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深溟のレムリア ―禁断の盾(レア―アース・シールド)を穿つ者―  作者: 如月妙美


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第二章:古文書の警告

第一節:地質学AI「ENKI」の深層学習

 日本最南端の海域で、採掘艦『イザナギ』が人類の飽くなき強欲という名のプラズマで深淵を穿ち続けている間、東京都郊外、武蔵野の雑木林に囲まれた国立至達大学の古びた研究棟の一室では、徳永隆明が地獄の門番のごとき執念でモニターを凝視していた。彼の唯一の理解者であり、知性の鏡とも呼べる地質分析特化型AI『ENKIエンキ』は、世界中の地質データ、精密な衛星測地データ、および海底ボーリング調査の膨大な記録を飲み込み、人類がかつて到達し得なかった推論の深層へと潜り込んでいた。

 部屋の空気は、家庭用電力の限界まで酷使された数台のワークステーションが放つ焦げ付くような熱気と、徳永の神経を逆撫でするような冷却ファンの絶え間ない回転音で満たされている。エアコンさえ切って計算資源に電力を回している室内は、摂氏40度を超える酷暑と化していた。「ENKI、フィリピン海プレート南端の応力場における、レアアース堆積層の動的寄与を再定義しろ。単なる堆積物としての質量計算ではない。プレート境界の物理的摩擦係数に対する、重金属元素の化学的な結合力の観点からだ。特に、アメノオハバリのプラズマ照射が引き起こす岩盤の相転移と、分子構造の変容をパラメータに入れろ」

 徳永の声は砂を噛んだように枯れ、その瞳には慢性的な睡眠不足と過度の集中による赤黒い隈が深く刻まれている。 『了解。解析モデルを「静的堆積モデル」から「動的結合シールドモデル」へ移行。計算負荷増大に伴い、演算コアの85パーセントを予測精度98.5パーセントの維持に振り向けます。演算を開始します』 メインモニター上に、フィリピン海プレートの複雑極まる3D構造が、神経回路のような光を放ちながら展開された。太平洋プレート、ユーラシアプレート、および北米プレートという巨大な岩盤が数千万年にわたってせめぎ合う境界線。その中でも、今回ニブス資源開発が掘削の標的としている水深6500メートルから7000メートルの泥層は、異様な色彩を放ちながら不気味に明滅していた。

 ENKIが導き出した結論は、現代地質学の常識を根底から突き崩す、戦慄すべきものだった。 『徳永准教授、解析結果を報告します。当該海域の重レアアース層は、数千万年かけて地球内部のマントルから上昇したジスプロシウム、ネオジム、テルビウムといった超高密度の重金属元素が、プレート境界の極微細な「隙間」を埋めることで形成されたものです。これは単なる資源の堆積場ではありません。フィリピン海プレートが北西方向へ沈み込む際の急激な滑りを抑制する「固体潤滑剤」であると同時に、プレート同士を力学的に固定する巨大な「摩擦ロック」として機能しています。私はこれを、地球の安定を司る「レアアース・シールド」と定義します』

 徳永は、画面上の数値が示す物理的な「硬度」と「粘性」に息を呑んだ。「つまり、そのシールドを無理やり剥ぎ取るということは、巨大なバネを無理やり抑え込んでいる固定具を焼き切ることに等しいのか?」 『その通りです。ニブス資源開発が投入した超高出力収束プラズマ破砕機「アメノオハバリ」は、摂氏数万度の高熱によってこの結合組織を分子レベルで破壊し、プレートを固定していた「錠」を強制的に溶かし、蒸発させています。シールドが完全に喪失した場合、フィリピン海プレートは数百万年分に相当する歪みエネルギーを一気に解き放ち、北西方向へ向けて、通常のプレート運動の数万倍という地質学的な瞬きに等しい速度で弾性反発を起こします』

 ENKIが表示したシミュレーション画面では、プレートが跳ね上がる衝撃波が赤い波紋となって列島を襲っていた。 『詳細な予測値を提示します。跳ね上がりにより、掘削地点を中心とした沖ノ鳥島海域は、最低1000メートル以上の急激な隆起を記録します。かつて海面下に沈んでいた広大な大地が、巨大な山脈として海上に突き出すのです。しかし、物理的なバランスを保つため、その対極にある北西端――南西諸島および沖縄本島周辺は、プレートの強烈な引き込みによって急激な海面下への沈降を開始します。これは「シーソー現象」の極大化です。予測される沈降量は、最低で海抜100メートル。那覇市を含む沖縄の主要都市の大半が、物理的に消失し、海面下へと没する計算です。これは予測ではなく、確定した未来です』

 徳永は、モニターに映し出されたシミュレーションの惨状に戦慄した。だが、ENKIの解析はそこで止まらなかった。 『さらに深刻なのは、これに伴う連動型震災です。フィリピン海プレートの急激なスライドは、琉球海溝および南海トラフ全域において、マグニチュード9.5を超える超巨大地震を誘発します。日本列島の土台そのものが物理的に組み替えられる衝撃です。この衝撃により発生する津波は、台湾東岸で最大波高50メートル、九州南部の太平洋沿岸で30メートルに達し、到達時間は地震発生からわずか10分以内。避難は物理的に不可能です。さらに、津波は四国、紀伊半島を経て関東にまで及び、日本海側を除く全沿岸部が壊滅的な打撃を受けることになります。死者数は、数千万人に達する推計です』

 2000兆円の国益を謳うニブス資源開発と日本政府。彼らが「宝の山」と呼んで掘り起こしているのは、実はこの世界を崩壊から守っている「盾の破片」だったのだ。徳永は震える指でキーボードを叩き、このデータを外部へ保存しようとしたが、画面には突如として「アクセス制限:産業科学省管理下」の赤い警告文字が点滅し始めた。


第二節:レムリアとニライカナイの交差

「……何だと? サーバーの権限が剥奪されている? 外部からの強制介入か!」徳永は愕然とした。至達大学の最新鋭の学術ネットワークが、彼の個人的な研究領域を物理的に遮断したのだ。産業科学省とニブス社からの圧力が、学内の理性を完全に飲み込んだ瞬間だった。

 しかし、徳永はこれを予期していた。彼はあらかじめ、自宅アパートの秘密のバックアップ環境にENKIのコアアルゴリズムを移設していた。彼は研究室の最小限の荷物をジャケットに詰め込み、裏門から逃げるように大学を後にした。武蔵野の閑静な住宅街にある、築40年の安アパート。そこには、彼が世界中の古書店やダークウェブを通じて収集した「禁忌の書物」が、天井まで積み上げられていた。

 徳永は、科学的な数式だけでは解明できない、歴史の「空白」に答えを求めた。彼はENKIに、バチカンの秘密文書館から流出したとされる『レムリア大陸断片文書』の写しと、琉球の聖域で口伝されてきた『ニライカナイ原本』のデジタルアーカイブをクロス解析させた。「科学が追いつけない真実が、過去の伝承には比喩として眠っているはずだ。ENKI、地質学的な事象と言語的整合性を探れ。12000年前の『消失』の正体を解き明かすんだ。なぜ、高度な文明がありながら詳細な記録が残っていないのか。その不整合を埋めろ」

 ENKIのサブシステムが起動し、数千年前の古文書がモニターに映し出された。そのアルゴリズムは、かつて深淵の知識を司った神のごとく、断片的な情報を繋ぎ合わせていく。『解析を開始します。レムリア文書第4節、およびニライカナイ伝説の「火の雨と地の沈下」に関する記述を照合。興味深い一致、および物理的な座標の符号を発見しました』モニター上に、二つの異なる文明の記述が対比された。

 レムリア文書にはこうある。「民、地の底の輝けるレアアースを求め、神のシールドを汚せり。盾崩れし時、東の大地は天を突き、西の都は一夜にして海に還らん。これは神の怒りではなく、地の自らを護ることわりなり」

 一方、ニライカナイの伝説はこう語る。「ニライカナイの神、地の底に重き石を敷きて海を鎮めたまえり。人の欲、その石を掘り出せば、神の国は海に沈み、魔の島が東に現れん。ひとたび沈みし島は、二度と太陽を見ることはなし」

「……完全に一致している。文言だけではない、隆起と沈降の物理的な方向性まで」徳永は呻くように言った。「レムリア大陸が太平洋に存在したという伝説は、単なる夢物語ではなかった。かつてこのフィリピン海プレート上に存在した高度な文明が、現在の日本と同じようにレアアース資源の価値に気づき、それを乱掘した結果としてシールドを破壊した。その時に起きた地質学的な『シーソー現象』こそが、レムリア崩壊の正体なんだ。そして、その際に沈んだ『西の島々』の記憶が、沖縄の地でニライカナイ伝説として形を変えて受け継がれてきた。先人たちは、これを神話として後世に託した『最期の警告』だったんだ」

 だが、なぜ詳細な記録が残らなかったのか。ENKIはその深い闇に光を当てた。 『徳永准教授、記録が消された理由は「支配者による情報の独占と抹消」にあります。12000年前の崩壊の際、飛行船や空中基地を持っていた当時の支配層は、成層圏へと逃れ、地上の文明が崩壊するのを静観しました。そして地上の生存者が再び文明を築こうとするたびに、彼らは高度な知識を「神の奇跡」や「魔法」として偽装し、詳細な技術記録を物理的に抹消することで、自らの特権を維持し続けたのです。彼らは自らを「知識の守護者」と称し、大衆を石器時代まで退行させ、管理しやすくしたのです』

 一万二千年前。人類は一度、この「禁断の盾」に触れ、文明のすべてを奪われていたのだ。そして今、現代の日本人は、最新鋭の「アメノオハバリ」というプラズマの刃を持って、再び同じ過ちを繰り返そうとしている。

『さらなる解析により、このシーソー現象が誘発する「二次的災厄」の全容が判明しました。フィリピン海プレートの急速な北西進は、台湾の東方沖に位置する複雑なプレート会合部に莫大な負荷をかけ、台湾東部を直撃する断層破壊を引き起こします。これにより、台湾の半導体産業拠点を含む主要インフラは壊滅し、世界経済は瞬時に停止します。さらに九州においては、阿蘇を含む火山フロントが連鎖的に活性化。地震の衝撃波が地下のマントル流を激しく撹乱し、大規模な噴火を誘発する恐れがあります。これは日本という国家の消失に留まらず、人類文明の退行を意味します。支配者層だけが「空中基地」へ逃げ、地上の文明は再びリセットされる計画なのです。ニブス資源開発の源流は、その12000年前の「守護者」の末裔である可能性があります』

 徳永は冷たい汗が背中を伝うのを感じた。2000兆円という金額は、この惑星の防衛システムを破壊する手数料としてはあまりに安すぎた。そして日本政府は、自分たちが何を買い取ろうとしているのか、その本質を何一つ理解していなかった。彼らは黄金の泥を求めて、火薬庫の火薬をバケツで汲み出しているようなものだ。


第三節:地球自律防衛システムの仮説

 翌朝、徳永は至達大学への登校を阻止された。正門には数人の警備員と、身元の知れない黒いスーツ姿の男たちが立ち、彼の入構を拒否した。「徳永先生、上からの命令です。あなたの研究室は、産業科学省の特別捜査チームによって封鎖されました。研究データの捏造、および隣国の諜報機関への機密漏洩の疑いです。速やかに立ち去りなさい」

「捏造だと? ふざけるな! データを精査しろ。私は真実を……!」徳永の言葉は、男たちの冷酷な視線と力強い腕に遮られた。大学側はニブス社からの寄付金100億円と、次世代の「深海資源戦略研究所」の設立という甘い汁を吸うために、徳永を「狂った反政府的科学者」として切り捨てたのだ。

 アパートに戻った徳永の元に、一台の高級な黒いセダンが音もなく近づいてきた。中から現れたのは、産業科学省の審議官、門倉だった。門倉は脂ぎった顔に、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。「徳永君、いい加減にしたまえ。君の『シールド崩壊説』は、学会では誰も相手にしていない。それどころか、君が隣国から多額の資金を得て、我が国の2000兆円の国益を損なおうとしているという確かな証拠が、我々の手元には揃っているんだよ」

「……隣国が沈黙している理由を、あんたたちは一度でも考えたことがあるのか?」徳永は門倉の目を見据えて言った。「彼らは知っているんだよ。日本がこの穴を掘り続ければ、労せずして沖縄が沈み、彼らにとっての最大の軍事的な障壁である第一列島線が、物理的にこの世から消滅することを。彼らは巡洋艦を出す必要さえない。日本政府が自らの強欲によって領土を海に沈めてくれるのを、酒を飲みながら高みの見物で待っているんだ!」

 門倉は鼻で笑い、高級なライターで煙草に火をつけた。「馬鹿馬鹿しい。沖縄が海に沈む? そんな三流のSF映画のような話、誰が本気で信じるというのか。現実に『イザナギ』が吸い上げているのは、日本の未来を100年支える黄金だ。君の妄想につきあっている暇はない。君には、一生を独房で過ごしてもらうことになるかもしれないね。我々はすでに『選ばれた者たち』の避難準備を始めているんだよ」

 門倉が去った後、徳永は再びモニターに向かった。ENKIが最新の観測データを、切迫した赤いグラフィックで次々と表示している。 『徳永准教授、沖ノ鳥島周辺の海水温が過去24時間で15度上昇。これは海底火山の活動ではありません、地殻内部からの猛烈な摩擦熱です。また、隣国の潜水艦部隊が、南西諸島海域から一斉に撤退を開始しました。彼らは「波」が来るのを、その肌で察知しています。もはやカウントダウンを止める術はありません。政府はこれを自然地震として偽装するための、大規模なメディアコントロール・マニュアルを完成させたようです』

「地球の自律防衛システムが、ついに再起動を開始したか……」徳永の指が、キーボードを叩く。「ENKI、全データを分散型ネットワークに拡散しろ。政府や大学のサーバーではない。世界中の個人の端末、環境団体のPC、およびSNSの深層に。私が消されても、このデータだけは生き残るように。人々に、これから起きる大虐殺の『真犯人』を知らせるんだ。たとえ記憶を消されても、魂に刻まれるように」

『了解。拡散プロセスを開始します。……警告。フィリピン海プレート南端において、マグニチュード計測不能の超低周波地震が発生。シールドの崩壊が臨界点を超えました。隆起と沈降の連鎖反応、第一段階に移行。那覇市の潮位に、異常な変動が観測され始めました。バネが跳ね上がります』

 窓の外では、平和な東京の昼下がりが、皮肉なほど穏やかに続いていた。しかし徳永には、地面が不気味に波打ち、足元のプレートが巨大な生き物のように苦悶の身悶えを始めたのを感じていた。2030年5月。人類が「神の盾」を穿った対価を支払う時間は、もう一秒の猶予もなく始まっていた。


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