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第6話:人面犬の再就職

「ウゥ……グルル……」


 路地裏のゴミ捨て場。

 腐った生ゴミの臭いと、湿ったカビの臭いが充満する場所で、奇妙な犬が唸っていた。


 体は薄汚れた雑種犬。茶色い毛は泥にまみれ、肋骨が浮き出るほど痩せこけている。

 しかし、その顔は――疲れた中年男性のものだった。

 無精髭を生やし、充血した目には深い隈がある。


「……人面犬ですね」


 九条が鼻をつまむ。

 視覚的な気持ち悪さと、嗅覚的な不快感が同時に襲ってくる。


「懐かしいわね。平成初期のスターじゃない。ワイドショーで見たわよ」


 裂が近づく。

 彼女には恐怖心というものがないらしい。


 人面犬は威嚇するように歯を剥き出しにした。その歯は白くなく、ヤニで汚れている。


「近寄るな……リストラだ……俺は悪くない……」


「喋った」


 九条が驚く。

 言葉を話す犬。生物学の教科書を書き換えるべき発見だが、内容はあまりに世知辛い。


 人面犬はブツブツと世迷い言を呟いている。

「住宅ローン」「娘の進学」「早期退職勧告」「窓際族」……。


「……どうやら、リストラされたサラリーマンの成れ果てみたいね。怨念が野良犬に憑依したパターンかしら」


 裂がしゃがみ込む。

 高級なハイヒールが汚れるのも構わず、目線を合わせる。


「おい、オッサン」


「オッサンじゃない! 丸ノ内商事・営業二課の田中だ! 係長だぞ!」


「田中さんでもいいけど。アンタね、いつまでそんなとこでゴミ漁ってんの? 腐った弁当の空き箱なんて美味しくないでしょ」


「うるさい! 放っておいてくれ! この歳で再就職なんて無理だ! コンビニのバイトすら落ちたんだ! 今は犬のほうがマシだ! ドッグフードは美味いぞ!」


 田中(人面犬)が吠える。

 現代社会の闇だ。人間の尊厳を捨ててまで、社会の競争から逃避したかったのか。

 その瞳には、深い絶望と諦めが宿っている。


「……湊くん、ロープある?」


「え? ありますけど……牽引ロープですが」


「貸して」


 裂は九条から頑丈なロープを受け取ると、手際よく輪っかを作った。


「何するんですか?」


「散歩よ」


 彼女は無理やり田中の首にロープをかけた。


「ギャン!? 何を! 俺は首輪なんてしないぞ!」


「行くわよ、田中。ハローワークへ」


「はぁ!?」


 数十分後。


 渋谷のハローワーク前に、奇妙な一行の姿があった。

 道行く人々が振り返り、ヒソヒソと噂話をしている。


 トレンチコートの美女にリードを引かれた、人面犬。

 そして、顔を覆って「俺は関係ない」というオーラを出している刑事。


「……本当に連れてくるなんて。通報されますよ」


「ほら、入りなさいよ。求人票見るわよ」


 裂がリードをグイと引っ張る。

 田中(人面犬)の首が締まり、ゲホゲホとむせ返る。


「ちょ、タンマ! タンマ! 心の準備が!」


「準備なんていらないわよ。面接は気合と根性。第一印象が9割よ」


「だからって、犬連れで面接なんて前代未聞だぞ! 門前払いだ!」


「大丈夫よ。最近はペット同伴可能な職場も増えてるし、なんなら『セラピードッグ枠』で売り込めばいいわ」


「俺はセラピーなんて柄じゃない! 営業一筋30年だぞ!」


「じゃあ営業犬として売り込みなさい。飛び込み営業とか得意そうでしょ? ドアが開かなくても犬用出入り口から入れるし」


「……うぐっ、確かに」


 妙な説得力に、田中が言葉を詰まらせる。

 裂は容赦なく彼を引きずっていく。


「嫌だ! 働きたくない! 俺は犬だ! ワンワン! バウワウ!」


 田中が必死に抵抗する。

 前足《手?》でアスファルトを踏ん張るが、裂のパワーには敵わない。

 ズルズルと引きずられていく。爪が削れる音が響く。


「甘えんじゃないわよ! 犬だって警察犬とか救助犬とか、立派に仕事してんのよ! 盲導犬なんてアンタよりよっぽど社会貢献してるわよ!」


 裂の叱咤が飛ぶ。

 それは、ただの暴言ではない。迷える魂への活を入れる言葉だ。


「アンタにはまだ人間の顔が残ってるでしょ! プライド捨てた負け犬になりなさいよ! 犬として生きるなら、犬の世界でトップを取りなさい!」


「……ううっ」


 田中が泣き出した。

 目から大粒の涙がこぼれ落ちる。


「……住宅ローンが……まだ二十年……娘は私立に行きたがってて……」


「なら働け! 返済が終わるまで死ぬ気で働け! 番犬でもマスコットでも何でもいいから!」


 裂が田中の背中(犬)をバンと叩いた。

 強烈な一撃に、田中がよろめく。


「アンタの顔は、まだ死んでないわよ」


 その言葉に、ハッとしたように田中が顔を上げた。

 中年男の濁った瞳に、わずかに光が戻った気がした。


「……ワン《はい》」


 田中は素直にハローワークの自動ドアをくぐった。

 自動ドアが開き、冷房の涼しい風が吹き抜ける。


 その後、彼がどうなったかは知らない。

 ただ、最近の警備会社には、やたらと人相の悪い(でも仕事熱心で、決して居眠りしない)警備犬がいるという噂だ。


 深夜のオフィスビルを、中年男の顔をした犬が巡回しているらしい。

 不審者を見つけると、「コラァ!」と怒鳴りつけて撃退するという。

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