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16歳、なぜだか婚約者ができました

 それはまさしく青天の霹靂だった。

 いつのまにか、横に座ったリオルク様はおもむろにわたしの手を取り、こう言った。

「ディティ、俺と婚約をしてほしい」と。


※ ※ ※


 十六歳の誕生日を過ぎて少し経過をした、二月の中頃の休息日のことだった。

 わたし、フレアディーテ・バルツァーは母の旧友であるフロイデン公爵夫人にお茶の席に招かれていた。


 淡い金髪を緩く結い上げた夫人がたくさんのお菓子を準備してくれているのも、親愛の瞳をこちらに向けてくれるのもいつものこと。


 十七の息子がいるとは思えないくらい若々しい公爵夫人のことを、わたしは昔からおば様と呼び慕っている。実のお母様のように優しくて素敵なお人なのだ。


 学園生活をおば様に聞かせていると、扉が叩かれ、彼女の息子で、フロイデン公爵家嫡男のリオルク様が入室された。


 彼がわたしの目の前に現れるのはいったいいつぶりのことだろう。

 幼少時の喧嘩が原因で、二歳年上のリオルク様とはかれこれ十年ほど話をしていない。


 その彼がわたしがいることが分かっているのに、わざわざ入室をしてきたのだから、驚きもひとしおというもの。


 目をぱちりと見開いて、しばし彼の顔を凝視してしまった。


 彼はおば様に二、三話しかけた。急用だろうか。二人を見守っていると、おば様が立ち上がり、なぜだかわたしとリオルク様の二人がサロンに取り残された。


 成り行きに固まっていると、リオルク様がわたしの正面にある一人掛けに着席をした。


 妙な居心地の悪さに、わたしは体に力を入れた。


 一体どのような風の吹きまわしだろう。今までずっと、わたしのことを避けていたのに。


 リオルク様はわたしをじっと見つめて、ふわりと微笑んだ。


「十六歳の誕生日おめでとう、ディティ」

「――っ!」


 朗らかに話しかけられて、わたしの喉がひゅっと鳴った。


 リオルク様が笑ったところなど、最後に目にしたのはいつだったか。おそらく幼少時の頃だったと思う。


 わたしとのわだかまりを脇に置いておいても、リオルク様は滅多に笑顔を見せないのだ。特に女性に対してはそれが顕著で、噂では女嫌いだとのこと。


 学園では常に冷静沈着、滅多に感情を表に出さないことで有名で、そのクールさが堪らないと、多くのファンを抱えている。


「俺からも誕生日の贈りものを渡したいんだ。受け取ってくれる?」

「っ……!」


 話しかけられただけでも驚いているのに、贈りものまで。一体、今日は何がどうなっているのだろう。わたしは返事もできずに、ただ目をこぼれんばかりに見開くばかり。


 リオルク様は小さな箱を目の前のローテーブルの上に置いた。

 わたしは小箱とリオルク様を無言で交互に眺めてしまう。


「開けてみて」

「……は、ひゃい」


 とろりとした甘い声に、わたしの声が裏返った。


 恐る恐る小箱を開けると、中から現れたのは金色の台座の上に丸く研磨された輝石が鎮座するブローチだった。深い青色の石は楕円状で周りに小さな花の模様がいくつもあしらわれている。


 これは何の花だろうか。慎ましやかで、けれども可憐で、わたしは一目で気に入ってしまった。


「あと、もうひとつ。こっちは学園でも使えると思って用意してみた」


 彼は上着の内側のポケットから包みを取り出した。

 リオルク様に促されて、わたしはそろそろと包みを受け取り、彼の目の前で開けた。中から現れたのはりぼんだった。紺碧のそれには銀糸で刺繍が施されている。


「ありがとうございます」

「これなら校則違反にはならないから学園でも付けられるだろう?」


「……は、はい。そうですね」


 学園では装飾品を身に付けることは禁止されている。けれども髪の毛にりぼんを結ぶことは禁止されていない。だから女子生徒たちはりぼん集めに精を出している。


「気に入ってくれた?」

「はい。ありがとうございます」


「よかった」


 柔らかな声に、わたしはどう反応をしていいのか固まったままだ。

 だって、今目の前にいるリオルク様は本当に、これまでの彼とはまるで別人だから。


「あ、あの……」

「どうした?」

「い、いえ」


 さすがに面と向かって、今日のリオルク様変ですよ、とは言えない。

 けれども確実におかしい。一体どうしたというの。


「ねえ、ディティ」

「はいっ!」


 わたしは背筋を伸ばした。


「最後にきみと言葉を交わしてから、十年が経過をしたね」

「そ……うですね?」


 わたしの母とリオルク様のお母様は学生時代からの親友で、それはお互いに結婚をしてからも変わらなかった。


 物心ついたころから、わたしは母に連れられておば様の嫁ぎ先のフロイデン公爵家に出入りをしていた。


 二歳年上(実際には一年と十一カ月だけれど)のリオルク様に懐いていたわたしは彼のあとばかりついて回っていたらしい。


 わたしはリオルク様にとっても懐いていた。彼は優しかったし、まさにわたしの王子様だったのだ。


 けれどもある日、わたしはリオルク様と喧嘩をして、一方的に絶交宣言をしてしまった。


 今となっては、何が原因だったのか覚えていない。けれど、酷いことを言ってしまったことだけは覚えている。


 当時六歳だったわたしはたくさん泣いた。悲しくて後悔して、けれどもそれ以降リオルク様はぱたりと我が家を訪れることは無くなったし、わたしと顔を会わせることもなくなってしまった。


 自分から口をきかないと言った手前、わたしはどうやって仲直りをしていいのか分からなくなり、気まずい思いを抱えるまま、彼と話せなくなって長い年月が過ぎていった。


 リオルク様は良家の子息が通う幼年学校の寄宿舎に入ってしまい、ますます遠い存在になった。


 結局一言も口をきかないままわたしたちは成長をしていった。


 今年、十六歳の年になるわたしが学園に入学をしてもそれは変わらず、生徒会長を務めるリオルク様を遠くから眺めるだけだった。


「今日はきみに大事な話があるんだ」


 そう言って彼はおもむろに立ち上がり、わたしのすぐそばへとやってきた。

 彼の行動を見守っていたわたしは思わず飛び上がりそうになった。


 なぜって、彼がわたしの隣に着席をしたからだ。


 細身だけれど、すらりとした体躯に、涼やかな目元に高い鼻梁、それからすっきりとした顎のライン。髪の毛はさらさらとした金色で、瞳は深い青色という全女子生徒憧れといっても過言ではないリオルク様がわたしの隣に座っているのだ。


 心臓がどくどくと早く鳴り始める。すっかり成長をしたリオルク様が隣にいるのだ。


 彼は現在十七歳。少年というか、青年期に足を踏み入れる頃合いで、生来の品位もあってか、全身から発せられる高貴な気配にわたしはおたおたするばかりだ。


「な、んでしょう……?」


 ようやく、それだけを口にすれば、リオルク様はそっとわたしの手を取り、持ち上げた。


「っ!」


 またわたしの心臓が大きく脈打った。


「ディティ、俺と婚約をしてほしい」

「……」


 こ、こんやく。


 婚約ってええと。どんな意味だっけ。知識として頭にある、その単語がまるで遠い異国の言葉のように感じられた。


「ほんとうは今すぐにでも結婚契約書に署名をしてほしいんだけど、お互いにまだ学生の身だ。まずは婚約が先だろうと、バルツァー氏にも釘を刺された」


 リオルク様の艶やかな声が耳朶をくすぐった。低すぎず高すぎず、わたしの胸の奥まで浸透するような心地の良い声。聞いているだけで体が溶けてしまいそうになる。


 婚約云々以降も、リオルク様はわたしに話しかけているのだが、あいにくと耳が麻痺をしているせいか意味が入ってこない。


 ぼんやりしていたわたしは、突然に我に返った。

 もしかしたら白昼夢かと思い至ったのだ。たぶん、相当に混乱をしている。


 わたしはそろそろと手を持ち上げた。リオルク様に握られていない方の手をほっぺたに持ってきて、つねってみる。


 痛い。


「ディティ?」


 わたしの奇妙な行動に気が付いたリオルク様がもう片方の手にも触れてきた。

 びくりとして、つねっていた手を解くと、彼はいたわるようにわたしの頬を優しくなぜた。


「どうしたんだ、急に」

「……え、と……。これは、あの。夢なのではないかと……確認を」


「夢でもないよ。十年前に約束をしただろう?」

「約束……?」


 わたしはリオルク様の言葉を復唱した。


 一体、なんのことだろう。


 彼は一瞬目を見開いて「忘れているのか?」とかなんとか小さな声でぶつぶつと言っていたけれど、すぐに顔を上げてふわりと微笑んだ。


「あ、あの?」

「……いや、いいんだ。こっちの話だから」


「はあ……」

 謎過ぎる発言に気の抜けた返事をしてしまう。


「ディティ、もう一度言うからよく聞いてほしい。俺と婚約をしてほしいんだ」

「あ、あの。でも」


 やはり聞き間違いではないらしい。


「ディティ、ずっと俺はこの日を待っていた。俺と、結婚をしてほしい。そのためにはまず婚約からだろう?」


 目の前のリオルク様の美貌にくらくらしてしまう。

 吸い込まれそうなくらい深い青色の瞳が熱心にこちらを見つめている。


 頬が火照って、心臓がばくばくして。このままでは呼吸が出来ずに倒れてしまうかもしれない。

 一体どうしたらこの窮地から脱することが出来るのだろう。


「ディティ」


 幼いころの愛称を、その麗しい声に乗せないで。

 どうやらわたしの体は生命維持を最優先事項に選んだらしい。


 気が付くと「はい」と返事をしていたのだった。


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