西征(1/4):イランへの西征
モンゴル帝国を樹立したチンギス・カン。
彼や彼の息子たちの西征は、遠く中東に及んだ。
カスピ海の近傍にあるバグダード・アッバース朝。
東方から迫るモンゴル軍の脅威に晒されていた。
モンゴル軍総司令フレグは降伏を勧告した。
アッバース朝カリフのムスタアスィムは徹底抗戦に固執。
宰相のイブン・アルアルカミーは降伏を考えていた。
第1章は4話構成の「西征」です。
12世紀末、麻のように乱れていたモンゴル高原に1人の青年が現れる。
その人生は最初から波瀾万丈であった。
ある時は、才能を恐れた族父らが彼を抑留し、危機一髪で隷属民に救われた。
ある時は、部族連合の王に夫人を奪われ、盟友や同盟者と供に間一髪で奪還した。
青年「父は毒殺され、自分は誘拐され、妻は強奪された」
「多縁社会での血筋や絆の隷属はもうたくさんだ」
そんな新参者に古参の遊牧民族のあしらいは冷たかった。
次々に降り掛かる火の粉を払いのけ、青年は信望を得ていった。
彼は同族の諸部族を打ち破り、頭角を現していった。
同族の血縁や絆に捕らわれる事なく、己の主従関係のみでこれを統率した。
柵の無い新しい主従関係は今の軍隊の命令系統に似ている。
その新機軸に多くの部族が賛を唱え、異を唱えた部族は討伐された。
勝つ事もあったが奢らず、負けても意趣遺恨を残さなかった。
遂に青年は、紆余曲折の末に諸部族をまとめ、モンゴル帝国を設立する。
青年の名はテムジン。
テムジン青年は第1代皇帝チンギス・カンとなった。
13世紀前半、第1代皇帝チンギス・カンは西征をおこなう。
その遠征の徒は遠くイラン方面に及んだ。
イラン東部は当時、多くの地方政権が乱立し、戦国時代の様相を呈していた。
チンギス・カンは柵の無い新しい主従関係をここでも唱えた。
その新機軸に多くの地方政権が賛を唱え、異を唱えたものは討伐された。
イラン東部ホラーサーン、北部マーザンダラーンはモンゴルに帰順する。
ホラーサーン:CHORASAN、マーザンダラーン:MAZANDARAN。
■ホラーサーンはイラン東部の広大な地域だ。
イラン東部、アフガニスタン北部と西部、トルクメニスタン南部を含む。
古来より北部遊牧民族が南侵する通路であり、南部各王朝の防御の要であった。
■マーザンダラーンはカスピ海沿岸の小さな地方だ。
だが大陸性気候(砂漠気候)の中で、湿潤な気候を持つ穀倉地帯である。
唯一田植えが出来るほど水が豊かな地域だ。
第1代皇帝チンギスの時代にはここを橋頭堡として、イラン全土に牽制を図った。
第2代皇帝オゴテイの時代にはイラン鎮戍軍(タンマチ)と総督府を置いていた。
第3代皇帝グユクの時代には、兵を送って更なる戦力の増強を図っている。
第4代皇帝モンケの時代になると、クビライに東アジアを、フレグに西征を命じている。
このクビライが、元軍を日本東征に向かわせたのが元寇であった。
ここでは西征でイランに向かったフレグにまずスポットを当てよう。
フレグは西征で西に向かい、イラン東部ホラーサーン州に達した。
この時までにイラン全土にモンゴルのイラン鎮戍軍と総督府の影響は及んでいた。
フレグの圧倒的戦力の前に、次々と陥落するイラン全土の衛星都市。
「降伏し恭順するか?戦って無駄死にするか?」
降伏すれば支配者として君臨するが、現地の統治権は維持する。
抗って戦えば、皆殺しにした。
モンゴル軍の基本的戦略である。
次々とイラン全土を征服しながらモンゴル軍は西に向かった。
目指すはアッバース朝国家の首都バクダードだ。
そこにアッバース朝第37代カリフのムスタアスィムの居城がある。
フレグ「カリフのムスタアスィムに降伏を呼びかける使者を送れ」
モンゴル軍軍師「温厚な性格で読書好きと聞いています」
物静かな性格は政治家向きではない。
蛇のように執拗で、狐のように狡猾、獅子のように老獪なのが政治家だ。
フレグ「簡単に折れるだろう」
だがアッバース朝第37代カリフのムスタアスィムは再三の降伏勧告を拒否した。
フレグ「オロカモノメ」
モンゴル軍は、服属しないバクダード・アッバース朝の首都バクダードを包囲。
フレグ軍12万vsムスタアスィム軍5万の軍勢だ。
フレグはムスタアスィムに最後通牒を突きつけた。
「降伏し恭順するか?戦って無駄死にするか?」
戦って負ければ、200万の市民は皆殺しだ。
フレグ「これで折れるだろう」
バクダードの新宮殿では降伏か徹底抗戦かで揉めていた。
宰相イブン・アルアルカミー「降伏すれば許すと言っています」
カリフ:ムスタアスィム「いや徹底抗戦だ、この街の城壁は無敵だぞ」
宰相イブン・アルアルカミー「降伏は恥ではありません」
「英知と見識の都バクダードを灰燼に帰すおつもりか」
ムスタアスィム「なぁにアラーの神の御加護はこちらにある」
「蛮族のモンゴル兵など一撃で蹴散らしてくれるわ!」
宰相イブン・アルアルカミー「……」
<神のご加護はいいが現実は厳しいぞ……>
こちらは竹と木で編んだ盾に弓(射程200m)と槍だ。
あちらは投擲兵器のトレビュシェットで300mの射程から140kgの岩石が飛んでくる。
中国の銃器の技術者1000人が同行しているとも聞く。
もちろん我々にも「火槍」がある。
いわゆるハンドキャノンだ。
だがモンゴル兵がもっているのは青銅銃身の銃であった。
(正史:青銅製銃身発掘は1288年でここでは30年早くしている)
宰相イブン・アルアルカミーは独り言ちた・・・・・・。
<投擲兵器に謎の重火器でモンゴルは武装している>
<我々の歩兵だけでモンゴル無敵の騎馬隊に立ち向かうおつもりか……>
<勝てるどころか守れるかも妖しいではないか……>
>我々にも「火槍」がある。
>だがモンゴル兵がもっているのは青銅銃身の銃であった。
出典「世界文明における技術の千年史」byアーノルド・パーシー。
次回は「西征2/4:「バクダード陥落」です。