第11話:スマホの覗き見
「……また視線を感じるんです」
相談者は女子大生だった。
華やかな服装とは裏腹に、その顔色は青ざめている。手には最新式のスマートフォンが握りしめられていた。指の関節が白くなるほど強く。
名前は高橋美月。都内の私立大学に通う三年生だ。
特対課の地下オフィスに座る彼女は、まるで追われているかのように辺りを見回している。
目の下には濃い隈があり、何日もまともに眠れていないことが窺えた。
「最初は気のせいだと思ったんです。でも、もう三週間も続いていて……」
「インカメラに見知らぬ男が映り込むんです。電源を切っていても、黒い画面の向こうから……」
彼女は震える声で訴えた。
自撮りをしようとすると、必ず背後に半透明の男が映るのだという。
それは心霊写真などという生易しいものではなく、もっと粘着質な、ストーカーじみた視線だ。
写真フォルダには、その「証拠」が何十枚も保存されていた。
どの写真にも、彼女の肩越しに、青白い顔がぼんやりと浮かんでいる。
「友達に見せたら、みんなドン引きして……。それから誰も私と自撮りしてくれなくなって……」
高橋さんの目に涙が浮かぶ。
「写真アプリで加工しても消せないんです。上からスタンプ貼っても、スタンプの裏に……透けて見えるんです」
九条は写真を一枚ずつ確認した。
確かに、全ての写真に同じ男が映り込んでいる。
角度も距離も違うのに、常に同じ位置——高橋さんの右肩の後ろに。
その執着は、もはや芸術的ですらあった。
現代の怪談。
デジタル機器に巣食う霊。ネット社会の闇が生んだ、新しいタイプの怪異だ。
電波に乗って移動し、端末から端末へと感染するウイルスのような存在。
従来の除霊法が通用しない。塩も効かない。御札も効かない。
「存在のプロトコルが違う」と、以前お祓いを頼んだ神社で言われたという。
「前にお祓いは行かれたんですか?」
九条が聞く。
「行きました。でも神主さんが……『Wi-Fiを切ってください』って言われて、切ったら霊も消えたんですけど……Wi-Fi繋げたらまた出てきて……」
「つまり、ネット接続が条件なんですね」
「そう。でも今時ネットなしで生活なんてできません! レポートも就活もLINEもインスタも全部スマホなんです!」
高橋さんの叫びは切実だった。
現代人からスマートフォンを取り上げるのは、酸素を取り上げるに等しい。
「へえ、便利そうな機能ね。心霊写真アプリみたいじゃない。JKにウケるんじゃない?」
裂はガラケー(折りたたみ式携帯)をパカパカさせながら言った。
アンテナを伸ばしたり縮めたりしている。彼女の携帯は、未だにiモード時代の遺物だ。
ストラップがジャラジャラとついており、動くたびに騒がしい音がする。
ストラップの中には「ポムポムプリン」のキャラクターが混じっているが、その理由を聞く勇気のある者はいない。
「口元さん、茶化さないでください。彼女は真剣なんです。ノイローゼになりかかってるんですよ」
九条が嗜める。
裂は「はいはい」と適当に返事をし、女子大生のスマホを受け取った。
「どれどれ。拝見しようじゃないの」
画面を覗き込む。
黒い画面。そこに反射した自分たちの顔の奥に、確かに「それ」はいた。
青白い顔をした男。
年齢不詳。髪は乱れ、だらしなく伸びている。
うつろな瞳で、こちらを睨み返している。
目の下は黒く、頬はこけ、まるで何日も日光を浴びていないかのような不健康な顔色だ。
画面のピクセルが歪み、ノイズが走る。
ジジジ……という不快な電子音が耳鳴りのように響く。
『……見つけた……次は……お前だ……』
スピーカーからではなく、直接脳内に響くような声。
女子大生が「ひっ!」と悲鳴を上げた。耳を塞いでも聞こえてくる粘着質な声だ。
声には妙なエコーがかかっている。まるで狭い部屋の中で反響しているような。
「……ふーん」
裂は眉一つ動かさない。むしろ、値踏みするように霊を見つめている。
まるでスーパーで鮮度の悪い魚を見つけた主婦のような目だ。
その視線に、画面の中の男が一瞬たじろぐ。
「アンタ、画素数低くない? 4K対応してないの? 輪郭がギザギザよ。ドット絵の時代から来たの? ファミコンの亡霊?」
『……は?』
霊が絶句した。
「それにその顔色の悪さ。ビタミンD欠乏でしょ。日光浴びてないの? 肌のキメも最悪ね。スキンケアって概念ないの? 化粧水と乳液くらい使いなさいよ。あと眉毛、それ整えてる? 鏡持ってないの?」
「インスタ映えしないわよ。もっとフィルター使いなさいよ。美肌効果とか知らないの? これじゃ『いいね』ゼロよ。フォロワーどころかブロックされるレベルね」
『……呪うぞ……貴様……』
霊の声に怒りが混じる。画面のノイズが激しくなった。
「呪えるものならやってみなさい。こっちは圏外よ。アンタの周波数なんて拾わないわ」
裂は自分のガラケーを取り出した。
塗装が剥げ、傷だらけの黒い端末。数多の修羅場をくぐり抜けてきた歴戦の電話だ。
角は丸くなり、ボタンの文字は擦り切れて読めない。
それはもはや通信機器というより、鈍器としての貫禄を放っていた。
過去に何体の怪異がこの端末で殴打されてきたのか、考えるだけで恐ろしい。
「私のこれはね、ネットに繋がらないの。パケ死知らずよ。セキュリティ? 物理装甲のこと? ファイアウォール? 壁殴って穴開けることでしょ?」
彼女はガラケーを開いた。
そして、躊躇なくスマホの画面に押し付けた。
「物理的なボタン操作のみ。タッチパネルなんて軟弱な機能はないわ! 押した感触こそが正義! 指先で感じるクリック感! これが本物のUIよ!」
『……だから何だ……アナログ人間め……』
「つまりね、アンタみたいなデジタル霊が入り込む余地がないってことよ! アナログの打撃力を見せてあげる! 昭和の頑丈さを舐めるな!」
裂はガラケーの角で、スマホの画面を連打した。
ガッ! ガッ! ガッ!
物理的なタップ(強打)。
プラスチックのボディが、ハンマーのように画面を叩く。
ゴリゴリと画面を削るような音が響く。
強化ガラスに微細なヒビが走り始める。
『痛っ! やめろ! 液晶が割れる! デジタイザが壊れる!』
霊が悲鳴を上げた。画面の中の男が頭を抱えて逃げ惑う。
右へ逃げれば、裂のガラケーが右を叩く。左に逃げれば、左を叩く。
物理干渉が可能というより、裂の気迫が画面越しの霊体にまで届いているのだ。
「知らないわよ! アンタが出てくるまで叩き続けるわ! 連打機能《高橋名人》よ! 16連射を超えて32連射!」
ガッ! ガッ! ガッ!
裂の連打は止まらない。
画面の中で霊が右往左往し、ピクセル単位で分解されそうになっている。
男の輪郭がグリッチのように乱れ、画面全体にモザイクが広がる。
『待って! 目が回る! 処理落ちする! フレームレートが追いつかない!』
「甘ったれんじゃないわよ! 昔のゲームはね、バグったらカセットをフーフーして叩けば直ったのよ! これが正しい修理法よ! 先人の知恵を舐めるんじゃないわよ!」
昭和の理屈だ。精密機器に対する最大の禁忌を、彼女は治療法と呼ぶ。
しかし、不思議なことに画面のノイズが晴れていく。霊が物理的衝撃に耐えられず、自ら退散しようとしているのだ。
男の姿がどんどん薄くなっていく。4Kから1080p、720p……解像度がみるみる下がっていく。
『降参! 降参するから! これ以上はやめてくれ! データが消える! バックアップとってないんだ! 僕の存在データが!』
霊が泣きを入れた。
デジタルな存在にとって、物理破壊によるデータ消失ほど恐ろしいものはない。
クラウドにも逃げられない速さでの物理攻撃。
「バックアップしてない? 自業自得ね。データ管理は社会人の基本よ。外付けHDDくらい買いなさい」
裂は手を止めた。
ふぅ、と息を吐く。
ガラケーの角にはヒビ一つない。恐ろしい耐久性だ。
「……わかればよろしい。二度と私の前でその低画素面を見せるんじゃないわよ。あと、覗き見なんて最低よ。プライバシーの侵害は現代の大罪なのよ。GDPR《一般データ保護規則》って知ってる?」
彼女はスマホを女子大生に返した。
「除霊完了よ。あと液晶保護フィルム、張り替えたほうがいいわね。ガラスフィルムにしなさい。あとアンタ、パスコードはもっと複雑にしなさい。セキュリティ意識が低すぎるわ。『1234』なんて論外よ」
「え、なんでパスコード知ってるんですか……?」
「見ればわかるわ。指の油の跡がそう言ってるもの」
高橋さんはやや引きつった顔で自分のスマホを受け取った。
「あ、ありがとうございます……」
女子大生は引きつった笑顔で礼を言った。
スマホの画面には、霊はいなくなっていたが、代わりに蜘蛛の巣のようなヒビが盛大に入っていた。
ある意味、霊より恐ろしい惨状だ。
修理費は三万円は下らないだろう。
「……口元さん、それ物理的に壊しただけじゃ。器物損壊ですよ」
九条がツッコミを入れる。
「細かいことは気にしないの。霊も消えたし、買い替え時だったんでしょ。厄落としだと思えば安いものよ。新しいスマホで心機一転、いい運勢よ」
裂は自分のガラケーを愛おしそうに磨いた。
傷一つ増えていない。恐るべき耐久性だ。
このガラケーも半ば怪異なのではないかと九条は疑っている。
「それより湊くん、赤外線通信ってどうやるの? メアド交換したいんだけど。アンタの端末、赤外線ポートどこよ?」
「……今時使いませんよ。LINEです、LINE。QRコード読み取るんですよ」
「QRコード? バーコードバトラーの親戚?」
「全然違います……」
最強の怪異は、デジタルデバイドの向こう側にいた。
九条は、彼女にスマホの使い方を教えるべきか、それともこのままアナログでいてもらうべきか、真剣に悩んだ。
彼女がSNSを始めたら、炎上どころかサーバーを物理的に破壊しかねない。
インフルエンサーになったら、フォロワーの端末が次々と物理破壊される未来が見える。
「……いや、そのままでいてください。それが一番平和です」
「なによ、ケチねえ。私だってインスタ映えしたいのに」
「口元さんが映ったら、フィルターのほうが壊れますよ。美しすぎて」
「……ふん。言うようになったわね」
裂は不満そうにガラケーを閉じた。カチリ、という音が妙に重く響いた。
その音は、デジタル全盛の時代に響く、アナログの最後の砦の音だった。




