12話
朝雛の咄嗟の判断は、とりあえず正しかった。
首筋の暖かさが急に冷めた瞬間、手袋をした両手を首と冷たさの間に挟み込むと、自分の意志と反して手袋の柔らかさが首と頬へと触れてきた。
何故そんなことが起こったのか。朝雛は考えることなく、今だ首を締め上げてくる張本人へと声をかけた。
「……どう、して」
「それはもちろん、朝雛さんにマフラーをしめてあげるためですよぉ」
ギリギリと、南沢はマフラーだった物の両端を持って朝雛の首を締め上げていた。
「……まさ、か、アナタ、が?」
間に挟んだ両手のおかげでなんとか気道が確保でき、呼吸と会話の出来る朝雛は途切れ途切れに南沢へ訊ねた。
対する答えは、
「うふふふふ〜。そうですねぇ、あなたの探していた通り魔、ですよぉ」
今までのおどおどとした言葉使いとは違う、耳に絡みつくような、恐怖と妖艶さを感じる声で返ってきた。
「っ!? ……アナタが、ソフトチョーカー!」
「せいかいですぅ」
朝雛は自らの油断を悔やんだ。そもそもマフラーを巻いてくれるという時に気付くべきだったのだ。
『ソフトチョーカー』が、首に柔らかい物が巻かれたと思った次の瞬間、冷たい物で首を締めるという通り魔行為をしているのだと。
「しぶといですねぇ、いい加減、諦めてくれませんかぁ?」
呼吸は出来るが、今なお締め付けられ両手に痛みを覚えてきた。このままだと、手が痺れてそのまま締められてしまう。
何か解決策を考えなければ。悟られないよう、この距離なら真後ろでも足掛けが出来るか考え始めた。その時、
「仕方ないのでぇ、そちらもまとめてしちゃいますねぇ」
両手の温もりが、鉄の冷たさに変化した。
「!? どう、して……」
「このまま、締められて下さいねぇ」
今まで助けになっていた両手も首締めの助けになってしまい、朝雛の首を圧迫する。
「わたしの顔を知らなかったら気絶程度にしていたんですけどぉ。名前まで知ってたら仕方ないですのでぇ……死んでくださいねぇ」
「っ……かはっ……」
およそ通り魔と無縁だったような南沢の両手が、朝雛の首を締め上げている。
「お姉さんのところへぇ、行けると良いですねぇ」
「……」
その言葉を境に、朝雛の意識が遠のいて行き、反して頭の中は冷静に考えていた。
……姉さん。敵討ちが出来なくて、ごめんなさい。
……今から
……そっちに
……行く、か……
「諦めるな!」
薄れた視界の中に見えたのは、銀色の輝き。
それが顔の横を通り抜けてると首の締め付けが無くなり、朝雛はその場に膝を付き空気を吸い込んだ。
「っはぁ……はぁ……」
「良かった、間に合って」
「はぁ……あり、がとう……」
徐々に呼吸が安定してきた朝雛を見て一安心した戸隠は、手に持ったナイフを前に、ソフトチョーカー……南沢の立つ方向へと向けた。
「あらぁ、戸隠さんでしたかぁ」
「南沢さん……いや、ソフトチョーカー」
「そうですぅ、柔らかな絞殺魔こと、ソフトチョーカーの正体はぁ、わたしでしたぁ」
南沢はその場でくるくると回った。自らをよく見せるように、マフラーが回転に合わせて動いた。
「ミドリさんの情報は本当だったのか……」
それ以前にも、もしかしたらと思った時があった。
それは先程、この通りで南沢に会った時、耳が良いと言う南沢はこう言っていた。
『戸隠さんの先輩の方が、通り魔の最中に襲われたとか』
ここに来た戸隠は朝雛に先輩である山門が襲われたことは話した。
だが、通り魔の最中であったこと、そもそも山門が通り魔であることを戸隠は一言も話していなかった。
それを知っていたのは、山門をよく知っている人か、昨日のこの場で見ていた人か、ここで山門を襲った人か。
つまり、昨日山門を襲ったソフトチョーカーが、南沢ではないかと僅かに考えていたのだが、まさかそれが正解だったとは。
「それでどうしますかぁ? わたしを警察に突き出しますかぁ? それともぉ、記事にしますかぁ?」
「……通り魔の記事を書く記者としては後者が良いけど、そうはいかない、よね?」
「もちろんですよぉ、正体を知られた以上はぁ、他言無用にさせてもらいますぅ」
そう言って南沢は、朝雛の首を巻いていたマフラーを両手で伸ばした。
マフラーは南沢の編んだ青色の毛糸の物だ。だがこの場に戻ってきた戸隠が朝雛の首に巻かれていたのは、まるで鉄のような灰色をしていた。
そして朝雛の異変にナイフを取り出しながら駆けた戸隠が後ろにいた南沢に刃を向けると、マフラーは青色に戻ってするりと朝雛の首から離れた。
暖かなマフラーを冷たい獲物に変えた。それが占い師から聞いていた。
「病を使って……ですか」
「あらぁ? わたし、病持ちだって言いましたっけぇ?」
かくんと首を傾げた南沢は、妖しげな笑みを浮かべてゆっくり語り出した。
「わたしの病はぁ、柔らかい物を硬いものにしてしまうんですよぉ。マフラーとかぁ、鉄の帯みたいにしてしまうんですぅ」
常人を越えた力を使わせてしまうのが病というもので、南沢のそれは正に病を持った者の力であった。
「確かぁ、『柔硬病』とか言われましたねぇ」
「病持ちは確か、特別な病院で治療されてると聞いたことありますけど」
「しっかりと制御出来る人は免除されるんですよぉ……それなのにぃ……それなのにぃ……」
急に声のトーンが下がり、顔も下を向き、ぶるぶると震え始め、
「……わたしはですねぇ、病にかかったの一年前だったんですよぉ」
急に止まると、笑みのまま顔を上げて戸隠達を見た。
「その前からぁ、付き合ってた人がいたんですけどぉ。病があるって分かった途端にぃ……あの人ったら、別の人に乗り換えるものですからぁ……病持ちとは付き合えないって……ヒドいですよねぇ? そう思いませんかぁ?」
顔は笑っていたが、そこから伺えるのは喜びや楽しみとは異なっていた。
「なのでぇ……」
南沢……ソフトチョーカーは、両手に持ったマフラーをピンと伸ばして、
「二人まとめてぇ……やってしまいましたぁ」
自らの誕生秘話を、述べたのだった。
戸隠は占い師の言葉を思い出した。
『ソフトチョーカーはなるべくしてなった訳ではない。彼女の最初の過ちから進んだ道が、ソフトチョーカーとなることだったのだ』
それと、ソフトチョーカーの通り魔経歴を思い出した。
『最初の犠牲者は三十代男性で、以降犯行を重ねて件数は分かってるだけで13件、内死者は最初と2番目の女性の2人のみ』
そして今の言葉。
柔らかな絞殺魔ソフトチョーカーは、自らの殺人を隠すために、通り魔行為を行い続けることを決めた、常人の考えを越えた狂った通り魔なのであった。