第13話:不幸の手紙スパム
『このメールを受け取った人は、24時間以内に5人に転送しないと死にます』
そんなチェーンメールが、都内の中高生の間で流行していた。
文面には、血まみれの部屋の画像が添付されている。
件名は『赤』の一文字。
最初に報告されたのは二週間前だった。
品川区の中学生が、見知らぬアドレスからそのメールを受信したのが始まりだ。
最初はクラス内で笑い話にされていた。「こういうの昔もあったよね」と。
しかし、転送しなかった生徒に「不幸」が降りかかり始めてから、笑い声は悲鳴に変わった。
たかが悪戯。そう思われていたが、実際に転送しなかった生徒が次々と謎の怪我をする事件が発生。
階段から落ちたり、看板が落下してきたり、自転車のブレーキが壊れたり。
一つ一つは偶然で片付けられるが、パターンが一致している。
全員がメールを受信し、転送しなかった者ばかりだ。
小さな不幸が積み重なり、重傷者も出始めていた。
骨折した生徒が三人。全治二ヶ月の重傷者が一人。
偶然にしては出来すぎている。
SNSでは「呪いのメール」としてトレンド入り。
パニックが広がり、生徒たちは片っ端から転送し始めた。
被害者が加害者になる悪循環。ネズミ算式に呪いが拡散していく。
一日で感染端末は推定3,000台を突破し、収拾がつかなくなった。
特対課が動くことになった。
「呪いの拡散元、特定できました」
九条がパソコンの画面を示す。
IPアドレスの追跡結果だ。
サイバー犯罪対策課との連携で、発信元を特定したのだ。
VPNやプロキシサーバーを何重にも使っていたが、九条のIT知識と、サイ犯の協力で突破できた。
発信元は、都内の安アパート。
築40年の木造アパートの一室だった。
壁は薄く、隣人の生活音が筒抜けの劣悪な環境だ。
最寄り駅から徒歩15分。コンビニすら近くにない、陸の孤島のような場所。
「……暇人がいるもんね。他にやることはないのかしら。承認欲求の塊ね。こんなことで構ってもらおうなんて、方法が姑息すぎるのよ」
裂が舌打ちする。
「でもまあ、デジタルの呪いってのは厄介なのよ。紙の手紙なら燃やせば終わりだけど、データは複製できるから。一度ネットに流れたら回収は不可能。ゴキブリより始末が悪いわ」
「詳しいですね。経験が?」
「私の時代は口伝えだったわよ。『口裂け女が出る』って噂、一日で全国に広まったんだから。SNSなんかなくてもね。口コミの伝播速度を舐めないでちょうだい」
二人は現場へ向かった。
夜の住宅街を歩く。街灯が少なく、道は暗い。
古びたアパートが目に入った。
外壁は雨だれでシミだらけ。階段の手すりは錆びて触ると手が赤くなりそうだ。
二階の一室だけ、窓から異様な光が漏れていた。
青白いモニターの光。それが複数、チカチカと明滅している。
薄汚れたアパートの一室。ドアの塗装が剥げ落ちている。
郵便受けにはチラシが溢れかえり、もう何ヶ月も確認されていないようだ。
中からは、カチャカチャと高速でキーボードを叩く音が聞こえる。
異常な速度だ。秒間10打鍵以上。機械的なリズム。
そして、鼻をつく異臭が漂ってくる。
腐った食べ物と、換気されていない人間の体臭が混じった重い空気。
「警察だ! 開けろ!」
九条がドアを叩く。
反応はない。
キーボードの音は止まらない。むしろ、速度が増した。
しかし、部屋の中からブツブツと呪文のような声が聞こえる。
日本語のようで日本語でない、不気味な詠唱。
異様な雰囲気だ。
「……開けないなら壊すわよ。どうせボロいんだから。修理費はアンタ持ちよ」
裂がドアノブを握りしめた。
金属が軋む音。
バキッ。
鍵ごと破壊し、ドアを蹴り開ける。
敷居がめくれ上がるほどの衝撃だ。
蝶番が悲鳴を上げ、ドアが吹き飛ぶ。
ドアは壁に激突し、そのまま床に倒れた。
中はゴミ屋敷だった。
カップ麺の容器、コンビニ弁当の残骸、エナジードリンクの空き缶が山積みになっている。
床は足の踏み場もない。ゴミの上にゴミが重なり、地層のようになっている。
一番下の層はおそらく半年以上前のものだ。考古学的な発掘調査が必要なレベル。
腐敗臭と電子機器の熱気が混ざり合った、吐き気を催す臭い。
窓は全て新聞紙で塞がれており、外光は一切入らない。
部屋に存在する唯一の光源は、壁際に並んだ六台のモニターだけだった。
その奥で、陰気な男がマルチモニターに向かっていた。
痩せこけた体。伸び放題の髪。何日も洗っていないであろう汗臭いTシャツ。
背中は丸まり、猫背を通り越してCの字を描いている。
指だけが異常に太く、キーボードに最適化されたかのような手をしていた。
「……来ルナ……呪ウゾ……僕ハ……選バレタ……闇ノ使者ダ……」
男は振り返りもせず、キーボードを叩き続けている。
画面には、おぞましい呪いの文言と、複雑なプログラムコードが並んでいた。
六台のモニター全てに異なるコードが表示されている。
一つはメール送信プログラム。一つはIPアドレス偽装ツール。一つは感染端末の管理パネル。
残りの三つには、血まみれの画像生成ツールと、呪文のデータベースが表示されていた。
モニターの光だけが、彼の青白い顔を照らしている。
その顔には、不健康な笑みが浮かんでいた。
「アンタね、スパム業者? それとも引きこもりのニート? どっちにしても不衛生ね。まずはシャワー浴びなさい」
裂が男の背後から声をかける。
彼女は鼻をつまんでいる。嗅覚が鋭い分、この異臭は拷問に近いらしい。
「……違う……僕ハ……電脳呪術師……世界ヲ支配スル……深淵ノ果テカラ召喚サレタ……」
「中二病ね。年いくつよ。三十過ぎてそれは痛いわよ」
「三十二……ダ……年齢ハ……関係ナイ……」
「関係あるわよ。いい歳して親に心配かけてないの? 電気代誰が払ってるのよ」
男が一瞬黙った。痛いところを突かれたようだ。
「ただのプログラマーでしょ。しかもコードが汚いわ。インデントがバラバラよ」
裂がモニターを覗き込む。
彼女の目は、呪いの正体を見透かしていた。
プログラミング知識はないはずだが、コードの「美しさ」は感覚で判るらしい。
裂にとっては、スパゲッティコードも、荒れた肌も、同じ「美しくないもの」だ。
「if文のネストが深すぎるのよ。スパゲッティコードもいいとこね。何層あるの? 8層? ミルフィーユじゃないのよ。これじゃ呪いの処理が遅延するわ。バグだらけじゃない。保守性ゼロね」
「あと、変数名が『noroi1』『noroi2』って何よ。センスないわね。キャメルケースですらないし。命名規則もムチャクチャ。誰が読むと思ってるの? 未来の自分への冒涜よ。半年後の自分が泣くわよ」
「コメントアウトも残しすぎ。『後で直す』って書いてあるけど、永久に直さないやつでしょこれ。技術的負債って知ってる? あと、この関数名『sekai_seifuku()』って何? 世界征服関数? 引数ゼロで何をするつもりなのよ」
「……ぐぬぬ……」
痛いところを突かれたのか、男が呻く。
プログラマーとしてのプライド(低い)をズタズタに切り裂く言葉のナイフだ。
技術者にとって、コードの質を否定されるのは人格否定に等しい。
「なっ……!?」
男が振り返った。充血した目を剥いて。
自分の聖域を穢された怒りで震えている。
しかし、裂を見た瞬間、その怒りが恐怖に変わった。
マスクの上から覗く、切れ長の目。この世のものとは思えない美貌と、圧倒的な威圧感。
男は本能的に悟った。目の前にいるのは、自分よりもはるかに「上位の存在」だと。
「貴様ニ何ガワカル! これは高度な呪詛アルゴリズムだ! 深淵なる闇のプロトコルだ! TCP/IPでは到達できない次元の通信だ!」
「わかるわよ。効率が悪い仕事は嫌いなの。美しくないわ。リファクタリングして出直しなさい。あと、TCP/IP使ってる時点で闇でも何でもないわ。普通のインターネットよ」
裂がPCの電源コードに手を伸ばした。
「あ、やめろ! セーブしてない! 三日間の作業が——」
「三日かけてこの品質? 才能ないわね」
「物理的遮断よ。強制終了。Ctrl+Alt+Deleteよりも確実な方法を教えてあげるわ」
ブツンッ!
裂がコードを引っこ抜いた。
六本のコードを一度に。一瞬の動作で。
火花が散り、モニターが一斉に暗転する。
ファンの回転音が止まり、HDDのシーク音が消え、静寂が訪れた。
部屋が完全な闇に包まれる。
唯一の光源だったモニターが全て消えたのだ。
「ああっ!? 僕の呪いが! コンパイル中だったのに! 世界征服の計画が! 三日間のコーディングが!」
男が頭を抱えて絶望する。
暗闇の中で膝をつく姿は、確かに少し哀れだった。
彼の命よりも大事なデータが、一瞬で電子の海に消えた。
バックアップはなかった。クラウドストレージの契約すらしていなかった。
月額数百円をケチった代償は大きかった。
裂は男の襟首を掴み、中空に持ち上げた。
片手で。軽々と。
男の足がバタバタと空を切る。
体重は推定60キロ弱。裂にとってはペットボトル程度の負荷だ。
「不幸の手紙なんてね、切手代(通信費)の無駄なのよ。言いたいことがあるなら直接言いに行きなさい。デジタルに逃げるな。画面の後ろに隠れて人を傷つけるのは卑怯者のすることよ。アンタの不幸を他人に押し付けるんじゃないわよ」
裂の声は低くなっていた。
冗談を言う時のトーンではない。本気の声だ。
「……アンタ、寂しいんでしょ。構ってほしいんでしょ。だからって、こんな方法じゃ誰も振り向かないわよ。恐怖で縛った関係なんて、長続きしないの。私が言うんだから間違いないわ」
その言葉には、奇妙な説得力があった。
かつて恐怖で人々を支配していた口裂け女が言うのだから。
「ひぃっ……!」
男は逮捕された。
罪状は「脅迫罪」および「不正指令電磁的記録作成罪」。
れっきとしたサイバー犯罪である。
護送車に乗せられる際、彼は初めて外の空気を吸ったらしく、眩しそうに目を細めていた。
取り調べでは、「誰かに構ってほしかった」と泣きながら供述したという。
歪んだ承認欲求の末路だった。
彼が作ったウイルス付きの呪いメールは、警察のサイバー犯罪対策課によって駆除された。
感染端末へのパッチ配信は三日がかりの作業だったという。
しかし、一番強力だった駆除ソフトは、物理的な電源遮断を敢行した裂の握力だったのかもしれない。
後日、押収されたPCからは、大量の未送信メールが見つかったが、全て文字化けして解読不能になっていたという。
裂の「ダメ出し」の怨念が残っていたのかもしれない。
PCも恐怖でバグったのだ。
さらに後日、男が収監された拘置所で、奇妙な現象が報告された。
彼の独房のPCが使えないはずなのに、壁に「sekai_seifuku()」と指で書かれた痕が見つかったという。
引数はまだゼロだった。




