永遠の眼からの預言
これは、永遠の眼から与えられた預言である。
永遠とも言える時を経て、まぶたを開いた瞬間、世界は現れた。
世界は初め泥の海であった。
ある時、永遠の眼から一滴の涙が泥海にこぼれ落ちた。
ささやかな波紋は、やがて泥海を撹拌する大きな渦となり、世界は天と地に別れた。
天と地はやがて元の泥海に戻らなければならない。涙から生まれたからである。
天と地に苦しみと悲しみが滅びることはない。涙から生まれたからである。
天において、天の渦を動かす力の神と天の渦の理法を司る知恵の神が生まれた。
天と地の間から生命の神が生まれた。生命は天より与えられ、地とともにあるからである。
力の神から力が溢れ出し、八柱の神々が現れた。力の神と八柱の神々はその人格は別々であったが、一体であった。
八柱の神々のうち、最も力を与えられ、天の守護者を任じられたのが神の子である。
ある時、常に歓喜に満ち溢れた生命の神が歓喜をともにする存在を求めると、澄み切ったいとも妙なる鏡が現れた。
生命の神は、なぜ鏡が現れたのか理解できなかったので、知恵の神にこの出来事の意味を尋ねた。
知恵の神は、これを至高の山の頂に据えれば、鏡に映った物から命あるものが生まれると教えた。
生命の神は、これを聞いて喜び、直ちに至高の山の頂に澄み切った鏡を据えた。
鏡に映った物から生き物が生まれ、やがて、地には動くものと動かざるものに満ちた。
これを見た知恵の神の心に妬みが生じた。知恵の神には、すべてを屈服させる力も、命を与える息吹も持たなかったからである。
知恵の神は、世のはじめから終わりまでの知識を手にしていたが、自ら何事もなし得なかった。
それゆえに、知恵の神に妬みの心が生じたのである。これが悪の始まりである。
ただ、誰もそれを知らなかった。
知恵の神は物陰から神の子に「力ある者こそ地の王にふさわしい。力ある者こそ創造者にふさわしい。かの鏡を用いれば汝は王になれる」と囁いた。
それを聞いた神の子には邪心が生じた。
神の子は四柱の神々とともに地に降り、地を支配しようとした。
その邪心を恐れた地の者は神の子に抵抗した。
これにより憎悪を知った神の子は鏡に自らの邪心を映し出し、禍津者を生み出して地に派遣した。
これより地は、地の者と禍津者の争闘の場となったのである。
天の神々はこれを憂い、生命の神の御子である宝の神を地に派遣することに決した。
力の神は残った三柱の神々を剣、鎧、盾に変えて宝の神に与え、自らの力を与奪の珠として託すと、天を下り大地の奥底に退隠した。
宝の神は中津原の高峯に降ると、地の民の協力を得て中津原を統一した。
宝の神は、自らの力を九つに分かち、その八つの分け御霊を世界に派遣した。世を闇より救うためである。
宝の神は、人々に生命を分かち、その国から飢えと病と恐れを祓い清めた。
宝の神はこれにより力を失い、地の民の王子にその使命を託し、剣と鎧と盾とを与えた。
王子は分け御霊とともに禍津者を討ち果たし、神の子を追い詰めた。
しかし、神の子の力は宝の神の他に匹敵するものはなく、宝の神が王子に合一して戦い、辛くも神の子を討ち果たすことができた。
宝の神もまた激しく傷つき、止めどなく流れ出る血を以て穢れた鏡を拭った。
流れ出る血で拭うと、見よ、穢れた鏡がたちまちにきよめられ、輝きだした。
輝く鏡に映る闇の国は、光輝く国に変わった。
宝の神は無数の生命の欠片となった。
生命の欠片があまねく分かたれ、穢れた鏡が浄められた時、地は再び歓喜に満ち溢れた。
引き換えに、宝の神はその命を永遠に失なった。
彼に代わる王を地の民が求めたが、悲しみにくれる生命の神はこれに応えなかった。
これは大いなる過ちであった。
禍つ心に狂う知恵の神は、生命の神に人間が人間自身を統治させるよう唆した。
生命の神は深い慮りなく同意した。
それから長らく天に知恵の神の姿を見ることはなかったが、生命の神は悲しみの中にあって気付くことはなかったのである。
知恵の神は密かに人間の姿になり、光の国に下ると、預言者として生命の神の言葉を伝え、自ら王となった。
知恵の神は傲慢であったため、その眷属である狐の王が力の神に神の子堕落の真実を告発した。
真実を知った力の神は激しくうち震え、僅かに残っていた力は四方八方に発散した。
これによって、大地は波立つように揺れ動き、山は火を吹き、沖からは津波が押し寄せた。
光の国は一晩で世界から消え去った。
知恵の神は地に増えた自らのうからやからへの愛着のために、霊を肉体から分離させることができず、光の国とともに、生みの子たちとともに永遠に消え去った。
力を使い尽くした力の神もまた消え去ったが、大地の奥底には怒りが止まった。
今もなお怒りは収まることはない。
地は揺れ動き、山は火を吹き、沖より津波が押し寄せるのは、この怒りのためである。
人の子のさかしさに怒りが感応するのである。
地に散らばった知恵ある人々は、人を支配し、やがて、神と称された。
しかし、神の血が薄くなるにつれて人と同じくなり、やがて、巷に紛れてしまった。
彼らは、世界のはてに故郷があり、そこは一年中花が咲き乱れ、争いも飢えも病もない楽園である、と言い伝えた。
また、彼らの預言者のうちの或る者は死してのち帰還できると、彼の民に希望を抱かせた。
彼らの棲みかは故郷に比べて余りに過酷で、希望無しには生きるにあたいしないと思われたからである。
そして、この世のどこにも存在しない場所に生きてたどり着くことなどできないからである。
知恵の神は滅び、力の神は微かにその怒りだけを残し、生命の神はいまだ悲しみの底に沈んでいる。
人々は真の神々を忘れ去り、偽りの神々さえ忘れつつある。
それもまた良いだろう。やがて、永遠の眼が眠りにつけば、すべては空しくなるのだ。
その日がいつ来るかは誰にも分からない。
しかし、知恵の及ばないことを恐れてはならない。その恐れは人の子に許されていないからである。
また、神々に救いを願ってはならない。その願いは決して聞き届けられないからである。
これは、永遠の眼から与えられた預言である。
心ある者はその日まで記憶して忘れてはならない。