M.0; 眩耀
自分では笑っているつもりでも、後で映像や放送を見返したりすると、案外ぎこちなかったり引き攣っていたりするもんだ。
あたしの表情筋は、一体いつになったら全て思い出してくれるのだろうか。あたしなんてとっくに取り戻しているというのに。
「リセ、準備できた?」
同じ二期生のトーカがあたしを呼ぶ。あたしはRUBYのメンバーからは“リセ”と呼ばれていた。苗字のモリセを捩ったあだ名だ。
しがみついたこの居場所で、あたしのことを“メイちゃん”と呼ぶ人はいない。何となく、それは良かったと思っている。
「ごめん、今行く」
皆より一足遅くレッスン着に着替えたあたしは、トーカを追って廊下へと向かう。
レッスン室は前面の壁一面に鏡が張られていて、それを背に運営スタッフの方が数人集まり、話し合っていた。
一期生の皆はすでに壁際から少し前に出たところに腰を下ろしていて、その後ろにはあたしが遅れたせいで座るに座れない二期生の残りの5人が姿勢を正して立っている。
「遅れました、すみません」
頭を下げて列に並ぶ。今では一番仲良くなったトーカも、あたしと一緒に頭を下げてくれた。
鏡の前、運営スタッフさんの足元には、バミリと呼ばれる、数字の書かれた踝程度の高さしかない小さなコーンが置かれてある。その数は16個――RUBYの現メンバーと同じ数だ。
「じゃあ全員揃ったね?」
話を打ち切り、運営スタッフの中でも最も権限の強いサイトウさんがあたしたちに声をかける。同時にあたしたちは立ち上がり、キャプテンに合わせて「よろしくお願いします」とお辞儀をする。
分かっている。これから、何をするのか。
足元のバミリが意味することが。
「それではこれより、RUBYの8枚目シングルのフォーメーションを発表します」
カメラが回っているのは、このフォーメーション発表の様子が編集されてあたしたちの冠番組で放送されるからだ。
スタッフさんがカラカラと正面に押して来たホワイトボードには、上中下と分かれた三列の数字群――一番上が三列目、真ん中が二列目、一番下が一列目のフォーメーションを表している。
一列目は三人、数字は1から3だ。
二列目は五人、数字は4から8。
三列目は8人、数字は9から16。
「それでは発表します。三列目下手から――9番、森瀬芽衣」
いきなり呼ばれたあたしは、驚く間も無く「はい」と返事をした。
16人が揃っている。数字も16までちゃんとある。だから、呼ばれないことなんて無い。
でも、いざ呼ばれてみると、実感が湧く。ここにいるんだ、いていいんだという気持ちが、涙になって溢れ出した。
隣に立つトーカがあたしの背中を撫でてくれた。小さくありがとうと返すので精一杯だった。
そしてその手から離れ、あたしは9番のバミリへと立つ。
ここだ。
ここがスタートラインだ。この場所からあたしは始めよう。
ここに立つまでに――あたしをたくさん奮い立たせてくれた、いくつもの“応援”に報いるために。
‡
本格的に活動を再開し、8枚目シングルから“楽曲制作”にも参加した。
12月のクリスマスライブは間に合わず、最後のアンコールだけ参加した。
大晦日恒例の大型特番では、滑り込みで叩き込まれた5枚目シングルを披露した。
すべてが順調とは言えないし、目が回るほど目まぐるしく過ぎていく日々に忙殺され、自分が何度も何度も死んでは生き返るような感覚を繰り返して。
それでも、あたしは二度と投げ出さなかった。
すでに一度、放り投げたあたしには“前例”がある。或いはそれは、“前科”と言ってもいい。
二度あることは三度ある、なんてよく聞くけど。
一度あることは二度起こり得る、が正解だと思う。
その二度目を起こさないよう、あたしは息を切らしながら駆けていくしかない。
それが応援するべき人間のあるべき姿だし、応援をいただく立場の人間の、ささやかな返礼だ。
でも。
立ち止まりたくなる瞬間は、いつだってある。
だからそういう時は、あたしはいつだってここに来る。
「――今日も、すごい景色だ」
季節は巡って、また四月。
テッポウユリが咲き乱れるその丘は、切り取った街の風景を飾る額縁のよう。
夕焼けに染まる街並みは徐々に瞬く星のような明かりを灯し始め。
道を行き交う車もまた、輝く帯となってそこにある。
鮮やかで艶やかな橙と撫子色の空が、西へと追い遣られていく中で。
雲はたなびき、灼ける緋に喰まれ。
東から迫り来る宵闇は、紺碧の空を紫紺へと染めていく、そのグラデーション。
「……はぁ」
思わず溜息が零れる。
こんなにも見蕩れてしまう、幻想を超える風景だと言うのに。
ここには、足りないものがある――そしてそれは、恐らくきっと、二度と取り戻せないものだ。
この空から始まった。
終わりにも、始まりにも適合するこれ以上ない光景だ。
でも。
この空の下には、佇む一人の真っ白な少女がよく似合う。
あたしだけが知っている――覚えている、あの真っ白な少女だ。
「……寂しいよ」
ぽつりと溢した声がさらさらと草木を撫ぜる風に転がって行った。
無くなってしまった空虚感が、ただここにある。
握手会も。
クリスマスライブも。
これからも、きっと。
本当は、誰よりもそこにいてほしかった。
あたしの姿を、見て、喜んでほしかった。応援してほしかった。
でも、もういないのだ。
何処にだって、いないのだ。
あたしの中にメヰがもういないように。
まるで幻のように、エミ――そしてヱミは、消えてしまった。
この喪失は、あたしの左腕に未だ刻まれたままの蚯蚓腫れのように消えないんだろう。
ずっとずっと、残り続けていくんだろう。
そしてその傷痕が何度だってあたしを殺す。
立ち止まりたくなってしまうあたしを殺して、立ち上がって走り出せる強いあたしへと生まれ変わらせる。
だから。
あの喪失には意味があった。必要だった。これからもそれは変わらなくて――
あたしはこの傷痕を、消えない喪失感を、大切に想おう。
殺してくれて、ありがとう。
愛してくれて、ありがとう。
世界が終わり、始まるような空の下。
あたしは何度だって生まれ変わって、生きていく。
‡
殺<アイ>されたいコ と 愛<コロ>してくれコ
――――――――――――――――――――End.
‡
1年間を経て、漸く終わらせることが出来ました。
どうして1年も待たせたのか――げんとげんが続いていたからですね。
メイちゃん、エミちゃん。メヰちゃん、ヱミちゃん。お疲れ様でした。
ここまで読んでくださった皆さんも、本当にありがとうございました。