第4話:高速ババアの暴走
「……速い!」
深夜の首都高速。
オレンジ色の街灯が流れる光の帯となり、視界の隅へ飛び去っていく。
九条が運転する覆面パトカーは、時速140キロで走行していた。
エンジンが悲鳴を上げ、車体がガタガタと震えている。
赤色灯を回し、サイレンを鳴らすが、前の「車」には追いつかない。
いや、そもそも車ではない。
老婆だ。
おんぶ紐のようなものを背負い、四つん這いで走る老婆。
その背中からは、ジェットエンジンのような白い蒸気が激しく噴き出している。
アスファルトを蹴るたびに、火花が散る。
通称「ジェットババア」。
またの名を「ターボババア」。令和の高速道路に出現した、最速の怪異だ。
『ヒャアアアッハー! 若造がぁ! 道を開けなぁ!』
老婆は奇声を上げながら、高級スポーツカーを次々とごぼう抜きにしていく。
ポルシェのドライバーが驚愕のあまりハンドル操作を誤りかけているのが見えた。
「……ふざけたババアね」
助手席で、裂が不機嫌そうに窓の外を見ている。
流れる景色を目で追いながら、イライラと指で貧乏ゆすりをしていた。
「私の前を走るなんて、いい度胸じゃない。しかもノーヘルで」
「口元さん、捕まえられますか? これ以上スピード出すと危険です! この車、もう限界です!」
九条がハンドルを握りしめる。掌には脂汗が滲んでいる。
一般車両を巻き込む事故になりかねない。
「チッ、仕方ないわね。あいつ、調子に乗ってるわ」
裂が窓を開けた。
轟音と共に、猛烈な風が車内に吹き込んでくる。
「え? 何するんですか?」
「接近戦よ。もっと寄せなさい! 幅寄せよ!」
「はい!? 公道で幅寄せなんて……!」
「いいから踏み込みなさい!」
九条は覚悟を決めてアクセルをベタ踏みした。
パトカーが最後の力を振り絞り、エンジンが咆哮する。
老婆との距離が縮まる。
10メートル。
老婆の背中から噴く蒸気が、フロントガラスを曇らせる。
5メートル。
エンジンの回転数がレッドゾーンに突入し、車体が悲鳴のような金属音を上げる。
タイヤが路面を噛む焦げ臭い匂いが車内に充満した。
「口元さん、もう限界です! タイヤがバーストします!」
「うるさい! あと少しよ! ……見て、あのババア。フォームがなってないわ」
裂は身を乗り出しながら、冷静に分析していた。
「前傾姿勢が甘いし、腕の振りが非効率的よ。あれじゃ空気抵抗をまともに受けるわ。……美しくない走りね」
「そんな解説いいですから! 捕まえるんですか、轢くんですか!?」
「確保に決まってるでしょ! 轢いたら車のバンパーが汚れるじゃない!」
並んだ!
その瞬間。
裂が窓から身を乗り出した。
箱乗りなんてレベルではない。腰から上が完全に車外に出ている。
「おいババア!」
『アァ!?』
老婆が走りながら首だけを180度回転させて振り向く。
その顔は、皺だらけだが、スピード狂の歓喜に歪んでいた。
目は血走り、口からはよだれを垂れ流している。
「年寄りの冷や水ってことわざ、教えてあげるわ!」
裂が手を伸ばす。
時速140キロの風圧。普通の人間なら腕を持っていかれる速度だ。
コートがバタバタと暴れるが、彼女の体幹は微動だにしない。
「私の走力は100メートル6秒よ。時速に換算すれば60キロだけど……」
彼女の手が、老婆の襟首を正確に捉えた。
まるで止まっている相手を掴むような正確さだ。
「持久力と腕力なら負けないわよ!」
ガシッ!!
「捕まえた!」
『ギョエェェェ!? 離せぇぇぇ!』
老婆がもがく。手足の爪をアスファルトに突き立てて抵抗する。
火花が飛び散り、嫌な音が響く。
しかし、裂の握力は万力並みだ。
そのまま強引に、走るパトカーの中へと引きずり込んだ。
物理法則を無視した剛腕だ。
ドサッ!!
老婆が後部座席に転がり込む。
背中の蒸気がプシューと抜け、急速にしぼんでいった。ただの小柄な老婆に戻る。
「はい、確保ー」
裂が窓を閉め、乱れた髪を直す。
「……乱暴すぎますよ。車体が凹みました」
九条が速度を落とす。心臓が早鐘を打っている。
「何言ってんの。暴走族は根絶やしにするのが私のポリシーよ。安眠妨害なのよ」
裂は後部座席の老婆を睨みつけた。
「あんたねぇ、深夜徘徊は補導対象よ。巣鴨に帰って寝なさい。それとも、その自慢の足、二度と走れなくしてあげましょうか?」
裂が懐から巨大な鋏を取り出し、チャキッと鳴らす。
『……へい。すんませんした』
老婆はシュンとなって縮こまった。
伝説の俊足怪異「口裂け女」に力負けしたことがショックだったのか、それとも鋏の輝きに恐怖したのか。
翌日。
老婆は交通機動隊に引き渡された。
罪状は「道路交通法違反(速度超過)」と「整備不良(消音器不備)」、そして「公務執行妨害」。
怪異が切符を切られ、拇印を押させられている光景を見たのは、九条も初めてだった。
警察組織は、怪異相手でも容赦がないらしかった。




