[2]お隣さん? (後編)
前回からの続き
「で、さくら姐さん」
気を取り直し、再度問う。
できるだけ真剣な表情を作って。
「そろそろ本題に入ってくれませんか?」
「…………あん?」
赤い頬が消し飛んでゆき、代わりに鋭い目が俺を貫いた。
俺はひるまず、目を見返しながら言葉を紡ぐ。
「俺をわざわざ部屋の中に招待した理由ですよ。話でもあるんでしょ? なにかの勧誘とかですか?」
「……ははっ、勧誘か。なんでそう思ったんだよ?」
少し相好を崩し、姐さんはおもしろそうに問いかけてくる。
「そりゃあ、初対面の男をいきなり部屋に誘うなんて明らかにおかしいでしょ。裏があるとしか思えませんよ、普通は」
「……案外、あたしが少年に一目ぼれしたとかいう理由かもしれないだろ」
「いやいやいや。だったら今までのやり取りはなんだったんスか。俺、思いっきりフられた気がするんですけど?」
一度紅茶に口をつけ、「それに」と言葉を続ける。
「たとえ俺に惚れたんだとしても、段階を踏まずいきなり部屋に入れるなんていう常識はずれな行動をとるのはどうなんだろうと。さっきから見てましたけど、姐さんって意外に常識人みたいですからね。そういう変な矛盾があるんで、きっとなにか常識よりも優先される用事でもあるのかなー、とか思ったわけです」
言い切り、かちゃんと音を立ててティーカップを置いた。
しばしの沈黙の後、「ふうん」と感心したような声を上げて姐さんは言う。
「警戒心の薄い田舎者かと思ったら、意外によく見てるじゃねえか。……余計なところも見てたみたいだけどな」
そう言って彼女はパーカーの襟を閉じて胸元を押さえる仕草をした。……たまに盗み見てただけなんだが、どうやら俺の目線はバレバレだったらしい。でも男なら仕方ないって。自然にそこに目が吸い寄せられるようにできてるんだから。
弁解にもならないことを心の中で思ってまったく意に介さずにいると、姐さんも諦めて話を進める方向に戻ったようだ。
「でもそこまで警戒しときながら、なんで素直に部屋に入ったんだよ?」
「そりゃあ、さくら姐さんの魅力にやられたからですよ。どんな理由であれ、綺麗な人とお近づきになれるなら乗ってみるのが男ってもんでしょう?」
俺がにやりと笑って言うと、姐さんは呆れたように肩を竦め、
「そういうことにしといてやる」
と嘯いた。
でも九割ぐらいは本音を言ったんだけどな。
そこにつけ加えて言うなら、早いうちに隣人との関係性を決定づけたかったというのもあったけど。たとえば宗教とかの勧誘なら、ここできっぱりと断ることで今後はそういう話をさせないようにするとかさ。まあうまくいくかどうかは成り行き任せだったけど。でもよくよく考えてみれば、いきなり変な睡眠ガスとか吸わされたりする可能性があったといえばあったので、やっぱりちょっと軽率だったかもしれない。
っと、まあ済んだことはどうでもいい。この期に及んでは、彼女の真意を確かめるしかない。
いつの間にか注がれていた二杯目の紅茶で喉を潤しつつ、姐さんの言葉を待つ。
静かなアパートの一室に、紅茶のすする音だけが木霊した。
「…………はあ」
やがて姐さんの溜息が部屋に落とされた。
「あー、別に勧誘とかじゃねえし、もちろん逆ナンでもない。ちょっと忠告っつうか……ある話がしたかっただけだ。そんなに警戒しないでくれ」
「話……ですか。いいですよ、聞きますよ。どんな話です?」
「このアパートの一〇四号室、通称『お化け部屋』――――お前の部屋の話だ」
「…………」
なんかすごく聞きたいような、あまり聞きたくないような。
微妙な俺の心境を知ってか知らずか、姐さんは話を続ける。
「一応聞いとくけどよ、もちろんお前もあの部屋がいわくつき物件だと知って入ってきたんだろ?」
「そりゃあね。家賃があまりにも魅力的でしたから」
「みんなそう言って入ってくるけど、あたしの知る限り三か月も持ったヤツはいないよ」
「はあ」
話の方向性がつかめず、生返事を返す俺。
姐さんが再度問い掛けてくる。
「少年。あの部屋で既に怪奇現象とか起こってないか?」
怪奇現象。
科学などでは説明のつかない不思議な現象のこと。
さて、俺の部屋でそのようなことが起こっただろうか?
「特になにも起こってませんよ」
一瞬の思考の後、そう答える。
姐さんは特に疑う様子もなく、「そうか」と頷いた。
「でも早いときは入居してからすぐに起こるからな。今夜は気をつけて寝るといいぜ」
「気をつけろって言われても……。具体的にどんな怪奇現象が起こるんですか?」
「色々だな」
姐さんはどうしてだか、楽しそうに笑いながら答えてくれた。
「誰かいるような気がする、急に寒気を感じた、なんて曖昧なものから始まって。鏡に血まみれの少女の姿が映ったが振り向いたら誰もいなかった、壁に変な模様が浮かび上がったんで大家さん呼んできてみたらかき消えてた、ベッドの位置が毎日少しずつずれる、なんてのもあったか。――そうそう、一度、その部屋の住人があたしの部屋に飛び込んできたことがあってね。『ひとりで部屋にいたら背後から誰かに首を絞められた』なんて言ってさ。実際、その子の首には痣ができてたね」
…………おいおい、不動産屋さんから聞いたのよりもキツそうなんだが。
さて、この場合、不動産屋さんが俺を入居させるために若干軽めに伝えたのか、それとも目の前の女性が誇大して言っているのか、どちらだろう?
「大家もいい加減、お化け部屋の入居者募集するの止めりゃいいのになァ。……少年、さっき言ったように、丁度二階に部屋が空いてるし、そっちに移ったらどうだ? 家賃は今より高くなるだろうが、それでもこの辺りじゃかなり安いぜ、このアパートは。なんならあたしが大家に口聞いてやってもいいしよ」
黙って聞いていたら変な方向に話が進み出した。慌てて口を挟む。
「ちょっと待ってください。……あの、まだ話が読めないというか、あなたがなにを言いたいのか分からないんですが。俺をあの部屋から追い出したいんですか?」
「だから、忠告だよ。助言って言ってもいい。あの部屋はマジでヤバいからやめとけ、って言ってんのさ」
とん、とん、とテーブルを指でつつきながら姐さんは続ける。俯き気味になっているために半乾きの前髪が垂れ、その表情を窺うことができなかった。
「いいか? 怪奇現象ってのは、基本的に段々と酷くなっていくんだよ。この場合だと、住人が怖がっている様子を楽しんで、より過激で直接的な怪奇現象を起こす……そういう幽霊があの部屋には取り憑いてんのさ」
「……オカルト方面に随分とお詳しいようで」
幽霊。幽霊が取り憑いてるときたか。思わず眉に唾を塗りたくなってくるな。
肩を竦めながら放った俺の言葉に、姐さんは顔を上げて不機嫌そうな顔で睨んできたが、特に弁解はしないようだった。
うーん……これはちょっと、想定よりも“微妙な”人に関わってしまったのかもしれない。怪しい勧誘や商売の話ならきっぱりと断るところなんだけど、別に幸運を呼ぶ壺とか霊験あらたかなお札とかを勧められる様子はない。かといって百パーセント善意で言っているのかどうかは測りかねるし、仮に善意だとしても別の意味で危ない人だ。
ああ、美人に釣られるんじゃあなかった。「変な女に引っ掛かるんじゃないよ」という母の言葉を今更思い出した。もっとも、先に思い出してても俺は喜んで釣られただろうけどな。美人に弱いのは男の性だと言い訳しておこう。
姐さんがなにも言って来なくなったので、俺のほうからまとめにかかる。
「さくら姐さんの言い分をまとめますと。俺の部屋にはお化けが取り憑いている。怪奇現象が起こる……とすれば、それはそのお化けせい。段々とエスカレートしてくるので、早いうちに部屋を引き払っておけ。そしてさくら姐さんはそれを善意で言っている。……こういうことでオーケーですか?」
「オーケーだ」
「わかりました。ご忠言はありがたく頂戴しておきましょう」
慇懃すぎる言い方がいけなかったのか、姐さんは半眼で睨んできた。
「……信じてねえだろ」
「いやいや、そんなことは」
俺は満面に笑顔を作って言う。
「とりあえず“幽霊さん”を殊更に刺激せず、特に怖がったりというリアクションをしなければ良いんでしょ?」
「……そういうことじゃねーし、それができれば誰も苦労しねえんだよ」
頑固者め、と姐さんは吐き捨てて腕を組んだ。胸が押し上げられ、むにゅんという柔らかそうな擬音が俺の耳に届いた気がした。
苦労して視線を彼女の目に固定しつつ、俺は反論を試みる。
「頑固っていうか、どっちにしろ俺はあの格安部屋を出ていくわけにはいきませんからね。親の仕送りもない貧乏学生に選択肢なんてないわけですよ」
と、そこで俺はさくら姐さんの反応を待つことなく立ち上がった。
「さて、と。少し長居しすぎちゃいましたね。俺も荷物の片づけが残ってるんで、この辺でお暇させてもらいます」
「…………わかったよ」
姐さんは諦め気味に溜息をついて言う。
「じゃあせめて、なんかあったらあたしに相談してきな。割引で聞いてやるぜ。学生割引プラス隣人割引で格安だ」
「……いや、無料じゃないんスか」
「こっちも商売なんだ、無料なのは初回だけだ」
「――商売?」
咄嗟に聞き返すと、憮然とした表情が返ってきた。
「……なんでもねえ。忘れろ」
すごく気になるワードなんだ、そう言われて忘れられるはずがない。
しかし問い詰めても答えてくれそうな感じではなかったので、大人しく退散することにした。
……ああ、そういえば。
律儀に玄関まで見送られたところで、言い忘れていたことがあったことに気がついて立ち止まった。
「さくら姐さん」
「……なんだよ」
「お茶、おいしかったですよ」
「………………」
なに言ってんだこいつ、みたいな目で見られた。
失敬な、わざわざステキな微笑みまで浮かべて言ったというのに。この台詞と表情で落ちなかった女性は今までいなかった必殺スマイルである。それが初めて破れてしまった。……まあ、試したのは今回が初めてだから当然だが。
盛大にスベったのを自覚しつつ扉に手をかける。飛び込んできた外気が頬を鋭く切り裂いてきた。思っていたより部屋の中は暖かかったらしい。
外に足を踏み出したところで、背中に声が掛けられた。
「……ま、気に入ったんなら、また来たときに出してやるよ」
来る気になるならな。
最後にぼそりと呟かれたその言葉とともに扉は閉じられた。
なんとなく、その扉を数秒ほど見つめる俺。
「……じゃあその時はなにか甘いものでも持っていきますよ」
独り言をつぶやき、ふう、と息を吐く。
息が白く染まるほどには気温は低くないらしかったが、俺は身を縮込ませながら足早に自分の住処へと戻って行った。
ちょっと文章が固いかな……。その上、回りくどく説明くさい部分も多い気が。キーワードに『ライトノベル』って入れてますが、こんな読み難いラノベはないでしょうねえ。時間がないので文章の修正はあまりしませんが、今後も読み難くなりそうならキーワードを変更しようと思います。
あと、メインヒロインの登場は次回です。ラブコメなのにメインヒロインの登場が遅いってどうなんだろう……。
プロローグ的な感じで先にちょこっと出しといた方が良かったですかね?
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