いない。
Z:それで君は、アレがCウィルスの感染者だと、そう言うのかい?
H:うん。たぶん間違いない。
Z:しかしだな、肺炎を起こして多くの人間が死んだとは言え、まったくの別物
ではないか。まあ人々を恐怖に陥れるという意味では一緒と言えなくもない
が。
H:まあ、僕は専門家という訳ではないからね。あくまでも想像の範囲内での
話しでしかないのだけれど。それでも聞くかい?
Z:うん、話しておくれよ。
H:分かった。ではまずウィルスの存在について。色々言われてるけれど僕は
生物とは少し異なると考えているんだ。
Z:では一体何だというんだい?
H:うーん、この表現で合っているか分からないけれど手綱かな?
Z:手綱ときたか。生物では無いにしても道具とか。で、握っているのは誰か
な?
H:神様?いや、地球と言ったほうがシックリくるのかなぁ。
Z:うわぁ、地球とはスケールの大きな話しだね。
H:うん、自分で言っておいて何だが少し恥ずかしいよ。
Z:それで地球様はウィルスという手綱を操って一体何をしようってんだい?
H:地球上の生態系のコントロール。
Z:それで?
H:根拠というか、辻褄合わせは色々出来るんだけれど、とりあえずそれは置い
といてだ。地球には必要になったんだよ。己を蝕む毒素を取り除く為のワク
チンがね。
Z:それがウィルスと君は言いたい訳か。ワクチンがウィルスか……なんだか
こんがらがってしまいそうだな。そして毒素が人類と……そう言いたいんだ
な……君は。
H:ご名答だ。あとは簡単だろ?地球様はいかに毒素を排除するかを思考する。
しかし、なかなか良い案は浮かばなかった。そうこうしている内に毒素自体
が優秀なワクチンを作り出した。我々を滅ぼして下さいと言わんばかりに
ね。
Z:うーん、それでもなぁ。ウィルスとゾンビって繫がりそうで繫がらなく
ないか?そもそもウィルスって死体にも感染するものだろうか。
H:うんうん。なかなか鋭いじゃあないか。僕の予想からいくとあのゾンビ達は
死んでいない。当然だけどあのウィルスは死体には感染しない。ウィルス
自体が活動できなくなってしまうからね。
Z:ほう、凄い凄い。生きる屍、などと謳われてきたゾンビが実は生きている
と。つまり、どういうことだい?
H:おいおい、あとは簡単だろ。とは言え僕は専門家ではないからね。初めは
肺を侵食していたウィルスだけれども徐々に改善されていったんだろうね。
そうした思考錯誤の末気付いたんだろ。脳味噌に直接指示をだせばもっと
早くこいつ等滅ぶぞって。ゾンビ映画でも観たんじゃないか?脳に辿り
着いたウィルス達は簡単な指示を出すだけだ。“共食いしろ”とね。
ウィルスに感染して意識の混濁した人々は命令に従い共食いを始める、
と言う訳さ。
Z:なるほど。感染したゾンビ達は食料を求めて人間を探す。捕食された人間は
ウィルスに感染してゾンビになる……それを永遠繰り返していく訳か。人類
が滅亡するまで……
H:だだ疑問も残るんだ。その方法だと必ず食べ残しが出てくると思うんだ。
ゾンビ達は知能が低下しているだろうし、とてもじゃないけど車や飛行機を
使って、世界の隅々までとはいかないと思うんだよね。自分で言うのも何だ
けれど一握りでも人類残したら、またあっと言う間に世界中に広がってし
まう。それでは意味が無い。
Z:ほんと、君は凄いな。ほんとうに人間にしておくのが勿体無いよ。
H:それは褒め言葉かい?だとして君は僕のことを何かに勧誘でもしてくれるの
かな?
Z:何かに?君の言う所のゾンビに……なんてどうかな?
H:ゾンビに?あははは、そいつは傑作だ。するとあれかい?君も外をうろつい
ている奴等のお仲間ってことなのかい?
Z:ご名答。
H:……笑えない冗談だな。第一君にはちゃんとした意識があるじゃないか。
自我の無いゾンビだとは思えないのだけれど。
Zはその問いには答えずソファーに腰掛直すと、テーブルの上に置いてある
煙草に手を伸ばす。
咥えた煙草に火の付いたマッチを近づけ火を灯した。
深く煙を吸い込み、けほけほと咳き込みながら煙を吐きだした。
Z:君もどうだい?とても不味くて身体にも悪いけれど、不思議と考えている事
は纏まったりするんだ。はい。なんだ、君は吸い慣れているんだね。
僕みたいに咳き込んだりしないし、とても様になっている。
H:大分前に止めたんだ。健康の為にね。
Z:この状況で健康を気にしてもしかたないか。おっと、僕の事だったね。僕は
君の疑問の一つの回答例だよ。えーと、つまりはね、車や飛行機を利用して
世界に満遍無くワクチン(地球側の)を届ける役割をになっているのさ。
H:……いつから?
Z:うーん、それが僕にも良く解らないんだ。気付いた時には既に僕は奴等に
襲われなくなっていた。仲間だと思っていた人々が襲われる中、奴等は
僕に見向きもしなかった。いつから?そもそも僕の記憶は僕本来の物なの
だろうか。或いは……
H:……まあ、いいさ。僕も遂に感染者という訳か。今まで逃げてこられたのが
出来過ぎだったよ。それで僕は君から感染したんだし君みたいに自我を保っ
ていられるのかな?それとも表の奴等の仲間入りかな?
Z:たぶん後者だ。
H:そうか。君と話をするのは楽しかったけれど、それも後僅か……か。
Zの、Hを見つめる瞳に一瞬、決意の様な光が宿る。
Zは懐に手を差し込むと、一つのケースを取り出した。
蓋を開けると中を見えるようにしてHの前に差し出した。
Z:これは僕の体液から抽出した薬品だ。これを打てばおそらくゾンビ化は
しない。……たぶん。君を人間のままにしておくのが勿体無いと言ったのは
事実さ。できれば何年後かに、またこうして君と話がしたい。
そこまで話すとZは立ち上がり、出口に通ずる扉へと足を運ぶ。
扉を閉める際、Hを一瞥するが彼は俯いたままだった。
ふっ、と笑いとも溜め息とも分からない様な短い息を吐くと、Zはゆっくり
と扉を閉めた。
一人残されたHは、Zの置いたケースを眺めている。
ケースの中には小瓶と注射器が一個づつ入っていた。
Hは煙草を手に取ると、慣れた手つきで火を点けた。
目の前を燻る、紫煙と似たような靄が頭の中にもかかっていく。
H:さて、どうしたものか。