9話
朝雛が和水と出会った翌日。会社に来た戸隠は、若干の違和感を覚えた。
「なんか、物足りないような……?」
分からないまま始業の時間になり、朝礼が始まった所で戸隠はようやく違和感の正体に気付いた。
「先輩、風邪でも引いたんすかね」
隣の席の山門が、今日はまだ来ていなかった。いつもならば戸隠より先に来ているのだが、どうやらまだ出社していないらしい。
見た目通り体育会系な山門が時間を守らずに今来ていないとなると、休み以外考えられないが。
「いや、休みの連絡はもらっていないぞ。有休の届け出も無い」
どうやら珍しく遅刻のようだった。
あの山門が理由もなく休んだことに、珍しいこともあるものだと考える者、まさか来るまでの間に通り魔に襲われたんじゃないかと考える者に分かれたその時、
会社の扉が力一杯開かれて話題の人物が飛び込んできた。
「たた、大変だ!」
「おぅ山門、遅刻とは珍しいな」
「それどころじゃねぇ! 襲われたんだよ! アイツに!」
「アイツ? つかやっぱ通り魔に襲われてたのかよ」
予想が当たってたな、と一部の人が談笑を始めようとする所に、山門が叫んだ。
「ソフトチョーカーだよ! 昨日襲われたんだ!」
瞬間、社内の空気が一変し全員が口を閉ざした。
山門の話によると、昨日、裏路地で見つけたカップルに対し通り魔行為を行おうとした所を、後ろから首を絞められたらしい。
今現在判明している通り魔の中に首を絞めるのは『ソフトチョーカー』だけ。襲われた山門はその後気絶し、本来狙おうとしていたカップルが呼んだ救急車で運ばれて。目覚めたのは先程だったそうだ。
「それでこの事をいち早く伝えるために、病院から走って来たんだよ」
「病院って、ここから結構ありますよ?」
「いや、山門の足ならあの位の距離は問題ないな」
「首絞められてたった一晩でそこまで回復したのも頷けるな」
「信じてくれるか!?」
「あぁ、信じよう……だが、分かってるよな?」
「うっ……も、もちろん、さ」
記者が通り魔に襲われた場合、それを記事にしてはいけないという社訓がある。つまり今山門が語った出来事も、決して誌面に載ることはない。
山門にとっては自らが経験し、トップ記事確実の話になる、筈だった。今ここで話さずに助けてくれたカップルに話を聞いていれば。
つまり今山門は、あまりの驚きについ皆に語ってしまい、記事のネタを一つ潰してしまったのだ。
「山門、もう身体の調子は良いのか?」
「問題、ないぜ」
「そんじゃ、皆仕事始めようぜ」
これを合図に、それぞれが仕事に取りかかっていった。
「……」
山門はがっくりと自らの席に付き。肩を落とした。
「まぁ、ご無事でなによりです」
戸隠も隣の自らの席に座る。
「災難でしたね、まさか通り魔してる所を狙われるなんて」
最近そのようなことをする少女と関わっていることを隠して、同情する風な言葉をかける。
「いや……もしかしたら、今までの報いが来たのかもしれないな」
「あぁ……そうかも、しれませんね」
山門の通り魔行為、内容こそお遊びだが数はかなりのもの。少なからず恨みを買っていてもおかしくはないのかもしれない。
実際、そんなものは一切ないのだが。
「潮時なのかもな、リアル・ジ・ボマーも。元々彼女いないストレスで始めたんだよ」
「なら、彼女でも探せば良いんじゃないですか」
「そうか……そうだよな! 彼女を見つければ良いんだよな! よーし! 絶対今年中には彼女を見つけてやる!」
すっかり元通りになり、席から立ち上がって過去の失態を水に流すことに決めた。
「それでですね、先輩」
「ん? なんだ?」
「その、先輩が襲われたのはどこの路地裏ですか?」
ーーー朝雛が、和水に対して通り魔を追っている理由を話した時、
『へー、敵討ち。誰の?』
『……姉さんの』
『そっかー、凄いね』
驚かれると想っていたのだが、予想外の反応に朝雛の方が驚かされた。
『……驚かないんですか?』
『え? 驚いた方が良かった?』
『……いえ、別に』
『それだけお姉さんのこと、思ってるってことだよね』
『……』
まさかそんな言葉が返ってくるなんて、思いもしなかった。
『こんなだから力にはなれないけど、頑張ってね』
「……」
「どうかしたの?」
そこで、朝雛は過去の思い返しから戻ってきた。
朝雛は今、萱野が勤める喫茶店に来ていた。敵討ちの相手探しは今日も進展は無く、休憩も兼ねて喫茶店に入り萱野へカウンターに進められて席へ着いた。ところで昨日の出来事を思い出した。
「ぼーっとしてたみたいだけど、何かあったのかしら?」
「……いえ、特に何も…」
ふと、朝雛は聞いてみようと思い、言葉にした。
「……戸隠さんの妹、知ってますか?」
「えぇ、大学生の時から知ってるわ。確か今、入院してると聞いたけれど、アナタの方こそ、会ったことあるの?」
「……はい、昨日」
昨日、和水へのお見舞いに付いていって出会ったことと話したことを説明した。
「和水らしいわね。あの子、ちょっと変わってるのよ」
「……なるほど」
「どこか抜けてるというか、人とはどこか違うというか、愛読書があの雑誌っていうのも変わり者を際立たせててね」
「……確かに」
朝雛も立ち読んだだけのあの雑誌をわざわざ買ってきてもらうほど愛読しているとなれば、変わり者と言われてしまっても仕方がないだろう。
「もしもアナタが良かったら、話し相手になってもらえるかしら」
「……」
これからも、敵討ちの相手を探すことになる。そうすると戸隠と関わることもあるだろうし、となれば退院した妹の和水と会う可能性もなくは無い。そういうことならば。
「……分かりました」
朝雛は決して人と話すのが苦手ではない。むしろこうなる前までは普通に友達も多かった。
ただ、自分がこれからすることを考えた結果受け入れてくれる友達はきっといない。ならばいっそこちらから静かに離れてしまえば迷惑はかけずに済むと考えて、今の状況に身を投じたのだ。
そんな中で、話を聞いてくれる同年代の同性がいることは、きっと力になってくれるだろう。
その時、喫茶店の扉が来店を告げた。
「いらっしゃいま……あら、戸隠」
萱野の言葉に朝雛も入り口の方を見ると、
「あ、ナイスタイミング」
戸隠がカウンターへと歩いて来て、朝雛の隣に座った直後。
「ソフトチョーカーの情報を手に入れたんだ」




