2 聖女への一歩
聖女になれ。
大賢者にそう言われたものの、その後の生活はセレナが思ったほどの激変はなかった。
勇者に選ばれた時、セレナはすぐに王宮へと迎えられた。
豪華なベッドで寝起きをし、最高級の料理を振る舞われる。専任の家庭教師に教育を施されながら、優秀な剣士の下で剣の鍛錬を行う――そんな生活を送ることになった。
しかし、大賢者がやってきて一か月。いまだ、セレナはハルミナ神殿で暮らしている。
「はい。もう、これで大丈夫ですよ」
浄化を終えると、セレナは微笑む。《魔神の残滓》に影響を受け、変調をきたしていた女性は嬉しそうに涙を浮かべる。
「本当にありがとうございました……っ! 私も噂の奇病にかかってしまったと不安だったんですが……神官様のおかげです」
いや、少し変わったのはセレナが纏うのが黒の神官見習い服ではなく、白と黒の一般神官服であることだろうか。癒すのが見習いでは拍がつかないと、大賢者に着替えさせられたのだ。
「なんとお礼を言ったらいいものか……っ!」
「いいえ、気になさらないでください。困った人を救済するのも神殿の勤めですから」
最近巷で流行りだした謎の奇病――それを癒してくれる神官がいるという噂を聞いてハルミナ神殿までやってきた女性は何度も何度もセレナに頭を下げてから、故郷の村へと帰っていった。
それを見送ってから、セレナは神殿長の部屋へと向かう。そこには我が物顔で椅子にふんぞり返る銀髪の美少年――あるいは美少女の姿があった。握るグラスには信者が持ってきたワインが注がれている。
「今日もご苦労であったな」
「私、こんなことを続けてていいんですか?」
その言葉に、大賢者は不思議そうに首を傾げる。
「こんなこと、とは? 《魔神の残滓》に苦しむ民を助ける重要な仕事ではないか」
「そうなんですけど、そうなんですけど――アンタがそれを言うのか!」
人の命に人一番興味のなさそうな大賢者に言われると、なんとも腑に落ちない。セレナは大きく咳払いをしてから、本題に戻る。
「《魔神の残滓》は世界中に影響を与えているんでしょう? 今のままじゃこの神殿の周辺の人たちしか助けられませんよ」
魔王を倒してから一年。受け皿がなくなったことで、その力は世界を漂うことになったと言うが、今までそれらしき話は流れてこなかった。
しかし、大賢者がやって来て以降、ちらほらと奇病の噂が届くようになった。
体に黒い痣が浮かび、幻聴を聞いたり、倦怠感に苛まれる。人の心を病ませ、時にはその命も奪うというものだ。
奇病にかかったという人の話を聞いてはセレナと大賢者はその村へと向かっては治し、『神殿の神官様が奇病を癒してくれる』という話を聞いては訪れる人を治していた。
「前みたいに、王都――は嫌だけど、どこか大きな都市に行ってさ。『聖女が現れた!』って大々的に公表しなくていいのか?」
「うむ」
大賢者はグラスを置くと、こちらに向き直る。
「前回と今回、大きく違うことはなんだと思う?」
「ええと、……魔王がいるかいないか、とか?」
「本質を理解してはおらぬようだが、その通りじゃ」
セレナの答えは当てずっぽうだったが、意外にも大賢者は頷いてくれた。
「以前は魔王という明確な敵がおり、勇者に求められたのは魔王を倒すことじゃ。だから、魔族の被害に遭っても、わざわざ王都にいるお主のところまで助けを求めにきた者はおらんかったじゃろう? 近場にいる騎士や傭兵に助けを求めたはずじゃ」
「まあ、そうだね」
「じゃが、今回は違う。明確に倒すべき相手はおらず、お主に課された使命は《魔神の残滓》に苦しむ人々を救うことじゃ。――もし、国中からお主の聖なる力を求めて、人々が集まってきたらどうなる?」
想像し、セレナは顔を真っ青に染めた。
ハルミナ神殿はそれほど大きくない。日々訪れる信者の数も両手で数えられる程度。そんなところに国中から人が集まれば、大変な混乱が起きるだろう。
「故に、こうしてお主にはひっそりと活動を始めてもらったわけじゃ。どちらにせよ、いずれ、お主の噂が国中に広まる。それまで準備を進めていくのが良い」
「……ワカリマシタ」
多少王宮で教養を学んだ程度のセレナでは、大賢者の考えには遠く及ばない。大人しく方針に従うことに決める。そのとき、大賢者がすくりと、椅子から立ち上がった。
「じゃが、そろそろ動き出そうとは思っていたところじゃ」
セレナは数度瞬きをする。大賢者はとことこと棚に近づくと、地図を引っ張り出す。そして、それをテーブルへと広げた。
この国は大きく五つの地方に分かれている。
王都を中心とした平野地帯、中央部セントラリス。
雪原と森に囲まれる北部スノレム。
河川など水にあふれた西部リヴェロンド。
砂漠の多い乾燥地、南部カルドラッサ。
そして、ここ東部ノルンヘルダは山岳が多く存在する。
「しばらくハルミナ神殿を拠点にするのは変わらぬが、もう少し足を伸ばしたい。遠出をするとなると、当然野盗や魔物に襲われるリスクが高まる。護衛の者は必須じゃ」
魔物は知能の低い魔族のことだ。知性のある魔族が人間の前に現れることはほとんどないが、魔物はこの国の各地に出没する。旅をする際は防衛のために護衛を雇うのが鉄則だった。
「護衛なんて。魔法で戦えるから、そんなのいらないよ」
剣はもう握る筋力はないが、魔法は話が別だ。そう思って反論したのだが、大賢者は心底呆れたような視線を向けてきた。大げさにため息を吐かれる。
「勇者一行は、魔法使いや神官だけで敵を退けておったのか? お主が魔法や浄化の力を使う間、お主を守る剣士なり戦士は必要じゃ」
「――うっ」
それ以上反論できず、セレナは口ごもった。大賢者は地図上のハルミナ神殿を指し、そこから少し指を動かす。
「ここより北、バラカスという交易都市がある。ここには傭兵が集まるギルドもある。そこへ行って、護衛を雇ってこい」
「え? 大賢者様はついてこないの?」
今まで他の村へ浄化に行く際、大賢者はいつも同行してくれていた。てっきり、今回もついてきてくれるかと思ったのだが、大賢者は首を横に振った。
「我もやることがある。代わりに我の人形をつけてやろう。護衛代わりぐらいにはなる」
「じゃあ、ずっと大賢者様の人形に守ってもらえばいいじゃん」
正直なところ、――あまり必要以上に関わる人を増やしたくない。特に見知らぬ相手を仲間に引き込むのは躊躇いがある。
セレナの言葉に、心底呆れたように大賢者は言った。
「馬鹿なことを言うでない。さっさと、出発する準備をせよ。早くしないと日が暮れるぞ」
*
セレナは一人、交易都市バラカスを目指す。
(バラカスか。神殿長たちから話は聞いてるけど、……行くのははじめてだな)
ハルミナ神殿で生活を始めて一年余り。しかし、そのほとんどを神殿内で過ごしていた。近隣の村ならともかく、都市と呼ばれる大きな街に行くのは久しぶりだ。
大賢者の配下の人形が操る馬車の荷台で揺られながら、セレナは膝に顔をうずめる。
(……人がたくさんいる場所に行くの、嫌だなあ)
かつて、セレナは勇者として大勢の人に囲まれていた。王都での暮らしもそこそこ長い。しかし、勇者を止め、女に戻った後は人を避けるようになった。
その理由の一つは正体がバレることを危惧してだ。魔王討伐から戻った勇者セランに国王は王女との婚姻を命じた。結婚なんてできるわけがなく逃げ出したわけだが――国王が勇者を捜索しようとするのは想像に難くない。
もちろん、女に戻ったセレナと勇者セランは別人だ。
金色の髪と瞳、それと顔立ちには面影はある。しかし、背丈も縮み、体型も細く、女性的なものへと変化している。髪も、逃げる際に大賢者からもらった薬で腰ほどの長さに伸びた。ショートヘアだったセランと、今のセレナを結びつけるのは難しいだろう。
(そもそも、セランの時期はずっと王都にいたし。東の魔族領に魔王討伐に向かったときも、ここよりもっと北の街道を使ったし……。このあたりに勇者の顔を見たことある人なんてほとんどいないはず)
それでももし――そう考えると恐ろしくて、なかなか外に出る勇気がなかった。魔王討伐後に起きた出来事で、ちょっと人間不信を発症してしまったのも原因の一つだろう。
勢いよく顔を上げ、セレナは自分の両頬を叩く。
(大丈夫。大丈夫。私はハルミナ神殿の神官セレナ。誰も私を勇者だとは思わない)
自分自身に強く言い聞かせる。そうして、セレナは馬車の進行方向へと顔を向ける。その先には大きな城壁が見えていた。




