1-9 観測者の見解、被観測者の胸中
自身の居場所である研究室を後にした兼孝は、体力測定で気になった点を思い出しながら、寮へと足へ運ぶ。
━あの銀髪の新入生
マラソンでチェックポイントを最初に通過した彼女の様子。
全くペースを落とす事なく、汗ひとつ流さずに、淡々と走り抜ける姿。
兼孝の目には、あまりにも恐ろしく、痛々しく、「無機的に」に映っていた。
━あれはまるで
「…人間じゃないね…」
━機械の目だ。でも
「人間に戻ろうとしている」
兼孝の脳裏には、最悪の可能性のみがよぎっていた。
寝不足なので、他の可能性が思い浮かばないだけだと思う。
だから、
「明日、紅葉さんに共有しよう」
*
その夜。
ユリィはいつも通り、トレーニングジムでトレーニング。
懸垂だが、小柄で体重が軽いユリィにとってはもはや負荷は皆無に等しい。
そこで、両足に重りとして鉄球をぶら下げて、負荷を大きくする。自身の体重の約5倍程度の負荷。
それを300回。
テンポよく、身体を上下させる。
「…まだ、いける」
あと100回程度に差し掛かったあたりで、1人の、木刀を携えている男子生徒。
毎晩、ほぼ同じ時間帯に、彼━東条和真は来る。
夜10時31分。
和真は体力測定のマラソンで疲れていないのだろうか。
身体を上下させつつ、ユリィは彼の様子を何度か伺う。
━彼は、わたしに危害を加える存在じゃない。
━安全な、異物。
和真は、木刀で素振りをしている。
剣の持ち方といい、剣先の軌跡、剣の振り方。ユリィには、それらが洗練されているように見えた。
ユリィは無意識に和真の鍛錬の姿を目で追っていた。
懸垂の目標回数をこなし、鍛錬を終えた。
ユリィはトレーニングジムを後にし、夜の肌寒い空気で、鍛錬の熱を冷ましていた。
「…あの人、つよい…」
ユリィのそれは、肉体的な意味だけでなく、精神的な意味も含んでいた。和真の振る舞いは、ユリィの心を、揺さぶっているのかもしれない。
ユリィは女子寮に戻る途中に、ふと、夜空を見上げた。4月の夜空に、満月が太陽の光を反射し、煌々と輝いていた。そこには、雲ひとつない。
「…月が、きれい…」
深い意味は全く無い。ただ、ありのままの事実に対しての感想にすぎない。
ユリィはしばらく、脚光を浴びる球の天体を、ただ眺めていた。
*
和真は、入学後からもはや日課になってしまっている深夜の鍛錬をしていた。重りのリストバンドを着用、木刀の素振り。
体力測定のマラソンの疲労がまったく残っていない訳ではなかった。習慣化されてしまった事に関して、決まった時間になると落ち着かなくなる性分である。今日くらいは自分を労ってやれよ、と竜二に釘を刺されていたので、漫画でも読んで過ごそうと思っていたが、内容がほとんど入ってこない。
和真ががむしゃらに素振りをしていると、ユリィは鉄棒から手を離し、細い脚にくくりつけていた鉄球を外した。そのまままっすぐトレーニングジムを後にした。
決まった回数の素振りを終え、休憩を挟む。
━あの人はマラソンの疲労はないのかな。
「…凄いなフロストさん。どれだけの努力を重ねればあの領域に辿り着けるんだろう」
純粋な、強さに対する興味、憧れ。
━僕はこの人に近づきたい。
一方で、追い詰められているようなユリィの様子を見て、心配な一面もないわけでは無い。何がそこまでユリィを掻き立てるのか。
その疑問が生じると同時に、ひとつの推測。
━あの人は、未来を見ていない。




