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プロローグ2

※本章より、主人公アルヴェン視点で物語が始まります。

蛍光灯の白い光の下で、

倉庫の空気は不健康なほど無機質だった。

その光が肌に当たるたび、まるで蝋細工のように見える気がした。


ハンドリフトの冷たい金属製のレバーが、

強く握りしめた掌に食い込み、鈍い痛みを伝えてくる。


湿った段ボールと錆びた鉄の匂い。

それが、倉庫の奥で唸り続ける業務用冷蔵庫の低音と混ざり合い、

重く澱んだ空気を作っていた。


灰色で、目的もない、

いつもと変わらない朝だった。

制服の下で、すでに体は汗ばんでいる。


「男だろ、しっかりしろよ」


ディーゼルのフォークリフトが隣の通路を旋回する音を突き破り、

レオの低く、少しかすれた声が響いた。


俺は前かがみになり、

缶詰の箱の数を数えていた。

パレットは、まるで商品の墓標のように整然と並び、

その中から古いロットを選別して出荷しなければならない。


レオはハンドリフトに寄りかかり、

しわだらけの制服を着たまま、

細めた黒い目で俺を睨んでいた。


何も返さなかった。

ただ、短く笑ってみせただけだ。

その笑顔は、目まで届かなかった。


首筋に熱が昇る。

恥と苛立ちが混ざった、嫌な熱だ。


……くそったれ、レオ。

お前に俺の何が分かる。


そう思ったはずなのに、

その言葉には力がなかった。

空っぽの胸の奥、

本来なら誇りがあるべき場所で、

俺は彼が正しいことを理解していた。


彼は、彼なりに俺を助けようとしているだけだ。

飢えた犬に骨を叩きつけるような、

乱暴なやり方で。


「家に引きこもって、何もしてねぇだろ。

勉強するとか、外に出るとかさ」


軽く、だが確かな力で、

彼は俺の腕を叩いた。

怒りではない。

友人としての苛立ちだった。


俺は箱のバーコードを見つめ、

それが消えてくれればいいと願った。

この倉庫も、工場も、

耳障りな機械音も、

全部、煙のように消えてしまえばいい。


パレットを持ち上げようとするたび、

死んだような重量が体にのしかかる。

それは、自分自身の停滞そのものだった。

動き出すことの重さと、苦しさ。


レオは俺の沈黙など気にも留めず、

小声で説教を続ける。


「なぁ、何して時間潰してんだよ。

何かに本気でやれよ。

お前はこんなもんじゃない。

少なくとも、俺はそう思ってる」


……“ビジョン”。


缶詰倉庫の棚の間で使うには、

あまりにも大げさな言葉だった。


「家に帰って、何してる?」


その問いに、

頬が熱くなるのを感じた。


彼の目を見られなかった。

恥ずかしさではない。

現実を突きつけられた感覚だった。


俺は、何をしている?


思い出すのは、

壊れたプログラムのように繰り返される日常。


バスを降りる。

濡れたアスファルトを踏む。

狭い通りを歩く。

ドアを開ける。

家の匂い。

工場の油と段ボールの匂いを洗い流す熱いシャワー。

濃いコーヒー。


そして――


部屋。

ソファ。

画面。


一日は、何も生まない時間へと溶けていく。

適当な動画と、繰り返すだけのゲーム。

俺は、自分の意思の亡霊だった。


「部屋で腐ってるだけか?」


レオの声は少し柔らいだが、

容赦はなかった。

答えなど、最初から分かっている。


倉庫の冷たい空気を吸い込み、

肺が痛んだ。

壁の時計を見る。

もうすぐ正午だ。


「……分かってる。

何とかするよ」


声は掠れていた。


レオは鼻で笑ったが、

その目には安堵があった。


「それでいいんだよ。

さぁ、さっさと終わらせるぞ。

昼のチャイムが鳴る前にな」


十五分後、

昼休みを告げるサイレンが工場に響いた。

機械の沈黙を切り裂く、

金属の鳥の叫びのような音。


データ端末を片付ける。

画面には、赤く最終数値が点滅していた。


レオが俺を待っていた。

ハンドリフトを蹴り飛ばしながら。


「行くぞ、アルヴェン。

腹減って死にそうだ。

最後の時間逃すと並ぶからな。

立ち食い人生はごめんだ」


それが彼の通常運転だ。

何を言っても、棘のある冗談が返ってくる。

たいていは鬱陶しいが、

今日は不思議と、

その刺が弱く感じられた。


倉庫を出て、生産ラインを通る。

機械音は、くぐもった合唱へと変わる。


「よう、クズ」


誰かが頭を下げる。


「お疲れ様です、マルシア」


年配の作業員が、

優しく微笑んでくれた。


こうした短く、取るに足らないやり取りだけが、

俺の社会との接点だった。

ほんの一瞬、

俺もこの巨大な歯車の一部だと思える。


更衣室で、

ロッカーから携帯と財布を取り出す。


「トイレか?

化粧直しかよ、姫様」


無視して個室に入る。

軋む扉、

水の滴る音。

冷水を首に当てると、

少しだけ目が覚めた。


戻ると、

レオが壁にもたれていた。


「遅ぇな。

俺はもう用済ませて戻ってきたぞ」


「うるせぇよ」


小さく返すと、

彼は乾いた笑い声を上げた。


「いいじゃん。

だんだん男になってきたな」


食堂へ向かう。

最後の時間だったおかげで、

列は短い。


金属のトレーを取り、

レールの上を滑らせる。

今日は、

米と豆、

砂漠で干されたみたいなローストチキン、

怪しいマヨネーズサラダ。


窓際の席に座る。

ガラスは曇り、

外の空は、

雨を孕んだ薄灰色に沈んでいた。


「今日のニュース見たか?」


誰かが言った。


「何?」


「サイクロンだよ。

こっちに来るらしい」


遠い出来事のように聞こえた。

テレビの中だけの災害。


「南で五人死亡、

六百五十人以上負傷だって」


空気が、一瞬だけ重くなる。


「停電確定だな」


「最悪だ。

休みの日に電気なしとか」


「ざまぁ!」


皆が笑った。

乾いた、神経質な笑い。


サイクロンは、

この単調な日常を壊せる

唯一の存在に思えた。


昼休みの後、

皆が煙草に行く中、

俺は一人離れた。


中庭のコンクリートベンチに座る。

耳にイヤホンを差し込む。


世界は遠ざかり、

風の音だけが残った。


動画アプリを開く。


コーヒーの起源。

赤く熟した実を待つ手。

水と火を操り、

文明を支える飲み物へ変える知恵。


次は砂糖。

刈り取られ、

潰され、

煮詰められ、

結晶になるまで。


胸に、

奇妙な痛みが広がった。


彼らは創造者だった。


もし俺にその発想が任されていたら、

文明は今も瓦礫の中だろう。


……俺は、

ただの消費者だ。


昼休み終了。


午後は引きずるように過ぎた。

雨が屋根を叩く音。

サイクロンは近づいていた。


終業の鐘。

解放。


バスを降りる。

濡れたアスファルト。

異様な静けさ。


政府からの通知。


「緊急警報。

強風・豪雨。

避難してください」


歩き続ける。


……何とかする。


その誓いが、

頭の中で虚しく響く。


風が強く吹いた。


違う。

温かい風。


「アルヴェン」


囁き。


誰もいない。


振り返ると、

闇が迫っていた。


走る。

地面が消える。


落下。


闇。


そして――


石の広間。

無数の視線。

王と王妃。


そして、

俺と同じように怯える

六人の若者。


……ここはどこだ?

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