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西征と東征  作者: 登録情報がありません
第1章西征
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大元帝国造船官:洪茶丘

荒れ狂う冬の日本海。

冬はとてもじゃないが舟は出せない。


彼方には日本国の対馬の最高峰矢立山(650m)が見えていた。

ここは高麗国。


沿岸には寒流のリマン海流。

沖合には黒潮から分岐した暖流の対馬海流。


寒流は沈降流となり、暖流は湧昇流となり逆巻く。

しかも冬域は北西の強い卓越風が吹き下ろす。


その海岸線に高麗の合浦がある。

日本侵攻の拠点となる場所だ。


その海岸線に一人の男がたたずんでいた。

洪茶丘(こう ちゃきゅう)だ。

洪「対馬までは32海里(約58.5km)……」

「だが一体、この荒れ狂う日本海をどうやって渡るのだ」


クビライ・ハーンは1266年より1273年までに6回も使節団を日本に送った。

その殆どが首を斬られ、しかも日本国からの何の返事もない。


最初は「世間知らずの蛮族めが」と小馬鹿にしていた。

遂に「無礼千万にも程がある」「礼儀知らずめ」とキレはじめた。


だんだん堪忍袋の緒が切れるという感じになってきた。

1272年には「日本侵攻だ!」と怒り狂ったという。


西欧はハンガリー、中東はエジプトまでの大元帝国領土は広大だ。

世界の四分の一を占める大帝国から見れば、日本は小さな島だ。


だが忠臣・趙良弼(ちょう りょうひつ)は静かに大王を諫めた。

趙「大陸では南宋との戦争中でもあります」


趙「二方面で戦争をする訳には参りませぬ」

「南宋は呂文煥(りょぶんかん)率いる水軍が強力に抵抗しています」


5年もの間、呂文煥は元軍の攻撃に激しく抵抗した。

だがとうとう元軍の新兵器「回回砲」の前に総崩れとなった。

(回回砲:投石機トレビュシェットの元軍での呼称)。


大元帝国は陸戦は得意だが、海戦は未体験だった。

一方南宋は海戦において天才的な才能がある。


南宋を屈従させ、日本攻略の先鋒にすればいい。

大元王朝はしばし日本侵攻を取り下げた格好だ。


洪「南宋ももうすぐ降伏するだろう」

南宋の三忠臣たちは南宋皇帝五男と共に福建に脱出した。


だが猛烈な追撃隊により杭州湾で脱出船が転覆。

幼い跡取りは、これが原因で病の床に伏せっている。


硇洲(ナオチャウ)島(現香港)に辿り着くも虫の息だという。

「彼が崩御すれば、南宋ももうおしまいだ」


「そうすれば次は、日本に自然と視線が行く……」


この男、洪茶丘(こうちゃきゅう)は曰く付きの人物だ。

彼は自分の祖国の高麗国を激しく憎悪していた。


40年前の1231年父・洪福源(こう ふくげん)は国境警備の職にあった。

だが軍属でありながら勝手に元軍に降伏、懐柔されていた。


高麗国の王族は激怒して、反感と憎悪をたぎらせた。

そして王族の讒言(ざんげん)により、元軍は洪福源を捕縛。


祖国を裏切って大元国についていた洪福源がなぜ?

それは大元国が裏切り者を許さなかったというのもある。

裏切った者はまた裏切る、騙した者はまた騙すという理屈だった。


洪茶丘「ばかな!大元王朝にとって父は味方!」

「隷属した高麗官僚の妄言など偽りのたわごとだ」


「極刑は「死刑と追放刑」がある筈!せめて追放刑に……」


息子の洪茶丘(こう ちゃきゅう)による助命嘆願は叶わず、父は元国に処刑された。


断事官(ジャルグチ)は言った「洪茶丘よ、父・洪福源の罪は重い」

「本来は親族三等親根絶やしの極刑だが、温情を持って本人死刑のみとする」


洪茶丘「あ、ありがたき幸せに存じます」

叩頭して(憤怒の余り)声を震わす洪茶丘。


だがひれ伏したその姿はあまりにも無残であった。

心の奥底は氷のように冷たく無感情になっていった。


<この恨み忘れんぞ!>

<必ず恨みを晴らすぞ>


その後の彼は、大元王朝に献身的に尽くした。

人々は、まるで彼がモンゴル人になったようだ、とウワサした。


洪茶丘(こう ちゃきゅう)は、その後、高麗の反乱や一揆を制圧。

抜群の戦績で、元国のクビライの元で、将軍にまで登りつめた。


遂に思うままに振る舞える地位になったのだ!

そして、ウラミを晴らす機会は突然に訪れた。


ある日、高句麗の王族が反乱を起こした。

すかさず洪はその鎮圧に加わったのだ。


千載一遇の機会である。


鎮圧捕縛され、命乞いをする王族たち。

洪は彼らを撫で切りにしたのだった。


その後も高麗国で鎮圧は続いた。

1273年「監督造船官軍民総管」として高麗国に派遣される。

日本遠征用の船舶900隻の急造を命じられたのだ。


洪「戦艦300隻!」

「大小軍船600隻……」

「1年でどうやって」


大雑把な計算で1日1隻戦艦造船だ。

出来っこないがやるしかない。


無限の平野を疾駆してきたモンゴル騎馬隊。

その行く手の大海も平らげようとしていた。


洪「だが海はそうはいくまいて」

船が期日どうりに出来ても船乗りがいない。


高麗や南宋から多くの船員を徴用せねばならない。

資材、人材とも莫大な資金が必要になる。


洪茶丘(こうちゃきゅう)はまず大元王朝の財務行政部に連絡を取った。

資金・資材、人員、技術、その他様々な目論見書を持ち込んでだ。


すると二人の異人が高麗の合浦にやって来た。


アブドゥッラ・ラフマーン。

西域ペルシャの商家の生まれだった。

彼もまたモンゴル帝国(~1271)の遠征に屈従した一人だ。


経済の才能に長じていた彼はモンゴル帝国の官人チンカイの目にとまる。

チンカイ「その腕を存分に使ってくれい!」

アブドゥッラ「ありがたき幸せ」


アフマド・ファナーカティー。

クビライの宮廷人として信頼を受け、財務行政部門の全権を握るまでに昇格した。

塩の専売制度や商業税制度(消費税)を整備したのも彼だった。


「中央の高級官僚が遠征に興味が?」「冷やかしにでもきたか……」

だが彼らの希望は日本での統制官ダルガチだったのだ。


彼ら二人がなんと日本遠征に志願してきたのだった。


洪「ええっ、ウソだろ」

異人「ホントホント」

洪「ホントに?」

異人「本気なのデス」


理由は宮廷内の高位の色目人に対する反発だ。

漢人の商業税に対する無理解と不満が原因だった。


漢人軍閥の史天沢(し てんたく)の漢人復権派の仕業である。

このままでは二人とも暗殺の危険があった。


アブドゥッラ「日本遠征に参加し、大都を出る!」

アフマド「キケンガアブナイ」


アブドゥッラが洪茶丘(こう ちゃきゅう)に交渉した。

洪「なるほど……」


自分の国に裏切られて、復讐を果たした洪茶丘。

色目人に対する宮廷の意趣遺恨は相当だろう。


洪茶丘(こう ちゃきゅう)は異人たちに哀れを感じた。

どうせ日本での領地の統制官は必要だ。


洪「かまわん、許す」

「異国で存分に辣腕を振るうが良い」


アブドゥッラ「さらに良い知らせがございますデス」

洪「良い?船のことだな」

アブドゥッラ「お察しの通りデス」

「私の一族の者に船大工の棟梁がおりますデス」


洪茶丘(こう ちゃきゅう)は実は困っていたのだ。

高麗の船の作り方は大きな外板が必要だ。

それには大きな真っ直ぐな材木、大木が必要だった。


洪は大都に資材の調達を依頼した目論見書を提出していた。

それを財務行政部門を牛耳るアブドゥッラが嗅ぎつけたのだ。


洪「申せ」

アブドゥッラ「外洋航行船は、古くはムスリム商人が、インド洋……」

長くなりそうだ……。

洪「待て、手短に申せ」

アブドゥッラ「信じてお任せ下さい」

洪「首を掛けると申すか、よかろう」


「やってみせい!」


こうして南蛮渡来の知識と技術での造船が決まった。

着々と準備が進むなか、一人のシリア人が洪茶丘(こう ちゃきゅう)を訪れる。


例の船大工の棟梁アブドゥッラーである。

造船所建設現場で洪は呼び止められた。


シリア人「お待ち下さい、東征右副都元帥サマ」

洪は声を掛けてきたのは叙利亜人だった。

アブドゥッラー「Abdullah Ali Ibrahim、アブで結構です」


洪「おぬしがアブドゥッラの言ったアブドゥッラーか?」

アブ「私は船大工の棟梁です、東征右副都元帥サマ」


洪「(こう)でよい、アブ」

アブ「私は一族40人を引き連れて屈従しておりマス」


洪「話は聞いておる、まかせる」

アブ「ドモアリガット、ミスターホン」


聞いてみると組み立て治具というヤツと分業ブロックにより組み立てる。

船体は南蛮船、操船は航洋型ジャンク船と同じにできるそうだ。


洪「なるほど、わからん」

高麗船しか知らないのだ。


南蛮船はちんぷんかんぷんだ。

洪はアブの要求する全てを受け入れた。


「エリュトゥラー海案内記」という写本がある。

古代ローマ領エジプトのギリシャ人のものだ。


紀元後40年頃、遠洋航行を行う貿易業者のために書かれた。

インド洋の季節風を利用した航海指南書である。


西欧は1200年に渡って造船と航海術を鍛え上げてきた。

その技術をシリア人が結集して、900隻の造船に挑もうとしていた。


ただちに実寸船体展開図を作り、必要な木材を見積もった。

南蛮船は小板を束ねて作る樽のようなモノだ。

高麗国船は長い板材の平底船だが南蛮船は違う。


当時の南蛮船はコグ船(12~15世紀頃)という一本柱の帆船だ。

北海の荒天でも航海可能な頑丈なものだった。


10世紀から使われており船大工のアブは改良を考えていた。

外板は鎧張りで、バイキングの船などで使われる古い工作方法だ。


16世紀以降の帆船(ガレオン等)などでは平張りの外板が使われている。

どう見ても平張りの外版の方が、軽くて船全体の軽量化に有利だ。


それには同じ寸法で同じ精度の板材が大量に必要なのだ。

アブ「誰でも机上で考える、しかし実用となると……な」


当時のノコギリで切って、ちょうなで削る方法では精度が出ない。

何かもっと革新的プランでもなければ実現は不可能だ。


アブ「(なら)いを使ってみるか」

そこで「ならい」機能のある、切削用治具を使う事にした。


同じ大きさの精密加工した青銅製見本に沿って切削する。

するといやでも同じ大きさの同じ精度のものが出来上がる。


船舶の外板は板材である。

木材は丸太だ、これをでかいノコギリで切って、板材を作る。


人力でギーコギーコ切っていたら到底間に合わない。

そこで水車の水力を使って切る機構を発案した。


このためのノコギリも特注品を作らせた。

現代で言えば「帯ノコ」盤に相当する最新工具だ。


これには北宋で使っていた水車式ふいごの機構をそのまま応用した。

人力で切っていては、力加減や疲労によるバランス欠如で、精度が出ない。


水車の水力による回転運動を往復直進運動に変えるクランク機構を使う。

すでにクランク機構は9世紀の回転砥石にその端を発している。


高麗国全ての水車が徴用され、1年365日24時間、木を切り続けた。


人力鋸引きの比ではない。

休みなく切り続けるのだ。


20分で1枚の板が切り出される。

1時間で3枚、24時間で72枚、1ヶ月で2160枚。


ギーコギーコッ。


上下往復運動するノコ刃に向かって丸太が進む。

送りはリンク機構による自動送りだ。


丸太は治具によって位置決めされている。

動力が水力なだけで、機構は殆ど電動鋸と同じだ。


ビィイイイ~ンッ、ガタッ、ビィイイイ~ンッ、ガタッ。


丸太は2往復で3枚の平板になった。

端材はさらに別工程加工に向かう。

平板には位置決めの穴が穿孔され、細かい加工がさらに施される。


造船所は300棟作られ、延べ30000人が昼夜の別なく働き続けた。

造船所1棟につき100人、1棟につき1隻の戦艦を建造、である。


こうして1年とちょっとで900隻の艦船が完成した。

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