タマシイ
刀は武士の魂、というがこの男・・・・・・幕末の徒花・剣豪集団新選組の中でも随一の腕と賞される沖田総司にとって当て嵌るのかどうか。
甚だ疑問である。何故ならつい先日、その刀を紛失したにも関わらず、全く気にしていないようだからだ。
「いや、ちったぁ気にしてくれや」
髭の似合う男らしい顔を苦々しく歪ませるのは、沖田と同じ副長助勤の任に就く永倉新八だ。
稽古熱心で面倒見も良いので指導者として、今朝のように道場で見掛けることの多いガッシリとした体躯に似合う、通常の倍程度の太さの木刀で肩をトントンと 叩いている。
真剣の重さを想定した、天然理心流独特の素振り用木刀だ。
対する沖田は、将軍警護の浪士隊として上洛する前に天然理心流試衛館で塾頭を務めていたが、自らの腕前とは裏腹、というか天武ゆえか他人に教える才能は皆無である。
手加減を知らない彼が道場に現れると、隊士達は身体的にも精神的にも深手を負うので稽古を嫌うようになる。
相手がいなければ当然面白くないのであろう、自然と道場から足が遠のいた。
兄弟子で同じく副長助勤、いつも穏やかな笑顔を絶やさない、温和を絵に描いたような井上源三郎でさえ堪りかねて叱る程だ。
そんな沖田が珍しくふらりとやって来たが、稽古着姿でもなく、手には木刀すら持っていない。明らかに駄弁りに来ている。
「だぁって、大した刀でもないですしぃ」
今は休憩中だが、ヘラヘラ笑って座り込まれてはさすがに隊士達への示しがつかない。
運動量は誰よりも多いのに息ひとつ乱さずにいた永倉だが、この有り様にヤレヤレと溜息を吐く。
「俺ぁ無くしちまった刀を惜しんでるんじゃねぇんだ。武士が大小携えねぇで外歩けっかい」
農民だろうが商人だろうが、基本的に来るもの拒まず去るものは追う新選組であったが、この二人は元から武家出身だ。外出時は大刀と小刀の二本差しが常識である。相当に重かった筈だが、長年の慣れでむしろその重みありきで姿勢の調和をとっていたようだ。
「長男を口減らしで追い出すような家で武士とか気取ってられないですよー」
和やかな表情のまま言い残し、猫のようにヒョイと出て行ってしまった。
「なっ・・・・・・コラ総司! んな言い方あっか!」
兄貴肌で根っからの善人である永倉は、古傷を抉るような言い方をしてしまったかと慌てる反面、身を切る思いで試衛館の内弟子にと送り出した姉夫婦の気持ちを考えると、説教のひとつでもしたい様子であったが、極端な逃げ足の速さでそれは叶わなかった。
昼近くになると、噂はかなり広まっている。あの二人の性質上、ヒソヒソ話をしていたわけがないので当然だが。
隊士十名程を引き連れての巡察から帰ってきた藤堂平助が額の汗を拭きつつ、壬生寺で子ども達と遊んでいた沖田を捕まえた。
文久三年の夏・・・・・・藤堂がその額を割られる池田屋事変が起きる少し前であり、不穏な空気漂う中の隊務が続いている。
遊んでいるということで、沖田は非番のようだ。いや、そうであってほしい。
「ちょっと総司くん! 刀なくしたってホント?」
同じ副長助勤だが二つ年下の藤堂にまで説教顔をされ、沖田は明らかに煩そうに不貞腐れる。
彼が応答する間もなく、周りの子ども達が騒ぐ。
「かたなー?」
「ドジやなぁソージはぁ」
「うちが見つけたるわー」
藤堂は沖田の反応を無視して続ける。
「俺だったら遊んでなんかいられないけどなぁ。何せ俺の相棒は、藤堂家・・・・・・」
「はいはい聞き飽きましたぁー」
沖田が無碍に遮ったので補足すると、伊勢津藩藤堂和泉守高猷の御落胤を自称する藤堂平助が佩刀は、藤堂家御抱え刀工作上総介兼重らしい。自らの誇りである眉唾話の数少ない、というか唯一に近い証明だ。
自慢の愛刀を見せびらかさんと腰に手をやっていたが、若者らしい高い舌打ちをして矛先を変える。
「で、どこで無くしたのさー?」
「ヒミツー」
藤堂は口許に人差し指をやる仕草を、憎々しげに睨んだ。
「へぇ、言えないようなイイところ?」
「そうそう。だからこの子たちの前ではチョット」
からかう為の冗談のつもりが、まさかの返答だ。
「はぁあ? ウソでしょ?」
藤堂は遊郭を想定しての科白で動揺させようとの魂胆だったが、逆に目を白黒させて狼狽える程、沖田は遊郭とは無縁の男であったからだ。幼少時からの女嫌いである。
「うるさいオジちゃんだねー。あっちで遊ぼうかー」
他の男であれば、中々鋭い推察とも言える。外出先で武士が佩刀と距離を取るのは、必ず玄関先で大刀を預かる遊郭ぐらいだからだ。
「うん! おじちゃんバイバーイ」
最早反論したいことが多過ぎて口をパクパクさせるのみの藤堂は虚しく取り残されたが、この会話を密かに聞いている者により、あらゆる意味で最も知られてはマズい人物にこの情報が齎されることになる。
しかし、先に追求の権利を得たのは常に貼りつく仏頂面が少し綻んで見える斎藤一だ。
新選組が間借りする八木家の縁側に正座し、愛刀・池田鬼神丸国重の刀身を丹念に打粉で叩いている。よく手入れされた、刀好きで知られるこの持主でなくても惚れ惚れするような美しい抜き身である。
だが忍び寄る影に気付かぬ男ではない。心地良い昼下りに似合わぬ抜き足差し足を呼び止める。
「惜しいことをしたな。沖田のは確か・・・・・・」
観念して渋々、間延びする独特の口調で答えた。
「非人清光ですよー」
斎藤はここ最近の癖である、眉をぴくりと上げる動作をしてから、独り言のように呟いた。会話というより、自らの知識を確認するかのような作業だ。
「加州金澤住長兵衛藤原清光。六代清光は非人小屋や窮民収容所に籠り刀を打ったことから、別名非人清光や乞食清光と呼ばれている。確か沖田の佩刀は二尺四寸であったな」
自分の刀のことなのにも関わらず沖田は大して知らないようで、突如仕掛けられた刀剣談義に華が咲く筈もなく、もうお腹いっぱいだという表情で、この男にしては珍しく曖昧な、モグモグと潜持った相槌を打った。
その反応を意識することもなく、斎藤はさも惜しいことをした、との風味を持ちながらも
「新調するのであろう。俺が見立ててもよいが」
と、彼にしては嬉々としつつ誘いながら、既に出掛ける気満々で片膝を立てている。
「ぅええっ? ちょ、いいですって!」
素っ頓狂に裏返った声を上げるが、それでも斎藤は気にしない。
「しかし、なくてはならぬであろう」
今更ではあるが当然、刀の手入れ道具は几帳面に仕舞い込み、愛刀は佩いている。さらに今更であるが、斎藤は終始、至極平然とした真顔だ。
「それが、なんとかなるんですよねぇ」
常識的に考えて、何とかなるわけがない。
泰平の世とまでは言えないが戦はなく、武士といっても形ばかりで抜刀すら出来ないような輩も多かったが、黒船来航以後、天誅や辻斬りが流行る京で治安維持を担う新選組幹部がまさか手ぶらで出歩くなど言語道断である。
良くも悪くも目印となる目的で作成した浅葱のダンダラ模様の羽織を見かけると、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す者が大半だが、手柄欲しさかはたまた敵射ちか、決死の覚悟で向かって来る者もいるのだ。
「だって、敗けるわけないですよ」
確かに、沖田程の腕があれば、真剣を相手に丸腰であろうが傷一つ負わないであろう。
大抵の道場と同じように、天然理心流では柔術など刀を使わない武術も修得できる。いやそれよりも、芝居染みた大立ち回りを演じずなりふり構わなければ、どうとでもなるのだ。
多勢に無勢で包み斬るなど当たり前で、いざとなれば、目潰し金蹴りなんでもありだ。何を置いても勝つこと、生き残ること。これは天然理心流のというより、新選組の流儀である。そして
「剣道三倍段、か」
そう、刀を持った相手に対して丸腰でも、三倍以上の剣技力量があれば、負けはない。
「ねっ! だから大丈夫!」
満面の笑みに危うく納得仕掛けたが、そういう問題でもないであろうと反論の口を開く時、いよいよ現れた人物が先手を取った。
「何が大丈夫だクソガキ」
自他共に認める鬼、副長・土方歳三である。
「地獄耳ですねぇクソジジイ」
意図も容易くブチ切れた土方は、到底書けないような怒りの暴言を吐きかけながら自室へ引っ張って行った。
「痛いじゃないですかぁ、歳三さん」
襖を閉めた途端に手を振り払い、沖田は我が物顔の寛ぎ感満載で脚を伸ばして座った。
既に夕刻、サッパリと片付いた部屋が橙に染まっている。
「土方だっつってんだろ」
日野の豪農出身の彼は、武士になると上洛する時に呼び方を改めるよう周知していた。少年期から晩年まで一貫として、割と形から入る性質だ。それを公然と無視するのが沖田、天然で悪気もなくつい
「トシ」
と、口走るのが局長・近藤勇である。
本気で咎める気もとうに失せ口癖のようになっているらしく、早々に本題に入る。
「清光、遊郭でなくしたって? お前にしちゃあ、エラく甲斐性あるじゃねぇか」
瞳の奥で笑っている、楽しんでいる時の表情だ。
「ホンット、地獄耳なんだから」
ボソリと、尖らせた口先で呟く沖田は膝を抱いている。
「ったく、遊郭ぐれぇ行くのは勝手だが、羽目外し過ぎんなよ」
しおらしさは一変、いつもの憎まれ口も健在だ。
「ぅわ、歳三さんに言われたくないセリフ第一位ですね」
「俺は節度を持って遊んでんだ」
「報国のぉー、心を忘るる婦人かなぁー」
「テメェどこでそれをっ」
ご存じ、名匠・豊玉の一句を吟じたところでドタバタと仲睦まじい乱闘騒ぎとなる。一通り通過儀礼を終わらせると、息を整えつつ話を戻す。
「オンナか清光、どっちがいい?」
深く追求されるのはどちらがいいか選べ、というわけだ。
「・・・・・・なんか、僕にソックリな客が来てたみたいで」
訊くまでもなく、どちらを選択する男かは明白にわかりやすい。
「間違って返しちゃったらしくて」
土方としては残念な結果だが、黙って次を促す。
「その人、すっごく酔っ払ってて気付かなかったって」
土方は堪らず吹き出し、
「マヌケな野郎だな」
と、笑い飛ばしたが、自分のことも笑われたと感じた沖田が僅かに睨むとまた渋り顔を作った。
「今頃は返しに来てんじゃねぇか」
まだ機嫌が悪いながらもコクリと頭を揺らす。
「見世の人にすっごく謝られて、貸してもらったんですけど」
元来、沖田は物欲の乏しい男だ。それを知る土方はさも珍しげに、キリリとした二重瞼の眼を丸くした。
「代わりの方がいい刀だから、交換するのが惜しいってか?」
物憂げな深い溜め息は、肯定を意味している。
「・・・・・・菊一文字」
予想以上の大物に驚き過ぎて、土方は不覚にも盛大に噎せた。
それもその筈、菊一文字則宗とは後鳥羽上皇の御鍛冶が一人、十六弁の菊紋を銘とすることを許された名工則宗による、幕末当時でも国宝級の逸品である。一介の武士はもちろん、大名ですら容易に入手できるような刀ではない。
「ニセモンじゃねぇか」
疑うのが普通である。
二人共、刀を人斬り包丁だとでも思っているような男だ。斬れればいいの、只管実戦主義故に目利きではないがしかし、
「・・・・・・見ます?」
スラリとした細身の直刃調小乱れ、芯から匂い立つような気品がある。茎にはクッキリと刻まれた則宗の二字・・・・・・普段の趣味趣向を超越した、惹かれずにはいられない色気、まさに魔性の女のそれである。
「こりゃあ、ベッピンだな。惚れちまったか」
いかにも女の話でもしているように、沖田はサッと耳を紅くする。
「・・・・・・未練ですね。お別れしないと」
いつも冗談ばかり言って笑っていたが、その女性の話をする時だけはしんみりと涙ぐんでいた、と後世に伝わる有名な話である、というのは冗談として、沖田はこの後潔く“彼女”を返しに行ったのだが、なんとそのまま結ばれることとなる。
見世の主人曰く、太夫の身請け金として置いていかれ、早々に売り払おうと思っていたが、沖田のような誠の武士にこそ相応しい刀なのでどうぞお持ちくださいとのこと。猫なで声の京ことばで紡がれる、おべっか混じりの営業文句だが、なんとなくお似合いだと感じたのは事実であろう。
つまり沖田と菊一文字は、相思相愛だということだ。
これが散々、史実ではない、創作だと言われ続けている“沖田総司の佩刀は菊一文字である説”の次第だが、誰もが、あの土方ですら肝心な疑問を忘れている。
沖田は郭で妓を買ったのか。
真相は、近藤に誘われて断れなかっただけの、単なる付き添いであった。
沖田総司が生涯惚れた女はただひとりであったようだ。
了