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エピソード7:仮面の下の素顔


セントラルシティの朝は、いつものように騒がしく、そして眩しかった。


百道葵は、白いシャツに紺色のスカートというシンプルな制服に身を包み、足早に家を出た。


ヒーロースーツを脱ぎ捨て、情報が錯綜するモニター群から離れたこの時間は、彼女にとって唯一「百道葵」として生きられる瞬間だった。


 「葵、おはよう!」


校門をくぐると、クラスメイトの佐々木美咲が駆け寄ってきた。


美咲は、葵とは対照的に、明るく社交的な性格で、葵にとって数少ない心を許せる友人だ。


 「おはよう、美咲」


葵は、努めて自然な笑顔を返した。


しかし、その笑顔の裏には、ヒーローとしての重圧と、誰にも言えない秘密を抱える孤独が隠されている。


 「今日の数学、まじやばいんだけど。葵、後で教えてくれない?」


 「いいよ」


美咲との他愛ない会話が、葵の心をわずかに軽くする。


この瞬間だけは、彼女はただの17歳の女子高生だった。


テストの点数に一喜一憂し、友人との会話に笑い、ささやかな日常を享受する。


教室の窓から見える空は、どこまでも青く、平和だった。


アンフェイスとして戦う夜の街とは、全く異なる光景が広がっている。


このギャップが、葵の心を常に引き裂いていた。


数学の授業中、葵は窓の外を眺めていた。


空を悠然と飛ぶ鳥の姿に、ふと、自由への憧れを感じる。


 『自由……か』


アンフェイスとして活動する限り、彼女に本当の自由はない。


常に人々の期待に応え、完璧なヒーローを演じ続けなければならない。


それが、彼女自身が選んだ道だとしても、時折、その重圧に押しつぶされそうになる。


休み時間、美咲がスマートフォンを見ながら興奮した声を出した。


 「ねえ、葵! 見た!? またアンフェイスがテロリストを捕まえたんだって! 本当にすごいよね、あの人!」


美咲の言葉に、葵の心臓がどきりと音を立てる。


美咲が話しているのは、昨夜の自分自身の活躍だ。


 「うん……すごい、よね」


葵は、複雑な表情で相槌を打った。


自分の活躍を友人が無邪気に称賛してくれるのは、嬉しい。


しかし、同時に、その称賛が「偽物」の自分に向けられているという事実に、心が痛む。


美咲が知っているアンフェイスは、決して本当の自分ではない。


 「私ね、アンフェイスみたいになりたいな。みんなを助けられる、かっこいいヒーローに」


美咲は、目を輝かせながら言った。


その言葉に、葵は胸が締め付けられるような思いがした。


美咲の夢を、自分が偽りの存在として叶えているという事実が、彼女に重くのしかかる。


 『ごめんね、美咲。私は、あなたの憧れるようなヒーローじゃないんだ』


その感情を悟られないよう、葵は努めて笑顔を保った。


放課後、葵は美咲と他愛ない話をしながら、並木道を歩いていた。


街路樹の緑が目に鮮やかで、鳥のさえずりが心地よい。


 「あーあ、テスト終わったら、どこか遠くに旅行にでも行きたいなー。ハワイとか、南の島とか!」


美咲が夢見るように言う。


 「いいね。ゆっくり休みたい」


葵は本心からそう思った。


ヒーローとしての活動は、肉体的にも精神的にも彼女を疲弊させていた。


心ゆくまで眠り、何の心配もなく過ごせる時間が、彼女には必要だった。


その時、遠くから子供たちの笑い声が聞こえてきた。


公園で、小さな子供たちがヒーローごっこをしている。


一人がマントをなびかせ、「私がアンフェイスだ!」と叫んでいる。


その光景を見た瞬間、葵の足が止まった。


子供たちの無邪気な笑顔。


彼らにとって、アンフェイスは希望の象徴なのだ。


 「葵、どうしたの?」


美咲が心配そうに尋ねる。


 「ううん、何でもない」


葵は、ゆっくりと歩き出した。


子供たちの笑顔を守るため、そして彼らの「希望」であり続けるために、彼女は嘘を重ねるしかない。


 『私が偽物だと知ったら、彼らはどう思うだろう?』


そんな不安が、葵の心を常に蝕んでいた。


いつか真実が露呈するのではないかという恐怖に、彼女は常に苛まれている。


家に帰り着くと、葵はすぐに自室のセキュリティールームに入った。


制服を脱ぎ捨て、トレーニングウェアに着替える。


ヒーローとしての顔と、普通の少女としての顔のギャップに、心が引き裂かれるようだ。


 「はぁ……」


大きく息を吐き出す。


この瞬間、彼女は再び「アンフェイス」としての顔に戻る準備を整える。


 「クロウ、今日の巡回ルートを再確認して。それから、ゼータには新型デバイスの調整を頼んでおいて」


通信機に指示を出す葵の声は、先ほどの女子高生のそれとはまるで違う、冷静で研ぎ澄まされた声だった。


 「了解。だが、少し休んだ方がいいんじゃないか? 顔色が悪いぞ」


クロウが珍しく心配そうな声を出した。


 「大丈夫よ。慣れてるから」


葵は、無理に笑みを作った。


しかし、クロウは彼女の疲労を見抜いていた。


 「お前は、いつもそう言うな。だが、ガラスの心臓は、いつか限界が来るぞ」


クロウの言葉が、葵の胸に突き刺さる。


彼は、葵の孤独と葛藤を、どこまで理解しているのだろうか。


 「……分かってる」


葵は、夜の闇に沈む街を見下ろした。


ライトアップされた高層ビル群が、まるで巨大な墓標のようにそびえ立っている。


 「本当は……ヒーローなんて、やめてしまいたいって、思う時もあるわ」


その言葉は、誰に聞かせるでもなく、葵自身の心の奥底から漏れ出た本音だった。


 「ただの女子高生として、何の心配もなく、みんなと一緒に笑っていたい。遠くへ行って、この街のことも、アンフェイスのことも、全部忘れてしまいたい……」


涙が、葵の瞳に滲む。


しかし、それはすぐに、彼女の強い意志によって押し殺された。


 「でも……それはできない。私を待っている人たちがいるから。私が、私でいられるのは……人々が、私を『ヒーロー』と呼んでくれるから、だから……」


葵は、自分の感情を押し殺し、再び仮面を被る。


彼女の深い青色の瞳には、使命感と、それでも拭い去ることのできない孤独が宿っていた。


 「さあ、仕事の時間だ」


そう呟くと、彼女は再び夜の街へと繰り出していった。


偽りのヒーローとして、孤独な戦いを続けるために。




彼女の心に、安らぎが訪れる日は、まだ遠いように思えた。


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