涙の枯れた僕
家族が死んだら泣けばいいのだろうか。
ようやく風が冷たくなってきた初秋の頃。少しずつ落ち葉が積もり始める、そんな季節のこと。昨日、母が五十歳で死んだ。僕をこの世に運んできた母が死んだ。何てことはない、ただの病死だ。それも心臓の疾患。元々、医者からはいつ死んでもおかしくないと言われていたから、驚きは特にない。死んで楽になれたんじゃないかな、とは言いたくないけど、間違っているとも言い切れない。それに、母が苦しんでいたのは事実だ。
僕の妹はずっと泣いている。泣いていない時間の方が短いくらいだ。確か祖父母が死んだときもそうだった記憶がある。脱水症状を起こすんじゃないか、と冗談を言いたくなるほどである。しかし、僕は一滴たりとも目から涙は零れていない。というより今まで──それなりに成長してから──泣いたことがない。僕はここ数日悩んでいる。嘘泣きでも泣くべきなのだろうか。泣いている姿を見せるべきか。
今日はこの数日の間では暖かかった。葬式をやるということで、朝から親戚が──家は割と近くて、今日は土曜日だった──我が家に集合している。狭い家だから、ガヤガヤとしてうるさかった。人が死んだのに呑気なものだ、もっと静かにしろよ、と心の中で怒った。
父、叔父や叔母たちが一階のリビングで何やら争っている──ように思えた──。葬式の日取りとかだろうか。他所でやってくれ、と本気で思った。ところで、僕は二階の自分の部屋──これもまた狭いが──に篭っていた。誰も入ってこれないよう入り口には鍵をかけている。何回かノックされたが、僕は全て無視した。一階のうるささに耐えかねて、今はイヤホンもしているから、声をかけられていたとしても分からない。正直相手をするのが面倒だった。細かいことは父が全部やるはずだし、自分は勉強に集中しなければ、と思っていた。僕は大学受験生なのだ。
秋にもなり、本腰を──さらに──入れる必要があった。やらなければいけないことはいくらでもある。自分の将来がかかっている。志望大学のレベルが高いかといえばそんなことはないが、ここで頑張れない人間は一生頑張れないというから、僕は頑張っている。
そんなこんなで午前中はずっと勉強をしていた。時計が十二時半を示し、腹が減ったので、僕は一階へと降りていった。下は先ほどまでに比べれば静かになっていた。
昼食はなぜかトンカツの弁当だった。時間が経っているのか、すっかり冷たくなってしまっていた。味は悪くないが、違和感がある。違和感といえば、母が死んだのに違和感がない。元々入院していて、家にはいなかったせいだろうか。皮肉なものだ。人の命なんてこの程度なのだろうか。
食べている間は先ほどとはうってかわって、みな無口だった。気まずい空気が流れている。口を開こうにも開けるような様子ではなかった。団欒のない食事はまさに栄養補給にしかならない。生きるために食う。そして食われる。人間の世の中だって違いはない。母は死に、僕は生きている。そして僕もいつか死ぬ。死んで、何かに取り込まれる。母が死んだせいか、こういうことばかり頭に浮かぶ。あまりにこの空間の空気が動かないので息苦しくなった。
昼食を食べ終わると、葬式の日取りを父が説明した。今日お通夜をやって、明日が葬儀なのだそうだ。宗教には詳しくないので、僕は、分かった、としか言えなかった。
部屋に戻って母について考えてみた──そうすれば泣けるに違いないと思ったのだ──。浮かんでくるのは、僕の失敗を責める母ばかりであった。──おいおい、これではむしろ恨んでしまうじゃないか。いや、怒ってくれる人がいなくなったと思えばいいのか。しかし、そんな実感はないし。怒ってくれる人がいなくなったところで何も変わらないじゃないか。──
結論を言ってしまうと、泣けなかった。僕は葬式では泣かなければ、と思っていたので、どうにか泣く方法を思索した。インターネットも使った。ただ、出てくるのはどれも嘘泣きの方法ばかりであった。最悪嘘泣きをしよう、と決めた。それなら上辺だけでもきちんとした別れになる。
──ふと、カレンダーを見た。何と明日は模試だった。ここ数週間目標にしてきた模試だった。母のことで忘れていたが、そう、明日は模試だ。学校の先生からも必ず受けるよう言われている。僕としても受けたい気持ちが大きい。思い出すやいなや、受けたくて仕方がなくかった。今まで苦労してきた分いい結果が出せると考えていたからだ。しかし、残念ながらそうもいかない。明日は母の葬式があるからだ。僕は間に挟まれた。なぜ明日葬式をするのだ、と感情が生じてきた。他の日でもいいではないか、と。
最終的に、ここは父に聞くのが一番だ、と判断したので、隣の部屋にいる父に相談することに決めた。父の部屋からは、少し前まで電話をしている声が聞こえていた。だいぶ長い電話だった。もう終わっていたみたいなので、部屋をノックし、中へと入った。
父の部屋は驚いてしまうくらい暖かかった。僕の部屋に比べて日当たりがよいせいだろう。今日は本当に暖かい日だ。父は振り返って、どうした、と聞いた。僕は模試のことを話した。自分の将来に関わるんだ、と熱弁した。父は僕が話している間、無表情だった。そして、お前は馬鹿か、と一言唸った。
僕は困惑した。意味が分からなかった。なぜ馬鹿呼ばわりされなければならない。葬式の日取りさえ替えてもらえば何の問題もない。それとも他の人の予約でも入っているのだろうか。それも聞いた。すると父は、いつもの優しさがどこに行ってしまったのか不思議になるほど怖い。母さんが死んだんだぞ、どっちが大切なんだ、と繰り返し僕に問い詰めた。僕は冷静になって考えた。答えはすぐ出た。どっちが大切か──どっちもだ。しかし口にはしなかった。僕は黙って父の部屋を出た。そして、自分の部屋に戻り、鍵をかけた。もう外は暗くなっていたのでカーテンも閉めた。
僕は不機嫌になった。そう、模試は受けられない。何もする気力がなくなった。父への不満が僕を支配した。──邪魔だ、なぜ僕の言う通りにしてくれない──。母への恨みまで湧いてきた。──なぜこのタイミングで死んだんだ、せめて模試の後ならば。こんなこと口にできるはずもなく、僕は舌を噛んだ。周りの物に当たり散らした。そもそも葬式なんてする意味は何なんだ。人は死んだら無になるんだ。現に母は今、有機物から無機物へと変化している最中である。葬式なんてする意味はない。別れとか死体に言う意味がどこにあるというのだ。僕は何より不満だった。模試を受けたかった、というより、自分の思い通りにいかなかったのが気に食わないのだろう、と自己分析した。自分のわがままさに呆れた。虚しくなった。
僕は筆箱からカッターナイフを取り出し、刃を出し入れした。自傷行為をしようというわけではない。何だか本能的にそうしたくなっただけだ。カチカチという音を、ただただ繰り返した。
──誰かが部屋をノックしている。30分ほど記憶がない。寝てしまったようだ。僕は目覚めたが、無視した。イヤホンで耳を塞いでおいて、後で言い訳しよう。しかし、あまりにしつこかったので、カッターナイフをポケットに入れ、仕方なく鍵を開けた。
父がいた。父は僕の胸ぐらをつかみ、いい加減にしろ、と怒鳴った。僕はまたもや父に困惑させられた。父は今不安定なのだ、自分にそう言い聞かせた。何のこと、と落ち着いて返した。母さんが死んだのに、という言葉から説教のようなものが始まった。模試のことを言ったのが今さら頭に来たらしい。他にも僕の態度は許せないのだとか。とばっちりだが、僕は大人の対応をした──黙って聞いていた。真面目に聞け、と何度も言われた。むしろ真面目だから聞いている、真面目でなければ聞くわけがない。父の話は長かった。
──邪魔だ──。さっきの思いが再び僕を支配し始めた。全て母のせいだ。──なぜこのタイミングで死んだんだ──。僕は徐々に冷静さを奪われていった。カーテンを閉めていたので、部屋も冷えてきていた。逆に僕はどんどん熱くなっていく──父には勝てないが──。
気がついたらポケットに手を入れていた。そして、理性を失った次の瞬間、僕は風景がガラガラと崩れていくのを感じた。全てが視界から崩れ落ち、何も見えなくなり、僕は気を失った──ようだ。
純文学風。純文学とは違うかもしれないけど、大衆文学ではない。
もしも僕の母が死んだら、という仮定で書いてみた。もちろん想像である。きっと僕は泣けないし、「僕」と同じ考えをするに違いない。現実母が死んだら泣ける気がしない。そして葬式もめんどくさくてやりたいとは思わないに違いない。ある意味苦悩。何で普通の考えができないんだろう。
まとめ失敗しました。あまり長くしたくなかったのに、ダラダラとしてしまい、中途半端。最初にきちんと構成を考えなければ、と改めて感じた。
批評下さる方お待ちしております。厳しいものでも構いません。よろしくお願いします。