第16話:髪が伸びる人形(前編)
「……これ、全部ですか?」
山奥の不法投棄現場。
九条は呆然としていた。
鼻を突く湿った土の匂いと、微かな防虫剤の臭いが混ざり合っている。
目の前には、うず高く積まれたゴミの山。
いや、ただのゴミではない。
不気味なほど鮮やかな赤やピンクの着物が、泥にまみれて散乱している。
全て、日本人形だ。
色あせた着物、ひび割れた顔、泥にまみれた黒髪。
手足が欠損したもの、首だけのもの、目が虚ろなもの。
その全てが、恨めしそうにジッとこちらを見ている気がした。
視線の圧力が物理的な重みとなってのしかかってくる。
「人形供養でもしきれなかったのかしらね。寺に持ち込むと金がかかるからって、ここに捨てたのよ。罰当たりな業者もいたものね」
裂がゴミ山を見上げる。
彼女の目には、人形たちの怨念が黒い霧となって立ち昇っているのが見えているのだろう。
その霧は、この谷底を埋め尽くすほど濃い。
数百、いや数千体はあるだろうか。
市松人形、フランス人形、博多人形。種類はバラバラだが、その瞳に宿る暗い情念は共通している。
捨てられた悲しみよりも、人間に対する怨嗟の念の方が強い。
風もないのに、人形の髪がサラサラと揺れている。
一本一本が意思を持っているかのように、蠢いて絡み合い、新たな結び目を作っていく。
チリチリと髪が擦れる微かな音が、虫の羽音のように耳障りに響く。
それは呼吸するように脈動し、ゆっくりと膨張を続けている。
「……動きますよ、これ」
九条が拳銃のホルスターに手をかける。
空気がビリビリと振動していた。
肌にまとわりつくような湿気。
静電気がバチバチと音を立て始めている。
人形たちの個々の怨念が、一つの巨大な「意思」を形成しつつある。
捨てられた悲しみ、忘れられた怒り、愛されたかった未練。
それらが凝縮し、どす黒い塊となっていく。
『……捨テルナ……捨テルナ……』
『遊ボ……遊ボ……』
『寒イ……暗イ……』
無数の人形が、一斉に口を開いた。カチカチと顎が鳴る音が響く。
まるで大量の蝉が鳴いているような、不快な音だ。
その声は耳ではなく、脳の奥底を直接引っ掻くような不協和音となって響く。
「来るわよ。準備はいい?」
裂が鋏を構えた瞬間。
黒い波が押し寄せた。
人形の髪だ。
伸びた髪が津波のように膨れ上がり、二人を飲み込もうとする。
それは生き物のようにうねり、獲物を捕食しようとしていた。
「チッ、数が多い! 美容室代が嵩みそうね!」
裂が鋏を振るう。
ジャキッ!
数十体の人形が空中で切断される。
綿と陶器の破片が舞い散る。
しかし、彼女が切った端から、髪はさらに伸び、後続の人形たちが押し寄せてくる。
切っても切れない、呪いの連鎖。
「キリがないですね! 物理攻撃が効きにくい!」
九条も発砲するが、銃弾は髪の束に阻まれ、本体まで届かない。
むしろ、髪が銃弾を飲み込んで成長しているようだ。
弾丸の運動エネルギーすら養分にしているのか。
人形たちは互いに絡み合い、融合していく。
『……ミンナ一緒……寂シクナイ……』
巨大な人形の集合体が立ち上がった。
高さは10メートル近い。木々の梢をも超える巨体だ。
山のような威容。足元の地面が、その重量で沈み込んでいる。
一歩動くたびに、地震のような振動が走った。
手足は無数の日本人形で構成され、顔はおびただしい数の「目」で埋め尽くされている。
何百もの瞳が、一斉に二人を見下ろした。
その瞳の一つ一つに、怨嗟の炎が宿っている。
首の部分には特に大きな市松人形が埋め込まれており、その口が裂け——いや、笑っている。
ゴーレムの腕が振り上げられた。影が二人を覆い尽くす。
「……趣味悪いわね」
裂が顔をしかめる。
「集合体恐怖症の人が見たら卒倒するわよ。美学のカケラもないわ。ただ集まればいいってもんじゃないのよ、美しさってのは」
「口元さん、どうします!? これだけの質量、斬りきれませんよ!」
「……そうね。ちょっとダイエットが必要ね」
裂は巨大な敵を見上げた。
「物理で押すには、ちょっと分が悪いかもね。一体一体は脆いけど、束になると厄介だわ」
彼女の鋏が、初めて「重そう」に見えた。
足元から忍び寄る髪の毛。
気がつけば、地面は黒い絨毯のように髪で覆い尽くされていた。
「……捕まった!」
裂の足首に、髪が絡みついた。
一本ではない。何十本もが同時に——地中から這い出すように。
強い力で引きずり込まれる。
裂が鋏で足元の髪を切るが、切った端から新しい毛束が巻き付いてくる。
「口元さん!」
九条が駆け寄ろうとするが、彼の足にも髪が絡みついた。
転倒しそうになりながら、拳銃で髪を撃つ。弾丸は髪の束に飲み込まれた。
裂の体が、黒い髪の奔流に飲み込まれていく。
もがく暇もなく、彼女は闇の中へと消えた。
黒い海に沈む小舟のように。
最後に見えたのは、赤いコートの裾だけだった。
最強の怪異が、数の暴力に沈もうとしていた。
九条の目の前で、巨大な人形の集合体が、勝利の雄叫びを上げた。
それは、捨てられた者たちの復讐の凱歌だった。




