完結編 Tちゃんフォーエバー
仲間と力を合わせ、魔王を倒した十年後の話。
僕は娘を連れて馬に乗り、遠乗りに出かけていた。
なんてことない山道を進んでいって、途中の見晴らしのいい山腹でお弁当を広げて。
それで、娘をちょっと脅かしてやろうと思って、道の無い薄暗い森の中に分け入った。
娘の制止が逆に面白くって、どんどん進んでいったんだ。
そしたら、急に馬がぴたりと足を止めてしまった。どれだけせかしても宥めてもじぃっと動かない。
魔力が濃い森で通話魔法が使えないし、馬の機嫌の直し方も分からないから、娘と揃って途方に暮れてしまった。馬を置いて歩いて家に戻ろうとすると途中で夜になってしまう。
で、しょうがないからその日は森の中で簡単な野営地を作って、次の日の朝から歩いて家に帰る事にしたんだ。一日経てば馬の機嫌も直っているかも知れないし、昔世界を旅していた頃の経験のおかげで野営地作りぐらいはお手の物だったから。
焚火に手をかざして寒さをしのいでるうち、夜になった。
夜の山は何も音がしないのな。たまに風が吹いて木がザワザワ言うぐらいで。
で、どんどん時間が過ぎていって、娘は倒木に背を預けて寝てしまった。
僕も休もうか、と思って肩の力を抜いたら、何か聞こえてきた。
今思い出しても気味悪い、声なのか音なのかわからない感じで、
「テン……ソウ……メツ……」って何度も繰り返してるんだ。
最初は聞き間違いだと思い込もうとしたのだけど、音がどんどん近づいてきてる気がして、剣を抜いて回りを警戒した。
そしたら、白いのっぺりした何かが、めちゃくちゃな動きをしながら野営地に近づいてくるのが見えた。形はデュラハンみたいな頭がないシルエットで足は一本に見えた。そいつが、例えるなら「片足跳びしながら両手をめちゃくちゃに振り回して身体全体をぶれさせながら」向かってくる。
仮にも僕は魔王を倒した元勇者だ。巨大で狂暴な怪物なら全然怖くないけれど、ワケが分からなさ過ぎてソイツはめちゃくちゃ怖くて。叫びそうになったけど、なぜかそのときは
「隣で寝てる娘がおきないように」って変なとこに気が回って、叫ぶことも逃げることも
できないでいた。
そいつはどんどん野営地に近づいてきたんだけど、どうも野営地の焚火の脇を通り過ぎていくようだった。
通り過ぎる間も、「テン……ソウ……メツ……」って音がずっと聞こえてた。
音が遠ざかっていって、後ろを振り返ってもそいつの姿が見えなかったから、ほっとして娘の方を向き直ったら、そいつが娘の隣に座っていた。
近くでみたら、頭がないと思ってたのに胸のあたりに顔がついてる。思い出したくもない恐ろしい顔でニタニタ笑ってる。ゾッとした。
僕は怖いを通り越して、娘に近づかれたって怒りが沸いてきて、「この野郎!!」って叫んだんだ。斬りかかりながらね。
ところが叫んだとたん、そいつは消えて、娘が跳ね起きた。
僕の怒鳴り声にびっくりして起きたのかと思って娘にあやまろうと思ったら、娘が
「はいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれた」
ってぶつぶつ言ってる。あの意味の分からないナニカと同じ、恐ろしいニタニタした顔で。
僕は恐ろしさのあまり全身の血の気がざあっと引いて――――
「出ろ」
懐かしい声を聞いた。その声のする方を見ると、怯えて震える馬の前にティーちゃんが仁王立ちしていた。
パニクった僕は、自分に向かって言ったんだと思い、思わず野営地から飛び出してしまった。
しかし「自分だけ逃げちゃダメだ、娘を連れて行かなくちゃ、でも娘は今」とも思い、
慌てて倒木を見るとなんと娘は天使の寝顔ですやすやと眠っている。
僕は混乱してしまってティーちゃんを見たが、顔がティーちゃんの顔じゃないみたいになっていた。あの顔だ。
頼れる人間がいなくなった僕はもう泣きそうになりながら娘を抱き抱え、何とかこの場を離れるためにダメ元で馬に飛び乗ろうとした。
その途端ティーちゃんが奇怪な動きで馬に飛び乗ったかと思うと、
「はいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれた」
とニタニタ笑って、邪悪に歪んだ目つきで僕を見ながらつぶやきはじめた。
このときには僕はもう手が震えて馬の手綱も取れなくなっていた。どんなに恐ろしいかは実際に同じ目に遭ってみないと決して分からないだろう。
「出ろって!」
しかしつぶやきの途中で突然怒号を発したかと思うと、ティーちゃんは自分の顔面をぶん殴った。
するとティーちゃんの身体からデュラハンみたいなやつが勢いよく飛び出した。
ティーちゃんは「破ぁ!」と叫ぶと、そいつに向けて青白い光球を投げつけ距離をとった。
光球はそいつの身体に触れ、激しい光を発して炸裂。
右腕を失ったそいつは山の奥に逃げていった。
「危ないところだった。あんなもんがいやがるとはな。なあ勇者様、遊び半分で山には来るもんじゃない。子供連れなら特にね」
そう言って鼻血をぬぐうティーちゃんは、僕たちを麓まで送り届けると山菜採りに戻っていった。
神殿生まれはやっぱりスゴイ、俺は娘を抱きしめながら思った。
それからも、僕の、勇者の手に負えない怪異に遭遇すると、決まってふらりとティーちゃんは現れ颯爽と解決してくれた。
おとぎ話の英雄みたいだと言うと、ティーちゃんは「親父の真似事をしているだけさ」と笑う。ティーちゃんの父親は異世界からの来訪者で、故郷では有名な神官だったらしい。
神殿生まれはすごい。僕はいつもそう思う。