嗤い人形
部屋の中で男女が言い争いをしていた。
「なあ、俺と別れるってどういう事だよ」
「ごめんね、私もう疲れちゃったの」
「意味わからねーよ。俺のことが嫌いになったのか?」
「そんな事ない、今でも好きよ。ただ、ちょっと時間が欲しいの」
「はぁ? 本当に意味わからねーな。好きなら、それで良いじゃねーかよ」
「……うん、ごれんれ」
女は呂律が回っていなかった。
本当はごめんね、と言いたかったらしい。
「つーかよ、もしかして他に好きな男が出来たとか?」
「ち、違うよ。全然、そんな事ないよ」
「だよな。もし、そうだったら俺許さねーから。お前の笑顔は俺だけのもんだからな」
「……うん、分かってる」
「分かってる、じゃねーよ。あー、もうメンドクセーな。じゃあなんで、別れるとか言うんだよ。今まで通りで良いじゃねーか」
「でも、お医者様が少し時間を空けたほうが良いって言うし」
「時間ね……」
「そしたら私が離れている間、何もしてあげられないし。ここに来る事も出来ないし。だったら、一度別れた方が良いのかなって。じゃないと、重荷に成っちゃうし」
そこで、男はため息を吐いた。
「なんだ、お前はそんな事を気にしていたのかよ」
「だって……」
「だってじゃねーよ。さっきも言ったろ、お前の笑顔は俺だけのもんなんだよ」
「……うん」
「ちょっと離れたぐらいで別れてなんかやらねーよ」
「……ありがと」
「ったく、くだらねー話だったな」
男がきつく抱きしめた時、女が口元を押さえて眉を歪ませていた。
「どうした、また顎が痛むのか?」
「うん、注射してもらったんだけど、まだ」
「んじゃあ、先に済ませちまうか。ボーっとしてると、お前の笑顔が見れなくなっちまうし」
「うん……」
女は笑顔で懐から金槌とノミを取り出すと、男はそれを受け取った。
そしてヒナ鳥のように口を開けている女の歯にノミを当てたのだ。
「よし、じゃー今日は奥歯から落とすか」
ドンと金槌で底を強く叩くと、真っ二つに折れた白い歯が、ぽとりと床に落ちていた。
女は神経がズタズタに引き裂かれた痛みで倒れ込み、毛虫のように悶え苦しんでいる。
体を震えさせては、床に爪を立てて耐えている。
尋常ではない脂汗が額からにじみ出ていて、わきの下からあふれ出た雫が太ももまで伝っていた。
「おい、次行くぞ」
男は女の髪を鷲づかみにし、顔を持ち上げさせた。
ザクロの花が咲いたかのように口元が赤く染まっている。
まだ、血が止まらないらしく、口の中に溜まったどす黒い塊を時折吐き出していた。
ヒューヒューと喉笛が鳴るだけで、もう喋るのも辛いらしい。
「ったく、だらしねーな」
男は気にせず、ノミで残っている女の歯を全て折った。
医者から顎に麻酔を打ってもらっているから、痛みで死ぬということはないだろう。
現に今、女は陸に打ち上げられた魚のようにビクビクと痙攣していはいるが、心臓は元気に動いていた。
男はうつ伏せになって苦しそうにしている彼女を、蹴り上げて仰向けに寝かせた。
そして、引き出しに締まってある入れ歯を取り出し、嬉しそうに眺めていた。
「俺が高い金を払って買ったんだ。早くこれをお前に入れたいぜ。そしたら、本当にお前の笑顔は俺だけのものになるんだからな」
まあ、食事の時ぐらいは貸してやるよ、男は笑った。
うん、ありがとう、と女は嗤った。