視認
間に合う、と踏んで駅に駆け込んだが、最終列車は発ってしまった。
ツイてない。
私は肩で息をしながら、仕方なくロータリーのタクシー乗り場へ向かい乗客の列に並んだ。
給料日前に痛いな。
過去の経験から家までの乗車賃は3000円ほど掛かる。
ケータイをいじりながら酒の臭いを漂わせた前の客が車に乗り込む姿を眺めた。すぐにベルトコンベアーの荷のように次の車が流れてきた。
車に乗り込み、行き先を告げるとドライバーの男は、少々小さめの帽子を被り直し、かしこまりました、と車を発車させた。
「お嬢さんが最初で最後のお客さんになりそうですわ」
ドライバーが乾いた笑い声をあげた。
「景気悪いですからね」
「タクシー強盗に渡す金もないですわ」
笑えないジョークに苦笑して、ケータイに視線を落とした。
何件かのメールの返信をして車窓を眺めた。しかしそこには見るべき景色はなく、私より先に眠りについた街の様子が淡々と流れた。
乗り心地がいい。深夜で渋滞がないからだろうか。それとも運転技術の高さだろうか。気分良く助手席の枕越しに乗務員証に目をやった。
えッ!
私は目を疑った。乗務員証の写真には頬がふっくらとした中年女性が写っていた。
どういうこと――。
背筋を冷たいものが一瞬で駆け抜けた。
鼓動が耳の奥にまで響くように高くなる。
気づいたことを悟られてはいけない――と、咄嗟に判断し、冷静を装う。
ドライバーの左手がすッと伸びた。バックミラーに手を掛ける。
私は息を飲んだ。
向きを直しただけだろうか。
それとも――。
私は目を向けられなかった。
どうすれば――。
私は思考を駆け巡らせる。
運転手に質すべきだろうか? いや――それは怖い。
このまま――このまま気づいていない振りをしていれば。
私は再び車窓を眺める。
何も見えない。
いや――。
何も視認していない。
「お客さん……」
私はビクッと肩を震わせる。
どの辺りで止めます、という通常の会話に咽喉を詰まらせながら返答した。
「3070円になります」
停車すると私は財布から3100円取り出し、お釣りはいいです、と自動で開くよりも速く扉に手を掛けた。
「ありがとうございます」
降車する際、ドライバーに声をかけられ、慌て過ぎて肩をぶつけた。
車の後方に歩を進め掛けた時、ガチャッ! という音が闇に響き、私は身を反らせた。
トランクが開いたのだ。
見ようとしていないのについ目がいってしまった。
そこには――。
トランクは開いていなかった。ロックが外れた状態でわずかに浮き上がっているだけたった。
それでも、私の脳裏に残酷な絵が浮かび上がり、カラダが硬直した。
車が静かに発車しだした。
偶然? 故意?
私は呆然と車を見送った。
(了)
チラリズム。