クリスマスと悲劇
ここは日本。
今日は12月25日。日本国民がクリスチャンでもないのに大騒ぎする日だ。特にカップルが一年のうち最も楽しみにしている日といっても過言ではない。
(……日本には本来そんな文化無いっつーの。)
煙草の煙が充満している部屋で一人、男はそんなことを思っていた。
彼は兼ねてからクリスマスをあまり楽しみにしていたことはない。
なぜならば、彼は19年間生きてきて一度たりともクリスマスの街を行くカップル、であったことがない。
しかしながらキリスト教が多く広まっている欧米の真似事をこの国は好むらしい。
(でもまぁ悪くないか。イルミネーションは綺麗だし、デパート等ではセールもやっている。それになにより……)
今、彼には19年間生きてきて初めての彼女がいるのである。
男は立ち上がり自室の窓を開け、そこで二本目の煙草に火を点けた。
両親、弟と共に住み、その中の六畳半の一部屋は彼のものとなっている。家族は煙草を吸わないので、臭いが付く、とうるさいのだ。そもそもまだ彼は未成年なのだが…
窓を開けると外の冷気が吹き込み、室内の温度が一気に下がる。
(寒いな・・・ホワイトクリスマスにでもなればいいな。)
彼は一人の部屋でこのあとの予定に思いを巡らせ、口元を弛め微笑んだ……
男が早歩きで通りを行く。人通りは少なくないがその男を横目に見る者はいない。いたって普通の青年がただ約束の時間に遅れそうになって早歩きをしているだけなのだ、と考える者もいない。
普通の光景だ。果てしなく普通の。どこまで行っても普通にしかなれず、普通に塗り固められてしまった男。この男の人生が間もなく終わり、始まることを知る者などどこにもいない。
「ごめん、待った?」
約束の場所に着くやいなや、約束の時間に遅れたことを詫び、そこらじゅうに転がっているような言葉を紡ぎ出す。
「大丈夫だよ、大地。」
待たされていたのであろう女性は答える。
やや童顔であり茶髪のロングのストレート、優しい雰囲気を醸し出すと同時に、どこか抜けているような印象を与える。
大地とは、今謝罪の言葉を口にした男の名前だ。
「遅刻癖直んねぇなぁ畜生、ごめんな千尋。よし、んじゃまぁ行きやすか。」
大地は頭をかきむしりながら自分の彼女である千尋に再度お詫びの言葉を口にし、千尋の手を取って歩き出した。
二人は三回ほど駅を乗り継いで目的の駅に到着した。時刻は既に夕方の六時を回っている。
十二月の後半ということもあって日はかなり短くなり、辺りは既に真っ暗である。
そんな中二人は、駅から歩いて十五分程の遊園地に向かっていた。寒さもかなりのもので、二人は冬用のコートに身を包んだ上にお互いの手を握り、温もりを共有しながら歩いていく。
「すげぇな……予想以上だ。」
「ほんとすごい…綺麗…。」
二人は到着すると同時に感嘆の声を洩らした。二人がクリスマスのデート場所にこの遊園地を選んだのは、このイルミネーションが目的だった。ここの遊園地はこの時期になると毎年大掛かりなイルミネーションを設置し、そのイルミネーションを見るために他県から来る人も少なくない。
遊園地自体はどちらかと言えば小さな方であり、毎日大盛況というわけではないらしい。しかしこの時期になると、イルミネーション目当てで来る人たちで小さな遊園地は埋め尽くされる。大半はやはりカップルである。家族連れもいないことはないが、探すのが困難なのではないかと思うほどに周りを見渡してみてもどこもカップルだらけである。
「やっぱり人多いな。あ、あのベンチ空いてる!」
大地が近くに空いているベンチを見つけ、二人でそこに腰かけた。落ち着いて見ると改めて感動する。
ほぼ全ての木に大量の発光球が取り付けられ、地面もところどころライトで青白く淡い灯りで照らされ、足元にもイルミネーションが大量に設置され、雪の結晶を模して壁面に取り付けられたイルミネーションまである。
まるで真っ暗な世界に生まれた光の別世界のようである。
二人してイルミネーションに見惚れている時、大地の頬に何かが当たった。
「ん……まさか…雪だ!」
大地が少し興奮した声でそう言う。周りにもちらほら気づき始めた者たちもいて、皆一様に大地と同じように声を上げ、空を見上げている。
「私たちの最初のクリスマスはホワイトクリスマスだねっ。一生の想い出だよ、本当に。……一緒にいてくれてありがとうね。」
千尋は大地に言った。
後半部分はまるで粉雪のように、今にも消え入りそうな声で小さく小さく呟いた。
その呟きが聞こえたのかどうか、大地の口元も動いた。
―ずっと一緒だ―
「やべっ、そろそろ帰んなきゃか。」
大地が少し焦ったような声を上げる。時刻は夜の八時であった。
思っていたより時間が経っていた事に、ウィンクルを思い浮かべた大地は苦笑した。
千尋の家は門限に厳しく、九時までに家に帰らなければ説教を食らうらしいのだ。
「本当だ…いつもごめんね。」
千尋がそう言いながら申し訳なさそうに俯いた。
大地は苦笑しながら、千尋の頭に手を置き、大丈夫、と声をかけ歩き始めた。
(やっぱ九時ってさすがに早ぇよな……小学生かっつーの。)
千尋はそのあとをちょこちょことついていき大地の手を取った。
口にこそ出さないが、大地はその門限のことに関しては多少不満を抱いている。前に夏の時期に二人で三時間かけて海へ行った時も、門限を守る為に、夕食は一緒に食べられなかったこともある。
彼らは二人とも大学生だ。社会人ほどではないが、平日などはほぼ時間がなく一時間も一緒にいられることもなく帰宅させなければならない日もある。
(まぁでも心配なんだろうな、わからんでもない。)
しかし大地にも心配している親の気持ちは伝わるので、この思いは一生口に出されることはないだろう。
帰り道。
駅までの道を手をつなぎながらとぼとぼと歩く。ふと千尋が大地に声をかける。
千尋は大地が振り向くのを確認してから、声を発した。
「大地…」
大地は、どうした、というような仕草で首を傾げている。
「うぅん…やっぱりなんでもないっ!」
千尋は頬を赤らめながら俯いてしまった。
(恥ずかしいな…言えないよ、なんか…)
今まで何度も放ってきた言葉をなぜか千尋はためらってしまった。このシチュエーションのせいだろうか、改めて面と向かってその言葉を使うことに恥ずかしさを感じ、口を閉じてしまった。
それを見て苦笑していた大地は、俯いている千尋の体に近寄りそっと抱き寄せ額にキスをした。
大地は千尋の手を握り、ゆっくりとその手に力を込めながら言った。
「この手をずっと離さない。」
「約束だよ?」
潤んだ瞳で見上げながら千尋は言った。
あぁ、絶対だ、と大地は力強く頷き、自分自身に誓いを立てた。
今二人がいるのは大きめの通りだが、クリスマスのせいか周りには人通りも少なく車も通らなかった。
さらにこの暗さもあり、誰一人として路上で接吻しているカップルがいることに気付くことはなかった。
(車が来たか……ん?)
大地は車が来たのに気付くとすぐに唇を離した。まだかなり距離があるので二人のキスは見られてないだろう。しかしそれと同時に微妙な違和感を覚える。
(ライトが左右に大幅に揺れている…蛇行運転でもしてるのか…?)
大地は去年の自分のようにクリスマスが厄日だと思っているような輩が憂さ晴らしにデンジャラスなドライブをしているだけだと思い、特に気に留めることはなかった。
「どうしたの?考え事してる顔してる。」
「え、いや、何でもない。」
大地は車から視線を外しながら答えた。
(まぁ大丈夫だろう。)
この判断が自分の人生を大きく変えてしまうとは、この時大地は微塵も思うことはなかった。
大きな過ちであろうことも…