第14話:トレンチコートの洗濯
「……寒い」
特対課のオフィスで、裂が震えていた。
季節は冬の入り口。地下室の冷え込みは厳しい。
コンクリートの壁から冷気が染み出してくるようだ。
いつもの赤いトレンチコートがない。
彼女のトレードマークであり、戦闘服でもあるあのコートが。
代わりに着ているのは、九条から借りたグレーのパーカーだ。
胸元に謎の英字プリント(意味:希望)が入った、安物のパーカーである。
毛玉ができ始めているのが、哀愁を誘う。
「今日、クリーニングの日だって忘れてたのよ。替えのコートもクリーニング中だし。予備の予備もボタンが取れてるし」
彼女は不機嫌そうに腕を組んでいる。
パーカーはサイズが合わず、袖が足りていない。彼女は背が高いのだ。
ピチピチである。肩幅が窮屈そうだ。萌え袖には程遠い。
「……似合いますよ、口元さん。大学生みたいで。文学部あたりにいそうです」
九条がコーヒーを淹れる。湯気が立ち上る。
安いインスタントだが、冷えた体にはありがたい。
「お世辞はいいわよ。動きにくいし、防御力ゼロだし。スースーして落ち着かないわ。まるで裸で歩いてる気分よ」
「防御力って……コートを防具だと思ってたんですか。あれ、防弾仕様とかじゃないですよね?」
「当たり前でしょ。あれは特注の対怪異繊維よ。爪とか牙とか通さないんだから。裏地には祝詞も縫い込んであるのよ。一着○十万するんだから」
初耳だ。
ただのブランド物のコートだと思っていたが、そんなハイテク(かつオカルト)装備だったとは。
経費が嵩むわけだ。
「そのパーカー、素材は何? ポリエステル? 安っぽいわね。ユニクロ? いや、それ以下ね」
「しまむらです。1980円でした。部屋着ですから」
「……庶民派ね。生地が薄いわ。霊的防御力が皆無よ」
裂はパーカーのフードを被った。
マスクとフードで顔がほとんど見えない。不審者そのものだ。
原宿あたりのストリート系に見えなくもないが、滲み出る殺気がそれを否定している。
九条が恐る恐るスマホでこっそり撮影しようとしたら、鋭い視線で射殺された。
「撮ったら鋏で削除するわよ。データごと。物理的に」
「撮ってません! 撮ってませんって!」
「なんか、落ち着かないわ。背中が守られてない感じがするの。背後から刺されそうで怖いのよ」
「それに、この『希望』ってプリント。ダサくない? 絶望を与える側の私が着る服じゃないわよ」
「いいじゃないですか。ギャップ萌えですよ。口裂け女が希望を背負ってるなんて、皮肉が効いてて文学的です」
「アンタの文学的センス、疑うわ」
裂はパーカーの裾を引っ張りながら、ブツブツと文句を言い続けている。
安物の化学繊維が肌に合わないらしい。彼女は高級志向(というか本物志向)なのだ。
「ここは警視庁の地下ですよ。安全ですって。今日は非番なんですから、ゆっくりしててください。こたつでも出しますか?」
その時、警報が鳴った。
けたたましいベルの音。緊急出動だ。
平和な休日は一瞬で終了した。
「……チッ、間の悪い。空気読みなさいよ」
裂が舌打ちをして立ち上がる。
パーカー姿で。
手には巨大な大鋏。
部屋着のようなラフな格好に、凶悪な武器。
シュールな光景だ。アンバランスさが逆に怖い。
「行きますよ、湊くん」
彼女はため息をつきつつ、鋏を背負った。
「え、その格好で? 着替えないんですか? 風邪引きますよ」
「文句ある? 怪異相手ならジャージでも勝てるわよ。弘法筆を選ばず、裂は服を選ばずよ。中身が最強なら何着ても最強なの」
「自分で言いますか」
現場にて。
公園に出没した野良怪異。風に乗って切り刻んでくる厄介な敵だ。
目に見えない風の刃が襲いかかる。
公園のベンチが一瞬で真っ二つに切断された。
風の刃は肉眼では見えない。空気の揺らぎだけが唯一の手がかりだ。
しかし、パーカー姿の口裂け女は、カマイタチの風の刃を素手で叩き落とし、パーカーのフードをなびかせて瞬殺した。
普段より動きが軽かったかもしれない。コートの重さがない分、スピードが増していた。
カマイタチは三体いたが、裂の動きに追いつけず、互いに切り合って自滅した。
フードが風圧でめくれ上がり、裂の黒髪が夜空に舞った。
月光に照らされたその姿は、不良少女というよりは戦場の女神だった。
「服が安いと動きやすいわね! 汚れても気にならないし! 使い捨てのコスパは最高よ!」
裂は意外とノリノリだった。
返り血を浴びたパーカーを見て、「タイダイ染めみたいね。新しい柄よ」と笑っていた。
翌日。
「最近の都市伝説はラフな格好をしている」「原宿系口裂け女」「ノームコア怪異」と、ネット掲示板で話題になったのは言うまでもない。
新たなトレンドが生まれようとしていた。
クリーニングから戻ってきたコートを着て、裂はご機嫌だった。
やはり、彼女には軍服のようなカッチリしたトレンチコートがよく似合う。背筋が伸び、殺気も増している。
九条のパーカーは、袖が伸びきってダルダルになって戻ってきた。
裂の怪力のせいだ。あと、謎の血痕(怪異の体液)が染み付いて取れない。
「……これ、弁償してもらえますか? お気に入りだったんですけど」
「経費で落ちるんじゃない? 『戦闘消耗品』で申請しときなさい」
裂は知らん顔でコーヒーを啜った。
これもまた、怪異との戦いの傷跡(?)なのだろう。
九条は諦めて、新しいパーカーを買いに行くことにした。今度はもう少し丈夫なやつを。




